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大器は早成し、小器は晩成する

50代で仲間と一緒に飲食業を起業、煩悩即菩提的なブログ

先週の土曜日に「総合診療医ドクターG」の再放送を見ました。


深夜にチャンネルをあちこち見ていて偶然見ることができました。ハイビジョンで放送していたそうですが、番組自体を全く知りませんでした。


病気を診断することの困難さを見ることも楽しかったのですが、私には本来はこうした思索の方法は、政治にも経済にも社会にも生かされるべきだと思われました。


今は、何か問題があった時に、最良の答えにたどりつけないのは、無能であるとすぐに判断してしまいます。


答えはいくつでもあるかもしれない、どれが正しかったかが分かるのは10年後かもしれない、加味されていない条件により正解が変わる、など世の中には最良の答えがすぐ見つからないことも多くあります。


こないだ、尖閣列島の問題か何かで、菅首相が「5年後に私の判断が適切だったと評価される」といっていました。それが、逃げ口上なのか、本当なのかは5年経たないと分かりません。

さっきTVを見ていての感想。


最近製造業の空洞化が言われ、また、中小の製造業の技術を維持するための保護政策を望む声が高まっています。というか、業績が悪くて食っていけないので自分たちを助けろという中小企業の方々です。


そうしたことに与する「中小の販売会社」というのは聞いたことがありません。なぜなら、販売会社を経営する人たちは、「ものが売れてなんぼ」ということが分かっていますので、売れなくて業績が悪いのを人のせいにはしないのです。「製造系中小企業の方々」は作ってなんぼと思っていらっしゃるようです。


ものの価値は市場が付けるのは資本主義では当たり前ですが、「製造系中小企業の方々」のなかには、自分たちが作るものは価値があると勝手に決めている人が多いということです。


画家が絵を描いて、俺の立派な絵だから国が買い取るべきというのと何が違うのですか。


百歩譲って、製造系中小企業が本当に価値があり、国が保護するに値するとしても、どのような基準で対象者を選べばいいのでしょうか。


事業年数、納入実績、社員の技術レベル(資格ですか)などかどうかは分かりませんが、国に保護を要求するのであれば、基準ぐらい作ってプレゼンして欲しいものです。


TVはショーですから、面白可笑しければいいので、テーマとして取り上げますが、何も残らない時間の無駄番組になります。彼らは視聴率が稼げればいいだけで、真剣に打開策を探っているわけではありません。


ご出演の中小企業のオーナーさん、お疲れさまでした。私が取引先なら、そんな番組に出演して経営能力にないことを自ら暴露しているオーナーの会社とは二度と取引しません。

今年の6月から、住んでいるマンションの管理組合の理事を務めています。任期は1年です。


先ごろ、住民アンケートを実施しました。

設問にもよるでしょうが、住民からの回答には、改善要望・クレーム・不満などが多く書かれています。


これを読んでいますと、実態(本当のこと)とは関係なく、なんて住みにくいマンションだろうと思ってしまいます。

だから、理事のみんなに言いました。「今度アンケートを行うときは、良いことを、幸せに感じたことを書いてもらいましょう」


今の日本も同じじゃないでしょうか。


諸外国に比べ、日本人は不幸せだと感じている人が多いそうですが、これだけマスコミ初めいろんなところ・場面で悲観的な話ばかりされていては、みんなそう思うのは当然ですね。


私の飲食店に来てくださるお客様の多くが、商品を受け取るときに、「ありがとう」の声をくださる話は前に書きましたが、何か実態とかけ離れている気がするのです。




裁判員裁判で、裁判員に負担をかけさせるのはどうかとの議論があります。特に死刑判決での裁判員の苦悩は計り知れないと。専門家の裁判官が負担すべきとの意見もあります。


私は、裁判員裁判が取り入れられたのは次のような世情が背景にあると思っています。


近年、日本の判決は、被害者遺族の意見を尊重するとともに、国民の意向を無視できず、重罰化に向かって突き進んでいます。特に、死刑判決を求める声に、裁判官が抗しきれなくなっていました。


司法の専門家の裁判官が下しうる判決への不満が高まり、このままでは裁判官・裁判制度そのものへの信頼がなくなる恐れが出てきました。

といっても、専門家が近代以前の報復のような判決を下すわけにもいきません。


それで、国民が重罰化を望むのであれば、その裁判の一端の責任を負ってもらおうという制度として裁判員裁判は始まりました。


というふうに、私は思っています。


中世ヨーロッパや日本の公開処刑が、大衆の絶大な支持を得て行われていたように、今の日本でも死刑判決が国民の喝さいを浴びています。


裁判制度が国家・社会を維持するための装置だとしたら、今の日本社会そのものが、欧米諸国とは少し違った方向に向かっていると考えるべきなのかもしれません。


または、もともとの日本社会は違っていて、近代化の過程で外形だけを取り入れてきただけでので、このごろ本音が出てきたのかな。


日本が近代化ではっしょってきた「経験の部分」が問われていると思います。

北朝鮮の軍事行動に、韓国・日本政府は対応が遅いとかぬるいとか言われています。


マスコミや識者は、うまい対応ができるかのように喧伝し、国民は不満を募らせています。


でも、歴史を知っていれば、北朝鮮のような国は扱いが難しく、そのわがままを止めることは至難の業だと分かります。


ナチスドイツとの融和を目指したミュンヘン会議、その後のチェコ侵略・オーストリア併合。日本の満州国樹立、中国侵略、仏印進駐。連合国は、枢軸国がどこかで踏みとどまることを期待して、強硬な態度(武力)をとることはありませんでした。


韓国大統領の苦悩は、自分の決断でソウルの街を火の海にするかもしれないということにあります。北朝鮮は、ここまでで踏みとどまってくれるかもしれないのに、反撃により戦火を拡大するリスクは容易にとれるものではありません。


日本の場合は、大した危機でもないのに、騒ぎ立てているだけです。北朝鮮をやっつけろというのは自由ですが、実際に被害を受けるのは韓国ですから、韓国から見れば「騒がないで、静かに支援してください」とお願いしたいところだと思います。