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Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

タイロン ワシントンは1946年生まれのテナーサックス奏者。ホレス シルバー クインテットのメンバーとなり、彼の「ジョディ グラインド」の録音に参加。その流れで同じブルーノートからシルバー クインテット+1のフロント陣を得てリーダーアルバム「ナテュラル エッセンス」を発表。その後パーセプションというレーヴェルに2枚のリーダー作を残すも話題にはならず、そのまま姿をくらます。
以上が我々一般のジャズファンが知っているタイロン ワシントンの全経歴である。そして言えるのは我々はタイロン ワシントンに関してはこれくらいの事しか知っていない。言い換えればほとんど何も知っていないという事になる。

タイロン ワシントンはどんな男だったのだろう。そんな疑問がずっと僕の心に残っていたある日、同級生である信用筋のジャズ研究家から耳よりの情報を得た。
それによると「タイロン ワシントンは白人の前での演奏を拒んだらしい。その結果シルバー クインテットでは活動できなかったらしい」という事だ。何という話題を提供してくれるのだ、ありがたきタイロン!この話題に関しては僕は特別に裏を取る事は出来なかった。しかし今回はこの件を信用して話を進める事にしよう。

僕がこの話を聞いて一番に思いついた映画の1シーンがある。
スパイク リー監督、デンゼル ワシントン主演の「マルコムX」の中盤。チンピラ暮らしのあげく刑務所に入れられたマルコムがブラック モスリムの存在を知り、出所後指導者イライジャの元でその活動に身を投じていく。マルコムはそこでめきめきとスポークスマンとしての実力を上げて行き、やがて同志の若者を警察による暴力を伴う不当逮捕から救出すべく、部下の信者を引き連れ警察署に乗り込むシーン。
そこでのブラック モスリム教徒達は一糸乱れぬ連帯行動を取り、指揮するマルコムはまるで十字軍の若き将軍の如く英雄の姿を見せる。そのきびきびした行動を目の当たりにした一人の少年は興奮してそのまま隊の後を追い、マルコムの元にブラック モスリムの一員となる。その時の少年の目は新しい時代を自分達が切り開けるという希望にランランと光輝いていたのが印象的だった。

クロード ブラウン著「ハーレムに生まれて」によれば、ハーレムは1950年代に入ったあたりから麻薬に染まり出した。そこには白人の悪どい政治家とマフィアがからんでいたというが、とにかくその実態は酷かったらしい。映画の少年はそんなハーレムを救うのはマルコム達のブラックモスリム達しかいないと感じたのではないか?

僕がタイロン ワシントンの件を聞いた時に思い出したのがこの少年だ。実際にはタイロンはジョージア州生まれでワシントンD.Cやニューアークなどですごしたらしいので少年期はハーレムとは縁が薄い。しかし映画のこのシーンの頃は中学生くらいだったタイロンが、たとえブラックモスリムでは無くとも当時の黒人意識の向上を先導するこういった活動に感化されていたのは充分に想像できる。「ハールムに生まれて」によれば当時ブラックムスリム以外にも大小さまざまな宗教や政治団体がハーレムの125丁目のある一角で演説を繰り返していたらしい。麻薬に疲れた人達がそれらに希望を見いだしていったのは納得できる。ランランと目を輝かせていた少年と、白人の前での演奏を嫌ったタイロンがかぶって見えてくるのはそういった理由だ。

そんな事を考えながら聴くと、1967年タイロンが21歳の時に録音された「ナチュラル エッセンス」は、ことさらに新しい時代に向けて躍進する気持ちの現れがとんでもない迫力を持って表現された痛快作として楽しむ事が出来る。タイロン以下、ウディ ショウ、ジェームズ スポールディング、ケニー バロン、レジー ワークマン、ジョー チェンバース、みんなみんなとんでもない実力を持った当時の新進気鋭達だ。こういった連中をまとめあげ、一心不乱にひとつの所を目がけて吹きまくるタイロン。「時代を変えてやる!」というこの表現はこの時代にしか出しえなかったものかも知れないが、それでも聴いていると俺も何かやらなければ、という訳のわからぬ力がめきめきとこみ上げて来る様だ。

恐らく一本気な性格だったであろうタイロンだが、そんな頑固さが最良のジャズとして僕たちの手元に残っているのは本当に幸運な事と言えよう。
さて、そうなると気になるのがパーセプションに残された後の2枚。どうやらかなりファンク寄りの作品らしいが、白人の前での演奏を拒んだというタイロンのその後と併せてどうしても聴いてみたい。
というよりもっともっとこの魅力的な男の事を知りたいという欲求がつのるばかりなのだが。


来年もやります!波止場ジャズフェスティバル。

現在はその準備で大わらわ。よってレコード紹介の記事が全くアップされません。ごめんなさい。もうしばらく休むかも知れません。

しかし、来年の波止場ジャズフェスティバルは凄いです。

少しだけ情報漏洩

3/7(土)志水 愛QUINTET (志水 愛.P 広瀬 未来.TP 河村英樹.TS 他)
3/8(日)橋本 有津子.ORG

いじわるなんで今はここまで。今後の発表をお楽しみに。我慢できない人はお店にどうぞ(笑)レコード紹介ももうちょっと待ってね。
テーマ別で見ていただければ解る様に、本ブログでは圧倒的にテナーサックス奏者を多く取り上げている。そうなのだ、僕はテナーファンなのだ。

では好きなテナー奏者は?と質問されるとはなはだ困る。テナーにはコールマン ホーキンスを元祖とする野生派がいたり、レスター ヤングを元祖とするモダン派がいたり、マイケル ブレッカーがよくひきあいに出されるメカニカル派がいたり、説明不可能なローランド カークやビッグ ジェイ マクニーリーやクリフ ジョーダンがいたりするのだが、僕にとっては全てのスタイルが心奪われるものであって、ああだから好き、こうだから嫌いというものではない。

ただ好きな演奏、つまり全てのスタイルを網羅しているうえ、最も興奮させられるテナーのソロは?と聞かれればその答えははっきりしている。それはディジー ガレスピーの「アット ザ ニューポート」に収録された「スクール デイズ」で展開されるテナーソロ。演じるはビリー ミッチェルだ。
「スクール デイズ」はジャズの大物ディジーが作曲したジャンプナンバーで、所謂通常のジャズとはタイプが異なるが、どっこいその本質は黒人音楽の芯をついたものである、というのは以前にも本ブログで取り上げた。そしてそんな本質を強烈なブロウでもって我々を悶絶させてくれるのがビリー ミッチェルだ。

ビリー ミッチェル。1926年カンザス シティー生まれ。でも学校を出たのはデトロイトで、主に当地で活躍したというからデトロイト派であろう。またロリンズより3つ歳上という点で、モダンより更に大陸的な要素の強い所謂ホンカー的なスタイルを持ったプレイヤーだろう。
しかし、そんなカテゴリー分けなど全く必要のないのがビリーの魅力だ。なぜならビリーのスタイルはカッコイイ、の一言で片付いてしまうからだ。

そんなビリーのリーダーアルバムである「ア リトル ジューシー」も当然ビリーの迫力が満載の痛快作だ。録音は1963年。ビリーがガレスピー楽団からベイシー楽団を経てフリーになってた時期にあたるもので、恐らくデトロイト時代の仲間であり、ベイシー楽団でも同僚であったサド ジョーンズをトランペットに迎え、また6曲中4曲にサドの楽曲が提供されている。
つまりビリーとサドの共同作ともいえるのが本作だが、ビッグバンドのノウハウを充分に習得したサドと、同じくビッグバンドの華としてブイブイとブロウを決めてきたビリーの息はたまらなくピッタリと合っていて、普段僕が聴いているハードバップやファンキージャズとはまた違う面白さをたっぷりと楽しめるというものだ。同じくデトロイト出身のケニー バレルを迎えているのもいい。

また本作のこれでもかという迫力を後押ししている要素はまだある。それが他作より一歩抜きん出たカラッカラに乾いたサウンドによる迫力だ。これにより元々大陸的な要素を持っているビリーの魅力が更に強調された。
本作の裏面ライナーノーツにはレコーディング ディレクターのジャック トレイシーによるメモが掲載されていて、そこには各プレイヤーの使用マイクまでもが記されている。こういった例は珍しいのではないかと思うのだが、通によるとこういうこだわりがされているレコードというのは、レコードが機材を選ぶ傾向があるらしい。よって鳴らない装置では鳴らないという。
そういえば僕が本作を購入した時はまだDoodlin'を始めていなくて、家でそれなりの音量で聴いていたのだが、その時はこの迫力は感じなかった。それが店で2組のJBLによる装置で大音量で聴いてみると、一転して異様な迫力に驚いたものだ。僕の本作の評価はそこから始まったのだった。

どうやらビリー ミッチェルの「ア リトル ジューシー」はDoodlin'を良しと認めてくれたようだ。おかげで真夏にこのカラッカラなサウンドを流すと、みんな喜びながら喉がカラッカラになってビールがよく売れたものだ。ありがたやありがたや。


いかにも貧乏そうな黒人のオッサンがギターを抱えている。これを見ただけで多くの人がこのビル ジェニングスという人が南部色の濃い所謂ブルーズというジャンルに入るギタリストなのではないかと連想するだろう。
しかも写真をよく見ると、普通の右きき用のギターを、弦を張り替えないでそのままひっくり返して弾いている。上に細い弦が張ってあるから見ればわかる。

ギターに詳しい人に聞いてみると、あのジミ ヘンドリックスも左ききなんだそうだが、彼はギターをひっくり返して弾いてはいるが、弦は普通に太いのが上に来る様に張り替えているらしい。このジェニングスの様に弦もそのままに正真正銘ひっくり返して弾くギタリストといえば、ブルーズの大物であるアルバート キングが同じなのだという。さらにあの「愛のメモリー」の松崎しげるも同じらしいが、僕はこの人がギターを弾く事も知らなかったので驚きは2倍だ。

見てくれだけで決めつけて悪いが、ビル ジェニングスは1919年生まれの黒人である事を考えても、恐らくまっとうな音楽教育を受けたギタリストではないだろう。したがってギターも見よう見真似の独学で覚えた可能性が高い。左ききだと弦を張り替えるなんて知識を得る前に、手にしたギターで自分なりの奏法を習得したのだろうし、若い頃から自分のギターを持っていたかどうかも不明だ。そういう意味ではアルバート キングも同じ環境だったのかも知れない。
ただ日本人の松崎しげるが何故そういう奏法を身につけたのかは謎だ。貧乏だったのだろうか?

まあ松崎しげるの件は置いといて、このビル ジェニングスはそんな独学説を裏付ける様に独自な音楽世界を持っている。中でも特筆すべきは、その見た目とは正反対の「黒く無さ」であるといえるのではないだろうか。そしてそれは彼が南部生まれではなく、中西部のインディアナポリス生まれであるというのも超越して黒くないのだ。
本作に限ってジェニングスはエレキギターという文明の力を使用しながら終始一貫して1種類の音しか出していない。しかもこれ以上ストレートな音は無いというくらいギターそのまんまという明確な響きを持つ音だ。そして全く気負う事などなく、非常にマイペースでのほほ~んを絵に描いた様な演奏をくりひろげている。

ジェニングスの音にはブルーズ独特のダークネスやうねりは感じられない。かといって決して端正でなければ、あっさりもしていない。そして言っては悪いが、技巧派とは正反対だ。
もちろん黒人ゆえにこの演奏が黒いか白いかと聞かれれば黒い方に入るし、非常にブルーズらしいスタイルを聴ける曲もある。しかし本作のタイトル曲はまるでテレビ番組でお宝を鑑定している時にバックで流れていそうな調子だし、普通のブルーズ~ジャズのプレイヤーがまず取り上げない「VOLARE」はあまりにも呑気で可笑しい。また「DARK EYES」の出だしなんかは、あまりにもなスローペースにやる気が失せてしまいそうになる。これらは皆風呂で弾いているのではないか?とふと想像してしまう程だ。なるほど悩み無用という点では松崎しげると共通点はある。

同時代のどんなギタリストにも無い独自性に、これはジャズなのか?そうじゃないのか?時々解らなくなるのがビル ジェニングスだ。弦の位置同様、どうだっていいのだろう。それなのに何か聴いていると幸せな気持ちになって、そのうち癖になってしまう。そんな不思議な力がジェニングスにはある。

本当に個性的な人っているものだ。だからジャズを聴くのは止められないのだね。


1961年にプレステッジより発表されたロン カーターの初リーダーアルバム「ホエア?」は、コントラバスとセロを自由奔放にあやつるロンの実力と、尋常ではない変化にとんだ音楽性を誇る一大傑作である。
参加メンバーはロン カーターのベースとセロ。エリック ドルフィーのアルトサックス、バスクラリネット、フルート。マル ウォルドロンのピアノ。チャーリー パーシップのドラム。これにベース専任でジョージ ディヴィヴィエが加わった合計5人。しかしその音楽性の幅は通常の5人編成のそれをはるかに超えてしまっている。

その原因は何といってもロンがベースとセロ、さらにドルフィーが例の如く3つの管楽器を使い分けているのが大きい。
そのうちドルフィーの実力と特異性に関しては今さら説明の必要はないだろう。1961年といえばブッカー リトルとの5スポット出演もあったし、ヨーロッパにも進出した大変な年だ。本作でもその気迫はそら恐ろしいものがある。
そしてロンもこの後マイルス デイヴィスのレギュラーメンバーになってベースの第一人者となるのが当然であるのを十分理解できるほどその腕前は確かだし、定評のあるセロもこの地点で既にスタイルが確立されていたのが理解できる。とにかくロンのセロを聴くのは一つの喜びだ。

更に本作の特筆すべきところは、5スポットにも参加した、どんなスタイルにも適応出来るうえ全てがオリジナリティーに溢れている鬼才のマルに、当時もう既にベテランの粋に達しながらも誰よりも強烈にグルーヴを送り込む名手のデュヴィヴィエとパーシップを得ている点だ。要するに参加メンバーを見ただけでその凄さは100%想像出来るうえ、実際に聴いてみるとその想像をまだ上回った聴き応えを思い知るのが本作なのである。

本作はそんな合計5人が最初から最後まで一丸となってひとつのセッションをこなしたというタイプの作品ではない。つまり曲によっては誰かが抜け、また誰かが抜けとるいう編成の変化を楽しめるのが特徴だ。そしてロンとドルフィーが一人で複数の楽器をこなす。したがって両面の全6曲がどれもこれも違う顔を持った演奏となり、その多彩さはとうてい5人だけで作ったとは思えない広がりを持つ。
例えばA面ではロンのセロ、ドルフィーのバスクラによる全員参加での火がついた様な「ラリー」で始まったと思えば、続く「ベース デュエット」はその名の通り二人のベース奏者のかけあい。そして「朝日の如く爽やかに」ではドルフィーのアルト、ロンのベースによるオーソドックスなフォーマットによるストレートなジャズ(といっても大変特異だが)が連なっている。
またラストの「ソーサー アイズ」では快調なドルフィーのフルートに、パーシップのおせおせのブラシワークがあまりにも心地よくフィットしている。これなんか超がつくほどのスーパードラマーであるパーシップにしか出来ないのではないかと思ってしまうし、そんなスーパーブラシとドルフィーのフルートはあまりにも相性が良い。

この様に本作はメンバー全員の実力を、考えに考えぬかれた組み合わせで最大限に発揮させている。この様に曲ごとにメンバーが入れ替わる作品は現在では特別珍しくない。しかし1961年の地点で、いくら特異な才能を持ったメンバーとはいえ、限られた5人でここまでヴァラエティーに富んだ作品を、しかも初リーダー作で残すロンの才能には驚きを隠せない。

最後に、70年代になってから一部であまり良く言われていないロンの奏法について、僕が故市川 修氏に直接聞いた話しを。
市川さんがニューヨークで修行をしていた70年代、とある縁であるレコーディング セッションを見学させてもらえる事になった。その時のベースが誰あろうロン カーター。そして生で聴くロン カーターの演奏は口から心臓が出るくらいの強烈なものであった(これ市川さんらしい表現)もうロン カーターは世界で一番凄い!と市川さんは感激した。
後日、そのレコーディングがレコードになり発表された。喜んで針を落とす市川さん。しかしそこから聴こえて来たのはピヨ~ンピヨ~ンと言う気の抜けた様なベース音だった。

「エンジニアの誰もがロン カーターの音、よう出さんかったんやなー」と残念がる市川さんであった。


3・2・1・0 サンダーバード ア ゴー!!

今の若者には解ってもらえないかも知れないが、僕らが子供の頃、宇宙はロマンに溢れるもので、ロケットはそのロマンに人間を繋げてくれる希望の象徴だった。「高速エスパー」や「宇宙家族ロビンソン」に夢中になっていた僕の幼少時代でも宇宙=ロケットの夢は絶対的なものだったけれど、もっと前の初めて人類が成層圏を突破した1950年代の人々にとってのロケットに託す夢はどんなだっただっただろうと想像してしまう。

もちろん、ロケットの開発の裏には世間一般に言われている様に米国とソ連との冷戦を背景にした争いがあって、それは当然戦争に勝つという前提がありの醜いかけひきがあったのだろう。しかし子供達にはそんな事は関係なかった。ロケットこそ夢であり、希望であり、正義であった。そして宇宙からの悪い侵略者を退治するのもロケットであり、その侵略者でさえロマンに溢れた者として捉えられていた。

1957年の暮れに録音されたルー ドナルドソンの「テイクス オフ」はそんなロケットの勇姿が大々的にジャケットに使われている。そして全てのテイクがロケットに魅せられた当時の人々の気持ちを象徴する様に躍動的で爽快なハードバップに仕上がっている。冒頭を飾るその名も「スプートニック」を聴いてほしい。この時すでに中堅になろうとしていたルーさんを筆頭に、ドナルド バード、カーティス フラー、ソニー クラーク、ジョージ ジョイナー、アート テイラーといった若き精鋭達が一丸となって繰り広げられる超熱演に、大空高く飛び去って行くロケットの姿が本当に重なって見えてしまうではないか。
ジャズ界に若い力でハードバップが華やかに花開いた時代と、10月の空に向かってロケットが逞しく飛び立って行った時代が重なっていたのは決して偶然ではない。「ルー テイクス オフ」はあの時代を今も肌で感じさせてくれる最も好ましい記録だ。そして未来に向かって爽快な激演を聴かせてくれる彼らの姿はまるであのライトスタッフの様にカッコ良かったのではないか?正にヒーローだ。

冷戦もそろそろ終わるといった80年代になって、宇宙開発に大きな変化が訪れた。スペースシャトルが登場したのだ。これによって人類はよりいっそう宇宙に近づいた。月くらいまでの旅行は可能であるらしい。
しかし3・2・1・0でまっすぐ上空に向かって飛び去って行くロケットを見送る楽しみは減った様な気がする。スペースカウボーイ達の夢は現実にはなった。しかし、現実になればなるほどロマンが薄らいで行く様に感じてしまうのは僕だけだろうか?

世紀が変わった現在。日本からほど近い、とあるテロ国家は開発ロケットと称してミサイルを撃ち込む。
ミサイルは武器だ。いきつく先は死と悲しみと憎しみしか待っていない。ミサイルとロケットは違う。ロケットは夢と正義を載せて飛ぶのだ。彼らにはそこから教えなくてはならないのか。


オルガンジャズというのはジミー スミスがブルーノートに録音したのをきっかけに、やがてブルーノートを追うプレステッジがジャック マクダフやシャーリー スコットなどのレコードを量産したという通り、ブルーノートとプレステッジの2レーヴェルを中心に広まっていったという感が強い。
そしてこの2レーヴェルのオルガンジャズのほとんどをルディ ヴァン ゲルダーが録音を担当している。よって我々にとってオルガンジャズのサウンドはヴァン ゲルダーの録音をもって最高峰と捉えられていると言ってもいいと思う。

しかしオルガンジャズの録音を行ったのはヴァン ゲルダーだけではない。そしてハモンドB3に代表される電子オルガンはジャズだけに使用されたのではない。
どういう事かというと、今回紹介するSUEというレーヴェルから発表されたジミー マクグリフの「ブルーズ フォー ミスター ジミー」というアルバムの音全体がヴァン ゲルダーとは全く違う音であるのにもかかわらず、独特で最強な響きを出しているのだ。
その前に1936年フィラデルフィアに生まれたマクグリフはジミー スミスに惹きつけられて、その奏法を徹底的に研究したオルガンプレイヤーだ。事実マクグリフのキャリアでは初期にあたるSUEでの録音の数々ではジミー スミスを彷佛とさせる、叩きのめすかの様に凶暴であり、あの全身に突き刺さる様な刺激的なサウンドを再現している。当然すべてが傾聴に値する強烈なものばかりだ。

しかし、このSUEの音自体はジミー スミスでお馴染みのヴァン ゲルダー サウンドとはあまりにも異質だ。そしてそれはやはりSUEというレーヴェルの本来のカラーに原因があると言える。

SUEは1957年にヘンリー シャギー マーレイという人がニューヨークで興したインディー レーヴェルで、そのほとんどがアイク&ティナ ターナーを代表とする様にR&Bを手がけるレーヴェルだった。ジャズではレイ ブライアントのものなんかも出している様ではあるが、この頃のカタログではやはりアーネスティン アンダーソンといった女性シンガーのものが目立つ。
そんなSUEはやがてロンドンでアイランドやブラックスワンといった小レーヴェルを営むクリス ブラックウェルという人に権利の一部を共有するに至り、ここにSUEのUSとUKに分かれる展開を見せる様になる。そしてUKの方はその後ガイ スティーブンスという人に多くをまかす事になり、彼の好みであるMODSの色を濃くしていく事になる。

ジミー マクグリフのSUEはそんな背景があった通り、オルガンジャズにしてはヴァン ゲルダーとは全く違うR&Bそのものの響きを有している。絶妙な加減でリバーブが効いているこの独特の音は、ヴァン ゲルダーに録れと言っても録れないのではないか?
マクグリフはジミー スミスに憧れて研究したオルガンプレイヤーであるのに、インタビューでは自分をジャズプレイヤーと言ってくれるなと語ったらしい。この発言がいつ誰に話したのかは判らないし、本気で言ったのか冗談まじりに言ったのかも判らない。しかし、R&Bの色が濃いスタイルを持つマクグリフは確かにそんなSUEのサウンドがあもりにもピッタリだ。

また僕の個人的な思い出を述べると、実はヴァン ゲルダーのオルガンの音は心底感動はするものの、僕には常にジャズのスタイルとして大事に追求する対象だ。しかしSUEのマクグリフのサウンドは何か幼少時代にテレビなどを通して自分の中に入って来ていた音と同様に感じる。少年時代にはまだ存在した所謂外人BARから漏れ聴こえた音でもある気もする。事実R&Bサウンドという事であれば、若い頃にいちびってムーンライトなどのソウルBARでさんざん酔っぱらっていた頃に体内に染み付いていた音と何ら変わりはない。つまりヴァン ゲルダーと違って、こちらは僕にとっては何かリアルタイムで生活と密着していた懐かしい響きを感じさせてくれるものだ。

「ブルーズ フォー ミスター ジミー」はマクグリフがSUEに残した作品の7枚目で、どうやら最後にあたるものらしい。そして1枚に全9曲が収録されていて、それらがとてもコンパクトにまとめられているという点からして、本作は元々シングルレコードとして発表されたものをまとめたものではないかと思う。Doodlin'はその7枚のうち4枚を所有している。ただしこのレーヴェル、どれにも参加メンバーのクレジットは無いし、プロデューサーもエンジニアも名前が記載されてたりされてなかったりな状況だ。「ブルーズ フォー~」にはエンジニアの記載は無い。しかし、オルガン、ギター、ドラムのシンプルな編成でまとめられた本作の音が一番強烈だし、マクグリフの強烈で凶暴なプレイにはただただ圧倒されっぱなしだ。

もしこれがシングル盤で出ていて、当時アメリカ中に見られたジュークジョイントやホンキートンクBARのジュークボックスから流されているのを想像すると、もうぞくぞくして居ても立ってもいられなくなるのは必至だ。R&Bサウンドで聴くマクグリフは正にソウルのスターそのものの輝きを発している。これがジャズなのかポップなのかは知らん。どうでもいいと言いたい。


テナーバトル!何という魅力的な響きだろうか?

映画「カンザス シティー」はロバート アルトマンらしい大変面白い映画だったが、肝心のドラマと並行して劇中で展開するジャズが微妙にストーリーに絡まったり離れたりするのが観ものであった。中でも最高の興奮を与えてくれたのがジョシュア レッドマンとクレイグ ハンディーによる大テナーバトル。映画もここからクライマックスに向かって行ったのは言うまでもない。
ジャズの歴史で1930年代のカンザスシティーにおける動きはあまりにも重要だ。映画を観ていただければ解る事だが、ジャズとはいかに荒れ狂う事が芯としてあるのか、カンザスシティー ジャズはそれを教えてくれる。

そしてその荒れ狂う要素が最も表れるのがテナーバトルだろう。劇中でも演奏自体は言わずもがな、そこに遭遇する客達の興奮たるやそれは凄まじいものだ。毎日こんなことを演っていたのかと思うと少し呆れてしまうものの、こんなもの目の前で演られりゃこんだけ興奮するのは当たり前だのクラッカーである。

当然テナーバトルはカンザスシティーを抜け出し、シカゴやニューヨークやLAといった大都会へと進出する。各地で人気のツインテナー バンドが現れたのだ。1940年代にはライオネル ハンプトン楽団におけるイリノイ ジャケ&アーネット コブ。それ以降はデクスター ゴードン&ワーデル グレイ、ジーン アモンズ&ソニー スティットなんかが人気を博したし、JATPではイリノイ ジャケ&フリップ フィリップスの白黒バトルが大ウケだったと聞く。

50年代になるとアル コーン&ズート シムズの白人同士のコンビがニューヨークのグルニッジ ヴィレッジ界隈で評判となる。こちらのコンビは白人だからと言うつもりはないが、これまでの興奮第一というスタイルから脱却して、レスター ヤングを彷佛とさせる寛ぎ感をツインテナーの世界に展開させるスタイルだった。

そして1960年になって現れたのが、今回の主役であるエディ ロックジョウ デイヴィス&ジョニー グリフィンのコンビだ。
エディ ロックジョウ デイヴィスは1922年ニューヨーク生まれ。ジョニー グリフィンは1928年シカゴ生まれだから両者の年齢差は6歳という事になる。残っている録音の大半が兄貴であるロックジョウのソロが先発しているのはそんな理由からなのか?でも名称はグリフィンが先だし。その辺の事情は知らないが、生まれた年から察するに、この二人は直接最盛期のカンザスシティー ジャズを体験はしていないだろう。恐らく先輩達の演奏を観聴きしてツインテナーの醍醐味を知ったのではないか?

ただこのコンビに限っては6歳という歳の差が意外と面白い形で現れる。
ロックジョウはこれまでの強者黒人テナーのワイルドな部分をそのまんま引き継いだスタイルを持ち、当時は既にその筋の若き最高実力者として名を上げている男だった。対してシカゴ一の早撃ち男と呼ばれ、小さいながらその凄まじいテクニックが恐れられていたグリフィンだが、その反面マイルスやホレス シルバーらが打ち出した新しい所謂モダンな感覚を充分習得したスタイルを持っていた(もちろんロックジョウが持っていないという意味ではない)。このコンビは従来のツインテナーの興奮をそのまんま再現したものであるが、さらにテーマ部などには実にいいさじ加減でモダンなハーモニーがかかっていたりするのが一つの特徴でもある。この調和はこういう点を上手く機能させた結果であろう。背丈の差以上に面白い。
何にせよ当時最も恐れられていたこの二人ががっちりと組んで、次々と傑作アルバムを発表したのだから、今の我々にとってこんなに贅沢な話はない。

グリフィン&ロックジョウのレコードは主にジャズランド レーベルから発表された。その内セロニアス モンクの楽曲ばかり扱った作品は傑作として既に当ブログで紹介している。ジャズランドには他にブルーズばかりを演奏した作品がこれまた傑作として残っていて、このコンビが従来のブローイング セッションとしてのツインテナーバンドとは違い、いかに計画的にレコーディングを行っていたかが伺える。

今回紹介する「グリフ アンド ロック」は一見特別なテーマは無い。しかし収録された楽曲とその作者をながめて見ると何となく一つの筋が見えて来る。というのは、本作の収録曲の作者を見てみると、ジェームズ ムーディー、バブズ ゴンザレス、ビリー エクスタイン、タッド ダメロン、そしてエディ ロックジョウ自身という黒人ジャズ史には重要な面々ばかりが並んでいる(「アイ リメンバー エイプリル」のみスタンダード曲)。そしてこの人達はみんなニューヨークはハーレムにゆかりのある者ばかりではないか?そうあの魅惑に満ちたテイク ジ Aトレインのハーレムである。

そこで忘れてはいけないのがこのグリフィン&ロックジョウもハーレムが主な活動の場であったこと。同時期にはプレステッジよりハーレムの有名なミントンズ プレイハウスでの1日のライブ録音が4枚に渡って発表されている。本作は二人による当時の生きたハーレムへの思いが詰まったアルバムなのではないか?
そして本作にはバラードが1曲も収録されていないのも特徴だ。みんなみんな生き生きとして楽しい楽曲ばかりだ。ハーレムにはそんな変化球はいらない、と言っている様にも感じる。そしてそんなハーレムもこの作品が発表されるまでは様々なテナーバトルが夜な夜な繰り広げられ、人々を興奮させていたのだろう。ヴィレッジでのコーン&シムズと比べると白人と黒人の差以上に面白い比較が見えてくる。

60年代も中程になると、ジャズも黒人の生活状況も変化していった。ニューヨークジャズの主導権は白人の要素が強いヴィレッジに移り、ハーレムのミントンズも閉鎖された。もうかつてのジャズはハーレムから姿を消してしまった。もちろんジャズファンクといった素晴らしいムーブメントはやはりハーレムを舞台に繰り広げられていくので、刺激が無くなったのではないと思うが、それでも大らかなジャズらしいジャズは影を薄めていく。
同時に単発でのレコーディングやジャズフェスティバルの企画では残るものの、グリフ&ロックの様なツインテナーのチームが常に人々を楽しませるという時代は去っていったのである。


※知らずにミントンズの前も通ったシカゴ~ニューヨークの旅日記はこちら
ビル エヴァンスがある日仕事を終えて関係者とホテルのラウンジに飲みに行った時、そこには所謂カクテル ピアノのプレイヤーが周囲の雑談に混ざる様にピアノを奏でていた。それを観たエヴァンスは急に「実は僕はああいったプレイヤーに憧れているんだ」と言い出した。それを聞いたピアニストは「それならば今是非やってみて下さい」とエヴァンスにピアノを勧める。
成り行きとはいえ、では演ってみようという気になったエヴァンスはピアノの席に座り、恐らくかなりロマンティックな曲を、誰一人としてビル エヴァンスを知らずに雑談を続ける客を相手に弾き出した。
しかしほんの少し弾いた地点で、エヴァンスはピタリと演奏を止め、皆が待つテーブルに戻って来る。
そして一言。「僕には無理だ」。

大阪のあるコンサートホールでキース ジャレットのピアノソロ コンサートが始まった。いつもの様に全神経を集中させピアノに向かうキース。しかしこの日は聴衆がいつもの様ではなかった。数人が会話を始めたうえ、カゼをひいていたと思われる一人がさかんに咳ばらいを繰り返したのだ。
これにより集中力を欠いたキースは何度も演奏を中断する。しかし会話も咳ばらいも止む気配はない。そしてとうとう会話をしていたお客さんと一言二言言い合った末にむりやりコンサートを中止させてしまう。これに怒った何人かの聴衆が金を返せと主張したものの、キースはとうとう姿を見せなかった。
人に聞いた話をそのまま書いたので実際には違うかも知れないが、これは今年の出来事であり、その後しばらく物議を醸したものなので、まだ記憶に新しい出来事だろう。

それらに比べ1975年に六本木のジャズクラブ「バードランド」で行われた世良 譲トリオの演奏はどうだ。
この様子を収めたレコードではソロで奏でる「ベイズン ストリート ブルーズ」の演奏中に聴衆の会話は止む事はない。イギリス初の女性首相を君なら抱けるか抱けないか、沢田研二なんかと結婚してザ ピーナッツが解散するなんて嫌だ、まさかあの弱い広島が優勝するとは思わなかった、長嶋は選手としては最高だけど監督としてはダメだな。こんな内容に上司の悪口、課内の男女の噂話、嫁の不満なんかも混じったあらゆる話し声がまるで聞きとれるくらいの大きさで収録されているのだ。

しかし世良さんの演奏にそんな事を気にする素振りはない。むしろ客の会話を上手く演奏に取り入れて極上のムードを作ろうとしている、というか自然にそうさせている様に聴こえる。
にもかかわらず本作の世良さんの醸し出すムードはどこをとってもジャズそのものだ。ここにはありとあらゆる我々が考えるピアノジャズの理想が聴いてとれる。「エイプリル シャワー」「イット クッド ハプン トゥ ミー」は見事な技をもって弾き込んでいるし、「バグズ グルーヴ」はブルーズをいかにもナイトクラブ風に変えてしまってるアイデアが面白いし、「バードランドの子守唄」は所謂カクテル ピアノの心地よさをジャズとして存分に聞き惚れさせてくれるものだ。

僕の勝手な見解だが、1975年の六本木「バードランド」での世良さんはジャズアーティストではなく、一ピアニストとして自分の立ち位置を置いていたのではないか。昨今はどんな店でも演奏を行う事をライブと呼びたがり、演者は自分をアーティストとして見てもらいたがっていると思う。しかしここでの世良さんにはジャズに対する能書きが無い。どうぞ東京の夜を思い存分僕のピアノで楽しんで下さい、と言っている様だ。だから本作のタイトルには「ライブ」と付けられているのがかえって違和感を覚える。

なのにその演奏能力、ムード作りのセンスたるや本場アメリカのどんな天才と呼ばれたジャズアーティストと比べても何ら差は無い。
本作での僕が感じる一番の聴き所はカクテル ピアノとジャズ ピアノの粋を集約した様な「スマイル」。小粋で弾む様にあの美しいメロディーを奏でながら、途中絶妙なタイミングで「アイル ネバー スマイル アゲイン」と「君微笑めば」にチェンジしていき、また「スマイル」に戻る。あくまでも粋でありながら圧巻だ。

1975年の世良さんは、コルトレーン チルドレンをどう捉えるか、「リターン トゥ フォーエバー」は聴いたか、ヒノテルのバンドに誰が加わった、といった最先端の動きとは別の所で本当のジャズに肉迫していた。アーティストだクリエイティブだへったくれを主張してない所がかえってジャズマンそのものだ。

そしてそんな世良さんのピアノがぴったりと似合う1975年の東京の夜も、その夜を楽しむ人達にも今とは違う粋を感じさせられずにはいられない。
僕は保守的な聴き方を安易に大人なジャズとまとめる傾向が大嫌いだ。しかし僕が子供の頃に親を通してかいま見た大人の世界は間違いなくここにある。まだ輸入物のウィスキーは値が高く、今では死語となった「洋酒」という言葉が似合うムード。世良さんのピアノと聴衆の反応を聴いていると、恐らくいい時代だったのではなかったかと想像する。