江見根古屋城はJR内房線江見駅のほぼ真北、荒れた平地の向こうに見える山上にあった。
伝承などが全く無かったが根古屋という地名から城郭の存在が推定され、1987年に発見されたとか。土木工事の規模などからは戦国時代のものに見える。
縄張図はネット上で見つけることが出来る。周囲の地形と遺構の配置はこの図のような感じだろう。
(電子国土webの図上に筆者作図。位置や形状は正確でない)
午前中は安房小湊からパーク&ライドで吉尾城を訪問し、駅チカだし麓からの水平距離もそこそこと思って次の目標にしたが、まさか下山が日没ギリギリになるとは思いもよらなかった😱危ね〜
駅から線路の北へ出ようと思って、西の方にある『松木踏切』を渡ってビックリ❗️
なんと、「江見根古屋城」という道標が、向こう側にしっかり設えられているではないか🤯
しかし、この案内はほとんどトラップ…
線路の北側には数軒の民家があるが、道はその庭へ入って終わってしまう…
ここは、この消火栓のある辻を左に曲がって、コンクリ道があやふやな踏跡になってもひるまずに進み、突き当たりを右へ。
これで何とか民家の北側へ出られても、周辺一帯は荒れ果てていて、その向こうに城山が見えるのに、なかなか近づけない…
駅の真北へ向かっている道だけが、何とか草刈りされて残されている感じ。
この写真のところから左に寄って、簡易な柵の左側に付けられた踏跡を辿ってゆく。
少し行くと道を柵が塞ぐようになるが、乗り越えて進むしかない…
中はスイセンが畑のように生えているだけだが、勇気のいるアプローチだ😨
スイセン畑を越えると山の斜面。
ここにも城への案内が倒れている…
ここまで来れば、あとは比高100メートルの急斜面直登となる。
地形図に描かれている道は、ほぼ見えない💦
ワタシはここで道を見つけるのを諦めて急斜面をガツガツ直登したが、じつは道形は完全に消えてはおらず、山裾の道を塞ぐ立木とかも越えてしばらく進むと、かなり大きなソテツの木が植えられている。
ヤブに侵食されつつ踏ん張っているこのソテツの木の前から、地形図に描かれた道と思われる急なつづら折れが登っている。
ほぼ廃道状態で、土や落ち葉が積もって滑りやすいヒヤヒヤの登りだがロープ場なども残っている…
体重を思い切り預けると危険だが…💦
さて、登りでは登城道探しを諦めて急斜面を直登していったら、登りやすいところを探しているうちに次第に東側に引き込まれて、主郭部分から東南東に派生する尾根に登りついた。
この部分は、ネット上に出回っている縄張図には描かれていないようだが…
西に行くと主郭の方に行ける。
東に向かって少しずつ降りてゆくようだが、このあたりではほぼ水平。
まずはどん詰まり方向の東側へ。
少し進むと、段が現れた。
下はまた平坦な曲輪になっているようす。
段差の低い南側から降りると、端をしっかりと土塁で守られているようだった😮
ここもちゃんと城郭してるじゃんか…
この間の段、高低差が3メートルほどあって、しっかり土木工事されていたようすが窺える。
この先にもまた段らしいところがあったがだいぶ大人しくなっていた。
だが、南側の土塁はガッシリ😮
曲輪はヤブっぽくなり、北に向かって傾いてくる…
さらに先まで行ってみたが、曲輪のようにも見える平場はあったが堀切など城の内外を仕切るようなものはなく、最後は細尾根となって南東に急傾斜で下って終わっているようすだった。
では、引き返して主郭アタックじゃ〜💨
登りは麓ほどの急斜面ではないが、これで同じぐらいの高低差を登るのか…🥵
ってか、なんか道のようなものが登ってるぞ😬💦
この道が、じつは地形図に描かれている細かいつづら折れの登城道で、麓からちゃんと続いていることは下山時に確かめた😅
もう痕跡も消えたと思った地形図の道だが、残ってたか…😂
このあたりから東に尾根が伸びていて、そこにも曲輪や堀切を連ねているとのことだが、時間がなく今回はパスした…
そのうち追試しなきゃ💦
主郭は神社の境内だった頃の灯籠などが残る。
広さはテニスコートを2面並べたぐらいだろうか。
かつては倒壊した本殿がそのままだったとのことだが、今は中に埋もれていた御本尊様とともに片付けられたようす。
ただ、脇の土塁状などには瓦が積まれたりしていて、名残りはある…
神社の裏側の土塁状を越えると、尾根は東西二段になって北へ続いている。
段差はわりとハッキリしている。
20メートルばかり進むと、塚のように盛り上がっていた😮
ここが主郭の北端かな…?
その直下に、井戸のような穴が…😮
高台の上は丸い形をしている。
天端には不規則な形の穴が開いている…
細長く深さもそこそこ掘られているところは、内房の勝山城や天神山城などにもある。
これらは防空陣地だったということだが、ここもそんな戦争遺構が残っているのだろうか…
さて、この先は…
🤯💦
(鴨川 江見根古屋城 その2に続く)
(2025年2月10日 記)