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日本人に失われてしまいつつあること

いつの頃からかちょっと定かではないですが、この20年くらいで我々日本人の中で急速に失われてきていることがあります。それは

 

「相手の立場に立ってものを考える」

 

ということです。例えば近年公共交通機関で幼児がギャン泣きすることとか公園や学校がうるさいとかなんとかいうクレームをネットなどでよく見かけるのですが、こういうのって典型的だと思うのです。公共の場で子供が云々というのを例にしてみると、それに文句を言っている人だって幼児の時にそういうことをしていたかもしれないし、自分が子供を持つ立場になって公共の場で子供にギャン泣きされたら?っていう想像力が欠如してるんです。昔から「泣く子と地頭には勝てぬ」と言いますが、クレームする前にちょっとそういう想像力があればそんなにことを荒立てる話ではないのです。ちょっと脱線しますが、公園や学校が子供でうるさいのは当たり前。それができる前からその土地を所有しているのであればともかく、そうでない人がクレームを言うのは憲法で保障されている社会権の濫用でしかないのではないか、と思えるのです。そして不思議なことに電車の線路脇に住んでいる人が電車がうるさいから止めろ、というクレームなどついぞ聞いたことがありません。なんででしょう?

 

それからヘイトデモ。義憤にかられる人は多少はいるのでしょうが、その現場にいる人の大半は現地の住民もしくはきちんと在留資格を取っている外国人なはずで、大半の人にとっては迷惑でしかありません。こうした人々のことが考慮されません。こうした問題、不法残留を問題にするならば品川の入管前でやるのが筋だし、外国人に犯罪の疑いがかけられたけど不起訴になったことを憤るのであればそれは当該警察や司法機関前でやるべき話。我々日本人がワーホリで海外で働いてたらヘイトされたらどう思う?っていう視点も抜け落ちています。

 

それと、最近気がついて実に滑稽だと感じているのが日本人の外国語コンプレックス。そもそも日本人って勉強と自己表現については昔から

 

「間違えたら恥ずかしい」

「間違えてはいけない」

 

という強迫観念がものすごく強いんです。これがあるために会話の練習を躊躇しちゃうからいつになっても練習ができなくて上手になれないという残念な状況になっています。でも、我々日本人の多くがおもてなしだかなんだか知りませんが、外国人にたどたどしい日本語やら英語で道とかを尋ねられると一生懸命聞いて答えてあげようとする人の比率は結構高いんです。

 

「その逆の立場が容認できないのはなぜ?」

 

相手のお世辞にも上手でない日本語を聞いて理解してあげようという感覚があるのならばなぜその逆が許容できないの? ということです。

 

この感覚の欠如が無駄に社会をギスギスさせたり色々な問題を引き起こしているような気がします。昭和的なことがディスられていますが、昭和の人間から見るとこの辺りは昭和の方がまともだったように思えてなりません。

 

ジャズが普及しにくい理由について

永年色々付き合いがあって一昨年亡くなったLAの名人、Carl Saundersを日本に呼んでクリニックをやった時に、彼がジャズが広まりにくい理由としてかたったことがありました。曰く、「ジャズは聴き手にも知性を要求するので広まりにくい」と。

彼はタイムの重要性を語りながらこう言ったんだけど、つまり、ジャズではリズムセクションのインタープレイなどで「ビートが見えにくい」音楽なんです。だからリズムトランスみたいなことにはまずならない、と。これは説得力がありました。しかも、ジャズって黒人由来、すなわち被差別民族由来の音楽なのに、その理解にインテリジェンスが必要なんです(和声などのアカデミック化にはヨーロッパの白人の力が大きいんだけど)。そこみひがみややっかみを生みやすい要素もあるなぁ、と。ジャズ自体は極めてリベラルで可塑性の高い音楽なので、やはり愛好家にはどちらかというとインテリジェントな層が多い感じがします。クリントン元大統領がサックス吹いたり、カマラ.ハリスやバーニー.サンダース辺りがジャズ好きであること、元FRB長官のアラン.グリーンスパンが若い頃バンドマンだったけどスタン.ゲッツと並んで吹いて自分の才能に見切りをつけて経済学者になった話など、いろいろな話があります。ともあれ、ジャズっていじめられっ子的というか鬼っ子的な要素が強い感じがするのです。やっててこんなに面白い音楽は他になかなかないのですが、そんな要素が多いので、その素晴らしさが理解されにくいのかもしれません。で、ジャズをやってる側ももっと聴いてもらえるようにしたいと様々な「新しい」ことを提示するのですが、そうしたものの大半が「アカデミックで難解でついていける人が少ない」ために報われない結果を招いている、という風にも見えなくはありません。この辺りは実に難しい話です。

Speak Like A Child

言わずと知れたハービー.ハンコックの名作ですね。この表題曲、映像を検索すると本人がピアノトリオでやってるのがあるのですが、それを聴いてるとなんとなく煮え切らない感じなのです。やはりこの曲はあの管のアンサンブルがないとダメなんです。ボブ.ミンツァーのアレンジしたビッグバンドのもありますが、やはりオリジナルの管が素晴らしいんです。なぜって音楽って音のデザインだから、オリジナルデザインは大事なのです。Mwandishiバンドはこの3管を軸にしてエレクトリックになったバンドでしたが、Toysはよく演奏してるけどSpeak Like a Childは記録がないですね。ともあれ、音楽というのは「演奏され続けることでスタイルが残るもの」であって、何十年も前のオリジナルの録音でしか楽しめないというのはいかがなものなのか、と思うのです。しかし困ったことにジャズだとビッグバンド以外の編成、特にスモールバンドのアレンジなんて譜面が残らないのです。イームズの椅子のレプリカがあるように、ジャズのアンサンブルだってレプリカされても良いはずなのです。ベニー.ゴルソンのいわゆるゴルソンハーモニーと呼ばれる彼のアレンジをリアレンジしたら、それはもうゴルソンハーモニーではないのです。ここはもっと大事にされて良いのではないか?と思うのです。演奏者が違うからインプロバイズのところは同じになることはないけど、テーマなどの「様式美として固まっているもの」は再演しても良いのではないかと。

個人的にはビッグバンドの過去の名曲を取り上げるのと同じ感覚でやりたいし、8〜10人程度の中規模編成のアレンジのトランスクライブは個人的にはやりがいのある作業です。なぜってクラシックと同じように、ジャズにも時代で様々なスタイルがあるからです。

というわけで、4月にハービーの3管でいくつか再演をしてみます。実は十数年前にあのアルバムを全部再現するセッションをしたことがあるのですが、他の曲を持ち込みにくくてそのままにしてたのです。今回は60〜00年くらいに書かれた曲をあの3管にアレンジして加えます。フェンダーローズがあればCTIみたいな音ができるんだけどなぁ、とも考えています。少し先の話ですが、楽しみにしています。