違憲判決の意味するもの | music-geek

違憲判決の意味するもの

つい最近、同性婚を認めないのは違憲であるという判決が出ました。

 

マスメディアは「違憲」であることだけを報道していて、違憲判決の意味することを全く伝えていません。この裁判で司法が「違憲」としたのは、民法における婚姻の規定が現行憲法と合致していないという判断であって、つまり、司法から「立法府は民法の婚姻については違憲なので民法改正をするべき」という判断がなされた、ということです。もしくは「現行憲法に照らし合わせて民法の婚姻の規定が違憲であるのは立法府の怠慢である」という判断がなされたということです。

 

現行の民法は明治時代中期に制定されたものです。勉強したのはもう何十年も前のことなので仔細を覚えていませんが、百数十年以上前の法律であり、大日本帝国憲法下の民事規定なので、社会の変化によって現在ではおかしなことになっているものなどが残っている可能性があります。婚姻の法律規定はまさにその代表格の一つであると考えられるのです。

 

とすると、やはり問題は立法府、すなわち国会の怠慢でしかないように思われます。しかも困ったことに長年政権を担当している与党自民党はLTGB的なものに対する考え方が消極的であり、本件判例をもって民法改正に腰を上げられるかどうかが疑わしいのです。違憲状態のまま長期間放置される可能性が否定できません。違憲状態を司法が認識したことと、法律が改正されて名実ともに同性婚が認められるのは全然違う話であって、今回の違憲判決を基にして、民法改正に向けて国民がアクションを起こさないと変わらないのです。アクションといってもデモなどおしなくても民法変更に腰の重い政党には投票しない、などの意思表示をすることで変えられるはずで、これこそが国民主権の正しい行使と思うのです。

 

違憲判決だけで喜んでいては問題の真の解決にはならないわけで、違憲判決が報道されることで世論がガス抜きされることを回避するあれこれを考えていくべきなんだろうな、と考えるわけです。