アメリカにジャズは残るのか?
というタイトルにした段階で「残らないだろう」という結論があるのはミエミエなのだけど、冗談抜きにしてアメリカにジャズが残るのか?というと難しいのではないか?という気がしています。既にアメリカの音楽シェアの1%を切って久しいので状況はそもそもあまり良くないのですが。
欧米や中国、日本などでは(中国と日本も少し怪しい気もするけど)伝統的なもので何百年も変わらない製法や様式を守り続ける文化があります。ヨーロッパは特にはっきりそれがある感じがします。が、アメリカにはそれが希薄なのです。クラシック音楽は書かれた過去の作曲家の作品を再演し続けることによってその様式が残っています。が、アメリカにおけるジャズの場合はそうではないように見えるのです。一つの様式やスタイルを作った人の音楽は一代限りなイメージが決定的に強く、書かれた音楽の多くは博物館に入ってしまって、一部の譜面は市販されるもののプロによって再演されることはあまりない、というか、過去のそうした譜面を演奏するバンドは「レパートリーバンド」とか「ゴーストバンド」という名称で呼ばれたりします。ポジティブな名前では呼ばれていません。クラシックにバロックや古典派、ロマン派に印象派などと時代によって様々なスタイルに分類されるように、ジャズにもスイング、バップ、ポストバップなど様々なスタイルがありますが、せいぜいがニューオルリンズのPreservation Hallで「伝統保存」的な扱いがされる程度(24年前のニューオルリンズのバーボンストリートで演奏されていた音楽の大半はサザンソウルだった)です。J@LCも歴史を踏まえたジャズをやっていますが、古いオリジナルはほとんどやっていないように思えます(90年代後期のCarnegie Hall Jazz Bandにはこのコンセプトがあったような気がするんだけど長く続かなかった)。ジャズ的な要素は様々な音楽の中に息づいてはいますが、時代による様式美の違いを楽しむクラシックのような生き残り方は難しいように見えます。誤解を恐れずにいうと日本の小唄や端唄みたいな江戸時代の座敷芸みたいな状況にあるのではないかと。この40年ほど、ヨーロッパの放送局が持っているビッグバンドでは、アメリカからアレンジャーやコンポーザーを招聘してその人の作品を演奏するということがなされてきました。そうした姿勢がある意味ヨーロッパ的でもあります。アメリカのジャズコンポーザーをレジデンシャルディレクターとして置いて様々なプログラムを組んだりもしています。ただ、それは現存する作編曲家とのコラボがメインであって、古いものにどれだけフォーカスしているかは私には良くわかりません。著作権の問題だったり譜面が博物館入りで使えないのかもしれません。何れにしてもきちんとアレンジされて作品として残っているジャズの状況はあまり良くないように見えます。音楽は音を使ったデザインなので、過去のスタイルのリバイバルというのはあって然るべきなのですが、なぜか音楽では、というかアメリカのジャズの現場ではそれをネガティブに捉えているように思えてなりません。
もちろん新しいことをするのは大事なのですが、音楽でできる新しいことというのはほぼ掘り尽くされてしまった感があります。マイルス.デイヴィスは常に新しいことを追いかけていましたが、70年代中期に煮詰まってバーンアウトしてしまい、リタイアした後はバンドの編成や全体の音楽にはドラスティックな変化はなかったというか、本人が気持ちよくやれるスタイルに従事したように思えます(マイルスの晩年のドキュメンタリーの中でハービー.ハンコックが"Miles was a history of jazz"みたいなことを「過去形」で表現したことが印象的ではありました)。ではジャズにおける「現在性」て何か?ということなのですが、それが拡散しすぎてもはや茫漠たるイメージでしかない所にジャズ、というか音楽の現在の閉塞した状況があるのではないかと感じられるのです。ジャズの、というか音楽の状況は、生前の立川談志が落語の「滅び」を語っていたことと、伝統芸としての禁忌を壊してなんでもありにして形無しになって全然笑えない今のお笑いの状況にも似ているような気がします。
なるようにしかならないことなので、自分がこれは良いと思ったことをやるしかないんだろうなぁ、とは思っていますが果たしてどうなることか。
アドリブ学習の落とし穴
ジャズってやってみたいっていう人はそれなりに多いみたいなのに、アドリブでソロを吹くっていうことになると尻込みしちゃうケースがとても多いように思えるのです。とても勿体無いなぁと感じます。音楽と言語ってコミュニケーションツールとしていると共通することが多いんですが、アドリブは強いていうと会話的な要素が強いんです。曲というワクの中で自由にやっていい、と。音楽理論は基本的にクラシック音楽がベースだから、基本的にはピアノの白鍵のスケールに乗ってれば良いのです。この上でシンプルなことから始めれば良いのですが、どうしてもジャズのアドリブというと速いフレーズを並べるだとか、ちょっとスケールアウトしたいとか、難解複雑系に行こうとする人が多いんです。もちろんそっちに行くにもスケールの機能性とかはきちんと学ばないとなのですが、そこをスキップして先に行こうとして玉砕するケースが大半です。会話と同じということは話芸などとも同じなのです。早口だけが魅力的なのではなく、訥弁で語るのも味わい深いものなのに、そこが忘れられてしまいます。小難しいフレーズを並べるよりも、ルイ.アームストロングみたいにシンプルに歌う方が説得力のあるものになると思うのです。
「間違えたら恥ずかしい」
という人も多くいます。が、ゲームであれスポーツ出あれ勉強であれ、全ての習い事は「練習の過程で間違えながら上達する」のが常なのです。その間違え方さえ個性的なのです。間違えることを恐れて躊躇すると結局練習ができなくなるので結果として上達しないのです(これ、外国語会話でも同じことがよく起きています)。
この辺りに壁を作らないようにすると上達が早いと思うのです。
やっちゃった、日産。
業績悪いとは言われてたけど、ホンダと提携というのには驚きました。しかも三菱も合流かも、という。なんだそれ。
以下全く根拠ナシの思い付き問わず語りです。
過去に業績が傾いた時、ルノーの支援を仰いで、目鼻が付いたらカルロス.ゴーンを排除して(ここの真相はよくわからないけど)ルノーと手を切ってまたダメになってこの有様。なぜか鴻海からのアプローチを嫌って国内で結束しちゃった。かつてヨーロッパの資本が入ることを容認したのに外資の参画を拒んだのはアジアの企業だからなのかな?台湾企業と組んだら中国で勝負できないと言う判断なのかな?そもそもEVでは価格的に太刀打ちできないのに?合併して世界第3位なんかにならなくても生き残る道があることはテスラに限らず海外にもたくさんメーカーがあると思うんだけど。
受けたホンダもどうかと思うけど、日産のやらかした感がなんとも。
お手並み拝見。