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私達はバカじゃない!

「私達はバカじゃない!」

 

こんな番宣コピーを作ってたのはバブル期あたりのフジテレビ。オールナイトフジのコピーでした。このコピー、嫌いでした。番組自体アホらしくて見てなかったんだけど、これって製作する側が出演してる学生をバカ扱いしてて、彼女達に「バカじゃない!」と言わせることで「こいつらバカだよなぁ」っていう印象を与える仕組みになってたからです。こういうのが何十年も積み重なっての今の現実、なんじゃないかと思えてなりません。

 

「面白くなければテレビじゃない」

 

こんなコピーもありましたよね。この「面白ければなんでもあり」みたいなのも今思うに相当ひどいです。昔の話芸ってのには例えば下ネタはやらない、とか客をいじらない、とかいくつかの禁じ手があったはずなんです。それをとんねるずやダウンタウンが壊しちゃった。結果として一歩間違うと虐めになるようなことで笑いを取るようになり、番組出演者が自殺するようなことまで起きてしまいました。芸には型というのがあって、ルールの中でその型を絶妙に崩すのは「型崩れ」として面白いんだけど、ルールを無視するのは「型無し」でダメなんですよね。型無しが当たり前な製作の現場がクリエイティブなわけがない。だから面白くないです。「遊び」がなぜ面白いのか、というところの根本を壊してしまっているわけですから。昔は「子供は大人の社会の鏡」って言ってたけど、もしそうならば今の子供達の中であるいじめだのなんだのってのはこうして安易に製作された番組に子供が影響されるからではないかとさえ考えてしまいます。視聴者をバカにして本気で作ってないんじゃないかな、とも考えてしまいます。

 

「私達はバカじゃない!」のです。

 

ともあれ、こうした問題はどの民法の放送局も似たり寄ったりな気がするのですが(公共放送もすでにちょっと怪しい)、ここまで問題が大きく露呈してしまった放送局はもう退場でいいんじゃないかな、と感じています。最近のテレビ局は報道もなんだかおかしなことになりつつあるように見えるので、電波メディアからは距離を置きつつあります。とは言えネットはさらにほぼ石だらけの玉石混交なので信用できず、国際政治経済関係は必要であればBBCあたりで裏をとるようになってしまいました。

 

面倒臭い時代になってしまいましたねぇ。

吉本興業に見る日本の「田舎者」体質

吉本興業が「東京進出」とか言い出したのはいつごろだったでしょうか。30年くらい前ではなかったか。私はこれを言い出した頃からここのお笑いに懐疑的になっていったような気がします。何か「大阪は東京より下」みたいな劣等感みたいなのが感じられたからかもしれません。東京と大阪では文化が少し違います。違うから面白いわけで、「吉本見たかったら大阪へ来んかい」で良かったと思うのです。例えが正しいかわかりませんが、「ニューヨークをハリウッドにする」みたいなことをする必要なんかなかったのではないかと思えるのです。これもまた東京一極集中の弊害なのかもしれません。日本的な「中央と地方」的な発想がそうさせたのかもしれません。その意味で吉本興業は「田舎者」に見えます。中央の権力におもねってボロがどんどん出てくる感じがします。面白くなくなったような気もしますし。まぁどうでも良いことですが。

違憲判決の意味するもの

つい最近、同性婚を認めないのは違憲であるという判決が出ました。

 

マスメディアは「違憲」であることだけを報道していて、違憲判決の意味することを全く伝えていません。この裁判で司法が「違憲」としたのは、民法における婚姻の規定が現行憲法と合致していないという判断であって、つまり、司法から「立法府は民法の婚姻については違憲なので民法改正をするべき」という判断がなされた、ということです。もしくは「現行憲法に照らし合わせて民法の婚姻の規定が違憲であるのは立法府の怠慢である」という判断がなされたということです。

 

現行の民法は明治時代中期に制定されたものです。勉強したのはもう何十年も前のことなので仔細を覚えていませんが、百数十年以上前の法律であり、大日本帝国憲法下の民事規定なので、社会の変化によって現在ではおかしなことになっているものなどが残っている可能性があります。婚姻の法律規定はまさにその代表格の一つであると考えられるのです。

 

とすると、やはり問題は立法府、すなわち国会の怠慢でしかないように思われます。しかも困ったことに長年政権を担当している与党自民党はLTGB的なものに対する考え方が消極的であり、本件判例をもって民法改正に腰を上げられるかどうかが疑わしいのです。違憲状態のまま長期間放置される可能性が否定できません。違憲状態を司法が認識したことと、法律が改正されて名実ともに同性婚が認められるのは全然違う話であって、今回の違憲判決を基にして、民法改正に向けて国民がアクションを起こさないと変わらないのです。アクションといってもデモなどおしなくても民法変更に腰の重い政党には投票しない、などの意思表示をすることで変えられるはずで、これこそが国民主権の正しい行使と思うのです。

 

違憲判決だけで喜んでいては問題の真の解決にはならないわけで、違憲判決が報道されることで世論がガス抜きされることを回避するあれこれを考えていくべきなんだろうな、と考えるわけです。