鳴戸城とも。JR総武本線と東金線が分かれる成東駅から南西に1km足らずの台地上を占めていた。今は宅地開発で外郭部分の遺構が失われ、主郭の周辺のみ城址公園として残っている。
千葉氏の家臣印東四郎師常により室町時代中頃に築城され、変転を経ながらも千葉一族の城として1590年の小田原合戦を戦った。戦後は徳川家康麾下の城となり、1620年に廃城となった。
1日休みだったこの日は電車で訪問することにし、隣の日向駅チカにある森城を見てから訪問した。
1月に近くの津辺城を訪問したときに、雨や登城口探しで時間を食って後回しになっていたのだ😅
城を見に行く前に、城の東側の麓にあったという成東陣屋を見に行ってみる。
成東の駅から少し西に進んでから、南に見える丘の裾へ入って東に回り込んでゆく。
途中に城址公園への登り口があるが、今は通過。
そして陣屋のあった場所へ。
完全な住宅地の公園で、陣屋の面影は無かった😂
それでも、表の道沿いに北から流れている水路は、堀の代用だったか??
何も残っていないことが分かったので、引き返して城山への登り口へ。
水路をコンクリ板で渡しているだけの簡素な橋の袂に、案内が立っている。
ここは「関東ふれあいの道」だそうだ。
公園城と侮っていたら、薄暗い森の中へと入ってゆく😂
すぐ先で二叉になっているが、ここは左。
階段が設えられていて、斜面直登やヤブコギなどの心配はない。
途中には、なんか一丁前の竪堀状通路に見えるところも😮
比高40メートルもない丘だが階段の連続で息が切れてくる頃、突き当りになる。
左へ登ると主郭、右はすぐに北東端の曲輪になる。
北東端の曲輪は、テニスコートぐらいの広さがある。
公園だけに柵に囲まれている。
隣の主郭との間には、3メートルぐらいの段があるだけ。
柵のすぐ外には、部分的に土塁が残っているらしい。
さて、先ほどの分岐に戻って、左へ入るとすぐに主郭の虎口。
かなり深く掘り込まれている。
主郭は本丸もしくは愛宕曲輪と案内されている。ソフトボールぐらい出来そうな広さがある。
奥の方に愛宕神社が立っている。
ここも柵されてベンチやテーブルが並べられている。
すっかり自然公園の風景だが、南東側の展望はかなり雄大🙌
城にとって周囲がよく見渡せることは生命線だったろうからな…
主郭の北と西は、かなり立派な土塁で守られている。
北側のここは、高さ2〜3メートルというところ。
そして北側に小さな虎口らしいものが開口している。
ここからも城内外(往時はこの外は外郭だったが)の出入りができるようす。
この虎口から出ると、立派な空堀が走っている。
公園城だが、ここを覆うヤブはけっこうな濃さだった。
さて「関東ふれあいの道」は主郭の中を西に向かって進んでいる。
そちらの方に鳥居と一緒に構える愛宕神社。
反対側には説明板。
今残っている部分の縄張図も示されているが、立ててから45年、ちょっとくたびれてるな…
そこから奥に10メートルほどの曲輪の西端を守る土塁も、これまた立派✨
この土塁で最も高さがあるのは、北西側の角のようだ。
櫓台のようになっていた?
さて、「関東ふれあいの道」は、西側の虎口から出て空堀を渡ってゆくことになっているが…
コレかよ…😂
(成東城 その2に続く)
(2024年5月27日 記)