A View of dogbutt -4ページ目
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おいおい、アディダスさん大丈夫?

ユーザーの視点に立って考えないとこんなひどいことになりますよ、というお手本。
アディダスの<アディダスランニング共和国>

これからはクリスピンの時代

いつも読んでる<Agency Spy>さんで知ったのが、<クリスピン>が<マイクロソフト>のアカウントを獲得というビッグニュース。
<クリスピン>こと クリスピン・ポーター・ボグスキー/Crispin Porter Bogusky は、いま一番勢いに乗ってるエージェンシーで、すごい打率ですごい作品を連発しまくってる。
広告業界の人ならたぶん知ってるはず。

「<ワッパー>が販売中止になりましたよ」というどっきりを仕掛け、お客さんがリアルに嘆き悲しみブチ切れる姿を晒すことでアメリカ人の<ワッパー>への無償の愛を証明(?)してみせたバーガーキングの『Whopper Freak Out』

とか、
誰かへの怒りのメッセージをブチ切れたWhopperが代わりに伝えてくれるおバカなサイト『Angry Gram』 とか、ばからしいくだらないアイデアを、凄まじいクオリティでやりきってしまうところが本当にすごいと思う。

<マイクロソフト>といえば、言うまでもなく世界最大級の企業なわけで、
サブカルチャー的におもしろい&クオリティの高いことをやっている人たちが、
メインストリームに取り込まれて、社会の広い範囲に面白いこと、クリエイティブなことをばらまいていくのは、とてもすてきなことだと思う。
「企業は大きければ大きいほど慎重で、人と違うことをやりたがらない」というのは統計的に間違いのないテーゼだと思うけど、大企業も捨てたもんじゃないな、と思う。

<クリスピン>、一緒に仕事をしてみたいエージェンシーNo.1です。

●カンヌ・ライオンを穫った<VWジェッタ>


欲しいです、マーク・ジェイコブスのヒラリーT



これ欲しいです(笑)。
マークジェイコブスで販売中のヒラリーT($38)。
相当パンチあるね。

ビールのウェブマーケティングと、スタバの起死回生策

◆メキシコのビール<パシフィコ >のUSでのウェブプロモーション
予算がないため$15milの広告予算をウェブにすべて投入。
30のショートフィルムをウェブで公開し、TVはなし。⇒LINK
_
「ウェブに全力投球」しただけあって、メキシコ各地で撮影された30本の映像が収録され、ゲームもダウンロードできたりして、かなり作り込まれたサイトであるのは確か。スーパー8を使用してローファイな感じに仕上げた映像自体は、べつにぱっとしないけど。アメリカの大学生の好きそうな感じがびしびしと伝わってくるかも。映像版<Urban Outfitters> といったかんじ。
(と思ったら<Urban…>ってオンラインストアのみでひっそりと日本に上陸 してたんですね、びっくり。プレスリリースの「アメリカの最高峰セレクトショップ」ってのはいくらなんでも言い過ぎだと思うけど)
コンテンツを作ったのは、シアトルのクリエイティブエージェンシー<クリーチャー/Creature>
「資金的な理由でやむなく」WEBオンリーの展開にしたとのことだけど、いくらニッチとはいえビールのプロモーションがTV抜きで成立するものなんだろうか?キリン<極生> がそんなことやってたなあ。

◆USのスタバ全店がスタッフ研修のため3時間早く閉店 ⇒LINK  
アメリカではマックやダンキンの猛追撃を受け、ややピンチ気味なスタバさん。立て直しのため「バリスタの技術を向上させるため」火曜の夜に店を早く閉めて全社員研修を実施、に踏み切ったとか。
(アメリカのダンキンのコーヒーは相当うまくなったらしい、あのダンキンが!!)
アメリカのカルチャー業界やインテリ業界ではスタバは必要以上に(?)嫌われ迫害されていて、時たま何くわぬ顔でスタバのカップを持って打ち合わせに出たりすると、グローバリゼーションの手先のアホ扱いされることがあって困ります。いいじゃん別に。
以前<BRUTUS>に書いたことがあるけれど、日本ではエスプレッソやカフェラッテを一般に膾炙させた、という点ではスタバの功績はとても大きかったと思う。
全体のスタンダードが上がり、コーヒーを飲むときのオプションが増えたことは確かなわけで(「いやいや、スタバのせいで街の喫茶店がバタバタつぶれ、オプションは減ったんじゃないの」って意見もあるだろうけど)、そこから先はスタバの味が不満ならもっとうまいコーヒー屋行けばいいわけだし、コストパフォーマンスが悪いと思うならドトールやマックに行けばよろしい。
たしかにスタバがもう少しうまいコーヒーを出してくれたら、とてもハッピーなんだけど。
そういえば、日本に上陸して、あっという間に潰れてしまった<Peet's Coffee and Tea> というチェーンはとてもおいしかったのに。残念。

ギャロ、RZAとテリー・リチャードソンのこと

LVMHグループのブランド、ベルヴェデール・ウォッカのTVCMがおもしろい。
いや、CM自体は別におもしろくもなんともないんだが、狙いが。

カリスマフォトグラファー、テリー・リチャードソンが監督し、
出演もヴィンセント・ギャロ、RZAという、カルチャー好きならばたぶん気に止めてしまう、
言うまでもなくニッチ狙いの特盛りメンツ、
でも多くの人は一人もおそらく名前が分からない、特殊豪華メンツ揃えてみました、
というのがアウトライン。それだけ。



さすがテリーというべきなのか、お得意のNYダウンタウンフレイバーが存分に発揮されるんだけど、
でもやっぱり「なんでテリー?」という唐突感は残る。

種を明かすと
「ターゲットが絞れていればいるほど、そのメッセージは刺さるべき人に深く刺さる」
というのがこのキャンペーンの教えだ。
「みんなに好かれよう」と思ってつくられた表現は、
凡庸で既視感の強い、ようするに誰にも意識されない当たり障りないノイズとして、
いつの間にか天寿を全うしていくわけだ。奇跡でも起きない限り。
トヨタ車のCMとか、覚えてないでしょ?

このベルヴェデール・ウォッカのキャンペーンは、その対極にある。
多くの人にとっては興味がない、どころか知りもしないキャストを使って、
でもブランドが意図したニッチのターゲットに対しては
「ぼくには君たちの気持ちがわかるよ。だからぼくのことも仲間だと思ってほしい」
と語りかけるわけだ。
カルチャーセレブの持つ「クリエイティブ感」をブランドに吸い込んで、
その代価として出演者はそれなりのフィーと、「メインストリーム感」を受け取るわけだ。

このキャンペーンを目にした、意図されたターゲットの多くは
「こんなキャスト使ってるんだ、おもしろそうなブランドだね」と思うだろうし、
サブカル業界には多い、アンチ志向&インディペンデント志向の強いターゲットならば
「大企業に自分の庭が荒らされた」と不快に思うかもしれない。
そして大多数の一般人は、いったい何が起きているのかもわからない。

ユニクロのTシャツブランド<UT>もテリー・リチャードソンを起用したけれど、これも狙いは同じ。
佐藤可士和じゃあターゲットには支持されないだろう、という見込みのもと
テリーの持つ「クリエイティブ感」を取り込もうとしたわけだ。

ようは、マスにアピールする従来のタイプの広告が機能しにくくなっているから、
母数=リーチを増やし低い打率で稼ぐよりも、リーチは少なくても高い打率を出すほうが
経済合理性に適う(こともある)、という状況になりつつあるわけだ。
その時代背景には、「みんなで紅白を見る」ことに象徴されるような
いわゆるマスカルチャーの衰退があり、
おそらくマスカルチャーの衰退というこの趨勢は、もう覆ることはないだろうと思う。

吉永小百合とか渡辺謙といった大御所を擁し、
ブランドにメジャー感を付与する、という種類のコミュニケーションは
まだまだ必要だし、これからも残り続けるだろうけど、
今後確実に減っていくと思う。

ベルヴェデールのUS版サイトはキャンペーンと連動し、グラマシーパークホテルっぽいタッチで作られていて、
なかなかのデキ。
GalloとRZAのCMソングも太っ腹に配布してるし!

US以外のサイトはトラディショナルなゴージャス路線のコミュニケーションが残ってて、
USとそれ以外の違いもおもしろいよ。

ドルチェ&ガッバーナの高級フィットネスジム?

ドルチェ&ガッバーナがミラノにオープンした高級フィットネスジムがこれ

うーん。
こぎれいにモダンにまとまってしまっていて、
西麻布あたりの和風ダイニングみたいな中途ハンパ感がなんとも。
もっとエグくエロく作ってほしかったなあ。

ファッションブランドのライフスタイル分野への進出はここ5年くらい急速に進んでいて。
今や、カフェやホテルはどこのブランドも当たり前のようにつくっているけれど、
ファッションブランドがジムに進出するのは、はじめての試みなのでは?

確かに、ビジターが必ずある一定の時間を過ごすジムって、
ブランド体験の場としての親和性は、高いのかもしれない。
通っているうちにその世界観に影響されて、ブランドのファンにならないとも限らないし。
そもそも、東京のジムの空間の貧しさとひどすぎる音楽はなんとかならないんでしょうか?

でも、富裕層向けのジムは日本でもこれから需要があるかもしれない。
住民オンリーの六本木ヒルズや西麻布ヒルズのジムは、さすがにエクスクルーシブすぎるし。
バブルの頃作られた高級ジムは軒並み潰れてしまったようだけど。

ちなみにグッチ銀座店4階のグッチカフェは、常に空いているのでかなり快適。
打ち合わせによく使ってます。

ポリティシャン2.0

「ポリティシャン2.0」というのはバラク・オバマのキーワード。
とてもスマートでうまいタグラインだと思う。

そもそもはオバマもヒラリーも、どちらもリベラルで先進的で、
おまけにマイノリティで、政治的主張にも支持層にもそれほど差があったわけではなかった。
でも自らを「ポリティシャン2.0」、ヒラリーを「ポリティシャン1.0」と定義することで、
自分は進歩的で革新的でアメリカを変える政治家であり、
ヒラリーは守旧派である、という評価軸を設定し、これを浸透させてしまったわけだ。

「ヒラリーを支持しているのは古くさい価値観に縛られたバカなアメリカ人。
賢明なあなたなら、どっちを支持すべきかもうお分かりですよね」

これをストレートに言ってしまうと、嫌らしいし反発も受けるけど、
「ポリティシャン2.0」というスマートな言い方にくるんで
上のようなメッセージをとても上品に伝えることに成功している。

小泉元首相も同じ手口で郵政民営化反対派を「守旧派」と定義して、
反論の余地を強制的に塞いでしまったけれど、
オバマのようなスマートさはなかった。

いやいや、見事です。

ただ心配なのは、こうも政治マーケティングが成熟してしまうと、
政治家としての資質ではなくマーケティング力で候補者が
決まってしまう傾向が強まってしまうのでは、と。
言うまでもなく、この手法に最も長けていたとされるのはナチスの宣伝局長ゲッベルス。

【映画】アメリカの原風景

アメリカにはしばらく行けそうもないので、
グッとくるアメリカを見るため、平凡なアメリカの風景が描かれた映画をいくつか見た。

アメリカ、家族のいる風景
Don't Come Knocking


荒れて乾いたアメリカ北部の風景と、荒んだ街並が美しい。
ヴェンダースのアメリカーナへの偏愛を追求するため(だけ?)に作られたような映画。
登場するButteのHotel Finlenは豊かで優雅だった西部劇の時代を偲ばせるような建物。
(20世紀初頭に建造されたフランス第二帝政様式だそう)
http://www.finlen.com/

そしてネヴァダのElko !はじめて聞いた名前の街なんだけど、
行ってみたい。行ってみた過ぎる!名前もそそるし。
Elkoのカジノも、Las VegasやNevadaのように洗練されてしまっておらず
歌舞伎町も顔負けの色使いには70年代の雰囲気がまだまだ残っていそうなかんじ。
話自体は60を過ぎた男が、人生で失ってきたものの重さに突如気づき、
後先も考えないままそれを探しに行ってしまう、という話。
どうにも凡庸で、とってつけた感。
ヴェンダースはアメリカーナなロードムービーをつくりたくて
こんなシナリオにしたんじゃない、って気もする。

■舞台
Butte, Montana
Elko, Nevada

http://imdb.com/title/tt0377800/

アメリカンスプレンダー
American Splendor

"Ordinary life is pretty complex stuff."

市井に生きる、普通の人のごく当たり前の日常を見たいと思っている、
あまりメジャーとは言えない嗜好を持った人にとっては、すばらしい映画。
アメリカ中西部の日常が誇張なくリアルに描かれている。
過不足なし、がいちばん難しい。
でもこの映画は、とてもいい具合に過不足ない。

暗くてシニカルな主人公がプチセレブに昇格し、
少しずつ幸せを手にしていく描写がとてもいい。
キャスティングも見事だし、何より主人公の部屋のセットもとてもいい。


■舞台
Cleveland, Ohio
http://www.imdb.com/title/tt0305206/

ヒストリー・オブ・バイオレンス
History of Violence

"Everyone has something to hide."

恐怖の描写。
どうすれば恐怖の感情を、観客の内側から喚起することができるのか、
この映画のテーマはそれに尽きるのではないかと思う。
主人公は、戦闘シーンでは超人的に強すぎて、
なんかちょっと興ざめしてしまうのだが、
「恐怖」の本質を描くことが主な目的であったのなら、クローネンバーグは目的を達成したように思う。

殺されたばかりの死体が画面の向こうから匂ってくるような気になる、
強烈でインパクトのある映像だと思った。

ストーリーでなく、視覚(と聴覚)を介して人間の感覚に、それも潜在意識の部分に働きかける。
クローネンバーグの「恐怖」への並々ならぬ執着を感じたけれど、
そんなものに執着し続ける人生はきっと不幸だと思う。おれは嫌だ。

■舞台
millowbrook, Indiana
(ロケはカナダのオンタリオ。ニール・ヤング!)
http://www.imdb.com/title/tt0399146/

ファイブイージーピーセス
Five Easy Pieces

"He Rode The Fast Lane On The Road To Nowhere."

1970年

両親世代との価値観の断絶という、おそらく当時いちばん旬だった主題を描く。
主人公は親世代への違和感だけでなく、周囲の低俗な友達に感じる違和感にも悩まされ
「自分は人と違う」ことをアイデンティティにするがゆえに、
つねに孤独を強いられる、という「ザ・青春の悩み」的な、
自分にも覚えのある、永遠の若者の姿。
「ワタシ、変わってるって人によく言われるんです」。
公開から30年以上経ってしまった今では、がっつり色褪せてしまい
簡単に言えばとても陳腐な映画に思える。
「不朽の名作」だって? バカを言うな。

個人的な好みだけど、どうしたわけか、
70年ごろまでのアメリカの風景はあまり好きになれない。
音楽も60年代の匂いが濃い、モンキーズとかママスアンドパパスなんかは嫌いだ。
クルマも60年代のデザインには惹かれない。
どうもカビ臭く、辛気くさいように思う。
「FREE AND EASY」も、ロールモデルとされる時代が自分の好みとずれているためか、
どうも好きになれない。

この頃のアメリカ文化は、大英帝国からまだ十分に分化されていないような気がする。
「アメリカらしさ」が定着していないような気がする。
じゃあ50Sはアメリカじゃないのか?って言われると、
確かにあれはアメリカなんだけど。

70年代をまたぐ頃に美意識の大きな転換があったんじゃないかって気がする。
どこかでモードが切り替わった。
フラワームーブメントの人たちの果敢な挑戦は、
社会の上部構造には大きなインパクトは与えられなかったけれども、
少なくとも美意識は着々と更新され、産業に内包されて社会に拡散していった。

そして誰も気づかないうちに、70年代後半には
ぼくの愛する「アメリカの原型」が定着した。
無骨なグラフィックや、アメリカらしい(ぼく好みの、という意味だけど)色使い、フォント使い。
Stepeen ShoreやEgglestonが残したのは、そんなアメリカの姿だ。
彼らの写真を見て、彼らの感じかた、彼らの美意識は世界中に薄く広く継承された。

やがて90年代前半に、アメリカではもう一度モードが切り替わり、
90年代モードでアメリカの風景は急速に埋め尽くされていった。
「美しいアメリカ」は失われ、損なわれていく一方になった。

でもこれはあくまでも個人的で印象的な仮説。
「モードの切り替え」が発生したことを実証できるとよいのだけど、
なにぶん見た目の話なので一般化するのは難しいかも。
でもこの前提をもって「アメリカングラフィティ」を見てみようと思った。

今読んでいる「BOBOS」 にもブルジョワジーとボヘミアンの美意識の歴史、
みたいなことが書かれている。
この感想はまた。

http://www.imdb.com/title/tt0065724/

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