天才が生まれる土壌/利き足?両足?(前編) | ドングリクンパパのブログ

まずはパパがかつてバイブルとしていた本を紹介したい。昨年までFC東京の監督を務めたアルベルト・プッチ氏は、FCバルセロナの育成組織であるカンテラのテクニカルディレクターだった時代に「FCバルセロナの人材育成術」という本を出版されている。久保君もお世話になっているし、アンス・ファティを見出したのもプッチさんである。

 

 

 

メッシ、イニエスタ、シャビ、グアルディオラなどのインタビューも掲載されている恐ろしく盛りだくさんな本である。天才はどこから生まれるのか?その問いに対するひとつの示唆がこの中に示されている。下記のような文章があるのだ。

 

「テクニックや個人戦術はサッカーボールで沢山遊んだ子供だけがナチュラルに習得できる。ボールタッチ、シュート、ドリブル、トラップ、マークを外す動き、ボールキープ、、、確かにこれらは教える事が出来るが、自然な形で身につけた子供には敵わない」

 

この言葉は深い。教える事は出来るが、自然な形で身につけた方が良い、つまり「教えない方が良い」と言うのだ。これは一体どういう意味だろうね?もう少し読み進めればそれは見えてくる。プッチさんはストリートサッカーこそが最高の育成システムと考えているのだ。下記のような言葉が書かれている。

 

「ティエリ・アンリは世界最高のサッカー学校を卒業した。それはストリートサッカーだ」

 

「近年バルサのカンテラに多くのアフリカ系の少年たちが入団してくる。彼らに共通するのは体格に優れている事に加え、ストリートサッカーで色々学んできたという点だ」

 

これ以外にもストリートサッカーの重要性をこれでもかと熱弁しているのでぜひ直接本を読んでほしい。この本の中ではペップ・グアルディオラも、上記にも登場するティエリ・アンリもストリートサッカーの重要性について言及している。アンリはこう言っている。

 

「ストリートサッカーでは自然にサッカーが上手くなる。誰も教えてくれない。自分で工夫するしかない。ストリートサッカーで育つとプレースタイルに特徴が出る。ストリート出身プレーヤーには独特の雰囲気があるからね」

 

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さて、ここで改めてパパがモチベーション・シリーズの最初に書いた事を思い出して頂きたい。

 

子供達が本当に自分のやりたい事に夢中になれていれば、そこで子供達は驚くような力を発揮して大人の想像を超えて行く。まあ大雑把に言えば全体にそんな話をシリーズで書いてるんだよね。ミニゲームをひたすら沢山やらせるというのもその文脈で書いている事だよね。

 

そしてパパはこんなエピソードを紹介した。南米では一番子供達がやりたい事、すなわち「試合・ミニゲーム」をひたすらストリートでやり込む文化がある。幼少期に練習は一切やらない。ところが現在そのストリート文化が廃れつつある。そして現地の関係者の調査によると

 

*今でもストリートの文化が残る郊外地域からスーパースターが生まれている

*ストリートがスクールに変わった都心地域からはあまりスターが生まれていない

 

という事が判明したという。

 

 

これはまさしくアルベルト・プッチ氏の話にピタリと重なっている。ブラジルにおいてスター選手はスクールからではなくストリートから生まれているという事実はプッチ氏が語る「技術を教える事は出来るが、それを自然な形で身につけた子には敵わない」という言葉と完全に共鳴する。

 

それはストリートで行うミニゲーム自体があらゆるものを含むトレーニングである事もさりながら、それが子供にとって一番楽しく、一番夢中になれるものであり、その中に子供独自の工夫をする「余白」があるものだからだ、というのがパパの考え方なんだよね。夢中になる力に敵うものはない、パパはそう思うのだ(プッチさんも似たような事を書いている)。

 

例えばサッカーを始めたばかりの子にドリブルから教えるか?パスから教えるか?という良くある命題があるが、ミニゲーム派(ストリート派)にはその命題自体あまり意味がないんだよね。ゲームの中でパスしたけりゃすればいいし、ドリブルしたけりゃすればいい、ひたすらシュート打ちたければ打てばいいし、ディフェンスでボール奪うのが大好きならひたすらボール奪えば良い。それだけの事だからね。

 

この命題についてはいつかもっと詳しくパパの考えを書きたいと思っているが(いろんな側面があるからね)、でも基本はここ。ミニゲームとはすなわち余白なのだ。○○を練習しなさい、じゃないんだよ。まずサッカーを好きなように思う存分楽しめよって事なんだよね。

 

ゴールを多く決めた方が勝ち、それだけ。そこで何をどう工夫するのかはなるべく子供達に委ねる。自分で思う存分チャレンジするからこそ楽しい。そして思う存分自分の意思でチャレンジしたら、上手くいかない事も楽しいんだよ。

 

むしろ上手くいかないからこそ面白い。そこで自ら工夫するから心底楽しいのだ。南米では幼少期の子供に技術を教えるような事はしない。だからと言って彼らが練習してないわけじゃないよね。ストリートで目立ちたいから、ドリブルでカッコよく抜いて仲間の歓声を浴びたいから、派手なシュート決めて踊りたいから、夢中になって勝手にいろんな練習をしているのさ。

 

でもそれは彼らにとって本当に純粋な「遊び」であり、大人にこれをやりなさいと言われたものではないはずだ。ここだと思うんだよね。前回書いた、ボウズとリフティングとの付き合い方でも同じだ。

 

 

 

 

子供達の自由さ、すなわち「余白」こそが全てのモチベーションの故郷だ。まずたっぷりのミニゲームでサッカーが上手くなる、大好きになる、もっと上手くなりたいと心から思うようになる、勝手に練習し始める、、、

 

そこから(プッチ氏によれば10才辺りから)本格的な育成が始まる。これが南米流であり、長年バルサ・カンテラの育成責任者であったアルベルト・プッチ氏の理想とする育ち方でもある。実に良く子供の自然な成長段階を踏まえた仕組みだと思うんだよね。

 

ただし!

 

以前も書いた通りだ。ストリート流だけが正解なんてあり得ない。今後南米からも「幼少期から細かく教えるスタイル」やいわゆる「スクール」からも天才が生まれてくるだろう。何故なら「教える技術」も進化するからね。そうしたスタイルも必ず進化して結果を出すようになるのは間違いないだろう。

 

しかしパパがこのモチベーション・シリーズでずっと書いているのは技術戦術うんぬんよりも「子供の心を中心に考えよう」という話なんだよね。将来の成功うんぬんですらない。今!ここで!より子供達が子供達らしく、伸び伸びと思う存分サッカーを楽しむにはどうするべきか?という事をパパは考えているのだ。

 

でもそこを深く考えて行くと、結局ストリート流に辿りつく。細かく教え込むスタイルがどんなに進化しても、恐らく「幼少期はなるべく教え込まないストリート流」も生き残り続ける事になるのではないか。これはパパの未来の予測だね。

 

そして少なくともパパが少年団で教えた(教えなかった)子供達に関して言えば、ストリート流は間違いなく機能したと思う。ただし技術練習をまったくやらなかったわけじゃないよ、当たり前だよ(笑)。パパは技術に関しても、その教え方に関してもそれなりにこだわりがある方だ。今回書いていないだけ。

 

ただ技術練習よりも圧倒的にミニゲームと1対1が多かったのは間違いない。そうして育った弱小少年団の16人の中から下記の結果が出た。

 

*三菱養和合格者2名

*世田谷区トレセン1次合格者2名

*メトロポリタンリーグ海外遠征候補者選出1名

*卒団後すぐ中学部活トレセン合格者1名

 

上記は全て別の子供たちだ。つまり16名中6名が何らかのセレクションに合格している。そして三菱養和合格2名以外の子は少年団の活動のみでスクールすら行っていない。更にこの中で高校卒業後もまだプロを目指している子がボウズ含めて3名いる。そのうち1名は全国大会にスタメン出場し関東1部に推薦入学だ(ちなみに養和ではなくパパの元で6年まで少年団に居た子だ)。

 

しかもパパが指導するようになって、、、逆に言えば指導せずにミニゲームを沢山やらせるようになって、Bチームの子達はAチームの子達(上記レベル)にグイグイ迫って行った。パパのやった事はミニゲームを沢山やらせる事をベースに、他にもあらゆる「子供たちが夢中になる作戦」を遂行したその結果だ。

 

*夢中になる力=モチベーションのベース

*これを育む為に最も大切なものが「余白」である

 

これがパパ独自の考えだ。そしてこの「余白論」は当然サッカーのみならず育児全般、当然受験などにも当てはまるとパパは考えている。

 

続く