大器は早成し、小器は晩成する -37ページ目

大器は早成し、小器は晩成する

50代で仲間と一緒に飲食業を起業、煩悩即菩提的なブログ

トレーニングを再開して約3箇月、フィットネスクラブにいて気付いたことを書きます。


ウエートトレーニングをやっている人を見ていますと、マシン・フリーウエートに関わらず、汗をかいている人をほとんど見かけないことです。


負荷が少ないか、回数が少ないのか、インターバルが長すぎるのか、3っつともなのか。


それに比べて、私は汗だくです。息も上がります。

負荷も回数も少ない方ですが、出来るだけインターバルを短くするようにしています。


体に何らかの負荷をかけるから、細胞が活性化するのだと思いますが。


クラブに入会するとき、スタッフからガイダンスで説明は受けているんでしょうが、そのあとトレーニングにどうのぞむかは、個人の意志です。


フィットネスクラブの良いところは、みんながやっているので、それにつられて自分も取り組めるというところにあります。

ところが、まわりを見ていても、ちっともよい手本がありません。


ウェアが汗でぬれていたり、息が上がって喘いでいるのは、かっこ悪いことなのかな。





日本ゴルフツアー機構(JGTO)は、トーシンの社長に石川遼の欠場を非難されたのを受け、同一トーナメントの連続欠場に対し罰則を強化するとの考えを表明しました。


JGTOの小泉直会長は「スポンサーあってのツアー」と言いますが、ここ数年の日本ツアーは石川遼の献身的な努力によって支えられてきたのが実態です。

石川遼の出現という、全くの僥倖があって、生き延びてきたわけです。


日本のゴルフファンは、日本ツアーでの活躍を目の当たりにしたいという思いもありますが、世界的プレーヤーになって欲しいとより強く望んでいます。


過密な日程が彼の成長を阻害しているのでは、日本ツアーへの貢献があだとなっているのではと考える人もいるのではないでしょうか。


ジャンボ尾崎の時代とは異なり、世界と伍して戦えるヒーローが望まれています。彼が世界で勝てるようにならなければ、日本での神通力も失われてしまいます。


「スポンサーあってのツアー」ですが、そのぐらいのことはスポンサーも分かるんじゃないですか。


問題は、石川遼以外に、青木功、丸山茂樹、今田竜二に続く、世界への挑戦者がいないことです。

世界と戦うという野望のない選手ばかりのトーナメントに誰が魅力を感じますか。


相手の立場に立っていないとか、言い方や態度がけしからんとかで、相手を非難して貶める過激な言葉づかいになり、冷静で論理的な議論がおこなわれない社会になっているようです。ずーと、そうなのかもしれません。


メディアも、一部の人(もしかしたら多くの人かも)の感情的な言葉を戒めるどころか、自らも決め付けに基づく発言や記事を書くことが多くなりました。昔からかもしれません。


尖閣事件では菅さんに対して国賊とか、東日本大震災の復興では菅さんに棄民政策とか、右翼が街宣車で言うような表現を、メディアや国民が使っています。


そんな日本ですから、頭を垂れる稲穂ではないですが、やたら低姿勢の人間ばかり評価され人気があるようです。


議論する相手に要求するのが、容姿風貌>低姿勢>言葉づかい(あいまいな表現)>事前の根回し>正しい論理、というのですから、いつまで経っても正しい論理に基づく議論に行きつきません。


たとえば、中間処理施設を福島県に作ると言った菅さんが知事から大非難を浴びました。


これなど、知事に事前に根回しがなかったのことで怒りを呼んだようです。知事にしてみれば、事前に話があって、何か条件を引き出しつつも、自らは追い込まれて仕方なく合意する、というような筋書きを求めているのでしょうか。


この程度のこと(復興全体からみれば一部のことですが、政府首脳が言えば辞任に追い込まれる表現)でも、相当の根回しの時間を要するのですから、復興計画など出来るはずもありません。


もう止めませんか、変な合意形成のやり方。



記者に放射能を付けたという発言で鉢呂氏が経産大臣を辞任しました。

鉢呂氏に大臣の資質があるかどうかは知りませんし、もともと日本の大臣は資質があるから登用されているわけでもありません。


そんなことより、公の場所でない数人の記者が取り囲んでいたなかでの発言がなぜ問題になるのかわかりません。


この問題を提起(記事に)した、記者は、どういう状況での発言なのかを明らかにして欲しいと思います。大臣の国民等に向けられた発言であれば、俎上に乗せるのは当然ですが、記者との私的なやり取りはオフレコと考えるのが一般的ではないですか。


タブロイド紙並み(夕刊フジ、日刊ゲンダイ、東京スポーツ)の記事の書き方を、いつから一般誌もするようになったのでしょうか。


もうひとつ。「死の町」発言も糾弾されて、鉢呂氏は撤回しましたが、悲惨であるとの現状認識「死の町」があって初めて正しい対応が行えるのではないですか。


被災地の自治体は、現地が如何に悲惨であるかを訴えています。それに対して、大臣が「死の町の様だ」というと、故郷を悪く言うなと追求する。


もし、鉢呂氏が、「現地は被災民の方が思いのほか頑張っておられるので、にぎやかになってました」と言ってたら、今度は、「自立が進んでいるというと支援がなくなるじゃないか」と抗議するのでしょう。


昔、火山が爆発した自治体が、深刻な被害状況に対して国からの支援を訴えたことがありました。ところが、あまり危ないと言われると観光客が来ないので安全性も強調しろとのことでした。


事実は一つです。そのときの都合によって表現を変えろと言うのは止めませんか。

野田政権は、菅さんと違い全員野球をやるそうです。


ちょうど、リトルリーグの世界選手権が8月に行われていて、テレビ中継を見る機会がありました。リトルの試合は、1試合に必ずベンチに入った全員が出場する義務があるとのことを知りました。


勝負より全員参加を優先するわけです。それがリトルのポリシー・ルールです。


民主党で全員野球が言われていますのが、それは当然政治の成果より、党内融和を優先するということになります。

ベンチに入っている控え選手が、勝負より全員出場を主張するわけですので、ある意味で仕方ないことかもしれません。

そのかわりに、控えが出てきたら立派な成績は期待できないかもしれません。


民主党には400人の国会議員がいますが全員参加なら、政府と党で主要な役職が50あるとすれば、任期を1ヶ月にして8カ月で一巡する計算になります。


どうしても大臣になりたい人(衆議院で5期、参議院で3期以上))がいるということであれば、二つぐらいどうでもいいようなポスト(消費者担当、国家公安委員長、行政刷新など)に任期1ヶ月で充てれば、1年で24人消化することができます。


企業でポストが無いので、或る程度の年齢になった人を権限なし・部下なしの課長にして処遇することが流行りましたが、今はさすがにやりません。


さして有能とも思われない人を大臣に任命することが全員野球で、地方自治体の首長にやたら低姿勢で、野党に丁寧にご説明する、官僚も持ち上げる、そして強いリーダーシップを発揮するのが、日本の立派な首相の条件だとは噴飯ものですね。