ある出版社に入って、純文学周りの仕事(雑誌掲載のために原稿をいただくとか、それらが溜まってきて単行本にするとか、それが時機を得て、文庫にするとか)をやっておりました。
あるとき、その会社で、批評雑誌を季刊で受け持つことになりました。その批評雑誌の編集も兼務せよとお達しがあり、兼務で雑誌二誌、合間に単行本と文庫を作るという、大忙しな感じになったのでした。
当時は、ポストモダンの嵐が吹き荒れていました。構造主義、ポスト構造主義です。スキゾ、キッズです。エクリチュールとかノマドとかシニフィアンとかディコンストラクションです。
概要を知るにもどこから手を付ければいいのか、訳が分かりません。
入門書やガイド本や交通整理本もたくさん出ましたが、いくら読んでもまったく整理できません。
ひとつひとつ概要を押さえていくしかないと腹をくくるしかありません。
近代からいきましょう。人名がそのまま書名になっているような新書、入門書のたぐいを複数読んでその思想家の概要を自分なりにイメージするようにしたのです。
マルクスが神は死んだと宣言します。
フロイトも無意識の領域を設定して神を追い出しにかかります。
ニーチェもそうです。神というつっかえ棒を捨てて自分で立つことを謳います。超人です。
なんだかよく分からんことがあっても、みんな神の思し召しとかお怒りとかいっとけばよかった時代から、自分たちで考えないといけない時代になってしまいます。近代です。
国民国家、論理、科学、合理性、建設的、自由、平等、立身出世、身分制度の破壊……。折からの産業革命と相まって、素晴らしい時代がやってきたはずなのに。公害や長時間労働による労働者の貧困と病苦、農村の過疎化、富国強兵、植民地経営……。非常に人間的でない状況が続きます。マルクスなどは、資本主義というものがわるいのではないかと考えます。
やがてこの近代はという時代は、戦争をたぐり寄せます。戦争と植民地経営は裏表の関係です。どちらも近代がもたらしたものです。自国の繁栄のためにはコロニーが犠牲になることは倫理的に問題がないという人間疎外の発想、これが近代の正体だったのでしょう。やがて近代は、ドイツにおけるユダヤ人差別や米国における文化享楽主義に行き着きます。
ここから、文系学問の諸陣営は、「近代」を共通の敵として知恵を絞り始めます。ポストモダンの波です。
<哲学>
存在や認識の問題はつねに神の問題でありました。神が万物を作り給うた以上、そこにものがあるのは神の問題にならざるを得ない。
しかし、神なきあとは人間が存在や認識の根拠になってもいいわけです。こうして実存主義が勃興しました。サルトルやハイデガーです。キリスト教的神を乗り越える哲学的作業です。しかし、この人間中心に認識や存在の根拠が戻るだけでよいのか。という問いはすぐに浮上します。
人間なんて曖昧なところに認識の根拠を置いていいのか。
<文化人類学>
人類学というのは、いろんな人間がおります。いろんな生活がありますというものですが、欧米の文明を頂点としたヒエラルキーのなかで語られてきました。それがレヴィ=ストロースによって誤解であったことが証明されます。英仏の文化的な生活と南洋の島の小さな民族の焼き畑農業の生活も、それぞれに最適化しただけであって、上下など付けられないのではないか。そもそも進化ってなんの進化なのか。近代の絶対主義に死刑の宣告をしたようなものです。構造主義の誕生です。
<言語学>
言語をよくよく分析的に考えてみたら、指し示された事柄と音にわかれるやん。その結びつきは任意やん。ここに神などおらんやん。あるのは構造だけやん。ソシュールが発見してしまうわけです。チョムスキーは生成文法とか言って屋上屋を重ねる迷妄に突き進みますがそれはご愛敬。
あっちこっちで神が死に、かといって人間が出しゃばっても違うなー、という感覚が起こってきます。これがポストモダンなのではないかと思うのです。
ひとつひとつ歴史的名著それぞれを繙いていく時間はありません。
いつかの牛理論です。野菜は牛が食ってくれている(から、私は牛だけを食えばいい)、というヤツです。
原典を読んでくれている人がわかりやすく書いてくれた入門書・啓蒙書を読めば、サラリーマンとしてはまあ充分でしょう。
ギリシャ哲学もカントもデカルトもヘーゲルもハイデガーもそういうので読むわけです。
そんな中の一冊に、『ソシュールのすべて』があったのです。
本当に難解なソシュールの『一般言語学講義』をかみ砕いた入門書は山と刊行されていますが、町田先生のこの本がいちばんわかりやすいと言い切ってよいように思います。それくらいたくさん読みましたし、それぞれピンときませんでした。そんな中で大胆な捨象を踏まえつつ、非常にわかりやすく、毀誉褒貶を覚悟して書いているように思えます。覚悟の一冊です。本書からはじめて、いくつかソシュール啓蒙本を読めば、そうとう見えてくるように思えます。そういう最初の一冊に格好な入門書です。