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AIや翻訳ソフトは可能な限り使わない宣言

今は便利な時代で、翻訳ソフトやAIが自分が考える手助けをしてくれるようですが、どうも私はそれらが好きになれません。「自分で考える」ということを放棄してしまうようにしか感じないのです。

英語の文献をあたる時に翻訳ソフトを使うのは便利ではあるのですが、機械が出してくる日本語訳には違和感が多いし、何よりも「自分で原典を当たっている」という感覚が極めて希薄です。読めてはいるけど自分の血肉にならない感覚がいつもあります。上っ面だけは見えるけど、自分で掘り下げる感覚が感じられません。読み切ったという満足感もないですし。

そもそもこういう行為って「思考放棄」に近いものなのではないかと思えてならないのです。AIに作曲させるのは作曲家としては作曲の放棄でしかありません。AIも曲は書けるんだろうけど、それはハービー.ハンコックが言った「音楽がどうでもいいものになってしまった」ということでしかないように思えます。技術の進化を享受することで個人の思考能力は退行するのではないかと。

年寄りになりつつあるから、こういう考えは古いのかもしれません。でも、古いことが誤りで正せられるものでは決してないと思うのです。

「人工知能に頼りすぎるのは危うい。」

これだけははっきり言っておきたいと思います。

ジャズってシリアスじゃないとダメなのかな?

どうも日本でジャズを演奏するとかインプロバイズするとかいうと求道的というかシリアスであることが要求されるイメージが強いように思えます。まぁ確かにコルトレーンみたいに命を削るような壮絶な音楽もあるわけですが、それだけではないように思うんですよね。レスター.ヤングやエリントンやベイシー、スタン.ゲッツなんかの音楽にはそうした「求道的なもの」は少なくとも表面上は希薄です。っていうかジャズってエンターテイメントなのに、そこに対する視点が抜け落ちてるようにも思えます。いわゆる黒人コテコテ系のジャズなんかは寄席の色物的な感じもしないではありません。エンターテイメント的お約束満載で楽しく明るくハッピーにやってる感じです。個人的には清濁併せ呑む芸風でありたいですが、あんまり険しい顔してやるようなものではないのではないのかなぁ、と(その裏側で色々な努力が積み重ねられてるのは見せないだけで)。

アドリブはシンプルなことから始めよう。

ジャズのアドリブをやりたいという人は潜在的には結構な数がいるのではないかとおもうのだけど、その多くの人が難解というイメージや敷居の高さで彷徨ってしまっているように思われます。パーカーやらコルトレーンとかのイメージが強いのかもしれませんし、高度な技術を持って求道的にやるイメージも強いのかもしれません。挙句「同じことをやってはいけない」なんていう言葉もあったりします。困ったものです。
何度も書いていることなのですが、アドリブの習得プロセスは外国語会話のそれと全く同じなんです。話芸に通じる部分も多いのです。能弁だったら良いというわけではありません。ゆっくり訥々と語った方が説得力があるかもしれません。話芸と同じで奥が際限なく深いですし、最終的には何をやっても大丈夫というところにまで帰結するのですが、まずはメロディフェイクみたいなことから始めてみれば良いことだと思います。ルイ.アームストロングのあのメロディの崩し方、そういうところから始めれば良いのです。英会話でも多くの人が「ネイティブみたいに流暢に話したい」とか言いますが、羞恥心が前に出過ぎて練習を躊躇するから結局練習できなくて上手くならないのと同じです。リズムに乗って(これとても大事)、シンプルに歌えれば良いのだと思います。それをやってるうちに理論的なことも徐々にわかってくる感じだと思います。ここが忘れられているような気がしてなりません。奥は際限なく深いけど、決して難しいものじゃないですよ、ジャズ。