音楽評論という壁 | music-geek

音楽評論という壁

20世紀の終わりくらいまでは、クラシックの評論家の人がジャズへの取っ掛かりとして評価した錦の御旗は「ナディア.ブーランジェ」の関与でした。キース.ジャレット、アストル.ピアソラ、エグベルト.ギスモンチ辺りが代表格かな。もちろん彼らは素晴らしい音楽家だったんだけど、世代が変わってナディアとの接点を持てた世代がいなくなったらその後の世代は誰も取り上げられなくなってしまいました。個人的にはマイク.ギブス、エルメート.パスコアル、マリア.シュナイダー辺りはクラシック系の方でも受け入れられそうな気がしますが、そんな気配は皆無です。ジェフ.ミルズがフルオケを使って人力デトロイトテクノをやったことは話題になっても彼の本領のテクノの作品に対しての再評価も起きない。そもそもテクノは現代音楽の電子音楽がルーツにあるのに評論家はそういう視点を持てないんですよね。それって勉強不足なんじゃないかなぁって感じるんです。

他方、ジャズ側の評論家筋にも同じようなことがあって、そもそもジャズ以外の音楽をきちんと聴いていない(ロックを否定し、クラシックを敬遠する)ような方々も往時は結構いらっしゃって、それによって日本で正当な評価をされなかった音楽が結構あります。典型的なのが50年代のウエストコーストですが、頭デッカチでスイングしないなんて悪口を結構書かれています。確かに頭デッカチなのかもですが、ジャズの、特に和声のソフィスティケイト化というかアカデミックな進化の背景にはシェーンベルグとかが居たわけで、その意味において20世紀中期のウエストコーストはアメリカンミュージックの進歩に大きな影響があったというのが私観なのですが、クラシックに拒絶反応のある人が評論書いちゃうとそこがディスられてしまい、結果読者がそれに釣られてしまうんですよね。

現実的には難しいことですし、きっと海外でもそうなんでしょうが、評論でメシ食うならば、手前のジャンルの好き嫌いではなく音楽を俯瞰して見られないと話にならないんです。もはや音楽のジャンルなんて私の感覚では30年くらい前にガラポン化していて、ジャンルなんて自分の音楽の嗜好もしくは守備範囲を示すもの、くらいにしか思えないのです。「評論」が壁になってしまっているような気がしてなりません。