BGM
今日はちょっとのんびりモードです。
仕事中、CADが起動中は、i-tuneから音楽を流しています。
音楽が流れていると、集中モードに入れないスタイルもありますが
私は、音楽で仕事のモチベーションをあげるタイプのようです。
ですから、朝から晩まで音があるのです。
でも、実際は耳には殆ど入ってなく流れていってますが、毎日が単調にならないような
方法のひとつとして音楽をモチベーションのツールにしています。
朝一番の密かな楽しみは「今日の一曲目は何にしようかな?」から始まり
昼食後の眠気を伴う時間はあえてスローがいいいか?はたまたハイスピードがいいか?
そして、夜半遅くのもうひと頑張り時にはハイテンションで進むか、もしくはフェードアウト気味に
メローなビートにするか?そして、最後の、帰り支度中の〆の一曲は?などなど
常に音がリンクしています。
ですから、i-tuneにはジャンルを問わず様々な音がはいっています。
クラシックからjazz,はたまた子供のi-pod用に入れるj-popなどもそのまま入っています。
持論で恐縮ですが、音楽はどんな曲でも、その時間内に起承転結があり
旋律による情緒性に富み、ストーリーやテーマがありながら、聞く側の感情を柔軟に
受け入れてくれる懐がある。
とても高い次元のクリエイティビティを持っていると思います。
そういった意味からも、5分や10分など短時間内にもかかわらず表現が豊かな音楽は
ものづくりを生業としている私にとっても、感性を鍛えてくれるものと思います。
さてさて、今朝の一曲目はベタ過ぎてスミマセンが快晴な朝にふさわしく
Al Jarreauのmornin'で始まりました。
(まるで、9月1日にラジオでEarth Wind&FireのSeptemberが必ずや
on airのごとくで恥ずかしいですが・・・)
でもJay Graydonのアレンジは今聞いてもやっぱりイイ!
そして、今現在は冬なのであえて、smoothjazzのBob BaldwinのBrazil Chillを流してます。
さて今日の帰りの〆は何にするか?
話変わって、仕事の話をほんのチョットですが
住宅設計なので、ご家族全員でのご参加になると土曜日と日曜日のケースが多いです。
今日も、午前中と夕方に一組ずつの打ちせをお願いしています。
どちらも、基本設計のプレゼンテーションの段階でスタートラインに立った感じです。



仕事中、CADが起動中は、i-tuneから音楽を流しています。
音楽が流れていると、集中モードに入れないスタイルもありますが
私は、音楽で仕事のモチベーションをあげるタイプのようです。
ですから、朝から晩まで音があるのです。
でも、実際は耳には殆ど入ってなく流れていってますが、毎日が単調にならないような
方法のひとつとして音楽をモチベーションのツールにしています。
朝一番の密かな楽しみは「今日の一曲目は何にしようかな?」から始まり
昼食後の眠気を伴う時間はあえてスローがいいいか?はたまたハイスピードがいいか?
そして、夜半遅くのもうひと頑張り時にはハイテンションで進むか、もしくはフェードアウト気味に
メローなビートにするか?そして、最後の、帰り支度中の〆の一曲は?などなど
常に音がリンクしています。
ですから、i-tuneにはジャンルを問わず様々な音がはいっています。
クラシックからjazz,はたまた子供のi-pod用に入れるj-popなどもそのまま入っています。
持論で恐縮ですが、音楽はどんな曲でも、その時間内に起承転結があり
旋律による情緒性に富み、ストーリーやテーマがありながら、聞く側の感情を柔軟に
受け入れてくれる懐がある。
とても高い次元のクリエイティビティを持っていると思います。
そういった意味からも、5分や10分など短時間内にもかかわらず表現が豊かな音楽は
ものづくりを生業としている私にとっても、感性を鍛えてくれるものと思います。
さてさて、今朝の一曲目はベタ過ぎてスミマセンが快晴な朝にふさわしく
Al Jarreauのmornin'で始まりました。
(まるで、9月1日にラジオでEarth Wind&FireのSeptemberが必ずや
on airのごとくで恥ずかしいですが・・・)
でもJay Graydonのアレンジは今聞いてもやっぱりイイ!
そして、今現在は冬なのであえて、smoothjazzのBob BaldwinのBrazil Chillを流してます。
さて今日の帰りの〆は何にするか?
話変わって、仕事の話をほんのチョットですが
住宅設計なので、ご家族全員でのご参加になると土曜日と日曜日のケースが多いです。
今日も、午前中と夕方に一組ずつの打ちせをお願いしています。
どちらも、基本設計のプレゼンテーションの段階でスタートラインに立った感じです。



特に題はなし
全くの個人主観ですみません。しかも今日も建築のはなしではありません...
事務所から打合せ先、現場、そして役所など、遠方への移動にバスや電車を利用しています。
車内に乗り込んで廻りを見渡し、いつも考えてしまいます。
老若男女とまでは大袈裟かもしれませんが
皆さん、自分の手の中を見続けているのです。
つまり、「ケイタイ」が目線の先なのです。
メールをしているのか?サイトを見ているのか?はたまた動画を見ているのか?
よくわかりませんが、とにかく目線が一箇所に集中しているのです。
しかも私から見ると一心不乱に...何かから避けるかのごとく...
確かに公共車内は移動手段という目的が主です。(特に市街地では)
コミュニケーションの空間でないことはわかっています。
でも、これらのツールが浸透する前と雰囲気は一変しています。
下世話で恐縮ですが
「おっ、前の人の靴カッコイイジャン!」
「おー、すげー奇麗な女性だなー」(まったくオヤジなわたしでスミマセン)
「あれ、あの建物いつできたの?」
「おっ、橋にさしかかったぞ、景色が抜けていいなー」
などなど、たわい無い事でも、変化を感じ取ったりと、
以前は双方向でないにしろそれぞれの思いや気持ちが一方通行ながら
空気感として、どこかへ向かって流れていたように感じていました。
前述のように移動手段という目的が主であるゆえに、それ以上のものを
求める事がナンセンスかもしれませんが、「ケイタイ」ツール出現を境に
必要以上の個人主義が増幅されている気がしてなりません。
その、個人主義の要因が「受動主体の情報」に依存している状況についつい、違和感を
感じてしまうのです。(メールは双方向かもしれませんが...)
「現代人の一週間分の情報量が、2世紀ほど前の人々の一生分の情報量となる」という話があります。
確かに現代の時間軸に沿うには「必要な情報量」かもしれません。
ただ、それらの「質」はどうかな?とも同時に考えてしまいます。
例え、「情報量」が半減しても現実の環境に目を移したり
意図的に思考を止めて「ぼーっと」したりする事の方がリアリティのある感性が得られると
思います。
また、感じ取る感性力を備えて「情報」に向かうことで
より「情報」の理解が深まり、それを判断し、結果として多くの「情報量」からの取捨選択によって
「得るべき情報」の本質が見極められる気がします。
わたしの脳は、情報量を蓄積、判断するキャパシティは残念ながら少なそうです....
要するにアナログかつ、おバカなわけですが
自分でそれを認識した上で、本当に必要なシンプルな情報とそれを見極め判断ができるような
「情報量」と付合っていくつもりです。
でも、電車の中で本を読んでもすぐに寝ちゃってヨダレ垂らしてる私に限っては、それ以前に
論外か....

スマートフォンが主流のなか、いまだこんな電話機
i-phoneなんてデザインかっこいいけどね...
事務所から打合せ先、現場、そして役所など、遠方への移動にバスや電車を利用しています。
車内に乗り込んで廻りを見渡し、いつも考えてしまいます。
老若男女とまでは大袈裟かもしれませんが
皆さん、自分の手の中を見続けているのです。
つまり、「ケイタイ」が目線の先なのです。
メールをしているのか?サイトを見ているのか?はたまた動画を見ているのか?
よくわかりませんが、とにかく目線が一箇所に集中しているのです。
しかも私から見ると一心不乱に...何かから避けるかのごとく...
確かに公共車内は移動手段という目的が主です。(特に市街地では)
コミュニケーションの空間でないことはわかっています。
でも、これらのツールが浸透する前と雰囲気は一変しています。
下世話で恐縮ですが
「おっ、前の人の靴カッコイイジャン!」
「おー、すげー奇麗な女性だなー」(まったくオヤジなわたしでスミマセン)
「あれ、あの建物いつできたの?」
「おっ、橋にさしかかったぞ、景色が抜けていいなー」
などなど、たわい無い事でも、変化を感じ取ったりと、
以前は双方向でないにしろそれぞれの思いや気持ちが一方通行ながら
空気感として、どこかへ向かって流れていたように感じていました。
前述のように移動手段という目的が主であるゆえに、それ以上のものを
求める事がナンセンスかもしれませんが、「ケイタイ」ツール出現を境に
必要以上の個人主義が増幅されている気がしてなりません。
その、個人主義の要因が「受動主体の情報」に依存している状況についつい、違和感を
感じてしまうのです。(メールは双方向かもしれませんが...)
「現代人の一週間分の情報量が、2世紀ほど前の人々の一生分の情報量となる」という話があります。
確かに現代の時間軸に沿うには「必要な情報量」かもしれません。
ただ、それらの「質」はどうかな?とも同時に考えてしまいます。
例え、「情報量」が半減しても現実の環境に目を移したり
意図的に思考を止めて「ぼーっと」したりする事の方がリアリティのある感性が得られると
思います。
また、感じ取る感性力を備えて「情報」に向かうことで
より「情報」の理解が深まり、それを判断し、結果として多くの「情報量」からの取捨選択によって
「得るべき情報」の本質が見極められる気がします。
わたしの脳は、情報量を蓄積、判断するキャパシティは残念ながら少なそうです....
要するにアナログかつ、おバカなわけですが
自分でそれを認識した上で、本当に必要なシンプルな情報とそれを見極め判断ができるような
「情報量」と付合っていくつもりです。
でも、電車の中で本を読んでもすぐに寝ちゃってヨダレ垂らしてる私に限っては、それ以前に
論外か....

スマートフォンが主流のなか、いまだこんな電話機
i-phoneなんてデザインかっこいいけどね...
敷地を見にいく
家を設計して建てるには当然のことながら「場所」が必要です。
私の最初の仕事は「敷地を見る」ことからはじまります。
お客様からの家づくりへの希望や気持ちを伺い
お会いしたご本人のイメージも携えて「敷地」を見に行くのです。
ここにかける時間を私はとても大切にしています。
その敷地の地域性による法的な制約や敷地境界のポイントや給水や排水といった
インフラ要素の確認はもちろんですが、それはあくまで最低限の作業であり
そして「情報」に過ぎないと考えています。
「情報」では決して得る事が出来ない「敷地への感覚」が重要に思えますし
私に至っては、自分自身がその場所に身をおかなければ、設計の手が動いてくれないのです。
非常に抽象的な「何か」の糸口をつかむため敷地に向かうのです。
そしてその「何か」を見つけるには、敷地には何度となく向かいます。
時間を変えて赴いたり、天気を変えて赴いたりと、とにかくその敷地にしかない
オリジナルな「何か」を探すのです。
結果として感じ取った糸口が見えてくると、不思議に「情報」による束縛制限から
解き放たれはじめ、同時にお客様からの希望や気持ちとリンクし始めて
設計の軸のようなものができてきます。
そして、敷地と建物の関係が強まることで、敷地そのものに新たな息吹が生まれる気がしています。
敷地はどれをとっても、同じものはひとつとしてありません。
例えば、同じ大きさや同じ形が連なって開発された分譲地でも、ひとつひとつに個性があります。
そして、そこに住まう方の個性によってその色が一層強まります。
そんな謎解きにも似た、「敷地を見にいく」行為が設計のスタートラインとして
いつも新鮮な気持ちで始めています。
私の最初の仕事は「敷地を見る」ことからはじまります。
お客様からの家づくりへの希望や気持ちを伺い
お会いしたご本人のイメージも携えて「敷地」を見に行くのです。
ここにかける時間を私はとても大切にしています。
その敷地の地域性による法的な制約や敷地境界のポイントや給水や排水といった
インフラ要素の確認はもちろんですが、それはあくまで最低限の作業であり
そして「情報」に過ぎないと考えています。
「情報」では決して得る事が出来ない「敷地への感覚」が重要に思えますし
私に至っては、自分自身がその場所に身をおかなければ、設計の手が動いてくれないのです。
非常に抽象的な「何か」の糸口をつかむため敷地に向かうのです。
そしてその「何か」を見つけるには、敷地には何度となく向かいます。
時間を変えて赴いたり、天気を変えて赴いたりと、とにかくその敷地にしかない
オリジナルな「何か」を探すのです。
結果として感じ取った糸口が見えてくると、不思議に「情報」による束縛制限から
解き放たれはじめ、同時にお客様からの希望や気持ちとリンクし始めて
設計の軸のようなものができてきます。
そして、敷地と建物の関係が強まることで、敷地そのものに新たな息吹が生まれる気がしています。
敷地はどれをとっても、同じものはひとつとしてありません。
例えば、同じ大きさや同じ形が連なって開発された分譲地でも、ひとつひとつに個性があります。
そして、そこに住まう方の個性によってその色が一層強まります。
そんな謎解きにも似た、「敷地を見にいく」行為が設計のスタートラインとして
いつも新鮮な気持ちで始めています。