Doodlin' Records

Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

神戸で一番ファンキージャズが聴けるお店「Doodlin'」


神戸市中央区元町通1丁目12-7コモビル2F(神戸プラザホテル裏)
18:00~25:00 定休日 水曜日
ハードバップ~ソウルジャズを中心にアナログレコード約1200枚をご用意しています。リクエスト歓迎!


ボトルビール etc
ハイネケン,バドワイザー,ハートランド,ギネススタウト,バスペールエール,コロナ,ジーマ,スミノフアイス 各700円

ウイスキー,ジン,ウォッカ,テキーラ,ラム,カシス,焼酎
600円~

ワイン
グラス 赤・白 各600円 少数入荷のため品切れの可能性もあります。あらかじめご了承ください。

ホットコーヒー大好評 500円

さらにPM8:00まではハッピーアワー
バドワイザー、ハートランド、スミノフアイス 各500円
グラスワイン 各400円









Amebaでブログを始めよう!
プレステッジにおけるジョン コルトレーン、レッド ガーランド、ドナルド バードの3人を軸とするクインテットは全23曲が8枚のアルバムに分散されているらしい。もっともアルバムとして完全に5人組で発表されたのはそのうち半分で、あとはプレステッジらしくカルテット、トリオなどと混ざって発表されているので、アルバム数で測るのは少し紛らわしいのだけれど、何にせよ23曲は意外なほど多い。
これだけ多いと、これはレギュラーとして活動していたクインテットなのではないか?と見る向きもある。しかし、この3人がレギュラーで活動していたという記録は今のところ僕は知らない。やはり世間で言われる通りレコードを出すために集められたメンバーによるブロウイング セッションであったと見る方が正解なのではないだろうか?。

この23曲は全てプレステッジの契約アーティストだったレッド ガーランドとジョン コルトレーンの名義で発表されている。
簡単にその内訳を見ると、まず最初のセッションがガーランド名義の1957年11月15日で、この日は実に10曲もの曲数を録音している。続いてはその1ヶ月後の12月13日で、この日の録音は5曲。そしてこの二つのセッションは共にベースがジョージ ジョイナー、ドラムがアート テイラーが勤めている。

3回目からはコルトレーンの名義で、まず1958年1月10日のセッションが5曲。こちらはベースがポール チェンバース、ドラムがルイス ヘイズに変わる。
少し間を置いた5月23日のセッションもコルトレーン名義で3曲が録音されていて、こちらはベースがチェンバース、ドラムがアート テイラー。

以上23曲。これらは一応ガーランド名義のものはガーランドのアルバムへ、コルトレーンのものはコルトレーンのものへと上手く分散はされている。ただし録音日に5人共が今日は誰のリーダーセッションなのか把握してたかどうかは知らない。しかもレコード番号はばらばらだし、発売されたのも恐らく二人共がプレステッジを出てからのものが半数以上を占めている様だ。この辺は流石一束なんぼのプレステッジといった所。録音当時は新進気鋭だったこの3人だが、録りためたものを時間をかけて発売して行けば、ある程度の金にはなると見ていたのだろうか。

紹介する作品はガーランド名義の最初の2セッションから5曲選ばれたガーランドのもので、全曲が同じメンバーで集められたもの。このクインテットによるガーランド名義のアルバムは4枚。8枚のうちの後の4枚はコルトレーンのものだから、これもまた上手く出来ている。それはいいとして、ガーランドの4枚のうち番号順では7130の「オール モーニング ロング」が最初のアルバムだ。これは恐らく録音後すぐに発表されたもので、恐らくガーランドがまだプレステッジに籍があった頃の発売であったろう。
対して、本作の番号は8059。これは4枚中3番目にあたるもので、かなり後の方に発売されたものと見られる。ひょっとしてガーランドがプレステッジを出た後かも知れない。

したがって、本作は余ったテイクで編集された続編または未発表集の様に見られても仕方がない。しかし、結論から先に言えば本作にはそんな劣る要素はただひとつも無い。むしろ、このクインテットのアルバムの中では最もバランス良く曲が配列された優れものとして、Doodlin'に集まるコアな人達にも認められているくらいの出来なのだ。特にA面の流れは見事という他はない。

そのA面はベニー グッドマンとチャーリー クリスチャンが作った洗練されたブルーズ「ソフト ウィンズ」から始まる。僕の知っている同曲のほとんどはミディアムよりややスローなテンポだが、ここではブロウイング セッションだからだろうか、少しアップテンポに変えて演奏されている。それでも元々の持つ洗練さは全く失われていないし、最初にソロをとるガーランドの猛烈なスイング感には息をのむばかりだ。このスイング感は各ホーン陣のバッキングに廻っても全く止むことはなく、刺激的かつ情熱的な煽りを受けて、バードもコルトレーンも嫌がうえにも全力で吹ききるしかなくなっている。こんなガーランドを聴けば今なお彼の評価が全うには与えられていないのではないか、と感じる。
続いてガーランドのピアノでテーマを奏でる「ソリチュード」は一転して静かでムード溢れるトラック。これまたブロウイング セッションだからか、こちらも元々のエリントンが作った形で、全く何も挟まず実に忠実に再現している。その忠実ぶりに至っては、そのまんまやないか?という声も聞こえてきそうではある。しかし、ガーランドの持ち前の独特な華麗なタッチにそんな装飾など一切不要という、これはその見本の様な演奏と言えるだろう。このムードにのせられたバードとコルトレーンも、スタイルの新旧など一切関係のない、素晴らしい構成力に溢れたソロを展開する。これを名演と呼ばずして何を名演と呼ぶのだ?と言いたくなる。

以上が本作のA面である。もちろんハードバップで本領発揮する「アンディサイデッド」「トゥー ベース ヒット」、それに寛いだバラードの「ホワット イズ ゼア トゥ セイ」が挟まるB面も素晴らしい。

言えるのは、こんだけの実力を持つプレイヤーが集まったものなら、それがブロウイング セッションであろうが、たとえ手の込んだアレンジなど施していなかろうが、それは全く問題にはならないという事。したがって、恐らく残っている曲を適当に編集してもこれくらいのクオリティーの作品は完成する。凄い奴らはどんな形で発表しても凄いのだ。そして、有名なマイルスのマラソン セッション同様、23曲をちゃっかりと売り物にするプレステッジの商魂に感謝するしかない。





暑ーい夏のせいですっかりブログの更新が止まっておりますが、決して口を開けてボーっと夏がすぎ去るのを待っておるのではございません。

なんと、Doodlin'はこのたび縁があってジャズのバンドをひとつプロデュースする事になりました。
フロントにテナーサックスを持った麗しき美女3人。ところがこれがとんでもないオッサン流にクサいブロウをぶちかます。名付けて『ザ★テナー3姉妹』。

これをDoodlin'のアイデアで選曲してやっていこうという、まるで夢のようなユニットが誕生いたしました。これから3姉妹と共にジャズ親父のハートを鷲掴みしていこうとはりきっておるのです。

まずは彼女らの初ライブの映像をごらん下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=vPpnxM6Baeo

このザ★テナー3姉妹、各種ジャズイベントにぜひお声をかけてくださいませ。
1960年2月の「ソウルステーション」、11月の「ロールコール」、明けて1961年3月の「ワークアウト」。この約1年の間に録音された3枚が世にハンク モブレーの三部作などと呼ばれ人気も高い。もっとも僕に言わせればモブレーはジャズ界に登場してから姿をくらますまでのほぼ全てがカッコいいのであるから、こういう三部作という括り方は、非常に評価が遅れた人だけにヘタすればそれ以外は劣るけれど、というとらわれ方にも繋がりかねないので、簡単にそんな世評に乗ってしまうのには注意が必要だ。

確かにこの時期のモブレイは絶好調である。それに、大体がグループ演奏の中で誰がリーダーであろうと自分のダンディズムを崩さず、逆に言うと何でも同じペースでセッションをこなしていたモブレイが、この三部作では明らかに自分しかなし得ない作品を作っているのも特徴だ。モブレイは生涯ほとんどワンホーン作品を残さなかったのに、三部作のうち2枚がワンホーンであるのもそれを象徴していると思う。

とはいえ、モブレーもアルフレッド ライオンもこの1年間に3枚録音して、これを三部作にしようなんて考えは最初からなくて、あくまでも結果としてそう呼ばれたにすぎないというのが本当だろう。この時期はジャズ、とりわけ当時の若手らを中心としたハードバップが最高に高揚した頃だ。モブレーはその時期に上手く自分の絶好調に合わせれたのではないか。不器用なイメージがあるが、意外とちゃっかりしていたのかも知れない。

今回紹介する「ワークアウト」は先ほど記したモブレーの数少ないワンホーン作品の1枚。そして明らかにジャズ史に輝く最高の芸術作品と呼んでも差し支えない出来映えを誇っている。
モブレーのワンホーン作品はこのブログではこれまで既に2枚を紹介した。10インチ作の「ハンク モブレー カルテット」と、傑作として名高い(値高い?)「ソウルステーション」だ。この2枚に共通するのはドラムがアート ブレイキーであるということ。そしてこの2枚でのモブレーとブレイキーの共同作業がいかにエネルギッシュでエモーショナルなものかという点をことさら強い思いで記した。
対して「ワークアウト」のドラムはあのフィリー ジョー ジョーンズである。モブレーとフィリー ジョーもハードバップ黎明期から幾度も共演を重ねてきた仲だ。年長だったブレイキーに比べ、フィリージョーとモブレーは7つ歳の差があるとはいえ同世代的な仲間だったろう。そのためこれまでの共演作品は誰がリーダーであれ、典型的なハードバップの範囲に入るものばかりで、しかもそれが大変好ましい結果を生んでいた。

しかし、何故か「ワークアウト」はそうではなかった。ここではモブレーとフィリー ジョーによる、これでもかという位の挑発合戦がなされてしまったのだ。その原因がワンホーンであるからかどうかは知らない。ただこういう展開になった時のフィリー ジョーの凄まじさは誰もが知ってる所だろう。ブレイキーは恐るべき二面性の持ち主と呼ばれ、その鳥肌ものの緩急が常にジャズの野性味と芸術性を表していた。しかしフィリー ジョーはブレイキーとはまた違う方向からこの境地にたどり着いた男だ。その彼とモブレーの絶好調が合致してしまったのが本作である。

加えてピアノのウィントン ケリーとベースのポール チェンバースもまたここで絶好調を迎えようとしていた。それに新進のギタリストで直後からブルーノートの看板ギタリストとなったグラント グリーンが加わり、このどうしようもない奇跡的な傑作は世に出た。スイングしまくり、グルーヴしまくり、ええかっこしまくり、さらに高く高く、歯止めの効かない精神の高ぶりを実際に現場でかいま見てしまった様な恐ろしさをも秘めた本作は、もう既にハードバップの範囲には収まりきれない、かといって何やという分け方も出来ない彼らの音楽を作ってしまっている。
事実レナード フェザーが書いたライナーノートには、このテナーマンをハードバッパーと呼ぶべきか?とリアルタイムの地点にして記されているが、本当にその通りだ。


プレステッジは音楽性だけをとっても、ブルーノートと何かにつけて比べられるのは無理もない。創設時期も近いし、共にモダンジャズからソウルジャズの名盤を量産したのだから、この2社は正にライバル同士とみてもいいだろう。おまけに録音の多くを担当したのがルディ ヴァン ゲルダーであるのまで被る。

最も違う点も多い。例えばブルーノートはハードバップから、新主流派と呼ばれた当時音楽的に尖っていた若者達。さらにはフリージャズまでを網羅しているのに対し、プレステッジはより黒人大衆にアピールするオルガン路線を特に強く押し進めた。

そういった違いが最も極端に表れたのが、両者が扱ったギタリストの数だ。ブルーノートはオーナーのアルフレッド ライオンが気に入ったプレイヤーをとことん使うというのが特徴である。そしてギタリストに関しては50年代はほぼケニー バレル。60年代になればグラント グリーンの独占状態になる。ジョージ ベンソンやジミー ポンダー、ジェームズ ブラッドウルマーが登場するのはライオンの引退間際か引退後、しかもリーダー作は作っていない。

対して、プレステッジの方は60年代になってからでもグラント グリーン、ビル ジェニングス、ジョージ ベンソン、ヴィンセント カラオ、メルヴィン スパークス、ブーガルー ジョー ジョーンズとかなりの数にのぼる。オルガンと共にソウルミュージック、ポップス、ロックといったより大衆好みの音を演出できるギターをかなり重要視した結果だろう。またライオンがオーナーとプロデュースを兼ねていたブルーノートと違い、当時プレステッジの雇われ(?)プロデューサーであったボブ ポーターのたてた方針でもあったのだろう。

さて、今回の主役であるビリー バトラーは60年代中期からメルヴィン スパークスと共に、そんなプレステッジに最も頻繁に出入りしたギタリストだ。そしてメルヴィンと同じく一聴して彼とわかる強烈な個性と技を持っている。
僕はギターを弾かないので、あまりギターに関する知識がないため、その奏法の特徴を詳しくここで説明出来ないけれど、このビリー バトラーの何でも弾きこなす才能にはジャズだけにとらわれない天才的な幅の広さを感じる。

紹介する「ギター ソウル」は1969年9月22日に録音された、恐らくバトラーのリーダー第2弾。セルダン パウエルやソニー フィリップスといった芸達者を迎えて全7曲、それはもうギターで表現出来るありとあらゆるスタイルの音楽をここで披露している。
例えば今でも斬新に聴こえるディストーション(?)をきかせた前衛的ファンク「ブロウ フォー クロッシング」で幕を開けたかと思えば2曲目の「ゴールデン イヤリング」ではガットギターでかなりスパニッシュ的要素の濃い面を見せる。さらに当時のプレステッジの見本の様なジャズファンク「ザ サンブ」。お馴染みのナンバーでありながら、他とは全く違うノリを聴かせる「ホンキートンク」ときて、ベースギターというのを使用した「B&B カリプソ」は文字通り南の風を感じさせる。この他にもありとあらゆる要素が本作には詰まっていて、それらが全く違和感を抱くこと無く並んでいるうえ、おまけに誰が聴いても最上級に上手い!。これが1969年でなく、ワールドミュージックというカテゴリーが確立している現代に現れていれば、かなりの人達に衝撃を持って迎えられるだろうに。

残念ながらビリー バトラーはスイングジャーナルの「新 世界ジャズ人名事典」には掲載されていない。これを書くにあたりインターネットで調べてみたが、運悪くロイアルズからアスレチックスに移った大打者であるビリー バトラーと、シカゴのR&Bシンガーで今年亡くなったビリー バトラーばかりが出てきて諦めてしまった。そのくらい今では忘れられているのが天才ギタリストのビリー バトラーだ。

プレステッジのバトラーは、本作の9ヶ月前に「ディス イズ ビリー バトラー」を録音している。そのジャケットではパイプをくわえてギターを弾くバトラーの姿が見れるのであるが、それはやはり前に紹介したオルガンのドン パターソンと同じで、所謂僕らがイメージする普通のアメリカ黒人ではない。恐らくスペインあたりの血が多く入っているのだろう。本作で聴けるガットギターのあまりもの上手さはこの血によるものであるのは想像出来る。そしてこれこそが普通に出ているジャズ入門書に載っている名盤よりも、より他民族国家でありとあらゆる人種が混在している素のアメリカを感じさせる要素だ。
この時代のプレステッジのアルバムは、日本では当時からあまり評価されていなかった。しかし、このプレステッジこそジャズを通した生のアメリカを捉えた随一のレーヴェルであり、中でもビリー バトラーがその代表であると思う。


クリフォード ブラウン亡き後に再出発したマックス ローチ クインテットの最初のアルバム。亡くなったブラウンとリッチー パウエルに替わり、トランペットにケニー ドーハム、ピアノにレイ ブライアントという贅沢なメンバーを加入させ、しかも以前からのソニー ロリンズとジョージ モロウもそのまま残ってくれている。特にドーハムは自己のザ プロフェッツをわざわざ解散させてまでの参加だという。ブラウンが亡くなってもこのバンドはジャズ界には絶対に無くてはならない。だからこんなにも精鋭が集まったバンドで再出発を飾れたのだろう。レーベルもエマーシーのままだ。
ブラウンの偉大さは既に語り尽くされた感があるが、こういった事情を考えると改めてこのグループの重要性=マックス ローチの偉大さを思い知らされる。

盟友ブラウンを亡くしたローチの落胆ぶりはそうとうなものであったのは本当らしい。しばらく部屋に閉じこもって出て来なかったとも伝えられている。それだけブラウン&ローチ クインテットは素晴らしいユニットだった。
そのせいだろうか?僕がジャズを聴き出した当時は、ブラウンを亡くしてからローチはダメになったという説が日本のジャズ評論界では一般的な見方であった。

しかし、これは今さら説明の必要もないと思うが、まだジャズを正しく聴く事も出来なかった当時のジャズ評論家の心ない思い込みであるのは間違いない。恐らく誰かが言い出した事をちゃんと聴きもせず鵜呑みにしてしまった結果であろう。僕の考えるには1990年くらいまでの日本のジャズ評論なんてそんなもんである。

この「マックス ローチ+4」はブラウンが亡くなって約3ヶ月後の録音だ。契約の事もあっただろうが、とことん落ち込んだ人間にしてはこれは早い方だと思う。1993年に失恋した僕は軽く1年は引きずった(どうでもいい)。そして本作のマックスのドラムにはそんな落胆の様子など微塵も感じさせない。適材適所で縦横無尽にソロイストを煽るローチ。そして出る所はとことん出る。とんでもない気迫と活力に満ち溢れたドラミングに息をするのも忘れてしまいそうだ。落胆どころか、音楽の喜びをこれ以上表した作品はそうあったものではない。
また曲によってはローチ自身によるティンパニのソロを二重録音するという試みもなされていて、これが見事なグルーヴを醸し出している。新たな試みを忘れていないばかりか、バチッとキメるその前向きな姿勢と手腕。これのどこがダメになった人間のやる事か?バカを言ってはいけない。

凄いのはローチだけではない。何とそんなローチをも凌いでしまう勢いをここで発揮した男がいる。それが残留したソニー ロリンズである。
ロリンズはブラウンが亡くなる数日前までクインテットで行動を共にしていた。そして1956年6月22日に、ローチの手を借りて傑作「サキソフォン コロッサス」を録音。その4日後の6月26日にあの痛ましい事故でブラウンとパウエルが亡くなっている。
ロリンズもまたブラウン&ローチ クインテットでの演奏は本領を発揮していないと言われている。確かにブラウンが在籍した最後の公式作品である「アット ザ ベイズン ストリート」を聴けば、幾分ブラウンの影に隠れてしまっている感はある。ただこれは最後のブラウンがあまりにも華々しすぎた結果であろう。しかもロリンズはあくまでもこの時はサポートメンバーである。グループのサウンドを考慮したのかも知れない。

しかしブラウンが亡くなってもまだこのクインテットで演奏するとなった時に、恐らくこのグループでの自己の責任について考え直したのだろう。世話になったローチのためか、己の全てをさらけ出すロリンズの姿がここにある。その迫力!当時ローチと組んだロリンズはどれもとんでもない快演ばかりだが、リーダーが誰であろうと本作のロリンズは最も吹ききっていると思う。当時のロリンズの恐ろしさを思い知る次第だ。

ブラウンが亡くなって、ローチにはつまらないレッテルを貼られてしまったためか、この頃のローチ作品は今でもそれほどの話題になることは少ない。しかし本作の内容を考えれば、この頃のローチの作品こそ過小評価であると言わざるを得ないと僕は思う。もしまだ本作を聴いた事のない人、または持っているのに長らく記憶から忘れ去ってしまっている人は、ぜひじっくりと一聴していただきたい。
あなたの好きなジャズアルバムの上位に食い込んでくるのは間違いないでしょう。


ジャケットを見ると適当に寄せ集めたベスト盤の様で、つい見送ってしまいそうになる所だが、どっこいこれはとんでもない貴重な1963年のロスアンゼルスはイットクラブにおけるセロニアス モンク カルテットを捉えた素晴らしい2枚組ライヴ盤である。といっても撮られた当時は未発表で終わってしまい、1982年になってようやくCBSから発売されたもので、当時ならこういうジャケットでの発売であったのはしょうがないところ。ちなみに去年くらいにかっこいいパッケージでCD発売された様なので、本文を読んで興味を持った方は一度探してみてはいかがだろうか。

さて、のっけからこのライヴ盤を素晴らしい、と記してしまったが、これは決して嘘ではない。全12曲、僕には「GALLOPS GALLOP」という曲のみ馴染みがないが、他11曲は全てモンクのスタンダードとなったお馴染みの曲ばかり。これらをモンクはまるで子供がはしゃぐ様に自由きままに弾きまくっている。演奏するのが楽しくて仕方がないといった気配だ。そしてソロにしてもバッキングにしても全てをピアノを壊してしまうのではないかという位叩きまくっている。子供の様な無邪気さに隠れて鬼気迫るものを感じてしまう部分も多い。

この頃のモンクは新しい楽曲を作る意欲がうせてしまい、音楽家としてのピークは過ぎてしまった。という見方は僕がジャズを聴き出した頃にはあった。事実12曲中11曲が僕の知る限りモンクのキャリアの初期には出揃っていたものばかりだ。この見方が正しいのかどうかは僕はモンクの身内ではないので知らない。

ただそうだとしても、それはあくまでもモンクの作曲家としての意欲の有無に限った話しである。しかしそれがモンクの演奏家としての意欲の衰えや技術の衰えと関係があるのか?という話しになれば、それは本作を聴いていただければ全く無いという意見に落ち着くのではないだろうか。そのくらい1963年のモンクは素晴らしいのだ。みなぎる生命力にクラクラとなりそうだ。
加えて長く相棒を勤めたチャーリー ラウズの聴けばすぐに彼と解る独自性と創造性に満ちたテナーサウンドがその素晴らしさを何倍にも膨らませているのは誰が聴いても納得のいくところ。ラウズも日本では評価が遅れてしまい、かなり損を被ったプレイヤーだ。しかし今やそんなラウズを過去の評論家と同じ様に論じていれば間違いなく失笑をうける時代にはなった。それでもまだ評価が少ないラウズ。本作ではそんな点も逃さないで聴いていただきたいと願うばかりだ。

そんな訳で、僕にとってはこの1963年のモンク カルテットのライヴこそがモンクの全魅力を結集された決定版として聴き続けるべきレコードとなった。正直CBSの優れた音質も含めて、名盤とうたわれたジョニー グリフィンがテナーを吹いた5スポットのライヴ盤よりこちらの方が好きだ。変にピアノソロ曲など演奏しておらず、あくまでも普段のカルテットの姿をかいま見れるのがいい。

ただし、それはあまりにもなモンクらしさを持っているからという注釈がついての話しであるのを断っておかなくてはいけない。そのモンクらしさとは、例えば全12曲のうち冒頭の「ブルーモンク」がカウントで入っているのを除くと他の11曲全てがモンクの独奏によるテーマ提示かイントロで始まり、それを合図に他3人が一斉にテーマに入るという形式を取っている。全部モンクの思いつきにバンドが合わせているうえ、「ストレート ノー チェイサー」では2回弾き間違えて止まる。
そして全て4バースも無ければセカンドリフも無い。頃合いを見てテーマに戻り終わるのだ。しかもLP4面全てがきっちり3曲入りで、はっきり言ってのりがみな同じときた。どの面を聴いても何も変化が無い。
こんな体たらくはどう考えても普通のユニットでは飽きられるのが当然だし、録音の話しも出ない。しかし、モンクは別なのだ。

そんなモンクが引き起こした衝撃の事件は第3面2曲目「エヴィデンス」で起こる。やはり独奏でテーマを提示し、バンドがテーマを繰り返す。あいかわらずラウズのソロは攻撃的なのにリラックス出来て快調だ。さらに快調なのはモンクで、あっけに取られるほどアグレッシブで若々しいパフォーマンスに自然と心が踊る。恐らくこの日一番の完成度を持つ感動的なソロであろう。モンクはそのテンションのままベースに1コーラスをまかせる。そのラリー ゲイルスもベースラインだけの特別に変わったものでは無いが、その分グループの気迫を充分に伝えるソロだ。
そして全員がテーマに戻ろうとした瞬間に事件が起きる。モンクが何を思ったのか「エヴィデンス」なのに「ストレイト ノー チェイサー」のテーマを弾いたのだ。これには他の3人も流石に面喰らった様で、全員が一瞬演奏を止めてしまう。この地点でモンクの行動があまりにも予定外だったことはバレる。さらに驚くべきはモンクはそのまま12小節のはずの「ストレイト~」のテーマをしばらく続けるも、9小節目でバンド全員でむりやり「エヴィデンス」のテーマに入り、エンディングを迎える。何なのだ?モンクの謎の8小節はこうして一瞬にして過ぎ去る。

これがもし野球選手であれば、アウトカウントを間違えて相手に点を献上してしまったり、ホームランを打ったのにベースを踏み忘れたりするようなものである。決して許されるものではない。しかし、幸いモンクは野球選手ではなくジャズミュージシャンだ。そして僕らはジャズファンだ。こんなあり得ない珍事を巻き起こしても、心あるジャズファンなら皆が「モンクらしい」「モンクだからいいのだ」と言う。これが面白くて僕らは今日もモンクを聴いてしまう。

あまり知られていないが、本作はそんな普段の飾らないモンクの魅力が120%感じられる僕の愛聴盤であるのだ。


プレステッジほど多くのオルガンプレイヤーを録音したレーヴェルはない。これは絶対的な事実だ。そしてそのほとんどの作品がとんでもない聴き応えに満ちたものだ。
そんなプレステ オルガン陣の中で僕の考える最もキレた男がドン パターソンだ。

ドン パターソンは1936年に北東部オハイオ州コロンバスに生まれたと人名事典にある。しかしそこにはパターソンの家系までは記されてはいない。
写真を見ていただければわかるが、パターソンは所謂アフロアメリカンとは少し顔つきが違う。黒人ではあるのだけれど、どこかラテン系というかスパニッシュの表情が見られるのだ。そして人名事典ではこう続く。「パターソンは最初ピアノのカーメン キャバレロに憧れてピアノを習得した」と。
カーメン キャバレロは現在では映画「愛情物語」で甘く美しいピアノを奏でたピアニストとして懐メロファンにはお馴染みな人物だ。そして正直今の音楽ファンにはそれがキャバレロの全イメージであるし、僕もそう思っていた。

そんな認識が変わったのは、ふとしたきっかけで聴いたキャバレロがラテン音楽を演奏したレコードだ。裏が日本語の、古い大した値などつかない盤である。ところが、これがもうきらびやかで情熱的でやけどをしそうなくらい熱い。とんでもないバカテクなうえに、これでもかというテンションにめまいを覚えるほどの素晴らしさであったのだ。今までのイメージである「ツー ラヴ アゲイン男」とはあまりにも違う。僕のキャバレロ感が一変した瞬間である。キャバレロはとんでもないラテン人だったのだ。
そしてそれはパターソン=ラテン系という僕の考えにいっそう拍車がかかる事態にもなったのは言うまでもない。

さて、いきなりだが今回紹介する「オー ハッピーデイ」はプレステッジ作品に限らず、全パターソンの最高傑作だと僕は思う。もちろんまだ聴いていないパターソンの作品は数多い。それでも何か言い切ってしまいたくなるほど、本作のパターソンはキレッキレなのである。
参加メンバーはヴァージル ジョーンズのトランペットに、ヒューストン パーソンのテナー、フランキー ジョーンズのドラムというプレステッジの常連ソウルスター達。これに数曲でテナーのジョージ コールマンが加わる。

ここでお気づきの方もいらっしゃると思うが、本作にはギターが参加していない。しかし、そんな環境を屁とも思わないのがパターソンだし、彼にとってはむしろとんでもない気迫とテクニックを披露する格好のフォーマットであるというのは以前にも記した。とにかく若さみなぎる絶好調のパターソンのきらびやかさと気迫をこれでもかというくらい感じるのが本作だ。そしてその要素はパターソンのアイドルであったカーメン キャバレロの今では知られざる要素と一致するものだ。本作は教会音楽の「オー ハッピーデイ」の他に「パーディド」や「ブルーン ブギ」が収録されていて、その全てがギンギンのジャズ魂を発揮したものばかりだ。聴き様によっては最高のバップ作品とも言える。したがってラテンの要素は無い。

しかし、本作はそんなジャズの神髄に、どこかパターソンの持って生まれた血が流れている。その融合が果てしなく面白く、果てしない激演を生み、果てしない傑作となったのだろう。結局この多面性がジャズなのではないか?


今さら何の説明がいりようか?ソニー ロリンズ一世一代のパフォーマンスを堪能できる大名演にして大傑作であります。
ピアノレス トリオというシンプルを通り越したフォーマットで、延々とマグマの様に溢れ出す独創的フレーズと、これまた過剰なまでに豪快な吹きっぷりに何度鳥肌が立つことか。ロリンズこそジャズ界でも誰もが到達しえなかった何かしらの境地に達した人間離れした天才であると1957年11月の地点にして証明したのが本作だ。正に王者である。

ロリンズといえば、これまた大傑作と呼ばれ現在でも聴き続けられているのが「サキソフォン コロッサス」。よほどのヘンコでもない限りこれを聴いて感銘を受けないジャズファンはいないだろう。こちらが1956年6月の録音だから、この2大傑作は約1年半という期間で録音されている事になる。ロリンズという人は意外とナイーブな性格で、当時は年がら年中雲隠れを繰り返していたというが、やはりこの時期にはこの2作の他にも「ワークタイム」「ウェイ アウト ウェスト」「ソニー ロリンズ Vol.2」といった聴き応え満載の名作を残している所から見て、やはりよほど創造力に満ち溢れた時間をすごせていたのだな、と勝手に想像してしまう。

さて、そんな絶好調のロリンズを捉えたこのヴィレッジ ヴァンガードでのライヴ盤であるが、本作の特徴は何といってもピアノレス トリオで吹き込まれたというキーワードを持って現在でも語られている。ピアノ入りカルテットというオーソドッグスな編成での傑作「サキコロ」に対して、こちらの「天才ロリンズがピアノレスという新境地を開拓した画期的な野心作である」という紹介文は、僕が本作を初めて聴く以前から知識として聞かされていたものだ。

しかし、最近になって新たに読んだり聞いたりした話によれば、本作がピアノレス トリオという編成が取られているのには、これまで語られて来たあくまでも「ロリンズ自身から挑んだ」といった見方とは若干意味が違っている様だ。
どういう事かというと、本作が録音されたこの時のヴィレッジ ヴァンガードの出演では、当初ピアノの席にレイ ブライアントを迎える予定だったらしい。それが何らかの理由をもってピアニストが外されてこの編成になったという。よって、ひょっとしたらロリンズが開拓したという「ピアノレスで和音の無い空間を最大限に利用したより自由などうのこうの…」といった理屈は、本当は予定外の結果だったのかも知れない。
先に記した様に、でかい図体の割にはナイーブなロリンズは、聞く所によると極度のあがり性であったという。関西弁でいえば「緊張しい」ってやつだ。しかもあれだけ吹いておいて全く自分に自信を持てなく、常に誰かと一緒に吹いていたかった、とも語っている。大丈夫か?王者、といった所だが、あの「サキコロ」の時でさえも本当はトランペットのドナルド バードをスタジオに入れようと考えていたのが、プレステッジの許可を得れずカルテットになったという。したがってこちらのピアノレスも本当にロリンズが自ら挑んだのかは少し疑わしい点もある。まあ定説というのは裏を返してみればそんなものであり、それがまたこの音楽の面白い点でもあるという事でもある。

とはいえ、本作がピアノレス トリオとしての基盤を作った傑作であるというのは間違いない事実だ。ロリンズはこの時期に西海岸でも「ウェイ アウト ウェスト」という同じ編成の作品を残している。こちらはレイ ブラウンとシェリー マンというメンツで、いかにも西部の乾いた空気を感じさせる大らかな作品だった。しかし、エルヴィン ジョーンズとウィルバー ウェア、またはピート ラロカとドナルド ベイリーというニューヨークの凄腕共とまるで闘っている様な緊張感に支配された本作が、ライヴの臨場感と共にこの編成におけるその後の見本として残っていった。本作でその腕前と特異性を買われたエルヴィンは、数年後にはジョン コルトレーンと組んでジャズの歴史を塗り変えていくことになるのだが、このコルトレーンとも数曲で強烈無比なピアノレス トリオの編成による演奏を残している。そしてその強烈さがこの編成のほとんどのものが、徹底して甘さを排するといった流れに繋がっていったのだろう。

繰り返すがロリンズの「ヴィレッジ ヴァンガードの夜」は、そんなピアノレス トリオの基礎を作った画期的な作品である。本作の持つ豪快さとは裏腹なドス黒い危険な雰囲気は、ジャズの持つアンダーグラウンド的な要素をこれでもかというくらい生々しくえぐり出したものだ。
甘い甘いはずのスタンダードナンバー「言い出しかねて」を聴いてみてほしい。その歌い方は豪快ではあるが、決して万人の耳に心地良く聴こえるといったものではない。僕はこれを聴くと、この時のロリンズがサックスであるにもかかわらず、バブズ ゴンザレスやエディ ジェファーソン、ジョン ヘンドリックスといった黒人の内面性を声で表すシンガーらの歌い方に共通した表現を感じる。これは間違いなくロリンズの黒人意識から表れるものだろう。マイルス デイヴィスが自叙伝でよく「オレのヴォイスが」「奴のヴォイスが」と表現していたが、多分こういうフィーリングを持ってヴォイスというのではないか?

ロリンズの特異性はこのヴォイスにある。そしてそのヴォイスが最も露骨に表れるのが、このピアノレス トリオなのだろう。


とかく長い歴史を誇るジャズメッセンジャーズだから、その間には当然色々なことがあったはずだ。
JMはジャズのトップコンボと呼ばれ、アートブレイキーがその生涯を閉じるまで続いたというのは間違いはない。しかし常にトップコンボだったとはいえ、常に順風満帆だったかといえば、それは違うかったと思う。しかしこれはJMの人気実力を抜かすバンドが出て来たからといったものではなく、やはりJMとて時代の変化に振り回された時期もそうとう存在したという事である。

アート ブレイキーは並みいるジャズジャイアントの中でも特に黒人意識が強い人だった。ブレイキーの独自を遥かに通り越した奏法は、やみくもに強烈な訳ではない。黒人の意識を音として表した結果、あの強烈さと繊細さを兼ね備えた恐るべき二面性を持ったスタイルが出来上がったのだ。「アート ブレイキーが黒人である」。これはあのY田さんが述べた一言であるが、今ではDoodlin'の常識として定着している。

そんなアート ブレイキーのJMに白人のメンバーが加入したのは恐らく1965年頃、「バタコーンレディー」という作品でチャック マンジョーネとキース ジャレットが加わったあたりではなかったか。はっきり断言しないのはJMというのは常にメンバーが流動していて、決してレコードに残された歴史がメンバーの全歴史では無い様だからだ。だけどまあ1度くらいは一緒に演奏した白人もいたとせよ、正式に加わったメンバーとしてなら時期的にはこの頃だったのではないか?

1965年といえばアメリカでは公民権運動がいよいよ過度期を迎えたあたりだ。当然黒人の意識が変われば、常に生活と音楽を連動している黒人の音楽は変わる。
ジャズではハモンドB3オルガンの持つパワーが黒人意識を煽り、エレキギターがどんどん力をつけてきている。それにともないソウルミュージックが黒人の意識を代弁するものとしてその地位を上げていき、ジャズもエレクトリック化したファンクミュージックの色を濃くしていく。若い黒人ミュージシャンがどんどんそちらに向かって行ったのは当然だ。

JMに白人プレイヤーが加入したのはそんな背景があったのは充分考えられる。ファンク化せずとも従来のスタイルを通すにはそうする必要があったのだろう。ただ僕はこれをブレイキーの苦渋の決断だったとは思わない。またブレイキーが肌の色を気にしない、ものわかりの良い良識人であったというのも違うと思う。
必要に応じてついて来れるプレイヤーなら白でも黒でも構わない。ブレイキーはそういう人だったらしい。そして僕はブレイキーのそんなところがとてつもなく賢いと思う。

とはいえ、その後のJMはやはり必要以上にメンバーが入れ替わり、ブレイキーの苦悩はかなり激しかった様子がうかがえる。それ以降の10年間では同じメンバーでレコーディングされた作品は1枚も無いのではないか?ブレイキーの予想以上にJMのスタイルは時代に置いてけぼりを喰らってしまったのだろう。僕はその頃のJM、もしくはブレイキーの音楽的クオリティーが落ちたとはこれっぽっちも考えていないが、それでも当時くりかえし来日していた様を観た人から聞く話はあまり褒められた内容ではないものばかりだ。70年代に極端に風貌が老化したブレイキーを思うとよっぽど苦労したのだろうと思う。

しかしそんな時代もやがて好転する。

前置きが長くなってしまったついでに今回紹介する作品を飛ばして、時は1980年、JMに彗星の如く現れた天才少年トランペッター、ウィントン マルサリス。彼の加入でJMは再びジャズの名門コンボとして蘇った。そしてまたストレイトアヘッドなジャズがどんどん復権していった。
これは現在語られるジャズ史の定説である。定説というのは時代を目撃した人々に語られて出来上がるものだ。だから僕はこれに異議など唱える気はもうとう無いし、この時のウィントンは果てしなく好きだ。

ただし、いきなりウィントンの出現でJMが復活したのか、といえばそれは違う。どういう事かと言えば、復活するには復活する土壌をこしらえたメンバーによるレコードが存在している、というのが僕の主張だ。
それが(えらい遅くなりましたが)今回紹介するアルバム「イン ディス コーナー」だ。録音は1978年、サンフランシスコのキーストンコーナーでのライヴである。そして結論から言えばこれこそが後期JMの最高傑作である。

メンバーはヴァレリー ポノマレフのトランペット、ボビー ワトソンのアルト、デヴィッド シュニッターのテナー、ジェームズ ウィリアムズのピアノ、それにデニス アーウィンのベースだ。長らくジャズをリアルタイムで聴いておられる方ならご存知だと思うが、このメンツの凄さは半端なものではない。とにかく全員がとんでもないテンションで猛烈を通り越した勢いの熱演に次ぐ熱演がくり広げられている。
そして何よりも嬉しいのが、その醍醐味の全てがJM的であるという点。全員がJM的にグルーヴしてJM的にはじけ飛んでいる。その様はJM愛に溢れ、それがそのままライヴの迫力を聴く者にダイレクトに伝えている。これはやはりメンバーに少年時代からJMに憧れていた者が多く入団したからだろう。彼らの夢がブレイキーの夢と合致した瞬間である。待った甲斐があったというものよ。
そんな感情が重なってか、この心が揺さぶられる様な感動は残念ながら以後のJMに聴き取るのは少し難しい。この時ブレイキーはJM復活!を心に感じただろう。そんな喜びがまともに聴いてとれる超骨太のライヴ盤が本作だ。聴いていてどれだけ心躍ることか。

メンバーのうち、トランペットのヴァレリー ポノマレフは1943年にソ連のモスクワに生まれて1973年に亡命してきたという変わった経歴の持ち主。それでも実力は天下一品だ。ヴァレリーこそ後期JMの最高トランペッターであると僕は常々思っている。今も現役で活躍しているはずなので、今からでももっともっと評価されるべき人物の一人だ。またそんな経歴を持った者を肌の色を問わず起用するブレイキーもまた恐るべし。
この時のメンバーならデニス アーウィンも恐らく白人だし、デヴィッド シュニッターも黒人ではない。この頃になるとブレイキーの肌の色を気にしない確かな目は、なかなか賞賛に値するのではないかと思う。

そうなるとウィントンの在籍時からブランチャード&ハリスンの時代いっぱいが全員黒人で占められていたのがかえって違和感を感じるのは不思議だ。でもその後はベニー グリーンとかジェフ キーザーをこよなくかわいがっていたのを考えると、それもたまたまだったんだと思うが。


波止場ジャズフェスティバル2015のお知らせ

元々はDoodlin'の周年イベントとしてこじんまりと始めた波止場ジャズフェスティバル。二回目からは周年をうたわず規模を大きくして開催し、この度またまた総勢10バンドが参加の第3回目が行われます。

さらに今回からは各日違う会場に分けて、よりいっそう各バンドの持ち味を発揮できる環境を整えました。
3/7(土)の萬屋宗兵衛はあの白いグランドピアノを使用できるため、かなりバップ色の濃いストレイトアヘッドなバンド合戦を楽しんでいただけます。
翌3/8(日)のジェームズ ブルーズランドではブルーズ、ニューオリンズジャズ、オルガンジャズなど、僕らが愛してやまないブラックミュージックのルーツに根ざした色合いが強いバンドが集合。
どちらが楽しいか?わかんないので両方観てみましょう(笑)。

またあいかわらず全てのバンドがひとつの集団の関係者ばかりで集まったものではなく、ありとあらゆる方面から集まってきて、それぞれが交流を持ってもらえるのも波止場ジャズならでは。年を重ねるごとに壁が無くなっていく。これはもう本イベントの最大理念となりつつあります。

3/7(土)於 萬屋宗兵衛
●志水 愛QUINTE(ジャズ)
志水愛.P
広瀬未来.TP
河村英樹.TS
光岡尚紀.B
佐藤英宜.DS
●MOOD MAKER'S(ジャズ)
●DP's(ジャズ)
●McDUFF(ファンク・ソウル・ジャズ)
●ザ テナー父娘(ジャズ)

3/8(日)於 ジェームズ ブルーズランド
●橋本有津子 with ライト兄弟(オルガンジャズ)
橋本有津子.ORG
橋本裕.G
東敏之.DS
●YOPPY'S BRASS BAND(ニューオリンズ ブラス)
●しらきたかね y su combo(ディキシーランド ジャズ)
●ナマズDX(ミシシッピ デルタ ブルーズ)
●ザ テナー父娘とアフターアワーズ(ジャズ)

各バンドの紹介と出演時間はこの度完成したフライヤーをごらんください。

当日券 2500円
前売券 (1日)2200円 (2日通し)4000円 各ドリンク代別途

前売券取り扱い店舗Doodlin'

※各会場にご連絡をされた方は前売料金でご入場いただけます。ただし当日満席が近くなってきますと、前売券を購入された方を優先いたします。ご連絡いただいていてもご入場をお断りする場合がございますのであらかじめご了承願います。前売券のご購入か早めのご入場をおすすめいたします。

それではみなさん、3/7&8 神戸の波止場でお待ちしております!