なかなかマイページに入れなくて、すっかり間が空いてしまいました。その間に、こんな大事なコメントを頂いていて、

申し訳なく思っております。

また、このブログは以前に、趣味の歌関連のことも書いていたので声楽、ブログ村から来られた方にも申し訳なく思っております。

ブログ村を退会するのが、良く分からなくて。

先に、1月二亡くなられた三輪さんに寄せたコメントを公開いたします。

この間に、読者申請などして下さった方も、これから対応させて頂きますね。

 

コメントです

三輪正道さん。偶然、古書店で手にした酒中記』を読んで、心惹かれる人のひとりとなりました。私も中野重治が好きだったからです。以来、目に触れるたびに著書を買い求め、最後の著書となった『定年記』まで全部読みました。今、三輪さんの本、5冊が私の枕元に積まれています。毎晩、ランダムに手に取ってひらいた頁のエッセイを拾い読みするのが私の密かな楽しみになっています。三輪さんのエッセイから、私はつげ義春の作品に通じる心の安らぎを得ているのかもしれません。仕事を休みたくなる誘惑に常に襲われますけど。関西にお住まいということで、いつかお会いしたいなと思っておりました。心よりご冥福をお祈りいたします。

川崎彰彦さんも私にとって大切な作家のひとりです。作品に親しむようになったのは、お亡くなりになってからですが、私の故郷、福岡県大牟田の詩人、働淳さんが『黄色い潜水艦』に作品を発表されていたので、川崎さんのお名前は働さんから聞いて知っていました。川崎さんの場合、
著書がなかなか入手できないので、時々ネットで検索しながら、少しずつ本を集めています。先日、初めてやってみた「メルカリ」で『短冊型の世界』が出品されているを見つけ、早速、購入しました。『くぬぎ丘雑記』は直接、宇多磁樹さんのお店に行って求めました。先日、飲み友達の
生駒にある古書店K文庫の主Yさんから、「大和通信第109号」をいただきました。来年の「夜がらす忌」には参加させていただきたいと思っています。

 

ありがとうございます。

よがらす忌には是非。ご案内いたします。

 

 

すっかり間が空いてしましました。

 

4月8日(日)「三輪正道さんを語る会」が大阪上本町の、ホテルアウイーナで開かれました。

30名少しの集いでしたが、それぞれが三輪さんへの思い、生前の印象に残ったことを

語ることができました。

私も下準備や司会をお手伝いでき、哀しいけれど心の整理をつけることができました。

 

4月14日(土)

川崎彰彦を偲ぶ「夜がらす忌」が無事に終わりました。

例年どおりお墓参りと、郡山城址でのお花見でした。

といっても、すっかり花も散って葉桜でしたが。

 

1月12日の訃報以来、いろんなことがあって、精神的にもかなり疲れていたのですが、

この二つの行事が終わって、ほっとしたのか、しつこい風邪を引いています。

 

でも文学学校も始まり、至らないにせよチューターとしてのお仕事もあります。

「黄色い潜水艦」の締め切りに向けて作品を書く、もう少し読書の時間を増やす。

などしていきたいと思っています。

久しぶりのブログが、哀しいお知らせとなり、残念です。

黄色い潜水艦の同人で、31号がらながく一緒に編集をしてきた三輪正道さんが亡くなりました。

私もまだ、ショックが大きくて、信じられず、また会えそうな気がして仕方ないのです。

 

昨年の12月の初めに胃癌を宣告され、いきなり余命一年と言われたそうです。

それでも、なんとか残りの時間に物書きとしての使命を果たそうと闘病していらしたのですが、本当にあっけなく

先に逝ってしまわれました。

今年1月12日のことです。

大好きな神戸で家族に見守られて。葬儀は終生愛した福井の鯖江で営まれました。

突然のことで、「黄色い潜水艦」の同人たちも、関西の文学関係の方たちも多くは葬儀には参列できませんでした。

いずれ「偲ぶ会」なども行いたいと思っております。

 

同じ年だったし、30代からのつきあいで、編集で意見が合わず喧嘩したこともあったけれど、

たくさん、たくさん、助けてもらいました。善良で心優しい方でした。

出会えて良かった!

先に逝ったのは許せないけれど、ありがとうございました!

ご冥福をお祈り致します。心より。

 

 

潜水艦66号 目次

 

小説・エッセイ                             

美容室グロッタ                       島田勢津子

雨があがるまでⅡ                      本 千加子

しまなみ還暦走行記                     天見 三郎

<上棟・平成元年五月吉日>の頃                三輪 正道  

夢の残り・ウサギ                      天野 律子

夜がらす忌と「同人誌大好き!川崎彰彦と富士正晴       島田勢津子

 

またまた、ご報告が遅れました。

66号も無事に発行されました。7月まで茨木市の図書館にある「富士正晴記念館」で

川崎彰彦の展示があり、その報告も載せています。

9月現在、島田の作品を同人誌評2か所に採りあげて頂きました。

編集をしていると、なかなか採りあげてもらいにくいです。

同人誌評も減った今、大変うれしく励みになりました。

前号では天見三郎の作が採りあげられました。

新同人も入ってきています。川崎さんの流れをくんで枠組みのあまりない雑誌です。

エッセイや映画評なども歓迎します。

会員にはどなたでもすぐなれますので、ご参加をお待ちしています。

 

 

5月末締め切りの作品に、なかなか取り掛かれない。

 

これというネタが出て来ない。ネタというのは変だけど。アンテナに引っかかってくる人、モノ、いろいろ。今回は書けないか、としばし悩んでいます。でも昨夜このブログを読み返してここ数年は、いつもそうだったと気付く。一か月前。なんとかなるか?

 

今日は、明日の教室のために、生徒さんたちの作品を読んでいる。二度目。

 

最近になって、気づいたこと。小説の文も作者を表すということ。

内容がどうということでなく、雰囲気、感じ方、作品世界が、その人であると。

抽象的に見える「画」にしても「歌」にしても「演技」にしても。

 

かつては、書くことがあまりに直接に自分を出しているのが、辛かった。

小説として創っても、読む人は、どこかに作者の影を捜すし、すべて事実と思う人もいるし。

そういうことが嫌で、画か、歌かーーーと思っていた時期があった。

でも、すべて一緒だと、今頃になって、わかる。

恥ずかしい、などどいうなら、表現などしないほうが良い。

 

歌にしてもそうで、自分が歌いたい歌、曲を、自分の思うような表現で、声で、歌う以上、

そこには必ず、その人が現れているのだ。

そして、この人は何故、こう書いているのだろうと思う時、技術的なことは置いて、作者が表したい世界に向けて、書いているからと思える。

 

あれこれ、気が散るけど、もう少しで仕事を終わらせて、珈琲タイムにしよう。

4/15日。今年も、川崎彰彦を偲ぶ、夜がらす忌が、開かれました。

 

今年は、お墓参りのあと、郡山城でお花見になりました。

 

お濠沿いの桜がとてもきれいでした。

これ、私ではありません。

 

例年のように川崎さんの作に触れて、トークというのがなくて、寂しいような。でも気楽なような。私は、数年ぶりにお花見だけを楽しみました。

でもやはり、飲み過ぎた人の言葉が心に刺さっていたり。酔えないのは損ですね。

川崎さんが亡くなって7年過ぎた。いろんな変化がありました。

川崎さんに守ってもらっていたことを実感しています。感謝です。

 

今頃か? と言われそうですが、無事に発行されました。

2月には合評も終え、また次号に向けての日々になります。

 

小説

空池                 天見 三郎

縁切り寺               島田勢津子

雨があがるまで            本 千加子

酔芙蓉が酔うまでに          天野 律子 

雑記・エッセイ 

猫の領分               大江 耀子

丹波・但馬の故地行          三輪正道 

いぬまち(二)            宮川芙美子

連載

不用意な少年伝(三十)         広岡 一

〈川崎彰彦メモリー〉

函館幻燈記 (十五)           川崎彰彦

 

で、今号で川崎さんの作の再録は終えました。

実人生では、誰でも理不尽な目にあったり、踏んだり蹴ったりという時もありますよね。

地味な物書きの仕事だけど、それをネタにして、更に昇華できるときもある。

そこだけは、美味しい部分です。ここ数年、書いてもあまり達成感がないけど、相変わらず、一から始めないといけなくて、苦しいけれど、たまにはいいこともあります。

 

昨日、大阪文学学校のクラス、後期を終えました。

うちのクラスは音楽家、愛好家が多く、打ち上げはピアノ喫茶です。私の趣味を押し付けています。

ピアノを伴奏して下さるので、私は「うるわしのソレント」を歌いました。

ギター、ピアノとハーモニカ、などで演奏や歌を楽しみ、その後は飲み放題、食べ放題の中華へ、ここの若夫婦のことは、是非書きたいのでまた後日に。

楽しい、ひととき。でした。

文学学校にやってくる人、通り過ぎていく人、作品と合評を通して繋がり、笑ったり、怒ったりしながら共に過ぎていく時間を共有した。その熱い時間はきっとその後の創作や人生に繋がっていくと、私の経験ではそう思います。

貴重なお仕事をさせて頂いていると思っています。

 

ご無沙汰しました。

例によってID忘れのため、マイページに入れずこちらの更新は怠っておりました。

24日、クリスマスイブなのに、文学学校で「戦争詩」について考える集まりに参加してきました。文学学校は私にとって、やはりサンクチュアリです。

 

今のきな臭い政治の動きに対して、何が出来るのだろう、あるいは原発にしても。

本当に、何も危機感を持たない人たちがいます。アベでいいんだ、あれくらいでないと日本がダメになる、と思っている方たちが、いることに絶望しています。

 

しかし絶望していても仕方ないですね。

この集会では、戦時中に政府の呼びかけで、「辻詩集」という、戦意高揚のための詩集に、翼賛の詩を書いた詩人たちの詩を読みなおした。

高村光太郎ばかりでなく、小野十三郎さえ、協力した、その背景にあったものこそ、問い直すべきではないかというものです。

後で批判するのはたやすいが、庶民が鍋釜さえ提供しているときに、詩人もなにか提供しろと言われる。詩人だってカスミを食っていきているわけじゃない。隣近所から村八分にされたくない。配給の紙だってもらえなくなったら、詩も書けない。そんななかで、苦悩しながらのことであった。

私はここで退席して我が家でささやかに、イブの夜を過ごしました。

しかし、今まさにそういう時代の空気がやってこようとしていて、では我々に何ができるのかというと。ここで言葉に詰まります。

今の平和な暮らし、音楽を楽しみ、画を描き、小説を書き自由に発言して行動できる、そんなあたりまえな自由さが、奪われること。

とてつもなく大きなものに、支配されること。生きるのさえやっとという生活を余儀なくされるかもしれない。ISに脅かされている国国もそうですが。

そうならないために、正しい選択をしていかなければならないと、思います。

 

同人誌は無事出稿して、65号も発行されます。皆さまも良いお年を!

 

お久しぶりです。ふだんは歌ブログにたむろしていて、小説から遠ざかっていると、

このブログもなんか敷居が高い気がして、見るのも怖いような?

変ですが、書いている人のブログも読みたくないって感じになります。

今回も11月末の締め切りに向けて、なかなか始動できなかった。

先々週くらいにA4一枚分くらいは書いていたが、主人公のアウトラインが定まらず。

あれこれ本を読んだり、FBを覗いたりーああこれ大変な世界です。よく知らない人が「いいね」と思った写真をぜーんぶ見ることになり、目が回りました。滝汗

「お友達」だけにしても。

それにオペラ関係に絞っているため、大々的なオペラのプリマドンナのような方(外人)から「友達申請」が来たり。ポーン

あちらは繋がりと私の写真だけしか知らず、-たぶんすぐに忘れるー友達が200人くらいいたりすると、友達になる気がしないけど、断れない。宣伝ツールとして使われていますね。

あまり使い方がわかってないせいですが、受動的一方的なところが合わないかも。私はオペラ情報のみ、FBやっているリアルな友人との交流のみで使いたいです。

 

話がずれましたが、もんもんとしたあげくようやく書き始めました。ニコニコ

主人公の背景も決まったし、あとは書き続けるのみ。

まだ先は長いけど、かなりほっとしました。この何日か、アレルギー薬のせいもあったが寝逃げ、うつうつした状態でしたが、かなりプレッシャーを感じていたらしい。つくづく書き溜めた作があればなー、と自転車操業の我が身を反省しています。照れ

 

 

 

本日午後、近鉄上本町で 無事に合評会が開かれました。


まだ暑さの残る中、駅構内だが半分外みたいなカフエのテラス席で汗を掻きながら 


真剣に小説について語る我々。近くの席の人からはガン見されました。


席を変わる人もいて、ご迷惑だったと思います。


でも新しく同人になる人も参加して、 少し厳しめの意見も飛び交い、充実した時間。


そのあとの、ビールとお好み焼きが美味だった。


私は、久々に合評会のあとに、ほっとするだけでない充足を感じている。


川崎さんが亡くなったあとのいろんな変化、辞めていく人や批判的な意見。


わかり合えていたはずの


仲間たちのすれ違い、そうしたことが、一区切りついたからだろう。


たとえ、小さな場でも、数人の集まりでも、自分たちの書くものは身を削ったものだし、


自信をもって、誇りを持って書き続ける。雑誌も発行し続けよう。


やはり新人参加は励みになりますね。合格