旅ヲタ医師の読影クルーズ日誌~魅惑のマダガスカル編~

旅ヲタ医師の読影クルーズ日誌~魅惑のマダガスカル編~

クルーズ船で究極のテレワークを行いながら、インド洋の未踏の国、マダガスカルを目指します。

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完全にオマケですが、97カ国訪問の内訳を何度となく質問いただきましたので、こちらでご紹介をしておきます。

 

訪問国一覧(地域分類は独断です)

 

アジア:25カ国

韓国、台湾、中国、モンゴル、香港、マカオ、フィリピン、ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、インドネシア、インド、スリランカ、モルジブ、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタン、アルメニア、ジョージア、アゼルバイジャン

 

中東:5カ国

アラブ首長国連邦、カタール、ヨルダン、イスラエル、トルコ

 

アフリカ:9カ国

エジプト、チュニジア、モロッコ、モーリシャス、マダガスカル、南アフリカ、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ

 

ヨーロッパ:42カ国

ロシア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ブルガリア、スロバキア、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ポーランド、スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ、北マケドニア、コソボ、セルビア、アルバニア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、ドイツ、イギリス、アイルランド、スペイン、ポルトガル、アンドラ、イタリア、ヴァチカン市国、サンマリノ、スイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、ギリシャ、マルタ、キプロス、英領ジブラルタル

 

北米:中米:6カ国

カナダ、アメリカ合衆国、バハマ、メキシコ、コスタリカ、パナマ

 

南米:6カ国

ブラジル、パラグアイ、ペルー、チリ、ウルグアイ、アルゼンチン

 

オセアニア・その他:4カ国

オーストラリア、パラオ、ニューカレドニア、ニュージーランド

 

合計:97カ国

 

個人で自己満足で数えているだけなので詳細な定義までコメントする必要は無いようにも思いますが、日本国政府が承認している国以外となるのは以下になりますので、以下の理由でカウントしています。

・台湾:事実上の独立国家

・香港、マカオ、ニューカレドニア:本国とは異なる出入国管理をしている上、通貨発行している

・英領ジブラルタル:本国とは異なる出入国管理をしている

 

他、若干の疑義が残る国は以下です。

・ラオス:タイから船で渡って上陸し、アイスを買った(経済活動を行った)が、正規の入国審査を行っていない(訪問国とみなしています)

・ミクロネシア連邦:ヤップ島でトランジットのため空港待合室に入っているが、正規の入国審査を行っておらず、経済活動もしていない(訪問国とみなさない)

・北キプロス・トルコ共和国:アライバルビザを取り入国し、お菓子を買った(経済活動を行った)が、トルコ以外の国が未承認の国である(訪問国とみなさない)

・北朝鮮:板門店軍事委員会会議場内で北朝鮮領に入っているが、正規の入国審査を行っておらず、経済活動もしていない(訪問国とみなさない)

・ナミビア:ザンベジ川にあるジンバブエ、ザンビア、ボツワナとの4国境(※)付近で、陸地まで10m程度まで近づき、おそらく領海(領河?)に入っているが、上陸していない(訪問国とみなさない)

※厳密には4国境ではなく、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナの3国境とナミビア、ザンビア、ボツワナの3国境が150mほど離れて存在するとされており、ジンバブエとナミビアは接していません。

このあたりの取り扱いに関してのツッコミはご容赦ください(笑)

 

この中でレアな場所(上記の如く訪問国としていませんが)だと思われる、北キプロスについて。分断国家と言えば韓国/北朝鮮やかつてのベトナムやドイツが思い浮かぶと思いますが、東地中海のキプロス島も南北に分断されていて、北半分はトルコのみが承認する北キプロス・トルコ共和国となっています。これがトルコのEU加盟を阻む遠因とされています(キプロスはギリシャ系が多い)。キプロスの首都であるニコシアはほぼ完全な城郭都市の城壁が残っていますが、これも分断されていて、分断点付近にはお互いを罵倒する言葉が並んでいます。

 

この北キプロス・トルコ共和国ですが、国連軍の国境管理が行われているものの、キプロス側との行き来は可能で、アライバルビザを取ることも可能です。そんなわけで、2007年にキプロス側のニコシアに行った際に、北キプロス側にも行ってみました。

 

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北キプロス・トルコ共和国の入国管理所

 

この壁が事実上の国境

 

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北キプロス・トルコ共和国側からキプロスを見ると

 

キプロス側から北キプロス・トルコ共和国を見ると

 

ニコシアはこんな形の街

 

国連軍が警備

 

 

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気まぐれ画伯作:クルーの皆様に感謝を込めて

 

12月15日から48日に渡る「モーリシャスプレシャスクルーズ」を終えました。出発前に懸念されていたコロナ関連の事態として途中で2回ダイバートがありましたが、クルーズが完遂できたことに、商船三井客船の皆さんにお礼を申し上げます。想像以上に様々な規制や要請がなされ、今までのクルーズにはない多くのご苦労もあったであろうと推察します。

 

プロローグで記載した通り、個人的には新しいテレワークの形を体現するという目標がありました。通信事情などから、結果的には通常勤務の50%程度しかできなかったと感じていますが、今後は船舶用の衛星通信も高速化が計画されているようですし、このような形のテレワークは、もはや他の職種においても不可能ではない時代になっているものと考えています。将来の見通しにくいこの時代です。状況が許すのであれば、今までは定年退職を待たなければならなかったことを積極的に前倒しするのも、自らのQOL(Quality of Life)向上に大きく寄与するものと考えます。

 

今回のクルーズにあたり、運航に携わっていただいた商船三井客船の皆さんはもちろん、このような働き方に関しご理解いただいた我が職場のみなさん、また当ブログ、ツイッターインスタグラムで応援していただいた皆様に、感謝を申し上げます。ありがとうございました。また、航海を見守っていただいた四国讃岐こんぴらさんにもお礼申し上げます。

 

今後も様々な形で旅は続けていくと思いますが、またいつの日か長期クルーズに参加する日を夢見て、ひとまず元の生活に戻ります。

 

横浜港に停泊するにっぽん丸を眺めながら ドードー

 

 

 

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気まぐれ画伯作:マッチ箱に絵を描こう(マーレのマグロ缶)

 

目覚めると相模湾へ。天気がよければ赤富士の見える場所へと、前日に船長が挨拶していたのですが、残念ながら富士山は雲で隠れていました。大室山はやや赤くなっていたのですが…。一方で、雪をかぶった三原山を見ることができました。この辺りは羽田へ向かう飛行機からの機窓ではおなじみですが、海から見るとまた違った印象です。

 

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麓しか見えなかった富士山

 

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大室山

 

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デッキの二宮船長

 

やがて三浦半島を越えて浦賀水道へ。ここは千葉側が浅瀬のため、見た目以上に狭い航路となっているようで、右側通行で速度制限もあるそうですが、その中央に赤と白のブイが並んでいます。やがて東京湾の防衛目的で作られ、ブラタモリでも注目された第2海堡を抜け、いよいよ横浜へ。カモメと大勢の方の出迎えを受け、無事に大さん橋に着岸、48日に渡るクルーズは無事に終焉となりました。

 

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浦賀水道のブイ

 

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第2海堡(奥には第1海堡)

 

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ベイブリッジをくぐります

 

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カモメの出迎え

 

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出迎えの横断幕

 

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着岸!

 

下船手続きのためやや時間を要しましたが、入国手続き、手荷物の配送手続きを完了。横浜港からの入国は初なので、今回は石垣港と併せ、どちらも新規出入国スタンプゲットとなりました。お世話になった数多くのスタッフのみなさん、乗客の皆さんに挨拶をして、桜木町駅へ向かいました。

 

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入国完了

 

今晩は自宅には戻らず横浜に宿泊。画伯希望の焼き鳥屋で夕食としました。「お家に帰るまでが遠足です」と言われそうですが、本ブログは48日に渡る「モーリシャスプレシャスクルーズ」の記録として毎日アップしてきたものですので、その使命は終えたものと考え、今日までの記録をもって、終了とさせていただきます。長い間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

旅ヲタ医師の読影クルーズ日誌~魅惑のマダガスカル編~ 完

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気まぐれ画伯作:マッチ箱に絵を描こう(ドードー、ポートルイスでライチ発見!)

 

にっぽん丸は日向灘から足摺岬沖へ。足摺岬といえば個人的には38番金剛福寺のイメージが強く、車遍路でも前の札所から100kmもあって大変なところですが、清水サバもカツオも美味しいし、ちょっと古いけど安くて料理の美味しい宿がいっぱいあるし、お気に入りの場所でもあります。

 

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足摺岬沖

 

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ビンゴ大会前には玉すだれ保存会のみなさんがクルーズ日数にちなみ48の数字を披露

 

足摺岬を通過する頃、船内では3回目のビンゴ大会が開かれていましたが、早々に敗北。4G電波を安定的に掴めるようになったので仕事をして過ごしました。ラウンジに居たテレビ関係の方が歩き遍路の経験があるとのことで、「(遍路ころがしと呼ばれる)焼山寺は正直きつかったです」など、思わず遍路話で盛り上がってしまいました。高知のイメージなのか、昼食にカツオのたたきが出るあたり、やはり嬉しい演出でしょうか。

 

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船上でいただくカツオのたたき

 

昼食後には室戸岬沖へ。室戸岬近辺には24番最御崎寺、25番津照寺、26番金剛頂寺と3つの札所のほか、空海の名前の由来にもなった御厨人窟(みくろど)があるので、やはり個人的には遍路のイメージが強いのですが、ここも居心地の良い宿が多く、だるま夕日、だるま朝日も観察しやすいのでお気に入りでもあります。乗り物趣味的にもDMV(Dual Mode Vehicle:バスと鉄道の2つのモードで走行できます)が週末のみとは言え1往復しているので、面白いところといえます。

 

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室戸岬沖

 

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室戸岬灯台:この裏手に24番最御崎寺(ほつみさきじ)があります

 

室戸岬を過ぎると今後は潮岬へ進路を変えます。太平洋側の有名岬めぐりとなっています。最後のアフタヌーンティーに出かけゆったりとした時間を過ごし、潮岬に到達する前に日没。ただ。雲がかぶったもののだるま夕日を鑑賞できました。これも冬の開けた海ならではの光景でしょう。

 

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だるま夕日

 

特選和食と銘打った最後のディナーは蟹づくし。これまで47日、毎日毎日美味しい料理を用意していただき、感謝しかありません。

 

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デザート以外すべてカニ料理!

※食事はInstagramで主に公開しています https://www.instagram.com/dodocannotfly/

 

船内の方は荷物回収が始まり、クルーズも終焉モード。夜のイベントもゲスト総出演のグランドフィナーレです。

 

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皆さん荷物が増えたご様子

 

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ついに最後の夜になりました

 

 

長い間、こちらこそお世話になりました

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気まぐれ画伯作:マッチ箱に絵を描こう(シンガポール植物園の蘭と、動物園の餌やり禁止)

 

にっぽん丸は台湾海峡を抜け、東シナ海を進みます。黒潮本流に乗ってやや速度が上がることと、今後は大きな天候の崩れはなさそうと言うことがアナウンスされました。鹿児島方向に航行しており、深夜には口永良部島沖に達し、携帯電話の電波も入る予想とのこと。逆に言えば、ここまでは有人島のそばは通らないということになります。天候が許せばトカラ列島沿いを航行するかもと言われていたので、ちょっと残念です。

 

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22ノット弱まで加速

 

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東シナ海の夕暮れ

 

さて、にっぽん丸では航海中に様々なゲストが乗船します。大きく分けて音楽系の方(+マジシャン、落語家)、学者系の方、教室系の方などです。音楽系の方としては、今クルーズでも堀内孝雄さん、秋川雅史さん、庄野真代さんなど僕でも知っている歌手の皆さんをはじめ、正直この船に乗るまで知らなかったピアノやバイオリン、トランペット演者の方、タンゴや和楽器グループなど、毎晩のように演奏が行われ楽しませていただきました。学者系の方では青山千春先生はじめ、動物や自然保護の専門の方の講演も何度となく拝聴しましたし、教室系では僕は何も参加していませんが、画伯がイラスト教室やソープカービング教室、刺し子教室に出かけていました。ショートクルーズだと多くても5組程度のゲストだと思いますが、さすがに48日もあると途中の乗船、下船を含め多数のゲストが乗船されています。逆に言えばひっきりなしにイベントが有るということにもなり、これ以外にも体操やダンス、暝想、ヨガ、デッキゴルフなど、休んでいる暇がないくらいスケジュールが並んでいます。時節柄のイベントでは餅つきや書き初めなどもありました。もちろん、これらはいずれも義務ではありませんので、全部参加してもいいし、全部行かなくてもいいし、好きなように過ごせばいいだけです。

 

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随分前の出来事のようですが、今回のクルーズのイベントでした(笑)

 

これらのゲストの皆さんですが、クルーズ船ならではだと思うのは距離感の近さでしょう。船内で出会うことも多く、ウォーキング中に出会ったり、食事で隣席になったり、サウナで一緒になったり、イルカや鉄道模型を一緒に眺めたり、などなどです。皆さんオフの時間はリラックスされていて、話しかけても気軽に応対してくださいます。このあたりも通常のコンサートや演奏会とは異なる点でしょうか。それこそ、クルーズディレクターがゲストピアニストの演奏で歌うなんてことも起きるわけで、そんな非日常を味わえるのもクルーズならではと言えるでしょう。

 

ただ、今回のクルーズで残念だったのは、やはりコロナ対策ということでパーテーションが多数あったこと、そして歓声等が制限されていたこと、船長主催カクテルパーティーなどのイベントが行われなかった点でしょう。今回のクルーズ特有のこととして、モーリシャスやマダガスカルで地元の方と接するチャンスがあり、それが代替とも言えなくはありませんが。この辺は規制の緩和とともに元に戻ることを希望します。

 

今晩は最後のフォーマルナイトということで、フェアウェルディナー。クルーズも終りが近づいていることを実感します。ゲームプレイ券が余っていたのと、せっかくフォーマルなので、川井郁子さんのコンサート前の空いた時間にゲームコーナーへ。カジノと言えばマカオに行くたびに大小やスロットで宿泊費ぐらいは稼いで帰っていましたが、ブラックジャックはよくわからないので、ルーレットに。低倍率に掛けるのに加え、1に一点掛けし続け見事1的中!。ただ、トータルでは増えたものの商品獲得には届かなかったので、明日、もしくは次回以降のクルーズに持ち越しです。

 

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フェアウェルディナー

 

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もう少し強気にいってもよかったかなぁ

 

気まぐれ画伯作:我が部屋の表札(にっぽん丸は日本へ)

(皆さん部屋の入口に表札代わりにいろいろなものを付けていますが、画伯のこの表札、クルーに評判になっているようで、よく声をかけられました。にっぽん丸は移動できるようになっています。尚、書いたわけではなく、下絵は板を焼いて描いています。)

 

にっぽん丸は台湾海峡に入り、嘉義、彰化などの沿岸を北上しています。秒速25mの向かい風をもろに受けて、船体の動揺は激しくなっています。台湾には20回以上行ってますが、嘉義と言えば北回帰線碑や阿里山鉄道、彰化と言えば転車台を思い出します。彰化の沖合には多数の風力発電施設がありましたが、どうやら商船三井や日立も関連した洋上風力施設のようです。

 

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彰化洋上風力発電所

にっぽん丸乗船は4回目ですが、初回乗船は2011年3月でした。それまで長距離フェリーは色々と乗船経験がありましたが、いわゆるクルーズ船は初で、小笠原の父島へ向かう5泊6日のクルーズでした。今回のクルーズと同じく横浜港を出航し、小笠原へ。鳥島や孀婦岩など空からはなかなか楽しめない島々を見ながら、翌朝には小笠原というところで、大きな地震が発生したという船長アナウンスが。そう、あの東日本大震災です。にっぽん丸も4m程度の津波を受けたとのことでしたが、乗客が気がつくような船体の動揺はなく、今のようにWiFiも無かったので、熱心にテレビを見ていなければ地震に気がつくような状況ではありませんでした。

 


孀婦岩(2011年)
 

その後はテレビに釘付けとなり、凄惨な光景を目の当たりにすることになるわけですが、にっぽん丸も父島寄港を断念し、引き返すことに。ただ、余震による津波を警戒して殆どの東日本の港は閉鎖となっており、にっぽん丸が戻るにしても清水港、名古屋港、大阪港のいずれかになる見込みとアナウンスされ、この中で一番近い清水港を目指すと言うことになりました。また、携帯電話の電波を掴みやすくするするため、伊豆諸島近海を航行すると言うアナウンスもありました。ご家族が被災地域にお住まいの皆さんは気が気ではなかったと思いますが、被害の実態が明らかになってくるに連れ、事態の深刻さを目の当たりとすることになります。また、おそらく地震とは関係ない低気圧の影響で船体の動揺も相当なものでしたが、そんな中でもなんとか気を紛らわそうと奮闘し臨時ステージを行ってくれた岸田智史さんには感謝しかありません。

結局、にっぽん丸は当初の横浜港ではなく晴海埠頭に入港することとなり、予定よりも2日早く入港。その後は羽田空港に向かい足早に帰宅しました。帰宅して安堵した反面、原発事故などの事の甚大さに、これからどうなってしまうのだろうという不安に襲われたのを思い出します。

 

レインボーブリッジ(2011年)

 

この当時はまだ羊蹄丸がいました(2011年)

 

航海図(2011年)

と、こんなクルーズ船デビューとなったわけですが、その後もご縁があり、上五島と奄美、利尻島とサハリン、そして今回のモーリシャスと、クルーズを楽しませてもらっています。

 

さて、にっぽん丸は台湾海峡を抜け、いよいよ日本へ。ようやく波もおさまってきましたが、気温が11度。体が正直ついていきません。荷造りついでに冬服を取り出さないといけませんね。

 

本日の夕日

 

今日の夕食はおでん。夕食をいただくのも明日、明後日の2回となりました。長く感じたクルーズも残りわずかです。

 

夕食のおでん

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気まぐれ画伯作:英霊に黙祷

 

朝になるとルソン島沖へ。久々に朝日も見えます。船はやや不自然に島寄りを航行しているように見えたのは僕の勝手な思い込みかと思いましたが、船長の定時アナウンスではフィリピン人クルーが家族と連絡を取れるように、携帯電話のつながるエリアを航行するとのこと。こういったいかにも日本的な心遣い、僕は好きです。デッキや右舷側の窓際ではフィリピン人クルーが島を見つめています。故郷の島影、望郷の念は皆同じということでしょうか?。ちなみに、クルーの一部は今回のクルーズ後に年に一度の里帰りをするそうです。

 

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ルソン島に寄り添うように

 

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久々の朝日とルソン島

 

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望郷の念は皆同じ

 

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僅かな時間ですがご家族と連絡取れたでしょうか?

 

ルソン島沿岸はここ数日と比べれば極めて穏やかな海となっていますが、あくまでここ数日と比べたらと言うレベルで、多くの白波が。今日の午後からルソン海峡に入り、さらなる強風が予想されるとのこと。日本に戻るには荒天域通過が避けられないみたいです。残るクルーズも数日となり、現実世界に戻る若干憂鬱な気分と重なってしまいます。アンケートが配られたり、ショップの免税販売が30日までになったり、日本帰国説明会があったり、こちらも店じまい感が漂います。

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入国書類と手続き、宅配手続きと横浜港からの交通案内など

 

船内イベントの方は機関士によるエンジンや造水機の解説が興味をそそりました。また、青山千春先生の第六回講演、三志郎さんのマジックなどなど、色々と充実していました。

 

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機関士さんによる解説講座


ルソン島北部を通過する際には個人的に黙祷。ここに限った話ではありませんが、多くの先人達の犠牲の上で日本は成り立っているのです。ペリリュー島を訪れた時も同じ、沖縄を訪れた時も同じ、そして我が地元の原爆ドームを見るたびに思う思いも同じです。やがてルソン島北端のボヘヤドール岬灯台を通過。スペイン時代から稼働している現役の灯台で、国宝だそうです。いよいよこれでフィリピンともお別れです。

 

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ボヘヤドール岬灯台

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気まぐれ画伯作:うちわに絵を描こう

 

にっぽん丸は相変わらず南シナ海を日本に向けて航海中。パラワン島と言うフィリピン領の細長い島の沖合です。揺れは概ね昨日と同じ程度で相変わらず。ネット環境も微妙です。画伯はイラスト教室が仕上げの段階になっているとのことで、朝から参加していました。

 

さて、正直船内イベントも気になるものがなく、ネタ切れですので(笑)、フィリピンの思い出など。フィリピンには過去3回出かけているのですが、いずれもレアな飛行機に乗りに行くのが主目的で、ビーチの近くには行っても一回も海には入っていませんし、リゾートホテルにも泊まっていません。フィリピンは島国であり、航空路線はあらゆる離島に伸びているほか、航空運賃も安く、特典航空券もいつでも取れると言うことで。当時日本で引退しフィリピンに渡ったYS-11をはじめ、DHC-7、CN235、Let410、DC-9-32など、滅多に乗れない珍品機の宝庫だったのです。

 

また、ボラボラ島へのアクセス拠点として有名なカティクラン空港は滑走路が950mしかなく、旧石垣空港どころではない急制動が楽しめました。実際、僕が出かけた数ヶ月前にはオーバーラン事故も起こしており、この短滑走路に対応できるユニークな機材が就航していたとも言えます。CN235はスペインとインドネシアの合弁で生産されていたはずですが、軍用輸送機の発想で設計されていてかなりレアな機材だったと思います。DHC-7は日本国内でも色々やらかしているDHC-8-400(Q400)でおなじみのデハビラントカナダの機材ですが、4発プロペラ機ってのがこれまたレアな感じでしょうか。

 

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CASA CN235

 

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デハビラントカナダDHC-7

 

飛行機以外ではセブンイレブンに入るのさえ手荷物チェックがあるぐらいの国なので、ムダにうろうろした記憶はないのですが、ブタの丸焼きレチョンを食べたり、ジプニーに乗ったり、ジョリビーに行ったり、それなりにフィリピンらしいところを回った記憶があります。ジプニーは行き先がよくわからないまま乗りましたが、屋根をたたきながら「パラッ!」って言うと降ろしてもらえるシステムが面白く、降りたらすぐに反対側の車線で次のジプニーを待つってことをやってました。

 

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フィリピンと言えばジプニーなイメージ

 

明日朝にはルソン島沖になるようで、船長アナウンスでも「本船クルーの故郷の島々をお楽しみください」とありました。にっぽん丸には多数のフィリピン人クルーが居て、お世話になってます。先日お気に入りのレストラン担当の方が体調不良で下船されてしまいショックでしたが、残り少なくなったクルーズ、引き続きよろしくお願いしたいところです。

 

 

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気まぐれ画伯作:マッチ箱に絵を描こう(マダガスカル)

 

にっぽん丸は南シナ海を日本に向けて航海中。揺れは昨日よりも強くなり、風も波も強い見込みだというアナウンス。まあ、常に平穏な波のところばかりのはずもなく、こればかりはやむを得ないところでしょう。実際、時々船の底の方から大きな音が響き渡り、窓の外には大きな波しぶきが見えます。昨日の時点では決定していなかった航路は結局、ルソン島の西側を通過するコースを選択したようです。どっちの航路を選択してもまた丸一日程度は波の強い日が予想されるとのことでした。

 

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若干北寄りに


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ざぶ~ん!

 

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かなりの強風です

 

いかに船が揺れているとは言え、お腹は空きますので、朝食へ。毎日同じようなものを食べているようにも思えるのですが、パンのコーナーにはいつも食べたことのない新作が。いったい何種類ぐらいレパートリーがあるのでしょうか?。

 

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プリンパン?

 

荒天のためネットは繋がりにくかった上に、揺れ自体もひどかったので、ほとんど仕事にはならず。まあ仕方ないですね。午後遅くにはやや揺れが落ち着いたので、写真交流会に参加してみました。今クルーズ中に撮影した写真を見せ合いましょうと言う企画なのですが、せっかくなので20枚程度紹介しました。

 

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こんな企画です

 

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プレゼン中

 

今晩はジャパン・フィリピンナイト。今までも朝食ビュッフェにフィリピン料理が並ぶことはありましたが、今晩は和食とフィリピン料理が交互に並ぶメニュー。いずれも美味しくいただけました。夕食後は鉄道模型を見に行きましたが、揺れが酷く空転や逆走が発生していました。ただ、HOゲージに戻ったので、やはり迫力が違いますね。

 

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せっかくなのでサンミゲル飲みますかね

 

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前菜とお造り

 

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復活したHOゲージ

 

 

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気まぐれ画伯作:民族模様のカメレオン(マダガスカル)

 

にっぽん丸は南シナ海を日本に向けて航海中ですですが、朝8時の定時の船長アナウンスでは、荒天を避けるためボルネオ島近くを航行し、往路のようにフィリピンのルソン島の北(バシー海峡)を通るか、南を通るかは翌日に判断すると説明がありました。基本的に往復で同じルートを通るのは好きではないので、天候が許すならばフィリピンの島々を縫うように進む方が楽しそうですが、船長さんはどっちを選択されるのでしょうか?。

 

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今日は春日でバナナパンケーキの朝食

 

今回のクルーズ参加にあたり、船酔いの心配が無いのかとよく聞かれましたが、僕自身は船酔いの類は経験がなく、酔い止め薬も飲んだことはありません。ただ、大きく揺れると不快であることにはかわりありませんので、揺れないのであればその方がいいのは言うまでもありません。

 

過去の航海で最も揺れたのはパラオのコロールからペリリュー島に渡った時。この船で本当に行くの?と言う船でしたが、案の定、波をかぶりまくりびしょびしょに。あの1時間強の航海は、凍結したチベットの山道でバスが横滑りした時と並び、旅行中に大きな危険を感じた瞬間と言えるでしょう。復路は往路では考えられなかったぐらいの快適な航海で良かったのですが。

 

パラオで乗った船(2016年)

 

救命胴衣は最初から着用(2016年)

 

しっかり慰霊をして帰りました(2016年)

 

大型船では太平洋フェリーの小笠原クルーズで激しく揺れ、手すりなしでは立てないぐらいまでなったことがありますが、まだ今日のところはそこまでの揺れではありません。明日はさらなる荒天が予想されますが、これも気にしたところでなるようにしかならないと思うので、こんぴらさんを信じて過ごすしかなさそうです。

 

途中にインドネシアのリアウ諸島付近を通ったときだけ4Gを掴めたのでまあまあ快適に仕事ができましたが、これも短時間のことで、それ以降は全然安定せず。長い航海、そんな日もありますよね。

 

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まだ緑のエリアなのに17ノットの北風

 

揺れも強くなってましたし、あまり参加したい船内イベントも無かったので食事以外は部屋で過ごしましたが、今日はショップのお菓子セール。これまでアパレル、文具、カレーのセールがありましたが、今回のお菓子が最終回です。せっかくなので色々と買い込みました。

 

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あくまでも「最大」ですが(笑)

 

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チョコクランチは20%off