でもウェインの音だけに搾れば、コルトレーン自身や他のコルトレーン崇拝者のそれとはかなり違うものであると感じるのは僕だけか?
というのはコルトレーンの音というのは非常に硬質で、かなりメカニカルである。そして所謂コルトレーン チルドレンという人達はその音をさらに強調させていく道を選んでいる。それに反して初期ウェインの音というのは、何か輪郭がぼけた印象を受ける音色だ。しかも乗りすぎると時々音がひっくり返る。早い話が当時評価されていた他テナープレイヤーより、はるかに雑な吹き方なのがウェインなのではないか。
しかし、そういった要素に個性が認められれば、それが評価に繋がり愛されるのがジャズの面白いところ。ウェインも例外ではない。
しかもウェインの場合、そんな音色を見事に自分の好きな世界に投影しているのが流石だ。
その世界観が表れた最も初期のリーダーアルバムが1960年10月にヴィージェイに録音された「セカンド ジェネシス」だ。本作には両面を通して計8曲が収録されているが、そのうちの3曲が映画やミュージカルに使われた楽曲を選んでいる。現在ではジャズマンのオリジナル曲以外の古い既成曲であれば、スタンダードという一言で片付けられる傾向にあるが、本作においては、この3曲を映画、ミュージカルの曲と分けたい。
ショーターという人は子供の頃から絵本や映画の物語が大好きで、特にメルヘンやSF物には目が無かったという。そして摩訶不思議なバレエ映画「赤い靴」に取り憑かれ、生涯で90回くらい観ているという。あまり人の好みをとやかく言うのは良くない事なのだが、ウェインはその昔自分の楽器ケースに堂々と「ミスター 変わり者」と書き込んでいたというから、まあ許されるだろう。
そんなウェインだから、この3曲も楽曲として気に入っただけでなく、恐らく自分で本編を観て、その世界に魅せられた要素が強かったのではないか?そしてその世界観を表すのにウェイン独特の輪郭のぼけた摩訶不思議な音が見事にハマってしまっているのだ。
早くから黒魔術などに興味を持っていたというウェイン。今ならさしずめ「ヤバい奴」と言われてもしかたが無いだろう。しかし本作はこの3曲以外の自身のオリジナル曲も含めて、あまりもの独特の世界感に圧倒されっぱなしだ。そしてその要素はウェインのまだ続いている生涯の不変の魅力になり、魅せられた我々を虜にしてしまうのだろう。
そんなウェインの世界を最も最初に表現した本作に、さらにジャズ的興奮をもたらしたのが間違いなくアート ブレイキーのドラムだ。そしてピアノはシダー ウォルトン。本作はワンホーンという事もあり、結果的にこの3年後に組まれる、あの最強と呼ばれる3管ジャズメッセンジャーズのウェインの要素だけピックアップした形のアルバムになった。本作に収録された「時さえ忘れて」は後の3管でウェインをフィーチャーし、ほぼそのままの形で再演している。
1960年というのはアート ブレイキーが何か思う事があったのか、非常に積極的にメッセンジャーズ周辺の逸材達のレコーディングにサイドメンとして参加した年だ。面白いのはメッセンジャーズでのウェインの前任に当たるハンク モブレイのワンホーン アルバムにも参加している点。この両者、共にとんでもない傑作なのだが、同じメッセンジャーズのテナーでもこうもスタイルが違うのものなのかと感じてしまうのは必至。メッセンジャーズの懐の深さと面白さはこういう所にあるのだと改めて実感できるというもの。
なお、ブレイキー側からみた1960年については本ブログの2012年9月27日に紹介した、当のハンク モブレイ「ソウル ステーション」におけるコメント欄に、Doodlin'研究班の同級生が詳しく解説してくれているので是非参考にしていただきたい。
