このセッションでの守安など、当時もまだまだニューヨークで現役として活動していたバド パウエルの奏法を完全に把握したものであって、何もない状況から一体どうやってこんな演奏能力を身につけたのか、いくら考えても今では理解できない。モカンボのメンバーは1954年にして本当にバップしている。
とはいえ、僕はレコードとCDを通して、残されたこのモカンボ セッションの全録音に一度は耳を通してはいるのだが、ひとつだけどうしても不可解な点が残っている。それはどうしてモカンボ セッションではブルーズ進行の曲が1曲も演奏されていないのだろう、という事だ。
ご存知の様にジャズはアメリカの黒人によって生み出された音楽だ。したがってその歴史はブルーズと切っても切れない関係にある。今この場でブルーズとは何か?などという議論をふっかける気は無いが、このブルーズというのは当時のジャズの最先端なスタイルであったはずのビ バップでも大きな要素を占めてはいた筈だ。事実バップの生みの親とまで言われているチャーリー パーカーの作った楽曲は「ナウズ ザ タイム」「ビリーズ バウンズ」「オウ プリバーブ」「バルバドス」など多くがブルーズであり、また多くの彼の後を追うプレイヤーによって当時から繰り返し演奏されたものだ。
しかし、モカンボ セッションではブルーズは演奏されていない。この原因を探ろうと、かなり分厚い守安の伝記「そして、風が走りぬけて行った」を完読してみたが、この本は優れた読み物ではあったものの、残念ながら作家が元々ジャズに興味は無く、そういった点には触れられていなかった。
そこで僕の勝手な見解ではあるのだが、1954年の地点でのジャズというのは、まだまだアメリカの(白人中心の)エンターテイメントを通した音楽であり、例えば映画音楽や、1001という楽譜集に載っているポピュラー音楽の延長として捉えられていたのではないか?よっていくら最先端のプレイヤーであってもジャズをニューヨークや黒人やブルーズやバップというカテゴリーに分けて考えるまでには至っていなかったのではないか?
この説が正しいのか正しくないのかは僕にはわからない。ただもし多少なりとも引っかかっていたとしても、1954年の日本のバップにブルーズが入る余地はまだまだ無かったというのは本当のことだろう。もちろんそれによりモカンボ セッションの価値が高まりはしても落ちる要素には全くならないのだが。
それでは日本のジャズプレイヤーがブルーズを意識して演奏に取り入れたのはいつ頃からだろうか?などと偉そうな問いをふっかけてみましたが、僕はこの問いに対して色々なレコードを聴いたり、文献を読みあさったりしている訳ではない。したがって無責任ながら答えは知らない。
ただ一つヒントになりそうなレコードがある。そしてそれはモカンボ セッション同様、日本のジャズを語る上で欠かす事の出来ない最重要で素晴らしすぎる記録でもある。
モカンボ セッションには21歳という若さで参加していた世界のナベサダこと渡辺貞夫が、28歳を迎えて録音した初リーダーアルバム「SADAO WATANABE」がそれだ。
本作は当時日本のジャズ録音を積極的に進めていたキングレコードから発表されたもので、28歳の貞夫さんの若々しく颯爽としたプレイがあまりにも輝かしい傑作中の傑作といえるものだ。したがって今さら本作のどこがどう素晴らしいのかをいちいち検証してもそれは既にわかりきっている事実であって、ここでは特に触れはしない。素晴らしいものは素晴らしいとしか言いようが無いからだ。
ただモカンボから7年の歳月を経て録音された本作ではAB面にそれぞれ1曲ずつブルーズナンバーが収録されているのには注目しなくてはいけないだろう。
A面の「ナウズ ザ タイム」B面の「グレイシー」がそれに当たる。まず「ナウズ ザ タイム」は言わずと知れたチャーリー パーカーのブルーズだ。今ではジャムセッションで定番として演奏されているこの曲は、恐らくパーカーのバップを意識していたであろう貞夫さんのルーツとも言えるナンバーだったのではないか?貞夫さんがこの曲をブルーズとして捉えたのはモカンボより前なのか後なのかは知らない。しかしこのブルーズこそモカンボ時代から切磋琢磨して習得したバップの一つの形として演奏しているのは想像出来る。
もっと気になるのがB面の冒頭に収録された「グレイシー」だ。これはジャッキー マクリーンのブルーノートにおける初リーダー作「ニュー ソイル」に収録されたウォルター デイヴィス Jrのペンによるブルーズで、ピアノによるブギウギ調から発進される通り、かなり生々しい黒人音楽のフィーリングに満ちたもの。こういったスタイルは当時バップを通り越してハードバップやファンキージャズと呼ばれ、また新しいジャズの展開と捉えられていた。貞夫さんはそういった最先端を追いかけているうちにブルーズを演奏する必然性にたどり着いたのだろう。
調べてみると「ニュー ソイル」の録音は1959年。だから本作はそれから2年しかたっていない。どんな国のニュースでも一瞬で入る今の時代と違って、この時代の2年、しかもアメリカ本国でも斬新であったろうスタイルを日本でいち早くキャッチする貞夫さんの先見の冴えには驚かされるばかりだ。
また2曲のブルーズ以外でもサム ジョーンズの「デル サッサー」、ドナルド バードの「アーメン」はとびきりファンキーだし、スタンダードの「ジャスト イン タイム」は単に歌ものではなく完全にハードバップを消化したものだ。
おまけにピアノの八城一夫が作った「ロマネード」は、既に当時のアメリカ黒人ジャズの雰囲気から離れて、いち早く日本のジャズ特有の語り口で表現されている。これなど貞夫さんがこの後20年近く経てグレート ジャズ トリオと組んで発表したレコードでの演奏を彷佛とさせる。
何度も言うがモカンボ セッションは偉大な記録だ。しかし1954年の地点ではまだまだバップというものを見よう見真似で追いかけている感はある。
しかしそれから7年がたった1961年の貞夫さんのレコードはニューヨークの1961年に発表されたほとんどの最先端ジャズと何ら変わり様はない。7年の間にジャズを取り巻く環境は大きく変わったのだろう。事実JATPもアート ブレイキー & JMも来日している。ただその変化をたった1枚のアルバムで見事に出し切ったうえに、日本人ジャズメンならではのサウンドまで聴かせる貞夫さんの才能は驚異という他ない。










