ピアノレス トリオというシンプルを通り越したフォーマットで、延々とマグマの様に溢れ出す独創的フレーズと、これまた過剰なまでに豪快な吹きっぷりに何度鳥肌が立つことか。ロリンズこそジャズ界でも誰もが到達しえなかった何かしらの境地に達した人間離れした天才であると1957年11月の地点にして証明したのが本作だ。正に王者である。
ロリンズといえば、これまた大傑作と呼ばれ現在でも聴き続けられているのが「サキソフォン コロッサス」。よほどのヘンコでもない限りこれを聴いて感銘を受けないジャズファンはいないだろう。こちらが1956年6月の録音だから、この2大傑作は約1年半という期間で録音されている事になる。ロリンズという人は意外とナイーブな性格で、当時は年がら年中雲隠れを繰り返していたというが、やはりこの時期にはこの2作の他にも「ワークタイム」「ウェイ アウト ウェスト」「ソニー ロリンズ Vol.2」といった聴き応え満載の名作を残している所から見て、やはりよほど創造力に満ち溢れた時間をすごせていたのだな、と勝手に想像してしまう。
さて、そんな絶好調のロリンズを捉えたこのヴィレッジ ヴァンガードでのライヴ盤であるが、本作の特徴は何といってもピアノレス トリオで吹き込まれたというキーワードを持って現在でも語られている。ピアノ入りカルテットというオーソドッグスな編成での傑作「サキコロ」に対して、こちらの「天才ロリンズがピアノレスという新境地を開拓した画期的な野心作である」という紹介文は、僕が本作を初めて聴く以前から知識として聞かされていたものだ。
しかし、最近になって新たに読んだり聞いたりした話によれば、本作がピアノレス トリオという編成が取られているのには、これまで語られて来たあくまでも「ロリンズ自身から挑んだ」といった見方とは若干意味が違っている様だ。
どういう事かというと、本作が録音されたこの時のヴィレッジ ヴァンガードの出演では、当初ピアノの席にレイ ブライアントを迎える予定だったらしい。それが何らかの理由をもってピアニストが外されてこの編成になったという。よって、ひょっとしたらロリンズが開拓したという「ピアノレスで和音の無い空間を最大限に利用したより自由などうのこうの…」といった理屈は、本当は予定外の結果だったのかも知れない。
先に記した様に、でかい図体の割にはナイーブなロリンズは、聞く所によると極度のあがり性であったという。関西弁でいえば「緊張しい」ってやつだ。しかもあれだけ吹いておいて全く自分に自信を持てなく、常に誰かと一緒に吹いていたかった、とも語っている。大丈夫か?王者、といった所だが、あの「サキコロ」の時でさえも本当はトランペットのドナルド バードをスタジオに入れようと考えていたのが、プレステッジの許可を得れずカルテットになったという。したがってこちらのピアノレスも本当にロリンズが自ら挑んだのかは少し疑わしい点もある。まあ定説というのは裏を返してみればそんなものであり、それがまたこの音楽の面白い点でもあるという事でもある。
とはいえ、本作がピアノレス トリオとしての基盤を作った傑作であるというのは間違いない事実だ。ロリンズはこの時期に西海岸でも「ウェイ アウト ウェスト」という同じ編成の作品を残している。こちらはレイ ブラウンとシェリー マンというメンツで、いかにも西部の乾いた空気を感じさせる大らかな作品だった。しかし、エルヴィン ジョーンズとウィルバー ウェア、またはピート ラロカとドナルド ベイリーというニューヨークの凄腕共とまるで闘っている様な緊張感に支配された本作が、ライヴの臨場感と共にこの編成におけるその後の見本として残っていった。本作でその腕前と特異性を買われたエルヴィンは、数年後にはジョン コルトレーンと組んでジャズの歴史を塗り変えていくことになるのだが、このコルトレーンとも数曲で強烈無比なピアノレス トリオの編成による演奏を残している。そしてその強烈さがこの編成のほとんどのものが、徹底して甘さを排するといった流れに繋がっていったのだろう。
繰り返すがロリンズの「ヴィレッジ ヴァンガードの夜」は、そんなピアノレス トリオの基礎を作った画期的な作品である。本作の持つ豪快さとは裏腹なドス黒い危険な雰囲気は、ジャズの持つアンダーグラウンド的な要素をこれでもかというくらい生々しくえぐり出したものだ。
甘い甘いはずのスタンダードナンバー「言い出しかねて」を聴いてみてほしい。その歌い方は豪快ではあるが、決して万人の耳に心地良く聴こえるといったものではない。僕はこれを聴くと、この時のロリンズがサックスであるにもかかわらず、バブズ ゴンザレスやエディ ジェファーソン、ジョン ヘンドリックスといった黒人の内面性を声で表すシンガーらの歌い方に共通した表現を感じる。これは間違いなくロリンズの黒人意識から表れるものだろう。マイルス デイヴィスが自叙伝でよく「オレのヴォイスが」「奴のヴォイスが」と表現していたが、多分こういうフィーリングを持ってヴォイスというのではないか?
ロリンズの特異性はこのヴォイスにある。そしてそのヴォイスが最も露骨に表れるのが、このピアノレス トリオなのだろう。
