代名詞の格変化の教え方って不合理じゃないかな?
日本だと英語を習い始めると代名詞の格変化を覚えるってのが最初の面倒なヤツになるわけですが、あの主格〜所有格〜目的格〜所有代名詞という並びってものすごく不合理に感じています。なぜ所有格と所有代名詞を分かるのかが全くもって意味不明です。第3文型を考えれば主語となって基本的に文頭に来る主格と相手方になる目的格をセットにして、所有を表現する所有格と所有代名詞をセットにした方が合理的と思うのです。
少し脱線しますが、英語と日本語では文法用語の使い方に齟齬があります。主に連体詞と形容詞です。英文法で言う形容詞は国文法では連体詞で、日本語の用言としての形容詞とするにはbe動詞とセットにしないといけないというところに齟齬があるし、代名詞の所有格は敢えて言うと「所有連体詞」と言うべきものと思えますし、指示代名詞は指示連体詞としても使用できる、というところについてもほぼ説明がありません。
しかも困ったことに、今は国文法のあれこれを教えるのは中1〜2らしくて、中1で英文法用語が出てきてもそもそも国文法やったないからわからない、という事態になっているように思えます。
こうした齟齬を修正しない限り、日本の英語教育ってダメなんじゃないかな、と思えてなりません。
言語の違いとビートとグルーヴ。
これ前にも書いたかもですが、リブログするよりくどくど書いた方が良いかな、と。音楽のアーティキュレーションと言語の違いには大きな関連があります。日本語と英語の発音の相違やスペリングの違いがグルーヴに与える影響って大きいんです。
例として"striked"という単語で考えましょう。この単語、ベタベタのカタカナイングリッシュで発音すると「ストライクト」となって音節が6つになります。英語では音節は"i"の一つだけです。これだけでも全然違うのですが、もっと重要な違いがあります。この単語を発音する時、日本語で発音するとビートのアタマに来るのは「ス」ですが、英語だと一音節しかないのでアタマに来るのは"i"です。その手前にある"str"という3つの子音はビートより少し前にあります。そして語尾。日本語では「ん」以外は全て母音で終わりです。カタカナ英語だと"striked"はローマ字で綴ると「sutoraikuto」ですが、英語だと語尾は"d"で止まります。つまり英語と日本語では発音のアタマと切りの仕組みが全然違うんです。その違いがグルーヴに直結します。音楽のジャンルやスタイルの違いは方言の違いのようなもので、誤解を恐れず に言うと、ジャズをやるならアメリカ英語の発音をきちんと学んだ方が良い、というのが持論です。シングルタンギングの"T"というアーティキュレーションでさえ、日本語と英語では違います。管楽器と歌の人はここに神経質であるべきだと強く考えます。海外の人は日本語との発音の差異を説明できないのです。
音楽評論という壁
20世紀の終わりくらいまでは、クラシックの評論家の人がジャズへの取っ掛かりとして評価した錦の御旗は「ナディア.ブーランジェ」の関与でした。キース.ジャレット、アストル.ピアソラ、エグベルト.ギスモンチ辺りが代表格かな。もちろん彼らは素晴らしい音楽家だったんだけど、世代が変わってナディアとの接点を持てた世代がいなくなったらその後の世代は誰も取り上げられなくなってしまいました。個人的にはマイク.ギブス、エルメート.パスコアル、マリア.シュナイダー辺りはクラシック系の方でも受け入れられそうな気がしますが、そんな気配は皆無です。ジェフ.ミルズがフルオケを使って人力デトロイトテクノをやったことは話題になっても彼の本領のテクノの作品に対しての再評価も起きない。そもそもテクノは現代音楽の電子音楽がルーツにあるのに評論家はそういう視点を持てないんですよね。それって勉強不足なんじゃないかなぁって感じるんです。
他方、ジャズ側の評論家筋にも同じようなことがあって、そもそもジャズ以外の音楽をきちんと聴いていない(ロックを否定し、クラシックを敬遠する)ような方々も往時は結構いらっしゃって、それによって日本で正当な評価をされなかった音楽が結構あります。典型的なのが50年代のウエストコーストですが、頭デッカチでスイングしないなんて悪口を結構書かれています。確かに頭デッカチなのかもですが、ジャズの、特に和声のソフィスティケイト化というかアカデミックな進化の背景にはシェーンベルグとかが居たわけで、その意味において20世紀中期のウエストコーストはアメリカンミュージックの進歩に大きな影響があったというのが私観なのですが、クラシックに拒絶反応のある人が評論書いちゃうとそこがディスられてしまい、結果読者がそれに釣られてしまうんですよね。
現実的には難しいことですし、きっと海外でもそうなんでしょうが、評論でメシ食うならば、手前のジャンルの好き嫌いではなく音楽を俯瞰して見られないと話にならないんです。もはや音楽のジャンルなんて私の感覚では30年くらい前にガラポン化していて、ジャンルなんて自分の音楽の嗜好もしくは守備範囲を示すもの、くらいにしか思えないのです。「評論」が壁になってしまっているような気がしてなりません。