特に題はなし
全くの個人主観ですみません。しかも今日も建築のはなしではありません...
事務所から打合せ先、現場、そして役所など、遠方への移動にバスや電車を利用しています。
車内に乗り込んで廻りを見渡し、いつも考えてしまいます。
老若男女とまでは大袈裟かもしれませんが
皆さん、自分の手の中を見続けているのです。
つまり、「ケイタイ」が目線の先なのです。
メールをしているのか?サイトを見ているのか?はたまた動画を見ているのか?
よくわかりませんが、とにかく目線が一箇所に集中しているのです。
しかも私から見ると一心不乱に...何かから避けるかのごとく...
確かに公共車内は移動手段という目的が主です。(特に市街地では)
コミュニケーションの空間でないことはわかっています。
でも、これらのツールが浸透する前と雰囲気は一変しています。
下世話で恐縮ですが
「おっ、前の人の靴カッコイイジャン!」
「おー、すげー奇麗な女性だなー」(まったくオヤジなわたしでスミマセン)
「あれ、あの建物いつできたの?」
「おっ、橋にさしかかったぞ、景色が抜けていいなー」
などなど、たわい無い事でも、変化を感じ取ったりと、
以前は双方向でないにしろそれぞれの思いや気持ちが一方通行ながら
空気感として、どこかへ向かって流れていたように感じていました。
前述のように移動手段という目的が主であるゆえに、それ以上のものを
求める事がナンセンスかもしれませんが、「ケイタイ」ツール出現を境に
必要以上の個人主義が増幅されている気がしてなりません。
その、個人主義の要因が「受動主体の情報」に依存している状況についつい、違和感を
感じてしまうのです。(メールは双方向かもしれませんが...)
「現代人の一週間分の情報量が、2世紀ほど前の人々の一生分の情報量となる」という話があります。
確かに現代の時間軸に沿うには「必要な情報量」かもしれません。
ただ、それらの「質」はどうかな?とも同時に考えてしまいます。
例え、「情報量」が半減しても現実の環境に目を移したり
意図的に思考を止めて「ぼーっと」したりする事の方がリアリティのある感性が得られると
思います。
また、感じ取る感性力を備えて「情報」に向かうことで
より「情報」の理解が深まり、それを判断し、結果として多くの「情報量」からの取捨選択によって
「得るべき情報」の本質が見極められる気がします。
わたしの脳は、情報量を蓄積、判断するキャパシティは残念ながら少なそうです....
要するにアナログかつ、おバカなわけですが
自分でそれを認識した上で、本当に必要なシンプルな情報とそれを見極め判断ができるような
「情報量」と付合っていくつもりです。
でも、電車の中で本を読んでもすぐに寝ちゃってヨダレ垂らしてる私に限っては、それ以前に
論外か....

スマートフォンが主流のなか、いまだこんな電話機
i-phoneなんてデザインかっこいいけどね...
事務所から打合せ先、現場、そして役所など、遠方への移動にバスや電車を利用しています。
車内に乗り込んで廻りを見渡し、いつも考えてしまいます。
老若男女とまでは大袈裟かもしれませんが
皆さん、自分の手の中を見続けているのです。
つまり、「ケイタイ」が目線の先なのです。
メールをしているのか?サイトを見ているのか?はたまた動画を見ているのか?
よくわかりませんが、とにかく目線が一箇所に集中しているのです。
しかも私から見ると一心不乱に...何かから避けるかのごとく...
確かに公共車内は移動手段という目的が主です。(特に市街地では)
コミュニケーションの空間でないことはわかっています。
でも、これらのツールが浸透する前と雰囲気は一変しています。
下世話で恐縮ですが
「おっ、前の人の靴カッコイイジャン!」
「おー、すげー奇麗な女性だなー」(まったくオヤジなわたしでスミマセン)
「あれ、あの建物いつできたの?」
「おっ、橋にさしかかったぞ、景色が抜けていいなー」
などなど、たわい無い事でも、変化を感じ取ったりと、
以前は双方向でないにしろそれぞれの思いや気持ちが一方通行ながら
空気感として、どこかへ向かって流れていたように感じていました。
前述のように移動手段という目的が主であるゆえに、それ以上のものを
求める事がナンセンスかもしれませんが、「ケイタイ」ツール出現を境に
必要以上の個人主義が増幅されている気がしてなりません。
その、個人主義の要因が「受動主体の情報」に依存している状況についつい、違和感を
感じてしまうのです。(メールは双方向かもしれませんが...)
「現代人の一週間分の情報量が、2世紀ほど前の人々の一生分の情報量となる」という話があります。
確かに現代の時間軸に沿うには「必要な情報量」かもしれません。
ただ、それらの「質」はどうかな?とも同時に考えてしまいます。
例え、「情報量」が半減しても現実の環境に目を移したり
意図的に思考を止めて「ぼーっと」したりする事の方がリアリティのある感性が得られると
思います。
また、感じ取る感性力を備えて「情報」に向かうことで
より「情報」の理解が深まり、それを判断し、結果として多くの「情報量」からの取捨選択によって
「得るべき情報」の本質が見極められる気がします。
わたしの脳は、情報量を蓄積、判断するキャパシティは残念ながら少なそうです....
要するにアナログかつ、おバカなわけですが
自分でそれを認識した上で、本当に必要なシンプルな情報とそれを見極め判断ができるような
「情報量」と付合っていくつもりです。
でも、電車の中で本を読んでもすぐに寝ちゃってヨダレ垂らしてる私に限っては、それ以前に
論外か....

スマートフォンが主流のなか、いまだこんな電話機
i-phoneなんてデザインかっこいいけどね...