大器は早成し、小器は晩成する -44ページ目

大器は早成し、小器は晩成する

50代で仲間と一緒に飲食業を起業、煩悩即菩提的なブログ

自民党の石原さんは、原発を止めたくないので、おもわずヒステリーなどと口走ってしまったと思います。

彼は、経団連・電力会社・原発立地自治体・自民党・日本経済新聞などの組織団体の代弁をしただけです。


今回の原発事故を受けて、今後の原発政策を論理的に考えると以下のようになります。


1、想定外の地震・津波が発生して福島原発の事故が起こった。

2、発生した以上、想定外と言い続けることはできない。

3、今回の震災と同規模の地震・津波に耐えうる、新たな安全基準を策定する。

4、新たな安全基準の策定を待たず、各電力会社は独自に耐震・対津波対策を強化する。


この考え方をそのまま原発政策に適応する次のようになります。

 ◎ 今までの安全基準に基づいて稼働している原発は全て危険であるので停止する。新たな基準を満たした原発のみ稼働を認める。


ところが、現状は、

 ◎ 稼働中の原発のうち、浜岡のみ危険であるととして停止した。その他は電力需要の面から稼働を止めることは困難である。但し、点検中の原発および今後点検のため停止する原発の再稼働は自治体が許可しない。自治体は再稼働したいが、名分(安全であるという合理的な理由)がないので困っている。


石原さんたちの立場は、

 ◎ このまま電力供給が減っていくと、企業活動に影響を与え、工場の海外進出を加速することになって、国内の雇用が減少する。日本経済が衰退する。


今まで安全基準を見直す場合は、現状でも安全であるが、さらに条件を厳しくして策定し直したという論理でした。しかし、今回の基準の改定は、現状の基準で事故が起こったのですから、現状が危険という認識に立たざるをえません。または、福島原発のみが現状の安全基準を満たしていなかったとすることも可能ですが。


そうすると、今後の原発政策はだいたい次の2つぐらいになります。


1、今回または今回以上の震災を想定した場合、経済的合理性のある原発を稼働させることは困難であるので、原発は全面的に廃止する。

2、地域の特殊性も加味した新たな安全基準を作り、それを満たしていない原発は廃止する。


菅政権は、2の立場を取っていると考えられます。

とすると、現在稼働している原発も点検中の原発も、安全であるとは言っていないということになります。


じゃあ、なぜ原発は稼働しているのかといえば、安全とは関係なく経済上の理由からです。


だから、みんなではっきり言えば良いのです。原発は危険かもしれないが、日本が生きていくためにしょうがないので稼働させていると。


そういったとき、原発の危険と当面の経済的理由とどちらを優先するのかという議論が始まります。


僕は、日本における製品や部品の大量生産は、電力の問題だけでなく限界をむかえているので、海外に出ていくものは仕方ないのでは思います。


日本経済新聞は、被災地の復興について革命的な思考の転換を求めていますが、日本における生産ということでは全く既存の考え方らか脱しえていません。石橋湛山の小日本主義のような、新小日本主義が求められていると思います。


東日本大震災から3箇月、被災地の復興について、地元でも意見の対立があるようです。


メディアは、首相の強烈なリーダーシップが必要だなどと、能天気なことを言っています。


そもそも、今の日本人(昔からそうかもしれませんが)には、社会のために自らの意見に最終的には拘らないという美徳が全くないように感じます。


北方領土、米軍基地、原発立地など、社会全体の利益など関係なく、自らに何らかの補償がない限り自説を引っ込めることがありません。


これは、国会にも言えますが、社会全体の利益のためにはどのように運営されるのが一番いいかという視点がありません。


企業は三審までやらないと株主に訴えられるという。裁判をやれば、政府でさえも最高裁まで争う。諫早湾で菅さんが2審の判決を受け入れると、参院議長様が地元の利益代表として横暴な振る舞いをします。

先日、NHK教育テレビで「暗黒のかなたの光明~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~」を見ました。


日本人の心性を現わしていたと共感できました。


サプライチェーンが断裂した日本の産業をすぐにでも再建しないと、またそのためには豊富な電力を供給し続けないと世界から取り残されることになると、経済団体や経済紙は騒いでいますが、そうしたことの延長には日本の未来はないだろうと、感じられました。


菅首相が、原発を続けるのか辞めるのかはっきりしていないことも、政権批判の対象になっていますが、今後誰が政権を担うことになっても、原発は漸減縮小せざるをえないことは明白です。


これまで自然災害については、忘れるのかどうかは別にして、また始めればいいやと考えてきた日本人ですが、今回の大震災はでは、作り直しができないこともあることを思い知りました。


原発反対運動などは必要ではありません。日本で新しく原発を作ることなど、誰も考えないでしょう。原発事故が記憶から消されない限りは。



今日の日経で、民主党の政権の危うさについて書いている記事(コラム)がありました。


なかで、民主党政権の首脳陣に組織を運用した経験がないのが、行政組織をコントロールできない原因だと書いてありました。 市民運動家、弁護士、松下政経塾が駄目だそうです。へー。じゃ、なんなら向いているんですかね。


皇室と縁のあるほどの財閥の跡取り、政治家一族のプリンス(二世、三世、四世)、キャリア官僚、地方政治家、労組出身者、宗教団体、記者。どんな人がリーダーに相応しいのか言って欲しいものです。 関係ないでしょう。政治家になって10年・20年経っている人を出自によって適正があるとかないとか。こんなことを書いている、大新聞の記者は絶対にリーダーになってはいけないと思います。


株が上がってから、上がった理屈を言うのが経済史の記者の常道だとすれば、失敗しているとされる政権の原因を出自に求めるのは、職業病のようなものですね。 政治家から、弁護士と松下政経塾と市民運動家を引いたら、さぞかし立派な政治家が残るんでしょうね。あ、ついでに、TV記者とキャスターとタレントと新聞記者も除かなきゃね。

復興が遅いと、毎日毎日、菅首相の批判のオンパレードです。


また、その批判が菅さんの手法、知識、性格に関するものばかりです。


先ほどもワイドショーを見ていましたら、


被災地はがれきの山→地元の自治体では手に負えない→政府がやるべきだ→放っている菅さんが悪い


でも、ジャーナリズムであれば、「地元の自治体が手に負えない」から「菅さんが悪い」までの間を取材して、何が問題なのかを明らかにすべきだと思うのですが。


ジャーナリストなら、その理由を知りたいのでは、と思うのですが。


まあ、記者会見で首相になぜ辞めないんですかというような質問をするのが仕事だと思っている馬鹿な記者がいても、誰も非難しないのがメディアの世界ですから、立派な記者が育つはずはありません。


目標を示せば、パフォーマンスだと嘲笑され、

現地に行けば、そんなことよりトップとして指揮するのが仕事だと言われ、歓迎されない、

存在自体が邪魔だといわれ、

辞めればたぶん敵前逃亡だと罵られる、


ディベートをやっているみたいですね。でも、ディベートだと、賛否両方がいますよね。片方しかいないディベートだから自分の身は守られているし、勝つに決まっています。


僕が、世の中の流れに、あえて疑問を持とうと思うようになったのは、「イエスの方舟事件」からです。サンデー毎日の取材を知って、記者はなぜそのような視点を持てたのかと唖然としました。


また、黒田清さんが生きていたら、現状についてどんな意見を述べられただろうとも思います。

失礼ですが、大谷昭宏氏は力不足というか、ちょっと違うというか、長くやりすぎということですかね。


大新聞・TVの記者およびOBの方々は、テレビ・ラジオでいろいろおっしゃっていますが、長年政治の世界は見てきたけれども、世の中のことはちっとも見なかったみたいですね。

また、結論ありきで事象を牽強付会して一刀両断にする感じで、事実から何かを読み取るという姿勢が全くありません。


今回のような大震災は日本人の誰もが経験したことが無いのですから、事実・事象から学ぶ以外に方法はないと思いのですが。


歴史に学ぶのも大切ですが、これは自説の根拠として使いがちですので気をつけなければいけません。

関東大震災の後藤新平の事例はみんなが都合よく使っているような感じですね。


昨日のラジオでは、佐藤優氏が、太平洋戦争時の小磯国昭首相を持ち出して、東条英機から変わっても戦局の転換は図れず多くも国民を死に追いやったという話をしていました。だから、首相を変えてもかえってよくないと。


太平洋戦争と大震災、誰かがやれば状況が好転するのか、同じように言えるのか、よくわかりません。


もっとも、今の記者さんは、池上彰さんのTVを見て知ったつもりになっている視聴者レベルですから、歴史の扱いについて心配する必要はありませんが。