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Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

ホレス シルバーはその音楽人生において、あくまでもクインテットというフォーマットにこだわり続けたアーティストだ。ここまでひとつの編成をつらぬき通した人も珍しい。このつらぬき通すというのもホレスの人生を象徴する特徴ともなっている所があって、とにかくその一徹さだけでもホレスこそが真にワン アンド オンリーで他のピアニストとは全く違う生き方を歩んだイノベイダーであったと言える。

「ホレス シルバー アンド ザ ジャズメッセンジャーズ」はそんなホレスの自己のクインテット活動のスタートを飾った記念碑的作品であって、ジャズの歴史に燦然と輝く超がつく傑作である。
1954年~55年というジャズの歴史上で最も重要な時期に録音された1枚である本作は、一般的に「The Preachar」と「Doodlin'」という2大ファンキーチューンを残した人気盤として、そのユニークでファッショナブルなジャケットと共に今もファンに親しまれている。

そのため今ではファンキージャズの代表作として紹介されているケースが多い本作。しかしこの2曲だけではない全ての楽曲がファンキーという範囲をはるかに超越した、とてつもない聴き応えに満ち溢れた名曲にして名演のオンパレードであるのは心ある音楽ファンなら既に感じてはいる事実であろう。たまらなくカッコいい「Creepin' In」はここから始まるホレスの作曲スタイルが既に確立されているし、幻想的な「To Whom It May Cncern」の生々しいまでのファンクネスには身震いをおぼえるほど。
とにかく楽曲的には60年近い歳月を経た今をもってしても全てが斬新であり、それをアート ブレイキー以下ケニー ドーハム、ハンク モブレイ、ダグ ワトキンスという現代では現れ得ないくらいの個性と実力を持った強者共が、これでもかという怪演をくりひろげる。アート ブレイキーは今さら挙げるまでもないが、本作のケニー ドーハムは彼の他の傑作のどれよりも郡を抜いた力演で我々を悶絶させてくれる。
捨て曲なしという言い方があるが、本作に限ってはそんな表現もまだまだ生優しい。世界遺産にも登録したい、奇跡の歴史的音楽芸術作品がこの「ホレス シルバー アンド ザ ジャズメッセンジャーズ」だ。言葉が無い。

僕が本作を初めて聴いたのは19歳の時だ。ド肝を抜かされたうえ、僕のジャズ人生を決定させた厚生年金会館大ホールで行われたアート ブレイキー & ザ ジャズメッセンジャーズのコンサートを観た直後だった。ブレイキーを通してホレスの名前を覚えて、すぐに中古レコードで見つけて購入した。多分自分が聴いたブルーノートの2枚目だが、確か1枚目がブレイキーもホレスも入った「ソニー ロリンズ Vol.2」だったと思うので、強烈に名前を覚えたのはこちらだったかも。この辺のいきさつは何ぶん30年近くも前の事なのでかなり曖昧なのだが、とにかく僕はジャズを聴き出したと同時にホレスのカッコ良さにまいってしまったのは間違いない。以降僕は本作を中心にして聴くジャズを選んでいくことになる。今考えるとあのとき中古レコードで本作を購入したのは、自分がジャズのおかげで楽しい人生を歩んだことを考えると正解だったし、運が良かった。

2012年、この運が自分にとってとんでもない運命に結びつく事になる。思いつきとはいえ、僕が育った神戸元町に自分の店を持つことになったのだ。しかも集めたジャズレコードをみんなで聴く店を作ると決めた。そうなると一も二もなく屋号を決めなくては始まらない。そしてそれは30年にわたりジャズを聴いてきた僕ならではのものにしなくてはならないと思った。

「ホレス シルバーだ。ホレス シルバーに関する屋号にしよう」。こう頭に浮かぶのに全く時間はかからなかった。

そこで考えた案は3つ。「Preachar」「Doodlin'」「Room 608」。これは3つとも「ホレス シルバー アンド ザ ジャズメッセンジャーズ」に収録されている楽曲の名前だ。好きなホレスのアルバムは本作以外にもそれこそ五万とある。にもかかわらず、自然と浮かんだのが3つ共本作に収録されたものであったという事を考えると、いかに自分が本作に強い影響をうけ、人生まで共にしようかというくらい愛しているのかを悟った。結局ゴロが良いのと、あくまでも自分が好きという理由でDoodlin'に決定。
更に、同時に看板は絵描きの同級生にあのカッコよくキメたホレスのスタイリッシュなポーズを描いてもらおうと決めた。結果出来上がった看板に至っては、たまらなくカッコいい最高のものになったのではないかな?と思っている。看板に中身がついて行かないではないか。とにかくDoodlin'の自慢の看板だ。
そして店内には1989年に大阪は道頓堀の「セント ジェームズ」でのライヴの時に、本人に書いていただいた本作のサイン入りジャケットを壁にかかげてDoodlin’は完成した。

ホレスがいないとジャズファンの僕はいない。もちろんDoodlin'という店もない。

2014年6月18日。ホレス シルバー逝去。ショックといえばショックだが、86という歳を考えると、やはり来るべき時が来たな、という感じだった。それよりここまで自分を貫いて本当のファンを裏切らなかったホレスの人生にただただ感謝だ。ジャズ界が誇る天才にして、ファッションリーダー、ホレス シルバーに会えて本当に良かった。ありがとう!!!!大好きだ!。

という訳であまりにも想う事の多いホレスだけに今は適切な言葉が思い浮かばない。何を言っても言葉足らずにないそうな気がして。
だからここはDoodlin'として、行動で感謝の意を表そうと思う。Doodlin'はホレスが亡くなった第1報が入った当日から3日間、まさにホレスの入ったレコードのみを流し、追悼を行った。しかしまだ足りない。
この木曜日はホレスが亡くなって49日目にあたる日だった。ホレスはアメリカ人だから四十九日と聞いても何も関係はない。しかしホレスを愛する僕にとってはこれも節目。

そこで明日8月10日の日曜日はもっと大々的にホレスを追悼する夜とします。この日は僕と一緒にメッセンジャーズのコンサートに行き、一緒にホレスの魅力のとりこになったジャズレコードコレクターの同級生に、普段聴く機会のない70年代のホレス作品やシルベルトの作品を大量に持参してもらい、恐らく朝までホレス一辺倒でお送りいたします。

70年代ホレスといえば nシリーズとか、とにかくヤバいですから。お近くの方はぜひ聴きに来てください。
遠い方は同じ夜に好きなホレスのレコードを流して共に感謝の気持ちを表そうではありませんか。


ブルーノートの未発表というのは1970年代になってからBN-LAシリーズ、LTシリーズ、そして日本独自編集として旧東芝、キングレコードの世界初登場シリーズ、現在の東芝、および現在のブルーノートなどから発表されていて、そのなかにはいくらかテイクがダブっていたり、ジャケットが違うだけで中身が一緒だったり、実は元々2枚組で出たモノの片方だけだったりして非常にややこしい。かつては全日本プロレスと新日本プロレスだけだったのが、やたら枝別れや新規参入を繰り返して訳わかんなくなってる今のプロレス界みたいなもので、いいかげんな僕などは一歩間違えれば同じ中身のものをモノを2度買いしかねない状況にある。もしそうなった時はうっかりジャーマンスープレックスをかけられた気になるに違いない。

CDショップにはもうずいぶん行ってないので実物は見てないのだけれど、今ちょうどブルーノートの未発表アルバムの数々がCDとしてかなりの数が再発売されていると聞いた。そしてそれらはほとんど元々の出所問わず、最初にリリースされた形のジャケットが採用されているらしい。ここでまた新たなジャケットで(パソコンで作ったいかにもリード マイルス風なやつな)出された場合、いよいよこんがらがってしまうので、ある意味親切な配慮といった所か。
ちなみに僕は大体のモノは耳を通して中身を把握してはいるのだけれど、中にはフレディー レッドの盤の様に全く存在さえ知らなかったモノや、以前購入したけど紛失したモノ(レコードと違ってCDはすぐ無くすのだ)も含まれるため、2~3枚は押さえておこうと思ってはいるのだけれど、いかんせんCDショップには行かないし東芝の音は信用してないしで、恐らくそのまま忘れ去って後の祭りとなるのは目に見えております。

さてそんな今回の再発売リストの中、やはり心あるファンを喜ばせているのが、アナログでは1970年代末から数枚発表されたキングの世界未発表シリーズのモノ達である様だ。メッセンジャーズの「ピスシス」、ソニー クラークの「マイ コンセプション」、ケニー バレルの「K.B ブルーズ」、ティナ ブルックスの「マイナー ムーヴ」などを含むこのシリーズは、そのどれもが信じられないメンツの組み合わせと、未発表とは到底思えない驚異の濃度を誇る内容で我々ブルーノートのファンを驚喜させたうえに、キングレコードの素晴らしい音質の人気が重なり、現在の中古市場ではどえらい高値で取引されているモノばかりだ。よって存在を知っててもアナログを買えない、買えても家でレコードを聴けない人にとっては本当に嬉しい再発であったろうし、こうして一人でも多くブルーノートの凄さを共有出来るという意味で良かったのではないか。

で、そんなキング未発表シリーズから更に衝撃度ナンバー1ではなかろうかと選んだのがこれ。我々のヒーロー、グラント グリーンがあのジョン コルトレーン カルテットを支えたマッコイ タイナーとエルヴィン ジョーンズを迎え、最もシンプルなギター カルテットという編成で挑んだ「マタドール」。ベースはこれまたブルーノートのお抱え的なボブ クランショウ(この方のこの時期の演奏も相当凄い)が参加した1964年の作品だ。

1964年といえば、当のコルトレーン カルテットは恐らく絶頂期を迎えようとしていた頃。そして元々絶頂期だったグラント グリーンもまたいよいよ凄みを増していった頃だ。そんな時期にこういう組み合わせで録音が行われていたというのは今から考えれば正に奇跡と呼んでもいいのではないか。何せ形としてはコルトレーンのテナーがグリーンのギターに代わっただけなのだから。
そんな奇跡の組み合わせによる本作だが、こうなるとやはりコルトレーン カルテットの影を聴き取ろうとしてしまうのはファンとして当然だろう。そして本作はそんな我々の勘ぐりを正に200%を超える聴き応えとして返してくれている。なんとあの「マイ フェイバリット シングス」を正にコルトレーン カルテットを彷佛とさせる、いやマッコイとエルヴィンに至ってはそのまんまの勢いで演じてくれているのだ。コルトレーンの「マイ フェイバリット シングス」は今ではかなりのテイクが発表されているが、そのどれもがとてつもないテンションを保ち、口では言い表せない感動を与えてくれるものばかり。
しかし本テイクのグリーンもそのテンションと感動をそのまま持ってきたうえに、独特の語り口で自分だけの世界を演出している。これは何もギターでコルトレーンみたいに演奏出来るから凄いと言っているのではない。それなら今のジャズ研の大学生でも上手い子は出来るだろう。ここでのグリーンはそんな短い定規ではとうてい計ることが出来ない、ある種の極みにまで達しているのは明白だ。これにマッコイとエルヴィンがあの演奏を繰り広げる。もう乗りにのった怪演に頭が真っ白になってしまうのは必至だ。もしこれが64年の録音の時期に発表されていたら、コルトレーン神話もまた何かしら微妙にでも変化していたのではないか。こんな事まで感じさせる「マイ フェイバリット シングス」である。

キングレコードによって本作が発表されたのは79年。偶然かどうか知らないが、これはグリーンが亡くなった年だ。しかしここ日本ではグリーンの訃報はほんの少数のファンにしか知られていなかった様だ。79年の地点で、この日本ではグリーンは全く無視されていた。こんな資料が発表されながら、このギタリストが真の天才である事に気付かなかったのだ(79年にジャズ評論家してた人はみんな阿呆だ)。
ただこの時のキングのプロデューサーは大のギターファンだったらしい。よって世界初登場シリーズはケニー バレルとグラント グリーンの作品が多い。ほとんどの作品を一度は耳を通しているが、その全てが傾聴に値するものばかりだ。しかも音がいい(改めてキングは本来レコード会社なのだと実感する。電気屋とは違う所だ)。おかげでやたら中古の値が上がって困ってしまう訳なのだ。

まあ僕はしっかりこの「マタドール」のアナログは押さえておりますが(自慢である)、たとえCDでも今回は絶好の機会。ぜひ一度は聴いてみるべき作品であると推薦いたします。



ベニー ゴルソンのリーダーアルバムといえば、カーティス フラー、もしくはアート ファーマーと組んだジャズテットの印象がどうしても強い。ゴルソンハーモニーと特別に名付けられている通り、ベニー ゴルソンの優雅で美しいハーモニーと、考え抜かれた音楽性を全面に押し出したジャズテットは、確かにジャズの流れに様々な変化を要求されたあの時代を象徴するユニットとして今も聴き続けられている。

ただし、ジャズテットの場合はそういう面ばかりが取りざたされた結果、優れた音楽性を誇ってはいるが、ジャズ本来の持つワイルドな面は極めて少ない、早い話が優等生的な生真面目グループと位置づけされている感は大いにある。僕はと言えばジャズテットの全てのレコードに耳を通した訳ではない。実はそういう先入観がどうしても邪魔をしてしまって、むしろあまり聴いていない方だ。だからそんな僕がここでジャズテットを語る資格は全く無いのではあるが、もし同じ様にジャズテットはあまり聴いていないと仰る方がいらっしゃったら、その理由は僕と同じになるのではないだろうか。

しかし、ベニー ゴルソンのプレイ自体は、そんな優れた音楽性を誇る優等生のイメージとは全くかけ離れたスタイルを持っているのをご存知な方も多いのでは無いだろうか?
その面が最も発揮されたのが、彼がアート ブレイキーのジャズメッセンジャーズのメンバーとしてフランスで行われた「クラブ サンジェルマン」のライヴ録音盤だろう。ここでのゴルソンは豪放にしてむさ苦しくワイルドそのものの吹きっぷりで我々を圧倒してくれている。当時の優れたモダンテナー奏者が軒並みレスター ヤングのスタイルを消化しているのに対して、ゴルソンのそれはどこまでコールマン ホーキンスが好きやねん、とつっこみを入れたくなるほど荒々しい。それなのに「ウィスパー ノット」「アウト オブ ザ パースト」「ステイブルメイツ」という自作曲は美しいハーモニーで人を酔わす。この2面性については人によって取り方は様々であるだろう。ちなみに僕はそんなゴルソンが大大大大好きなファンの一人だ。

とはいえ、結局はゴルソンのそんな2面性が少々やっかいな結果を生んでいる気がする。というのはメッセンジャーズは本来ジャズの持つ興奮を1000%くらいに引き出したモンスターバンドだ。だからゴルソンのそんな荒々しさが大いに発揮されるに至った。しかしメッセンジャーズ以外のゴルソンがリーダーとなったものや、作編曲として前面に出た作品を聴いてみると、やはり先の音楽性ありきな印象を持ってしまうのだ。
せっかくの荒々しいゴルソンのプレイはメッセンジャーズ以外では楽しむ事は出来ない。ただ1枚の例外を除いては。

前置きが長くなったが、その例外というのがジャズテットのカーティス フラーとフロントを組んで、しかもメッセンジャーズの御大アート ブレイキーをドラムに迎えた「グルーヴィン ウィズ ゴルソン」だ。他のメンバーはレイ ブライアントのピアノにポール チェンバースのベースといった典型的なクインテットでプレステッジの姉妹レーベルであるニュージャズから発表されたもの。
本作の録音は1959年8月。という事は有名なブルーノートの「モーニン」から10ヶ月後の録音となる。しかもブルーノートのメッセンジャーズの次作にあたる「アット ザ ジャズコーナー オブ ザ ワールド」にしても4ヶ月前の記録にしてテナーは既にハンク モブレイだから、本作にブレイキーが参加しているとしてもゴルソンにとってはメッセンジャーズを退団した後の録音になる。
ブレイキーからしてみればゴルソン君おつかれ様、ありがとうという意味での参加だったのだろうか?

その真相は定かではないが、本作の魅力はブレイキーの煽りを受けまくっての大ブローイング セッションとなっている所にとどめを指す。この前のも後のもジャズテットを含めたゴルソンのアルバムを何枚か聴いてはいるが、ここまで彼のプレイヤーとしての荒々しい魅力を引き出したものは無い。全く他のリーダーアルバムとは違う、まるで別人のレコードの様に感じてしまうのが本作だ。
なにせ自作曲は超がつくほどファンキーな「マイ ブルーズ ハウス」とずばりジャンプナンバーと呼んでも差し支えのない猛烈で血沸き肉踊るといった長尺の「ザ ストローラー」だけ。しかもゴルソンの曲にしてハーモニーは極めて押さえ気味で、決めごとなどは皆無。ひたすら乗りにのっているのだ。この迫力、確かにブレイキーの神懸かりなプッシュが効いているとはいえ、こんだけの激演があのゴルソンのリーダーアルバムでくり広げられているのは信じがたいうえに此の上ない喜びを感じさせずにはいられない。
またお得意のハーモニーはむしろ「時さえ忘れて」と「イエスタデイズ」といったスタンダード曲で堪能できる。このうち「時さえ~」に至ってはその展開も含めて、まるでゴルソンが書いた他の佳曲と混同してしまうくらい自分の世界に引き込んでしまっている。これなど流石と唸るしかない。しかし本作に限ってはこれらさえブレイキーの強力無比なバックビートに煽りまくられ、とんでもない熱を帯びた激演になってしまっている。激演のために選んだ2曲だが、ハーモニーなどをつけてしまったのはついいつもの癖というか性というかといった所なんだろう。
知将と呼ばれたゴルソンだが、はじめにジャズの興奮ありきといった演奏の中にその影をちらつかせる本作にこそ、彼のインテリを感じさせられる気がするのだが、いかがなものか?

本作が元々他のゴルソンの作品とは全く違う形のブローイング セッション物にしようとしたものなのか?それともブレイキーをドラムに迎えたがゆえにそうなったのかは謎のままだ。同じ様にアレンジに長けたイメージが先行していたジジ グライスが、同じ様にそのプレイスタイルを爆発させた傑作「セイイン サムシン」があるが、これもエズモンド エドワーズがプロデュースしたニュージャズの作品だ。謎を解くヒントはこういう所にあるのかも知れない。

何はともあれ、考えてみれば本作は知将ゴルソンの作品であるにもかかわらずプレステッジ(ニュージャズ)に多く残るアーネット コブやエディ ロックジョウ デイヴィスやジミー フォレストといったテナーのスーパースター達のそれと何も変わらない魅力が発揮された作品となった。そして本作のゴルソンがプレイヤーとしてそういった人達と肩を並べるほどの魅力に満ちたテナーマンであると確認出来るというのは心から嬉しい限りなのである。


パーカッション プレイヤー、サブー マルチネスのブルーノートにおける唯一のリーダーアルバムである「パロ コンゴ」は、その内容がどうこうよりも、その存在自体がブルーノートの珍盤として今も扱われている。もっともブルーノートといえどもオーナーでプロデューサーでもあるアルフレッド ライオンが引退した1967年以降においては、ライオンの意思とは正反対なレコードも多々ある訳で、これらもちくいち珍盤に入れるとなると、この「パロ コンゴ」が一番の珍盤とは一概には言えない。でも「パロ コンゴ」は1957年というブルーノートが歴史的な傑作を量産していた時期に、大筋である1500番台の1枚としてリリースされたのだから、これは世間様が仰る通り珍盤と呼ばれてもしかたがない。

そして本作が珍盤と呼ばれるその最大の理由は、サブー自身がジャズのカテゴリーに入らないのを物語る様に内容自体もジャズとは言えないからに尽きる。

スイングジャーナルの別冊「新・世界ジャズ人名事典」にもキャリアが記載されていないサブーこと”SABU” L MARTINEZは1930年生まれのラテン パーカッション プレイヤーだが、ジャズ、とりわけアート ブレイキーを中心としたハードバップ好きにはお馴染みの名前であろう。ブレイキーとサブーはよほど気が合ったと見えて、2人が共演したアルバムはちょっと思い出しただけでホレス シルバー名義の「スポットライト オン ドラムス」、ケニー ドーハムの「アフロ キューバン」、アート ブレイキーの「ドラム組曲」「CU-BOP」そして「オージー イン リズム」などが思い浮かぶ。これだけあれば親友と呼んでも差し支えないのではないだろうか。

しかし、そんなサブーが唯一リーダーとなった「パロ コンゴ」にはアート ブレイキーは参加していない。それどころかドラムもいない。ここに参加しているのはベースと2人のヴォーカルを除いた5人のラテンパーカッション奏者で、しかも内ギターとヴォーカルも担当するのがラテン音楽では名高いアルセニオ ロドリゲスである。
そして本作にはブルーノートが制作し続けた所謂「ジャズ」とはほとんど共通点はない。レコード屋の主人になった気で本作をジャンル分けすると、恐らくほとんどの者が「ラテン音楽」もしくは「ワールド ミュージック」の棚に陳列するのではないだろうか。やはりブルーノート一番の大珍盤は本作にとどめを指すということか。

しかし、ここでまた僕の悪い癖がやはり頭によぎって来る。果たしてそうだろうか?と。

本作は確かにジャズではなくラテン音楽だ。したがってジャズ専門のブルーノートらしくはない。しかしこのブルーノートをアルフレッド ライオンに置き換えてみたらどうだろうか?そう考えてみると僕はこのサブーの「パロ コンゴ」は他のライオン制作の作品と何ら変わらない位ライオンらしい作品に感じてしまう。というのはライオンというのは一旦気に入ったプレイヤーに会えば、セールスは度外視してとことん深くつき合う人物だからだ。そして出来る限りそのプレイヤーの演りたい形で最良の作品を制作する。時にはその熱の入れ方の極端さが人々の失笑を買うこともあったほどだ。

アート ブレイキーの親友でありお気に入りであったサブーは、この時ライオンにとっても最も魅力的に映ったプレイヤーであったのだろう。したがってサブーのリーダーアルバムをサブーの演りたい様に演らせてあげたくなった。しかしアート ブレイキーを加入させれば、他のセッションと大して変わり映えはしないし、第一この1月前には問題の大作「オージー イン リズム」を録ったばかりだ。そこでライオンとサブーのどちらが言い出したのかは知らないが、何かサブーのリーダーならではのアイデアとして思いついたのが、この際とことんジャズから離れた作品を作るという事だったのではないか、と僕は睨んでいる。

もう一つはサブー自身は間違いなく中南米系の血を引いてはいるが、彼の生まれはアメリカ合衆国。つまりセロニアス モンクやホレス シルバーやアート ブレイキーやルー ドナルドソンと一緒のれっきとしたアメリカ人だ。普通にライオンの近辺でうろついていたアメリカ人なのだ。だからライオンは他プレイヤーと同じ様にアメリカのプレイヤーでレコードを制作したにすぎないのである。我々日本人はこのあたりを勘違いしているため本作を珍盤という特別なものに当てはめようとするのだろう。ちなみに本作を聴いた当時の日本のジャズファンはアルセニオ ロドリゲスの名を知らず、ラテン音楽のファンはジャズのレーベルから出たレコードにロドリゲスが加わっているのを知らなかったという。どちらも素晴らしい音楽なのに、お互いの音楽性を認めず楽しめずジャンル別に分類する事ばかり考えていると、いかに損をするかという教えであると思う。

「パロ コンゴ」はニューヨークに暮らすライオンにとって普通に心ときめいた音楽を記録したもの。そう考えると本作のテンションが「アフロ キューバン」と何ら変わっている気はしないし、 「EL CUMBANCHERO」がハードバップの爽快感を持って、「PHAPSODIA DEL MARAVILLOSO」におけるアルセニオ ロドリゲスのギター演奏がホレスやルーのブルーズと似通っている様に感じるのは僕だけか。
その上、アルバム全体を覆うラテン音楽特有の心地良さは、夏の砂浜に寝っころがっていつまでもいつまでも音に酔いしれていたいと心底願ってしまいたくなる。この+αはブルーノートの珍盤うんぬんというより最良の特典と見なした方が得というものだ。
そして果てしなくディープで生々しい音の洪水に呑み込まれる、その喜びは季節を問わず何ものにも代え難い。


みなさんご存知の様に偉大なるホレス シルバーが今月18日に亡くなりました。享年86歳ということです。

Doodlin'ではこのニュースを受けた翌19日から3日間にわたり完全にホレス シルバー一色で追悼を続けました。その結果改めてホレスこそがDoodlin'のシンボルであり、ホレスの存在無くしてDoodlin'はあり得ないという事実を再確認いたしました。あまりもの偉大さにクラクラし続けの3日間でした。

しかしDoodlin'のホレス シルバーに対する尊敬と感謝の念はこんなものでは終わりません。とりあえずですが、このホレス シルバーに捧ぐ夜は日本では四十九日にあたる8月の頭頃には計画も練り直し大々的にもう一度実施いたします。ぜひみんなでこのジャズ史に燦然と輝く偉大なる星に感謝と別れを告げようではありませんか。
ついこないだもインターナショナル ジャズデイ2014で大阪にやって来ておりましたハービー ハンコック氏。この方はジャズピアノの巨匠として50年以上のキャリアを持っておられるのだけど、その割には通常のピアニストの様にピアノトリオによる作品が極めて少ない。僕の知っている限りでは日本制作による2枚と、あと最近になってちょこっとくらい自己名義で発表してるかも知れない程度だ。

ジャズファンの中には特別にピアノを愛するという層も多い。よってピアノの巨匠なのにピアノトリオが少ないという事実については人によって意見が分かれるだろう。僕はというとハービーの様なスタイルのピアニストなら、グループ演奏の中で他のホーンプレイヤーらとのスリリングなやりとりを聴くのがめっぽう好きなもので、正直ハービーに関しては特別にピアノトリオで聴きたいとは思わない。
同じ様にグループ活動を生きる道とし、ピアノトリオ作品を1枚(10インチでは2枚)しか発表していないピアノの巨匠として真っ先に思い当たるのがホレス シルバーだ。そしてホレスもハービーも共にブルーノートで作品を発表していたプレイヤーである。

そんなハービーもブルーノートの時代には限りなくピアノトリオに近い作品を1枚だけ発表している。それが今回紹介する「インベンションズ アンド ディメンションズ」だ。
1963年に録音された本作がいかに限りなくピアノトリオなのかというと、その編成がハービーのピアノ、ポール チェンバースのベース、ウィリー ボボのドラム(&ティンバレス)にOsvald Chihuahau Martinezというコンガ&ボンゴのプレイヤーを加えただけのものだからだ。つまりピアノトリオ+パーカッションという事になるので、これはもうピアノトリオと括っても特別に叱られないのではないかと思われるといった作品だ。

1963年のハービーといえば、もう既にマイルス デイヴィス クインテットのメンバーとして活動を始めていた。実際ブルーノートでの前作「マイ ポイント オブ ビュー」ではマイルス5のドラマー、トニー ウィリアムズを得ている。しかし本作はベースにマイルス5の先輩であるチェンバースを迎えているものの、ドラム&パーカッションは当時のジャズのもう一つの流れとして注目されていた中南米系の精鋭を使ったものだ。そこに通常とは違った位置に本作が置かれている原因の一つがあるのだろう。

しかし、そんな異色に見える本作だがその内容といえば、これがもうどこを取ってもハービーの抜きん出た音楽性を感じられる、とてつもなく高尚で緻密でありながら、若々しくエネルギッシュでエモーショナルな傑作と言えるもの。緊張感溢れるスリリングで透明感のあるサウンドはジャケットに見られる都会的なヴィジュアルと正に一致するというもの。本作に聴けるこのスタイルは、本作よりも前の録音ではほとんど例を思いつかないし、反対にその後には先鋭的なジャズピアノのスタイルとしては定番となっているものではないか。ハービーがいかに本作で凄いことをやってしまったのか、聴けば聴くほどその才能に頭が下がる思いだ。

話は戻るが本作のドラム&パーカッションは中南米系のプレイヤーだ。そのうちウィリー ボボは他のブルーノートのアルバムでもお馴染みの素晴らしい実力を持ったオールラウンドプレイヤーである。これは僕の推測だが、1963年のハービーがピアノトリオ的なものを制作すると決まった地点で、トニーやビリー ヒギンズでなくこの二人のプレイヤーを起用した理由として、当時ジャズだけでなく、ポピュラー音楽界までをも変えてしまう勢いで進出していたブラジル音楽を意識したものではないか。そう思って聴くと明らかにこれまでのジャズピアニストとしてのハービーとはまた違う面を引き出している点で、彼らの起用は成功していると思う。

ありきたりの展開は見せたくなかったハービー。そしてブルーノートもまた贔屓のピアニストにありきたりのトリオを制作させるのを嫌った。ブルーノートのピアニストならデューク ピアソンとホレス パーランのトリオ作を録音したのが1960年頃だし、ピアノトリオ専門のスリーサウンズもこの地点では他社に移っていた。同期のアンドリュー ヒルにはダブルベースの作品があるだけで、マッコイ タイナーにも完全ピアノトリオ作は無い。
そういった意味でハービーの本作は、一筋縄ではいかない両者の思惑が見事に一致したからこその傑作と言えるのではないか。


初めてとりあげるヴォーカル物。しかし、こちらはちまたに溢れているピアノをバックにしたジャズ スタンダード ヴォーカルとは明らかに趣きの違うもの。なぜなら、こちらはバップ ヴォーカルだから、しかもエディ ジェファーソンだからだ。

エディ ジェファーソンは1918年、ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ。アート ブレイキーが(一応)1919年ピッツバーグ生まれだから、ひょっとして幼なじみかも知れない。また同じくバップ ヴォーカルで名を馳せたバブズ ゴンザルベスも同じ1918年ニュージャージー州ニューアークで生まれている。

今さら説明などは不要かも知れないが、バップヴォーカル、特にエディのそれは普通の歌手が基本として大事にしている、歌詞の意味をよく吟味して役者の様に演技するという世界観などは全く持ち合わせていない。今回紹介する本作にはヒット曲の「ソン オブ ザ プリーチャーマン」や「プリーチャー」「ヤードバード組曲」などが収録されているが、一体どこまでが既成の歌詞で、どこまでが自分で考えたもので、どこまでがアドリブなのかは皆目わからない。またその唄い方たるやはっきり言って全曲同じ調子で、そこに悲しみの表現やしっとりとした表現なんかは皆無といった所。それはまるで子供が音に合わせてはしゃぎ廻っているのを聞いているが如く生き生きとしていて楽しい歌ばかりだ。そもそもこれらの歌詞に意味などあるのだろうか。

その反面、本作にはビル ハードマンやチャールズ マクファーソン、バリー ハリス、ジーン テイラーといったバップの強者が参加しているが、そういった演奏者と声という武器をもって演り合う様は、正にジャズの興奮をそのまま具現化したもの。エディの歌、というより声のソロからトランペットのソロに引き継がれる瞬間などは、本当に他の素晴らしいバップのアルバムに聴かれる形と全く変わらず、心底ゾクゾクとさせられるといったものだ。

本作の参加メンバーの演奏を聴いていると、他のあくまでもヴォーカルをたてるための所謂歌伴とは正反対のもので、エディと共に時間など無視で燃えに燃えまくっている様子がありありと表されている。昨今の歌手がよく、私は自分の声も楽器の一つだと捉えている、と話しているのをよく耳にするが、失礼ながらそういった人がエディのこの境地まで辿り着いていなくとも、少なくとも意識していなければ、まだまだ役不足なのではないかと思う。

ところで、エディの唄い方について僕の同級生が、全部口を縦に開けて唄っているように感じる、と言った事がある。本当だ、言われて聴いてみるとその通りだ。レコードに合わせてそうやって唄ってみたが、確かにエディらしく唄えた。そして本作のジャケットのエディも見事に口を縦に開けておられる。
そして考えてみると黒人のシンガーには明らかにこういう唱法が脈々と受け継がれていると感じる。例えばバブズ ゴンザルベスにレオン トーマスやアンディー ベイなんかはそういった「縦のり」シンガーだと思う。ただし正直あまり端正ではないし、むしろ大雑把に聴こえる。これって一体何なのだろう。

で、Doodlin'でそういった疑問に答えていただくのは、もちろんヨシペディアと呼ばれているY田さんしかいない。
ある日、このエディ ジェファーソンのレコードをいつもの様に大音量で流している時に、僕は聞いてみた「黒人のこういった人達って、なんでこういったア◯みたいな唄い方するんでしょうね?」
するとY田さんはいつもの小さいお目目の笑顔とは違う、明らかにむっとした口調で「これはですねえ、この唄い方というのはですねえ。これは明らかに黒人におけるインテリジェンスを象徴する唄い方であってですねえ、白人とは全く違う自分達の世界を作りあげようとしているのですよ」と答えられた。
そうかそうだったのか。そこでつい最近このブログででも話題にした、ソウルジャズの人達は実はとんでもないインテリであり、それは寅さんに「てめえらさしずめインテリだな」と言われるたぐいのインテリとは違うという考えにこれで繋がった。アホは僕だったのだ。
よくこういった歌ものをユーモラスと捉えている記事を見るが、これからはそういう見方も変えていかなくてはいけない。

そんなエディ ジェファーソンは1979年ミシガン州デトロイトでピストルで撃たれ返らぬ人となっている。もう10年生きていてくれれば本物のバップ ヴォーカルが僕も聴けたかも知れないのに。残念だ。


色々やっておりますが、マイページは頑固なまでに開きません。しかたがないからアメーバのこのページは旧ページとして置いておいて、新しい所で制作しようかと考えていたところ、試しに本ページの上のナンタラという所をクリックすると、管理者のページという所に飛びました。そしてそこからブログを書くとか、メッセージボードに書き込めることが判明。よってそれさえも開かなくなるまではアメーバブログ続けます。

しかしせっかく読者になっていただいた人達や、読者にさせていただいた人達の新しい記事の情報は入りませんし、メッセージはいただいても読めません。申し訳ないです。

にしても最近のアメーバってやたら「年収何億の~」みたいな、あまり信用性のないコメントがやたら入りませんか?それに読んでいる矢先に上から広告が覆いかぶさってきませんか?あれって例えば電車で本を読んでいる人の目の前に広告を挟むような無神経さがあると思います。

いいブログが作れる所があれば、そちらに移行するのもありかな?

明日以降またレコード紹介を再開します。
パソコンでマイページが開かなくなってしまっています。よって記事がパソコンで書けなくなってしまいました。

最悪別のホームページを作らなくてはいけないかもですが、しばらく更新はお休みとなります。

アメーバさん、しっかりしてよー。
ジャック ケルパー作のオフ ブロードウェイ戯曲「ザ コネクション」。これの音楽を担当したのがピアノのフレディー レッドであり、それをスタジオで演奏したレコードであるブルーノートの「ザ コネクション/フレディー レッド」は以前にも紹介した。

今回紹介する作品は、そんな「ザ コネクション」の音楽をトランペットのハワード マギーによって、曲順もそのままにもう一度再演されたもの。元々のリーダーであるレッドは恐らく契約の問題があったのだろう、ここではI CHINという偽名での参加となっている。更にマギーとフロントを勤めるテナーのティナ ブルックスは僕の知る限り本作がブルーノート以外の唯一の録音。

ブルーノート盤の方の「ザ コネクション」はレッドのトリオにジャッキー マクリーンがフロントに立ったカルテット作で、彼らが演奏している舞台の様子がそのままレコードジャケットになっていたので、恐らくこちらが本来のオリジナル メンバーであったのだろう。ただ舞台というのはウケれば当然長い期間上演されるもので、この劇に参加していたミュージシャンも都合により数人が入れ替わっていたという。そしてレッドの盟友であったティナも、この劇には重要なメンバーとして度々参加していたとは聞いている。確かにマクリーンとティナはアルトとテナーの違いはあれ、かなり同じ匂いがするタイプのプレイヤーだ。
対して本作の主役であるマギーやベースのミルト ヒントンがこの劇に参加していたメンバーなのかどうかは、はっきりした記述を見た事は無い。僕の持っている本作は日本盤で、日本語のライナーノートが付いているのだが、肝心なその点については触れていなかった。でもこうやってレッドと共に「ザ コネクション」を録音しているのだから、やはり多かれ少なかれ劇とは何か縁があってのものだと思う。

繰り返すが、本作の主役はハワード マギーである。マギーといえば、ブルーノートに同じトランペッターのファッツ ナヴァロと組んで激演をくり広げたレコードがある様に、ビ バップ黎明期のスターの一人であったが、1960年に録音された本作では、既に40歳を過ぎている。対してレッドとティナは彼より一世代は若いプレイヤーだ。おまけに「コネクション」の音楽は恐らくサックスありの前提で作られているうえ、ここでのティナが、あの芸術的な音色を持って、あまりにも水を得た魚の如くな好演を繰り広げている。特にブルーノート盤でも僕がベストトラックと思っている「ミュージック フォーエバー」でのグングンと聴き手を引き込んでいく様は、正に鳥肌が立つ思い。あまりにもスタイリッシュだ。
したがってマギーのプレイは主役であるのに、残念ながらこの二人の引き立て役に廻ってしまっている感が無きにしもあらず。しかし当時の先鋭的であったであろう二人と充分違和感の無い演奏を繰り広げているのだから、やはり彼も新しい試みに対応出来る優れた音楽家であった事に疑いは持てない。

ところで、このジャック ケルパーの「ザ コネクション」は1962年に女性監督シャーリー クラークによって映画化されている。出演ミュージシャンはブルーノート盤と同じ。そしてこの映画化作品は僕の持っている1982年に発行されたキネマ旬報の「映画史上ベスト200シリーズ アメリカ映画200」に、日本未公開ながら紹介されている。1982年の地点にして、想像がつかないほど膨大な数のアメリカ映画が公開されているはずなのに、そんな中で重要な200以内の作品に選ばれるのだから、考えればこれは凄い事ではないか。お世辞にもメジャーとは呼べないプレイヤーであるレッドとマクリーンが出た映画が「モダンタイムス」や「駅馬車」や「風と共に去りぬ」や「ローマの休日」や「ベン ハー」や「ウェストサイド物語」や「俺たちに明日はない」や「ゴッドファーザー」や「スターウォーズ」と肩を並べているのだ。

1959年の初演以来、2度のレコード製作と映画化。今ではDVD化もされず忘れ去られている感のある「ザ コネクション」だが、そう言った意味で当時のカルチャーに多大な影響を与えた一つのムーブメントであったのでは無かろうか。ジャズの歴史にもかなりの大きな出来事であったであろうこの「ザ コネクション」。せめて映画は通して鑑賞してみたいと願うばかりだ。

最後に映画「ザ コネクション」がどのような作品だったかはこの本の登川直樹氏の紹介文の冒頭が最もわかりやすいので、ここで引用させていただく。
「いわゆるオフ ハリウッド映画の中でもニューヨーク派の代表作の一つに挙げられる(中略)その生々しい会話といい大胆な台詞といい、ハリウッドがタブーとしてきた麻薬中毒者たちをまともに扱った映画として話題を呼び、公開後に風俗を乱す映画との理由で告発され、結局は無罪となったが、映画としての評価が真っ二つに分かれたことも含めて。世間の注目を浴びた作品である」