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ウエストコーストジャズ雑感

私がいわゆる50年代のウエストコーストジャズを面白がりだしたのは2000年くらいからではなかったかと思います。きっかけはDave Pell OctetのラッパだったDon Fagerquist。ファットでスイートで歌心溢れるプレイに惹かれました。私はフレディ.ハバードからジャズに引っ張られたので、彼をきっかけにウディ.ショウ、ランディ.ブレッカー、トム.ハレルなど東海岸のポストバップ系一辺倒だったのから少しずつシフトしていきました(もちろん今もどっちも好きだけど)。当時まだデイブ.ペルが健在でオクテットの譜面も売っていたので、少しずつ買い集め始め、ライブをしたのがきっかけでホテルのラウンジで毎週土曜日演奏することとなり3年やったので、その間に譜面も買い増したりトレードしたり自分で起こしたりで70曲くらいになっちゃいました。我々のアンサンブルは本家に伍するくらいのタイトなサウンドになっていたので、動画を見たデイブが驚いていたことをよく覚えています。このアンサンブルをきっかけにしてビッグバンドやテンテットなどの中規模-大規模のアンサンブルをやるようになっていきました。私個人としては「ジャズというアメリカのオリジナルアートフォームを演奏する日本人として、日本で知られていないけど素晴らしい内容のものを紹介していくべき」という意識があったので、ビッグバンドでも日本で知名度のない白人系のコンポーザーの譜面や時にはヨーロッパの作家の譜面がメインになりました。ジャズを始めた頃は黒人の音楽としてのジャズどっぷりだったのですが、多分今の私の対外的なイメージはウエストや白人系の音楽をやる人という印象の方が強いかもしれません。でも若い頃は他にも多くの人がそうであるように黒人っぽいカッコいい音楽をやりたい、というのがあったように思います(今のそれはあるけど)。

 

今のご時世、あんまり人種のことを云々言うのはアレなのですが、それでもやっぱり人種や国籍による音楽の微妙な違いってのはあって、恐らくはウエストコーストの白人主体のジャズ(ウエストにも黒人のミュージシャンはいたのに、いわゆるウエストコーストのカテゴリーからは外される傾向にありがち)ってのはブラックミュージックであるジャズに対して憧憬の念を持っている白人のミュージシャンによるジャズであって、そのアプローチは我々日本人がジャズをやろうとする姿勢と変わらないのではないか?と言うことでした。当時色々世話になってた阿木譲さんともそんな話をよくしたような記憶があります。昭和の日本のジャズ評論家は音楽の守備範囲が狭いので(今のそうなのかも?)、ウエストはスイングしないとか頭でっかちだのという評価を下しがちでした。まぁそういう一面もなくはないですが、それは和声などのアカデミック化というところでシェーンベルグ やミヨーやテデスコといったクラシックの作曲家の存在が大きかった側面があるからであって、スイングしてるウエストコーストジャズもあるし十分強力なのに、それがきちんと紹介されなかった恨みがあります。ともあれ、黒人音楽であるジャズへの憧憬としての白人のジャズに対するアプローチと日本人のそれは同列に語って良いと思えるので、彼らのアプローチを辿る方が我々日本人には容易ではないかという気もします。マイルス.デイヴィスはインタビューで「白人の音楽は体に入ってこない。理屈じゃない」と言っていましたが、彼が吹き込んだBirth of The Coolは白人バンドのクロード.ソーンヒルのサウンドをダウンサイジングしたもので、しかもアレンジャーは白人のギル.エヴァンスとジェリー.マリガンでした。録音メンバーにはスタン.ケントン関係者も多数いました。ビバップとは違う音のタペストリーみたいなサウンドにマイルスが惹かれたということなのでしょうか。クリフォード.ブラウンとマックス.ローチのクインテットも実は西海岸で始動したもので、1953年のズート.シムズのJazz Immortalでジャック.モントローズの書いたアンサンブルにクリフォードが乗ったアルバムでのアイディアの多くがブラウン=ローチクインテットで使われています。ウエストとかイーストとかいうカテゴライズはミュージシャンの出自ではなく、ミュージシャンたちが名声を獲得したアルバムのレコード会社の本拠地がどこであったかに過ぎないのです。ショーティ.ロジャースはマサチューセッツだし、ジミージュフリーはテキサス(!)でした。オーネット、ドルフィー、ハンコック、エヴァンス達はウエストコースト出身ですが、東海岸のイメージです。ハンコックやエヴァンスのピアノのスタイルの基盤にあるのは西海岸の巨匠クレア.フィッシャーです。つまり、既存のウエストとかイーストなんていうカテゴライズは邪魔なのです。こうした色メガネを外すと実に面白いのです。ジャズの中でのカテゴライズ、人に違いを説明するのには便利なのですが、ここにも大きな落とし穴があるように感じています。その話はまた改めて。

テレビと芸能界と自民党

テレビほとんど見ないし芸能界の人もあんまり知らないのですが、ネットを見てるとアイドルさんが局アナさんを手籠にして慰謝料云々ってのがたくさん出てきます。個人的には日本の芸能界とかいうのは芸妓カルチャーのデフォルメだと思っているのですが、ここまで酷いとは思ってませんでした。で、こういう問題点を見ていて思うのは、芸能界とかマスメディアは
①バレなければ何をしても良い。
②最後は金目。
③責任者の所在をうやむやにして誤魔化す。
ってのが共通してあります。そしてこれが戦後の自民党政治と同じです。

つまり、こうしたことが日本の社会病理の根幹にあるんです。テレビ局は同じ穴の狢なので沈黙してますよね。

こういうのを壊さないと日本は未来永劫ダメでしょうね。

アンプって何のために使ってるんだろう?

長年、日本のいわゆる非クラシックな音楽のライブでの音量は大きすぎると考え続けています。さほど大きくないライブハウスに強力なPAシステムなんかがあるのがよくわからないんです。中学生くらいの吹奏楽部が1000人くらいのキャパで生音でコンサートできるのに、なぜか日本でジャズやポップスのコンサートやライブに行くとPAスピーカーを通した音を聴かされるんです。謎すぎます。

時代を遡って考えてみると、そもそもアンプはギターの音量が管楽器のアンサンブルにバランスできるようにと開発された気配が伺えます。録音史上管楽器とギターがタメでフロントラインを張ったのは1952年のスタン.ケントンの録音で、そこで初めてギターとトランペットが対等にラインのアンサンブルを演奏しています(メイナード.ファーガソンとサル.サルヴァドール)。つまり、生楽器と音量をバランスさせるための増幅器として使われたのがアンプなんです。ベースでは1953年にアート.ファーマーの録音でエレクトリックベースを使って録音された"Maw Maw"が恐らくは最も古いものの一つでしょう。ソリッドなエレクトリックギターやベースが開発された頃の黎明期のロックミュージックだって生音のドラムやオルガンとバランスさせる形でギターやベースのアンプが使われていたことが音源を聴くとよくわかるのですが、今の現場ってその辺りが無茶苦茶になっている気がするんです。メジャーなポップ系のミュージシャンの大会場のライブだとステージの中音も爆音で、ミュージシャンが耳栓して演奏するという現場の話も時々耳にします。それって会場のモニターがすでにモニターの役割を果たしていないってことですよね。現場としては破綻しているように思えます。

 

5年前にニューヨークで参加してバリー.ハリスのラージアンサンブルのリハーサルではビッグバンド+コーラス+ストリングスという編成をかなり広いスタジオ(赤坂のBbや新宿のPit innなんかよりもはるかに広い)で誰もアンプを使わずにアンサンブルができていました。それがバリー.ハリスのデフォルトでした。この感覚が日本ではほとんどありません。自分の経験では小野リサさんだけでした。

自分が仕切るジャズバンドでは可能な限り生音で、ギターアンプ以外は使わないでサウンドを組み上げています。これを初めて9年目になりますが、ビッグバンドでも曲によってはこれでできることを確認して実践しています。来てくれた人達からは「聴き疲れしない」というお言葉をよくいただきます。

つまり、大半のジャズライブの現場の音はお客さんを「聴き疲れ」させちゃうんです。15年以上前になるけど、アンプまでオリジナルのフェンダーローズで真空管アンプがオーバーパワーで音割れしないレベルに合わせて演奏したら素晴らしいサウンドになったことを今でもよく覚えていますが、そんな現場は滅多にありません。過剰に増幅することで音を「押し付ける」ことをしてしまっているんです。これって問題ですよね?

 

そもそも人間の聴覚ってとても繊細なんです。だからこそキース.ジャレットのソロピアノを大ホールで生音でやってる時に携帯でも鳴ろうものならそこで音の世界が壊されちゃう(キースはよくこれで怒ってた気がする)、ということをなぜか多くの人が忘れてしまうんです。生で抑えて演奏しているとお客さんがこっちに寄ってくる(耳をそばだてる感じ)感じを演奏しながら感じることがあります。つまり、我々が「引く」ことによってお客さんをこっちに引きつけることができるんです。考えてみれば、世の中の様々ことが「押す」ことばかりで「引く」ことを忘れているように思えます。

 

80年代のプロレスで総合格闘技系がブームになった時にジャイアント馬場が

「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させてもらいます」

というような名コピーを残しましたが、それを借りるならば、

「みんなが音量増幅に走るので、私、生音を独占させていただきます」

と言いたいなぁ、と思うのです。

 

そもそも今のご時世全般的に、「引き技の美学」が忘れられてますよね。音楽を生音でやることは引き技でもなんでもなく「素」なのですがねぇ。