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大器は早成し、小器は晩成する

50代で仲間と一緒に飲食業を起業、煩悩即菩提的なブログ

ちょっと前に、吉村明「落日の宴」を読みました。

随分前に買ったのですが、積んどくで書棚にたな晒しになっていました。

落日の宴―勘定奉行川路聖謨/吉村 昭

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歴史書ではありませんでしたが、勘定奉行としてプチャーチンと北方領土の画定の協議するに際しての、彼の置かれている立場が良くわかりました。

有能な幕府官僚として期待されてはいるが、幕府首脳から与えられた権限は限定的であり、結果によっては責任を問われるということです。

でも、現在の北方領土に関する日露交渉に関する、日本側当事者(外相、外務省首脳)の権限・立場に比べると遥かに自由度があったような気もします。

幕末においては、筆頭老中がOKを出せばよかったのですが、今の日本では、交渉責任者の一挙手一投足に、国民・マスコミ・旧島民関係者の批判があり、首相といえども責任を持って最終決定を下す体制にはありません。

竹島、尖閣列島など領土問題だけでなく、拉致、TPP、普天間など、交渉当事者には何の権限もないように見えます。そのくせ、強いリーダーシップを発揮しろと言います。

難しい時代です。


何日か前、NHKラジオで被災地の少年サッカーの活動を伝えていました。


そのなかで、「親や家を失った子供たち」という表現がありました。


ちょっと違和感がありました。

親と家は同列なのかな、一緒にしていいのかなと。

字数は多くなりますが、「親をなくしたり、家を失った子供たち」と言えないのかなと。


先日、言葉の使い方について、文化庁が誤用「姑息など」を発表していましたが、言葉の意味は時代の変遷により変わってい行くので仕方ないことです。


もしかしたら、親(肉親)と家(財産)が「子供が生活する上でなくては困るもの」として、同じような存在になっていくのでしょうか。

先日、社員がゴルフをやってみたいと言うので、仕事が終わったあと一緒に練習場に行きました。


手とり足とり教えること2時間、なかなか良いボール(まぐれあたり)が出ません。彼も熱心にやるのですが、とうとう最後まで会心の当たりが出ませんでした。


250球ぐらい打って、そのうち僕は40球ぐらいしか打てませんでした。


終わった後、彼を最寄り駅に下ろして、自宅に帰る途中の車で、30年ほど前に当時の会社の上司に初めて練習場に連れて行ってもらったことを思い出しました。


当時は会社帰りに、同僚社員数名と一緒に近くの芝ゴルフ練習場に時々連れて行ってもらいました。

教える方も教わる方も熱心でした。


多少打てるようになると、部署で10数名が参加するコンペを定期的(半年に1回)に行うようになりました。

初心者は、クラブを数本持って走るのが当然と、厳しく教えてもらいました。


こんな感じで、僕らが若い時はゴルフをするようになったわけです。

多くの会社でも同じように行われていたと思います。


今は、会社で上司が部下を飲みに誘うのも憚れる時代です。

まして、ゴルフなど、一人前に育つのに、根気と努力が必要ですので、会社で教え教わる慣習がなくなりつつあるのは当然です。


僕は、彼が熱心にやるのであれば、手間がかかっても面倒をみるつもりです。ゴルフへの恩返しですかね。


これまで、ゴルファーを育てることについてゴルフ愛好家(会社の上司など)に依存してきたわけですが、それが期待できない今、ゴルフ業界(ゴルフ用品メーカーとゴルフ場など)の取り組み姿勢はとても本気とは思えません。


これから、人生の晩年を迎える僕にとっては、ゴルフ人口が少なくなる方が、料金や時間の面でゴルフがし易いので歓迎ですが、ゴルフ場で周りを見回したら、年寄りばかりというのも寂しいものです。

日進市の一部市民の意見に従った福島産花火回避の決定は、余りに馬鹿げていて議論する価値もありません。


ところが、新聞を読んでも、識者がどうの、一般の人の反応がどうのと、間接的に、日進市の決定に非を鳴らすだけです。


そんなに、わがままな消費者が大切なんですかね。

風向きが、はっきりしない段階で、意見を言うのが怖いのかな。


昔、桐生悠々が信濃毎日新聞の社説で、防空演習を嗤うを書いた時には、陸軍から購読拒否を突き付けられて、辞表しました。


京都の大文字焼き、福岡の福島産フェアーの中止、今回の花火回避、福島・東北を避けようとする行為に対して、メディアが態度を鮮明にしないのは驚き以外の何物でもありません。


何のためにジャーナリストになったの。


朝日新聞は、首相のぶら下がり取材の復活を飯島氏の意見を借りて書いていました。ぶら下がりが無いと新人記者が育たないの。日進市に派遣して、記事を書かせた方が余程、記者のためにも新聞のためにもなるんじゃないでしょうか。


松下政経塾出身の野田首相に対し、PHP研究所の社長だったみんなの党の参議院議員が代表質問をした記事が新聞に載っていました。


この議員氏は、野田さんが政経塾を受験した時の面接官だったとのことですが、質問の内容は陳腐なものでした。幸之助氏の言葉を取り上げ増税に反対する内容で、野田さんが政経塾の卒業生として、幸之助氏の精神を受け継いでいないと批判したようです。


僕は、大学卒業後、松下電器の地域販売会社に就職、幸之助氏の話をよく見聞きしました。


幸之助氏の実績で良く話に出るのが事業部制の導入と成功ですが、その後、パナソニックは子会社・事業部を再編、電工を合併するなど、時代に合わせて苦悩しながら組織の改編をしています。

これを見て幸之助氏が、事業部制云々というでしょうか。


また、幸之助氏が生きていたら、この時代に政治・経済において最適の示唆をしてもらえたことは間違いありませんが、その示唆の内容は、生前の発言と同じとは限らないと思われます。


野田さんが政経塾卒業後、政治の世界で、今も幸之助氏の考え方を基本に取り組んでいるとしたら、生前の幸之助氏の発言と違ったことを行うのは当然だと思われます。


この議員氏は、出版界(PHP研究所は出版事業が主体)にいて、議員として政治の経験は2年余です。その方が、20年来、幸之助氏の精神で政治に取り組んできた野田氏を、幸之助氏の精神に反しているというのは、僭越ではありませんか。それこそ、幸之助氏の精神に反するのではありませんか。