Doodlin' Records -4ページ目

Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

日本のモダンジャズ史に燦然と輝く「モカンボ セッション」は1954年に横浜は伊勢佐木町にあったモカンボというジャズクラブ(?)で行われた。アメリカにおける最先端のジャズの動きなどほとんど入って来なかった時代に、ピアノの守安祥太郎、テナーの宮沢明といった当時の気鋭達によって研究実践された1セッションを、これまた1ジャズマニアがほとんど偶然的に録音していたという、正に奇跡の記録である。
このセッションでの守安など、当時もまだまだニューヨークで現役として活動していたバド パウエルの奏法を完全に把握したものであって、何もない状況から一体どうやってこんな演奏能力を身につけたのか、いくら考えても今では理解できない。モカンボのメンバーは1954年にして本当にバップしている。

とはいえ、僕はレコードとCDを通して、残されたこのモカンボ セッションの全録音に一度は耳を通してはいるのだが、ひとつだけどうしても不可解な点が残っている。それはどうしてモカンボ セッションではブルーズ進行の曲が1曲も演奏されていないのだろう、という事だ。

ご存知の様にジャズはアメリカの黒人によって生み出された音楽だ。したがってその歴史はブルーズと切っても切れない関係にある。今この場でブルーズとは何か?などという議論をふっかける気は無いが、このブルーズというのは当時のジャズの最先端なスタイルであったはずのビ バップでも大きな要素を占めてはいた筈だ。事実バップの生みの親とまで言われているチャーリー パーカーの作った楽曲は「ナウズ ザ タイム」「ビリーズ バウンズ」「オウ プリバーブ」「バルバドス」など多くがブルーズであり、また多くの彼の後を追うプレイヤーによって当時から繰り返し演奏されたものだ。

しかし、モカンボ セッションではブルーズは演奏されていない。この原因を探ろうと、かなり分厚い守安の伝記「そして、風が走りぬけて行った」を完読してみたが、この本は優れた読み物ではあったものの、残念ながら作家が元々ジャズに興味は無く、そういった点には触れられていなかった。

そこで僕の勝手な見解ではあるのだが、1954年の地点でのジャズというのは、まだまだアメリカの(白人中心の)エンターテイメントを通した音楽であり、例えば映画音楽や、1001という楽譜集に載っているポピュラー音楽の延長として捉えられていたのではないか?よっていくら最先端のプレイヤーであってもジャズをニューヨークや黒人やブルーズやバップというカテゴリーに分けて考えるまでには至っていなかったのではないか?
この説が正しいのか正しくないのかは僕にはわからない。ただもし多少なりとも引っかかっていたとしても、1954年の日本のバップにブルーズが入る余地はまだまだ無かったというのは本当のことだろう。もちろんそれによりモカンボ セッションの価値が高まりはしても落ちる要素には全くならないのだが。

それでは日本のジャズプレイヤーがブルーズを意識して演奏に取り入れたのはいつ頃からだろうか?などと偉そうな問いをふっかけてみましたが、僕はこの問いに対して色々なレコードを聴いたり、文献を読みあさったりしている訳ではない。したがって無責任ながら答えは知らない。
ただ一つヒントになりそうなレコードがある。そしてそれはモカンボ セッション同様、日本のジャズを語る上で欠かす事の出来ない最重要で素晴らしすぎる記録でもある。

モカンボ セッションには21歳という若さで参加していた世界のナベサダこと渡辺貞夫が、28歳を迎えて録音した初リーダーアルバム「SADAO WATANABE」がそれだ。

本作は当時日本のジャズ録音を積極的に進めていたキングレコードから発表されたもので、28歳の貞夫さんの若々しく颯爽としたプレイがあまりにも輝かしい傑作中の傑作といえるものだ。したがって今さら本作のどこがどう素晴らしいのかをいちいち検証してもそれは既にわかりきっている事実であって、ここでは特に触れはしない。素晴らしいものは素晴らしいとしか言いようが無いからだ。

ただモカンボから7年の歳月を経て録音された本作ではAB面にそれぞれ1曲ずつブルーズナンバーが収録されているのには注目しなくてはいけないだろう。
A面の「ナウズ ザ タイム」B面の「グレイシー」がそれに当たる。まず「ナウズ ザ タイム」は言わずと知れたチャーリー パーカーのブルーズだ。今ではジャムセッションで定番として演奏されているこの曲は、恐らくパーカーのバップを意識していたであろう貞夫さんのルーツとも言えるナンバーだったのではないか?貞夫さんがこの曲をブルーズとして捉えたのはモカンボより前なのか後なのかは知らない。しかしこのブルーズこそモカンボ時代から切磋琢磨して習得したバップの一つの形として演奏しているのは想像出来る。

もっと気になるのがB面の冒頭に収録された「グレイシー」だ。これはジャッキー マクリーンのブルーノートにおける初リーダー作「ニュー ソイル」に収録されたウォルター デイヴィス Jrのペンによるブルーズで、ピアノによるブギウギ調から発進される通り、かなり生々しい黒人音楽のフィーリングに満ちたもの。こういったスタイルは当時バップを通り越してハードバップやファンキージャズと呼ばれ、また新しいジャズの展開と捉えられていた。貞夫さんはそういった最先端を追いかけているうちにブルーズを演奏する必然性にたどり着いたのだろう。

調べてみると「ニュー ソイル」の録音は1959年。だから本作はそれから2年しかたっていない。どんな国のニュースでも一瞬で入る今の時代と違って、この時代の2年、しかもアメリカ本国でも斬新であったろうスタイルを日本でいち早くキャッチする貞夫さんの先見の冴えには驚かされるばかりだ。

また2曲のブルーズ以外でもサム ジョーンズの「デル サッサー」、ドナルド バードの「アーメン」はとびきりファンキーだし、スタンダードの「ジャスト イン タイム」は単に歌ものではなく完全にハードバップを消化したものだ。
おまけにピアノの八城一夫が作った「ロマネード」は、既に当時のアメリカ黒人ジャズの雰囲気から離れて、いち早く日本のジャズ特有の語り口で表現されている。これなど貞夫さんがこの後20年近く経てグレート ジャズ トリオと組んで発表したレコードでの演奏を彷佛とさせる。

何度も言うがモカンボ セッションは偉大な記録だ。しかし1954年の地点ではまだまだバップというものを見よう見真似で追いかけている感はある。

しかしそれから7年がたった1961年の貞夫さんのレコードはニューヨークの1961年に発表されたほとんどの最先端ジャズと何ら変わり様はない。7年の間にジャズを取り巻く環境は大きく変わったのだろう。事実JATPもアート ブレイキー & JMも来日している。ただその変化をたった1枚のアルバムで見事に出し切ったうえに、日本人ジャズメンならではのサウンドまで聴かせる貞夫さんの才能は驚異という他ない。


欧米は知らないが、日本では古くからジャズプレイヤーをA級とB級などに分ける傾向がある。ジャズの歴史に改革をもたらせたり、王道を貫いて多大な評価を得ているプレイヤー、早い話がマイルス デイヴィスやジョン コルトレーン、オスカー ピーターソン、ソニー ロリンズ、ハービー ハンコック、チック コリア、パット メセニーなんて人は誰もが口を揃えてA級と呼ぶ。

一方そういった人達に比べて明らかに知名度が下がって、今では限られた、あるこだわりを持つ様なファンにしか名前を知られていないプレイヤーは概ねB級扱いである。
といっても、確かにそういったプレイヤーをバカにする心ないジャズファンもいて、はなはだ困るものの(そんな奴ファンとは言えないけど)、大方はそういったB級ぶりをあえて愛おしんで楽しむ人の方がはるかに多いので、日本でいうB級というのは、基本的に愛すべきプレイヤーに対するテレ隠しの様な前置きであって、決して安易にランク付けをしたものでは無い様だ。

そういう意味でDoodlin'において毎晩の様にターンテーブルを賑わせている1960年代末から70年代にかけて活躍したプレスティッジのアーティスト達のほとんどは今では間違いなくB級プレイヤーと呼ばれる人達だ。ラスティー ブライアントやブーガルー ジョー ジョーンズやソニー フィリップスやヴァージル ジョーンズやメルヴィン スパークスやチャールズ キーナードやビリー バトラーなんて、僕がジャズに興味を持ち出してから立ち読みしたスイングジャーナル誌やジャズライフ誌で名前を見かけた記憶はない。この2誌は僕の知る限りCDが売れるA級プレイヤーしか相手をしていなかったので、やはり彼らはこの日本ではB級と呼ばれてもしかたがない。

昔ジャズ批評社から刊行された「コテコテ デラックス」という本がある。60~70年代を中心に文字通りコテコテなソウルジャズ系のプレイヤーを大挙紹介していて、まだこういったジャンルに疎かった僕らが知らなかったレコードをたくさん教えてくれた名書だ。これも紹介されてる多くがプレスティッジのものだった。
そしてそういったB級とされるプレイヤーは当然A級の人達より、何かしらどこか人懐っこいというか、ユーモラスな面があり、やることなすことがブルーズで、どこかいいかげんで、どこか極端で、どこか堅実なジャズの流れに背を向けている、などと捉えられている。つまりコテコテデラックスに載る様なB級プレイヤーというのは、なかなか困った人達であり、それがまた愛おしいといった具合だ。もちろんコテコテ本の扱いもそうだったし、僕も例外ではなくそう感じとっていた。

しかし、毎日毎日店でプレスティッジの7000番台から10000番台のレコードを聴き、彼らの演奏に没頭しているうちに、何かそれまでの自分も含めたコテコテな人達に対する評価に変化が生じて来た。いや待てよ、本当にそうか?という疑問が湧いて来たのだ。

1970年に録音されたラスティー ブライアントの「ソウル レベレーション」を聴いてみよう。ボブ ポーターがプロデュースした、当時プレスティッジにおいて量産されたコテコテソウルジャズの典型的な1枚だ。
これも入手した時は他と同じく、愛すべきB級ぶりを楽しむつもりで聴いていた。しかし聴き進むにつれ、これは尋常ではない高度で先見性に満ちた演奏なのではないかと感じてきた。主役のラスティーはむさ苦しくブロウを聴かす反面、あくまでも華麗で気品を失っておらず、全曲を圧倒的な迫力で包み込む。他にも何を演らせてもブルージーな表現力で心地良さを発散させるトランペットのヴァージル ジョーンズ、オシャレギターなうえに聴く者をトランス状態に陥れるメルヴィン スパークス、同じく超テクを誇るオルガンのチャーリー アーランド、そしてどこまでタイトやねん!と言わしめるドラムのアイドリス ムハマド。全員が全員音楽のツボを知りつくしているうえ、研ぎすまされた感性を持ったスペシャリストだ。こんなのを単にコテコテソウルジャズの1枚に囲んでしまっていいのか?そして当時のプレスティッジのレコードはみんなこの位のクオリティーを保っている。

考えるに、彼らは僕らが考える以上にインテリな音楽家だったのではないか?このインテリというのは寅さんに「てめえら、さしずめインテリだな」と言われるインテリとは違う。ただ単に黒人だからノリがいいとか、ブルーズがしみついているとかといったものでは無い、もっと根本的な知性と音楽的教養に根ざした精鋭達からなる集団なのではないかと言う事だ。
もちろんこの考えが全て正解であると言い切るつもりではない。もっとインテリでCDも話題になってインターナショナル ジャズデイ2014にも出るというアーティストはたくさんいる。

でも僕は言いたい。彼らは困ったソウルブラザーの仮面を被ったとんでもないインテリだ。少なくともインチキ芸術家の耳が聞こえないという嘘やゴーストライターまでをも見抜けず、現代のベートーベンなどというコピーをつけてCDをまんまと売ってしまった自称音楽関係者や放送業界の人より9千8百億倍はインテリな人達であるのは確かだろう。天文学的数字に膨れ上がったのは彼らがレコードを聴いていても全く自分を誇示する様子など無いからだ。ここが昨今の自称アーティストや業界人とは違う。

言いたい者には言わせておけ、と彼らが言っていたかは知らない。しかし脳ある鷹は爪を隠すという。僕は彼らがその鷹に見えて仕方がない。彼らをB級と呼ぶならそれで結構だ。愛を込めたうえでのB級扱いならそれでいい。
ただ僕はもう言わない。そんなフィルターを通すと見えるものも見えなくなるからだ。偉大なアーティストにA級もB級も無いに決まっている。


ジミー スミスはブルーノートにおいて3度のオールスター セッションをくり広げている。どれもがレーベルを代表するプレイヤーを引き連れていて、このレーベルがいかにジミーをスターとして扱っていたかが伺い知れるというもの。

そのうち第1回目は1957年2月の11日から13日の3日間に渡って行われたもので、ドナルド バード、ハンク モブレイ、ルー ドナルドソン、ケニー バレル、アート ブレイキー他といった錚々たる面々によるセッション。そして2回目が57年8月25日と58年2月25日の2回に分けて行われたリー モーガン、カーティス フラー、ルー ドナルドソン、ティナ ブルックス、ケニー バレル、アート ブレイキー他という更に錚々たる面々が勢揃いしたセッション。1年のうちにこんだけの記録を残すのはにわかに信じられんと言った所だ。

そして3回目はそれから約2年がたった1960年3月22日に行われた。参加メンバーはブルー ミッチェル、ジャッキー マクリーン、アイク ケベック、クエンティン ウォーレン、ドナルド ベイリー。
こうやって3つのセッションを眺めてみると、この3回目に当たるセッションは正直言うと地味な印象を受ける。しかし考えてみると、フロントの3人はまぎれもなくこの時のブルーノートを代表する人気スターであり、ブルーノートが最も充実していた時期を象徴する人選である。よってこちらも堂々たるオールスターと呼んでも全く差し支えなどない内容だ。地味な印象を受けるのは第1回と2回があまりにも派手すぎたからだろう。

しかしこのセッションが背負ってしまった本当の悲劇は、そんなメンバーの比較うんぬんの話ではない。なぜなら本セッションは1960年というブルーノート自体が乗りに乗って傑作を連発していた時期に録音されたにも関わらず、発表されたのはそれから8年もの年月を経過していたからだ。
その原因についてはまだ(恐らくこれからも)明らかにされてはいないが、考えられるのはブルーノートのオーナーであるアルフレッド ライオンのいささか過剰なジミー スミス愛が仇となったのか、あまりにも多くのアルバムをリリースしすぎたため、少しここらで待ったをかけられてしまったという経緯があるのではないだろうか。本セッションはブルーノート後期のイメージがあるが、実は傑作と言われた「ミッドナイト スペシャル」「バック アット ザ チキンシャック」の録音より1ヶ月前のものだ。
そんな訳で前後に録音されたものを色々と吟味してバランスを考えながら順ぐりに発表していく内に運悪くどんどん後廻しとなり、やがてジミーのヴァーヴ移籍を迎えてしまったのだろう。
ちなみに決して録音順に番号がついている訳ではないブルーノートだが、発売ですら決して番号順に行われてはいなかった様だ。したがってティナ ブルックスの盤の様にジャケットまで決まっていながら、発売したのかしてないのかわからなくなってしまってるものまで出てくる始末になるのだ。

ただそれにしても8年という空白はあまりにも痛いのではないかと思う。しかも1960年のアメリカと1970年のアメリカは対局にある別の国だとまで言われている60年代においてだ。ジャズ自体も黒人をとりまく状況も全く豹変した時代に8年も前の録音なんて、一体誰が好き好んで買い求めたというのだ。

本セッションはアルバムにして2枚に分けて発売された。4269番の「オープン ハウス」と4296番の「プレーン トーク」である。これまた約30ほどの番号差があるが、同時に発売されたのか別だったのかはわからない。ただこれもこの偉大なセッションの全貌を知らしめようとした売り方ではなく、何かやっつけというかついでというかの売り方に感じてしまうのが気にくわない。

それもそのはず、本セッションのジミーの激演は正に圧巻の一言だ。過激の点から言えば前2回のそれなんて軽く上回っている。何でもアイク ケベックとの共演をもの凄く喜んだらしいが、それにしてもそのはしゃぎっぷりは尋常ではない。正に絶好調でゴキゲンこのうえないジミーに心臓発作を起こしてしまいかねないくらいだ。
超人アイク ケベックの猛烈なムード作り、ブルーズ感覚に溢れ、これまた表現力に満ち溢れたブルー ミッチェルも各自の他作品をも上回る好演。そしてジャッキー マクリーンはジミーが共演したどんなアルトより殺気立って新しい感覚を備えている。

この2作、合計4面の全てが乗りに乗りまくった長尺な1曲に続いてフロント各人をフィーチャーした歌物の組み合わせで構成されている。したがってどれがどの面だったかなかなか覚えにくいのも難だ。ただ更に後ろの番号に廻されたうえ、プレーン トークのタイトルに引っ掛けてコーヒーカップに女性の顔が浮かんでいるというブルーノートとはとうてい思えない変ちくりんなジャケットの本作では、ブルー ミッチェルの「マイ ワン アンド オンリー ラヴ」とアイク ケベックの「タイム アフター タイム」のあまりにも美しく聴き応えがあるバラードが聴ける。よって、もっともっともっと聴いてもらわないといけない、という強い思いを込めて今回はこちらを推薦する次第。


ブルーノートのオーナー、アルフレッド ライオンが惚れ込んだピアニスト、アンドリュー ヒルはまぎれもない天才であると思う。ヒルの持つ内省的であり、攻撃的である音楽性は登場した60年代初頭から現在を持ってしても、誰も真似する事など不可能な世界観をかいま見るものだ。

ヒルがブルーノートに録音した数枚のアルバムの全ては尋常ではないクオリティーと超がつく特異性に満ちた傑作ばかり。よってその中からどれが1番良いか、などの選択はどだい無理だし、意味なども無い様に思う。ひと昔前だとヒルの傑作はエリック ドルフィーが参加した「離心点」であり、またそれ以外は無いという評価が一般的であった。確かに「離心点」は傑作ではある。しかし、ヒルの魅力はとうていそれだけでは無い。

そこで今回はヒルのリーダー作としては(番号順では)2作目にあたり、音楽性が最も克明に現れる4人編成というフォーマットで展開された「ジャッジメント」を紹介したい。といっても初リーダー作「ブラック ファイアー」がジョー ヘンダーソンを迎えた4人編成、続く「スモーク スタック」が通常のピアノトリオにもう1人ベースを加えた変則的な4人編成であるから、この2ヶ月という短期間に録音した3枚がそれぞれ4人編成でありながら、全く違う形で挑んでいる所に、ヒルの並ではない音楽性の表れが伺えるし、ライオンのヒルに対する期待度も理解出来るものだ。

そんな中、1964年1月に録音された「ジャッジメント」はヴィブラフォン奏者のボビー ハッチャーソンを迎えた作品だ。ハッチャーソンもまた同時期にライオンが惚れ込んだアーティストで、ヒル同様あまりにも破格な才能を持ったブルーノートの秘蔵っ子といえる存在だった。ブルーノートにおいてはギターのグラント グリーンとハッチャーソンの二人はカテゴリーを問わずありとあらゆるプレイヤーとの組み合わせを試されたプレイヤー。恐らくライオンにとっては二人の持つ全ての才能を知りつくしたかったのだろう。
ハッチャーソン側から見れば本作もそんな組み合わせの一例であったかも知れない。しかし、ハッチャーソンが持つ、全くそれまでの概念を覆そうとする程の新しい感覚は、ヒルの感覚とあまりにも一致するものだ。その成果が見事に表れた本作が単なる顔合わせとは全く違う、恐ろしいまでの魔力を秘めたものになったのは、どう考えても必然的であったと言える。

しかし、本作を恐ろしいまでのものに仕上げてしまったのは、この二人を支える、というか戦いを挑むスタンスで参加したリチャード デイヴィスとエルヴィン ジョーンズのエグすぎるコンビの功績であるのは言うまでもない。
そのうちデイヴィスはヒルの初リーダー作から2年に渡り、アルバムでは6枚近くの作品に参加している。余程気が合うのだろう。そしてデイヴィスとエルヴィンの名コンビぶりは今さら説明するまでも無い。

そんな特異な天才的プレイヤー4人が繰り広げる「ジャッジメント」は当然ながら全く何のカテゴリーにも属さない超ヘヴィー級の生々しさとこの時代特有の退廃的なムードに覆われた傑作となった。本作の4人の個性はあまりにも似ている。4人共内省的であり、内からメラメラと燃えていくタイプだ。そしてあまりにも自分の音楽を持っている。よって作品自体は寛ぎのかけらも無い、ジャケット通りの暗くて重くて危険な雰囲気に覆われている。この似た個性がバラバラで融合したり格闘したりという、そのあまりな緊張感で息が詰まる様だ。

4人の一瞬に生命を賭けるくらいの真剣な眼差し(本当に見える気がする)と伝統を重んじながらも何かを破壊しようとしている気概には心底から傾聴してしまうしかない。
とはいえ、4人共この地点では自分達の音楽が必ずしも世間に受け入れてもらえないものだとは解っていただろう。実際にヒルの作品のほとんどはセールスには縁が無かったと聴く。

しかし、当時からファンは知っていた。例えば僕が観た映画で使われていた武満徹の現代音楽のふしぶしは本作の持つ音楽性とほとんど一緒だった。
そしてヒル自身は、晩年までたとえ少ないリリースであろうと熱烈なファンに歓迎されながら新作を発表して行った。
「ジャッジメント」はそんなヒルの単なる1枚かも知れないが、我々にとってはとてつもなく有りがたいジャズ史に残る一大傑作として永遠に残るべき記録であるのだ。


ルイ アームストロングが1950年に行ったデッカでのレコーディングは、間違いなくジャズの歴史に燦然と輝く重要な記録である。しかし、このセッションを今の時代にしても充分に聴くに値するクオリティーに持っていっている功労者はピアノのアール ハインズだと思う。ハインズの古い奏法でありながらも、当時からすればあまりにも新しい感覚が、下手をすれば懐メロの再現になる恐れのあったルイの音楽を、真のジャズとして再び人々に認識させたのだ。
アール ハインズはまことに素晴らしい!

1950年の地点でもハインズの名声は既に定着していた。なにしろディジー ガレスピーとチャーリー パーカーが出会ったのはハインズの楽団での事だし、ジャズピアノの父という事でファーザという称号は既に獲得していた。しかし、そんなハインズが驚異とも言えるピアノトリオの傑作を制作するのは、それからまだ16年たった1966年。それが今回紹介する「ヒア カムズ アール ”ファーザ” ハインズ」だ。レーベルはコンタクト。

ハインズはこの時61歳。今の61歳はまだまだ若いといった所だが、ジャズ自体がまだ若かった当時なら、既に爺の領域であっただろう。しかし本作で聴かれるハインズの感覚は先の1950年のものと何ら変わらない、というよりよりいっそう進化し、磨きがかかっている。ハインズの弾く音のひとつひとつが生気に満ち、聴く側のこちらの心を鷲掴みにする。この地点で一体誰がハインズのスタイルを古いものなどと批評したのだろうか。理屈などいらない、聴けば解ってもらえると思う、ハインズは今をもってしても新しくて、強烈で、オシャレで、ワン アンド オンリーだ。

しかし、本作がハインズ一人の力でこれだけの傑作に仕上げたのかといえば、それは違う。それは本作のハインズを支えるのがベースのリチャード デイヴィスとドラムのエルヴィン ジョーンズであるという点で、もうそれ以上の説明は不要なのではないだろうか。
前回の「ヘビー サウンド」でも紹介したこのコンビはジャズ史上で最も強烈でクリエイティブなものだろう。繰り返しになるが、恐るべし瞬発力と果てしない音楽に対する柔軟性を誇るこの二人は、当然何世代も歳上のハインズと演奏しても全く違和感など感じさせるものではない。

本作を聴いていれば、この二人がハインズに対して多大なる尊敬の念を持ってレコーディングに挑んでいるのはよく解る。しかし、二人は完全にハインズのこれまでの音楽に合わすという道は考えてはいない。あくまでも自分達流の演奏でハインズをもり立てているのだ。その結果、元々ハインズの持つ新しさが100%以上発揮された傑作となりえたのではないか。様々な要素が抜きん出ている二人だが、本作はその柔軟性が最も発揮された最高の例だと思う。そしてお約束の様に本作もエグい。
縦横無尽に駆け巡るこのトリオを聴いていると、いかにジャズのカテゴリー分けなど不必要なものかを実感してしまう。

そいいった意味で、やはり本作は1962年にデューク エリントン、チャールズ ミンガス、マックス ローチというメンツで発表された「マネージャングル」と同じコンセプトを持つ作品だろう。エリントンより6歳下のハインズがこの「マネージャングル」を意識していたかは知らない。ただエリントンの音楽ばかりで固めた「マネー~」に対してハインズの方は様々な既成の曲を料理している。その点で両作品は全く違う性格のものであろう。しかし唯一のハインズ作の「ザ スタンリー スティーマー」を聴けば、そのスタイルは非常にエリントンのものと共通している。

とはいえ録音から半世紀もたとうとする今になってそんな点をとやかく詮索するのはヤボな話だ。ひとつだけ絶対に言えるのは、ハインズ、リチャード デイヴィス、エルヴィン ジョーンズからなる破格のクオリティーに満ちた本作を、今日も楽しめる我々はいかに幸せなのかという事である。


ジャズが形として確立したのは恐らく今から100年ほど前だと思う。そしてその地点からジャズの最も大事な要素はリズムであり、それはベースとドラムのコンビネーションによって最大限に発揮されるものだろう。

したがってジャズの歴史には様々なベースとドラムの名コンビが生まれた。モダンジャズといわれる時代になってからだとチャールズ ミンガスとダニー リッチモンドのコンビ、ポール チェンバースとフィリー ジョー ジョーンズのコンビ、それにスコット ラファロとポール モチアン、チャーリー ヘイデンとエド ブラックウェルなんかも思いつく。

そんな中で僕が考える最も強烈なコンビがリチャード デイヴィスとエルヴィン ジョーンズのコンビだ。
リチャード デイヴィスはこのブログでも紹介したクリフ ジョーダンの「ルーツ」やエリック ドルフィー&ブッカー リトルの「5スポット」などで素晴らしい仕事ぶりを聴く事が出来るが、残念ながらこれらはサイドメンゆえ、なかなか取り上げる機会を逃していたベーシストだ。
1930年シカゴで生まれたデイヴィスは若い時から交響楽団にも在籍した名手であるが、超がつくほど重苦しく、ギッシギシとベースを鳴らすうえ、一種独特のうねりを持ってバウンドさせるというサウンドの持ち主だ。60年代は毎日交響楽~レコーディング~ジャズクラブ出演の3つをこなしていたという。
1927年ミシガン州で生まれたエルヴィン ジョーンズについては今さら説明する必要もないだろう。彼の名を一躍トップドラマーに押し上げたのはジョン コルトレーンのグループで聴かせたあの神がかりで強力無比な活躍をもってである。しかし、その反面トミー フラナガンの「オーバーシーズ」やフィニアス ニューボーンの「プリーズ センド ミー サムワン トゥ ラヴ」などのピアノトリオ作で聴かせた、パワフルでありながら、たまらなく緻密で繊細なドラミングの名手でもある。こういった面も含んでのトップドラマーであるというのは現在では誰もが認めるところだろう。

そんな二人はジョン コルトレーンやエリック ドルフィーなどのレコーディングで数多くの共演作品を残した。恐らくよほど気が合ったのだろう。二人は共に確かなテクニックによるビッグサウンドを持っているうえ、グルーヴ感を最大限に重視し、圧倒的な瞬発力と限りない柔軟性を持ったプレイヤーだ。その個性と個性が混ざり合ったりぶつかり合ったりする様は、常にとてつもない緊張感に包まれている。
クリエイティブというのは、今の日本では言葉だけが独り歩きを始めてしまい本来の意味が薄れてしまっているため、あまり安易に使いたくない表現ではあるが、ことこの二人のコンビネーションにかけては必然的に出て来る言葉だ。

1968年、インパルスはこの二人のコンビネーションをメインにしたアルバムを制作する。それが「ヘビーサウンズ」だ。これまでサイドメンとして後ろから切磋琢磨していた二人が、遂に主役として二人の音楽性をぶつけ合うのだ。本作は当時ニューヨークで最先端のジャズを追っていた人達などからすれば待ちに待った作品であったろう。そしてそのサウンドは今を持ってしても言葉に表せないくらいにエグい。エグいというのは現在の流行言葉であって、こんな所で使うべきでは無いのは承知の上だが、僕が本作を聴いていて真っ先に浮かんだ言葉なのでしかたがない。
ここで選ばれたメンバーはテナーのフランク フォスターとピアノのビリー グリーン。フォスターはカウント ベイシー楽団の重鎮として名を残しているが、どっこいエルヴィンらとも最も気の合う当時でも新しい感覚を持ったテナープレイヤーである。この人も二人と同じく果てしない柔軟性を持っているうえ、常に堂々とした姿勢で自分を表現するスターとして本作のエグさに貢献している。
あまり馴染みのないビリー グリーンもまた正当派な実力を持ったピアニストだ。スイング感に溢れたスタイルが本作のエグさを更に聴き応えに満ちたものとしてしており、その活躍も素晴らしい。

エルヴィン亡き今、こうして奇跡の様な怪物的傑作が毎日の様に聴く事が出来る。我々は本当に幸せであるとしみじみ思わざるを得ない。そんなヘビーサウンズを今日も聴こう。


今から記す事柄はウソみたいな話だが、神に誓って本当にあった話だ。

僕の友達のまだ20代の若者は、元々音楽が大好きだったのだが、最近はめっぽうジャズのカッコ良さにはまっている。そして誰の入れ知恵かはわからないのだが、彼はチャールズ ミンガスにいたく心を奪われるに至る。来る日も来る日もミンガスのCDを聴き、ユーチューブで勉強する毎日が続いた。
が、そうこうしているうちに彼の体に変調が見られる様になる。何か足の指を中心に訳のわからない痛みが生じ、やがて日を増すごとに腫れも感じてきたのだ。これはおかしい。当然病院へ行って診察してもらう。
結果は「痛風」。

風が当たっても痛いという痛風だが、これは肉系や刺身物なんかを摂取しすぎた場合に発症する場合が多いという。よってお偉い社長さんらに見られる贅沢病とも言われているらしいが、時に体質などでも出てしまう人もおられるらしい。まだ若い彼はたまたまそういう体質だったのだろう、お気の毒としか言いようがない。

しかしこの場合、そんな彼に痛風をもたらしたそもそもの原因は、やはりミンガスだったのではないかと思う。見てくれだけでも充分に熱苦しいミンガスだが、その音楽性はさらにそれを上回るものがある。ミンガスの音楽は常にジャズの肉たる部分のみを排出し続けたものだ。これをまだ免疫の無い若者が続けざまに聴き込んだ場合、体に変調をきたすのは充分に考えられることではある。

そんな悪い魅惑が充満しているミンガスのアルバムの数々は確かに名盤ばかり。でも僕があえてこれからミンガスを聴いてみたいという挑戦者にすすめる1枚が今回紹介する「ミンガス アー アム」だ。

とかく黙っていられない性格のミンガスだが、その音楽はたいてい思いの全てをぶちまかし切るまで演ってのけている。よって1曲は長い。ミンガスが自身の音楽性を発揮した最も初期のものとされる名盤「直立猿人」にしても両面で4曲だ。それ以降ミンガスの音楽はどんどん深みと凶暴性を帯びながら1曲にかける時間をたくさん取るようになっていく。そして当然解ってもらえない人には長い、疲れると批判される。

その点、「ミンガス アー アム」は1959年というミンガスが恐らく音楽家として遂に油が乗りきった時期の録音であるにもかかわらず、1枚に全9曲という彼にしてはかなり多い曲数が収められている。その点では異色のアルバムと言ってもいいかも知れない。当然1曲の時間はそれなりに短い。
しかし、A面1曲目の「ベター ギット イット イン ユア ソウル」のスピード感とドライブ感とそれに伴うアグレッシブな展開は正にミンガスの音楽の全てを網羅しているものであり、究極の完成度を誇っている。さらに敬愛するエリントンに捧げた「オープン レター トゥ デューク」、恐らくジェリー ロール モートンに捧げた「ジェリー ロール」、チャーリー パーカーへの「バード コール」、そして言わずと知れた名曲「グッバイ ポークパイハット」といった楽曲はその意味を探るだけでも尋常では無い聴き応えに満ちたものだ。おまけに黒人として反社会的な立場からある事件に関与した人物を批判した「フォーバス知事の寓話」の初演も収められているうえ、これらの全てのものがそれぞれバップであったり、ブギであったりといった様々な色で彩られている。

ブッカー アーヴィン、ホレス パーラン、ジミー ネッパー、ダニー リッチモンドといったミンガスの音楽を表現する最も適任なプレイヤーの激演に次ぐ激演を得て、ミンガスの持つ凶暴性から詩的な部分までのありとあらゆる要素を正にソングブック風にまとめあげたショーケースとして楽しめるのが「ミンガス アー アム」なのである。

という訳で今回はこれからミンガスを聴く人ための紹介文のような内容になった。ただひとつこれだけは注意しておかないといけないのだが、だからといって本作がバランスの良い聴きやすい所謂入門的な作品では全く無いという事。全9曲で1曲がコンパクトに上手くまとめられていたとしても、その音楽性はあいかわらず尋常ではない濃さを示しているのだ。この1枚のアルバムをテーブルに例えると、そこに盛ってあるのはビフテキにローストビーフにフライドチキンにポークチャップに鰹のタタキに伊勢エビに寿司といったものばかり。コレステロールは半端じゃない。くれぐれも痛風にならないように要注意といったところだ。



※Doodlin'主催「波止場ジャズフェスティバル2014」は3月1日・2日 ホーム参照 お待ちしています!
Doodlin'主催「波止場ジャズフェスティバル 2014/Jazz At The Waterfront」が開催されます!

Doodlin'の開店1周年を記念して行われた昨年の第1回は、素晴らしい内容と楽しさに満ちたものでしたが、その地点では出演アーティスト3組にとどまり、フェスティバルにしては少々寂しい感は無きにしもあらずでした。

しかし、2周年を迎える今回は総勢10組、2日に渡り開催されます(拍手)。しかも10組全てがDoodlin'の日常を表した様な黒くて熱のこもったルーツミュージックに根ざしたものばかり。まさにGROOVEに身をまかす2日間となるのは必至。そういった意味で今回は堂々とフェスティバルを名乗れるものとなるでしょう。2年続けたかいがあったなー(涙)。

さらに特筆すべきは、今回の出演者には現在プロで活動しCDも発表している橋本有津子 with ライト兄弟を筆頭に、大学のジャズ研出身者で組んだグループ、ロック~ブルーズの活動から組まれたグループ、クラブを活動の拠点とするグループ、ジャムセッションで知り合った者らで組んだグループ、主催者の特権を利用していいメンバーばかりかっさらったグループ(僕やがな)など、そのルーツが多岐に渡っている点。ジャズという範囲に限定しながらもここまで幅の広い層が集まるイベントはこれまでの神戸では無かったものではないかと自負しています(エッヘン)。
本イベントを通して様々なフィールドのミュージシャンや音楽好きの交流が生まれ、よりいっそう神戸のジャズ=ブラックミュージックの発展に少しでも貢献できればいいなと思っています。

日頃当ホームページをご覧の皆様、このフェスティバルを機会にぜひ神戸に足をお運びください!僕は司会してますので声かけてね、待ってます!!!!

Doodlin'主催「波止場ジャズフェスティバル 2014/Jazz At The Waterfront」
3月1日(土)・2日(日)PM5:15~22:00
ジェームズ ブルーズランド 078-371-2720
1日2,000円 通し3,500円 前売りと当日は同じ値段です。しかしDoodlin'で前売り券をご購入していただくと、その場でサンキュードリンクとして何でも1ドリンクサービスさせていただきます。また当日で通し券をご希望の方は受付にお申し付け下さい。

出演者紹介 出演順

3/1(土)
5:15~G's(ジャズ、ブルーズ)色男のよっぱらいが魅せる甘くてダークでダメダメな世界。g.vo,b,ds
5:50~YAHMAN&BELLS,MAN(ジャズ、ファンク、ラテン等)結成20年。とにかく楽しいが信条。tp.as,ts.key,g,b,ds
6:45~GHETTO SOUL UNITY SESSION BAND(スピリチュアル ファンク)高野山で神の啓示をいただいた即興演奏集団。g.vo,key,b,ds
7:45~DP's(ジャズ)甲南大学OBで結成された熱い熱いツインテナーバンド。ts,ts,p,b,ds,vo
8:45~橋本有津子 with ライト兄弟(オルガンジャズ)日本一熱い主婦、アメリカでも評価の高い有津子さんが今回のメインアーティストとして登場。橋本有津子 org、橋本裕 g、東敏之 ds

3/2(日)
5:30~ナマズDX(ブルーズ)泥臭系ミシシッピ デルタ ブルーズ。hrp.vo,g,b,ds
6:15~CHACHAI & His Doodlin' Connections(ジャズ)Doodlin'店主が主催者特権を利用し、人生初のバップに挑戦。as,ts,ts,g,g,b,ds
7:15~Jaz Materials(ジャズ)絞れば黒い汗が出る様なハードバップ。カッコ良い音楽を目指す社会人バンド。tp,ts,p,b,ds
8;15~McDUFF(オルガンジャズ ファンク)時に懐かしく、時に新しく、70’sを軸にしたJAZZ SOUL FUNKを。g,org,ds
9:15~PISTACHIO 55g(ジャズ)姫路の元ワルガキ達がおくる激しくも心地よいジャズ。2003年結成。tp,g,b,ds

予定は変更される場合があります。ご了承ください。



ブルーノートには1人のプレイヤーにつき、たった1枚のリーダーアルバムがいくらか発表されていて、しかもその多くが聴き応えに満ちた秀作として残っている。
ジョン コルトレーンの「ブルートレーン」、キャノンボール アダレイの「サムシン エルス」、エリック ドルフィーの「アウト トゥ ランチ」、デューク ジョーダンの「フライト トゥ ジョーダン」、アート テイラーの「AT's デライト」、チャーリー ラウズの「ボサノヴァ バッカナル」などはジャズファンならばすぐに思い浮かぶ作品ではないだろうか。他にJ.R モンテローズ、ジョニー C コールズ、フレッド ジャクソン、ソニー レッド、ハロルド ヴィック、ブッカー アーヴィン、タイロン ワシントンと素晴らしいアルバムがどんどんと思いつく。こういうのがあるからブルーノートは面白いのだろう。

そんな中でジョン コルトレーンの場合、ちょうど契約の隙間をぬって自らがブルーノートの事務所を訪ねて行き、そこで直接1枚を制作する契約を交わしたという。何でも旧知のカーティス フラーの紹介で、しかもシドニー ベシェのレコードを貸してほしいという口実を作って出向いたらしい。
またキャノンボールの場合は、マーキュリーで苦い思いをさせられたのを当時の親分であったマイルス デイヴィスに相談した所、オレも参加してやるという形で、演奏者の意向を尊重してくれるブルーノートを紹介されたという。
この様にたった1枚のリーダー作品には、それぞれに制作に至る経緯があったというのが実情だったみたいだ。

ブルーノートでのケニー ドリューは、実際には1953年に10インチとして自身のリーダーアルバムをトリオで発表している。よって今回紹介するたった1枚の12インチである「アンダーカレント」はそんな唯一のリーダーアルバムの仲間に数えるのは嘘になる。
ただ、1953年と「アンダーカレント」が録音された1960年というのは、激動していた当時のジャズの世界ではとても年月が空いているし、何よりもブルーノートのオーナーであるアルフレッド ライオンが、再びケニーの録音にたどりつくまでの経緯が「ブルートレーン」や「サムシン エルス」以上に劇的なので、今回は本作を唯一のリーダーの作品と交えて紹介したいと思う。

1928年ニューヨークに生まれたケニーは、40年代末に数多く存在したとされるバド パウエルを追従するピアニストの中でもトップの実力を誇っていた。
当時のアルフレッド ライオンは元々バド バウエルが大好きで、何とか数枚の作品を発表出来たものの、バドは精神に異常をきたしてしまい、その録音を続けるのは困難だった。そんな時にケニーの存在を知ったのだろう。ブルーノートは1953年、バドの代わりのニュースターとしてケニーの録音を実現させる。
だが、ライオンの目にはこの時25歳だったケニーに、ただのバドの代役には留まらない可能性を発見する。とにかくピアニストにはうるさいライオンであったが、結果的にバドの事は一旦忘れ、ケニーの次の録音をぜがひにでも望むに至ったのだ。

しかし、上手く事は運ばないのが世の常。そのケニーはピアニストとしての実力ゆえに、とんでもない多忙な状況におかれ、またその居場所が全く掴めない存在となってしまう。

10インチ盤を録音した時のケニーはクラリネットのバディ デフランコのグループに在籍していた。ところが、その直後にツアー先のサンフランシスコで退団し、そのまま同地に滞在してしまう。これがケチのつき初め。
その後にLAに移り同地で活動した後、56年になってやっとダイナ ワシントンの伴奏者になり、ニューヨークに戻る。しかし喜びもつかの間、レコードではリバーサイドなどに先を越されてしまう。この間もケニーには「ブルートレーン」などの作品に参加してはもらっていたものの、リーダー作は作れず、ライオンには悔しい日々が続く。そしてそうこうしている間にバディ リッチのバンドに雇われ再びツアーに出て、今度は何故かマイアミに滞在してしまうという有様。ライオンにとってケニーがいかに雲を掴む存在だったかは目に見えるというもの。しかもその間、ケニーの作品をずーっと作りたいと願っていたという。

しかし、そんなライオンの願いがやっと報われる時が来る。1960年になってひょっこりとケニーがニューヨークに戻って来たのだ。そして他社との契約も白紙となっていた。

ライオンにとってそんな苦労の末に制作されたのがケニー ドリューの「アンダーカレント」だ。本作にはライオンのケニーに対する想いがたっぷりと込められているうえ、ケニーの持つ要素の全てを引き出そうとしている。
まず、本作に用意されたメンバーはフレディー ハバード、ハンク モブレイ、サム ジョーンズ、ルイ ヘイズというとびきりイキの良い、しかもブルーノートの躍動感を絵に描いた様に表現出来る強者達だ。A面に針を置いた途端にサムのこれでもかという重く、ウネりまくるベースラインに乗って展開するタイトル曲からして本作の喜びの全てが表されている。ライオンはケニーにこれを演らせたかったのだろう。そして同曲のケニーはライオンの好きなバド パウエルの次を担うのは私だとばかりに、バド顔負けの凄みを持って迫りまくる。そのダイナミクスはバドと並ぶものがあるし、華麗なる展開にかけてはバドを上回る点まで見受けられるというもの。
それに続く他楽曲も当時のジャズの勢いを物語る様なファンキーさに溢れたものばかり。これらのケニーは自身も追っていたバドのスタイルをまださらに(当時の)今風に発展させようとしているようだ。

そして注目はB面のラストを飾る「バラッド」。ここでのケニーはタイトル通りゆったりとしたブルーなムードを保ちながら、終始華麗で躍動感を忘れていない。心の奥底まで響いてくるその感覚は、本作が単なるハードバップやらファンキーやらといったカテゴリーに当てはまるものではないという事実を物語っている。
パウエルを継承した冒頭から、パウエルとは全く違うアプローチを見せるラスト。ライオンはケニーがそれを出来る実力者であるのを知っていたのだろう。だからこそあえてパウエルを意識したバップ魂に満ちた作品をケニーにあてがったのではないか?

ケニーは本作を録音した直後にヨーロッパに移住。各地のジャズの底上げに貢献する偉大な功績を残していく。ステイプルチェイスなどのヨーロッパ録音は今でもファンが多い。そして晩年は日本のメーカーに目をつけられ、スタンダードばかりを演奏した作品を量産した。ケニーのことだからジャケットはどうあれ、きっと素晴らしい内容のものばかりだろう。

けれど結局ケニーには最後までこのようなブルーズとガッツに溢れた作品は発表はされていないのではないか?もちろん肉迫したものはある。けれどヨーロッパに行ったケニーは何か違う。願わくは一度でもアメリカに戻ってほしかったなと思うのは僕だけだろうか。


ウェイン ショーターを語る時、ほとんどの人は彼がジョン コルトレーンの影響を受けた最初世代のテナープレイヤーであると言われる。それは音楽的にもあらゆる意味で間違いは無いだろう。現に「フット プリンツ/評伝ウェイン ショーター」を読めば、尊敬するコルトレーンと親しく、何度も二人で練習していたという記載がある。

でもウェインの音だけに搾れば、コルトレーン自身や他のコルトレーン崇拝者のそれとはかなり違うものであると感じるのは僕だけか?
というのはコルトレーンの音というのは非常に硬質で、かなりメカニカルである。そして所謂コルトレーン チルドレンという人達はその音をさらに強調させていく道を選んでいる。それに反して初期ウェインの音というのは、何か輪郭がぼけた印象を受ける音色だ。しかも乗りすぎると時々音がひっくり返る。早い話が当時評価されていた他テナープレイヤーより、はるかに雑な吹き方なのがウェインなのではないか。

しかし、そういった要素に個性が認められれば、それが評価に繋がり愛されるのがジャズの面白いところ。ウェインも例外ではない。
しかもウェインの場合、そんな音色を見事に自分の好きな世界に投影しているのが流石だ。

その世界観が表れた最も初期のリーダーアルバムが1960年10月にヴィージェイに録音された「セカンド ジェネシス」だ。本作には両面を通して計8曲が収録されているが、そのうちの3曲が映画やミュージカルに使われた楽曲を選んでいる。現在ではジャズマンのオリジナル曲以外の古い既成曲であれば、スタンダードという一言で片付けられる傾向にあるが、本作においては、この3曲を映画、ミュージカルの曲と分けたい。

ショーターという人は子供の頃から絵本や映画の物語が大好きで、特にメルヘンやSF物には目が無かったという。そして摩訶不思議なバレエ映画「赤い靴」に取り憑かれ、生涯で90回くらい観ているという。あまり人の好みをとやかく言うのは良くない事なのだが、ウェインはその昔自分の楽器ケースに堂々と「ミスター 変わり者」と書き込んでいたというから、まあ許されるだろう。
そんなウェインだから、この3曲も楽曲として気に入っただけでなく、恐らく自分で本編を観て、その世界に魅せられた要素が強かったのではないか?そしてその世界観を表すのにウェイン独特の輪郭のぼけた摩訶不思議な音が見事にハマってしまっているのだ。

早くから黒魔術などに興味を持っていたというウェイン。今ならさしずめ「ヤバい奴」と言われてもしかたが無いだろう。しかし本作はこの3曲以外の自身のオリジナル曲も含めて、あまりもの独特の世界感に圧倒されっぱなしだ。そしてその要素はウェインのまだ続いている生涯の不変の魅力になり、魅せられた我々を虜にしてしまうのだろう。

そんなウェインの世界を最も最初に表現した本作に、さらにジャズ的興奮をもたらしたのが間違いなくアート ブレイキーのドラムだ。そしてピアノはシダー ウォルトン。本作はワンホーンという事もあり、結果的にこの3年後に組まれる、あの最強と呼ばれる3管ジャズメッセンジャーズのウェインの要素だけピックアップした形のアルバムになった。本作に収録された「時さえ忘れて」は後の3管でウェインをフィーチャーし、ほぼそのままの形で再演している。

1960年というのはアート ブレイキーが何か思う事があったのか、非常に積極的にメッセンジャーズ周辺の逸材達のレコーディングにサイドメンとして参加した年だ。面白いのはメッセンジャーズでのウェインの前任に当たるハンク モブレイのワンホーン アルバムにも参加している点。この両者、共にとんでもない傑作なのだが、同じメッセンジャーズのテナーでもこうもスタイルが違うのものなのかと感じてしまうのは必至。メッセンジャーズの懐の深さと面白さはこういう所にあるのだと改めて実感できるというもの。

なお、ブレイキー側からみた1960年については本ブログの2012年9月27日に紹介した、当のハンク モブレイ「ソウル ステーション」におけるコメント欄に、Doodlin'研究班の同級生が詳しく解説してくれているので是非参考にしていただきたい。