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この城は山慣れていない人には危険と思われます。取り付きの少し先から主郭まで踏跡は全く無く、前方が見えない中をヤブコギするような場所もあります。帰りも尾根が分岐していて道迷いの危険が口を開けています。

また、クマの生息地でもあります。

携帯電話(docomo)の電波状況は麓から主郭までの全域でほぼ良好でした。

山慣れた人を含む複数人数で、クマ対策を施しての入山をお勧めします。

 

雨引城は千曲川沿いの信越国境から山の中にかなり入ったところにある。土の遺構の凄いことでマニア憧れの的である仙当城の前を通る沢(二ノ入沢)の上流にあたる。

まだ登城した人も少なそうで、来歴などは謎に包まれているらしい。

(電子国土webの図上に筆者作図。

 GPSログではないので注意

 

この日は麓の方の城坂城を最初に訪問し、思いのほかテキパキと片付けることが出来たので、時間が取れそうな場合の目標にしていたこの城への登城をその場で決めた😅

が、何しろ道なき比高250メートルは登ったことが無く、事前に調べたところではツバキのヤブが相当酷いとのことで、普段は手ぶらで登城する私もさすがに水と食料をある程度携行して挑戦した。

それでも半袖に運動靴という出で立ちは変わらず😅

 

現在位置(取付き点、Googleマップで)

登城口になる場所は、二ノ入沢から林道が離れてさらに入って行ったところ。

何となく車を停めるスペースはあるが、デコボコだし工事車両が止まっているかもしれぬ。

 

最初の緩やかな尾根には重機の通った跡があるので、そちらをノンビリと登った😅

しばらく進むと、尾根が一旦下ったところの周辺が伐採作業なうで、そこから真西に見える緩やかな尾根に適当な場所から登る。

ここから先に道は無いので、地形図とGPSで現在位置を確認しつつ登ってゆく。

 

伐採地をすぎると、ヤブを掻き分けながらの登りになる。

地面や周囲が見えないほどではないので、目指す尾根を見失わないように登ってゆく。

傾斜はさほど急ではなく、こんな平坦なところもある。

 

何しろ、麓からの比高250メートルの道なき山。

焦らず慎重に、リラックスして登りたいところ。

 

標高600メートルあたりから水平距離200メートル強、高低差60メートルほどにかけて続くツバキのヤブが、もっとも手ごわい相手だろう🥶

 

何しろ2メートル先も見えず、中に倒木などが隠れていたりする…

とにかく進みやすそうなところを探しつつ、ひたすら上へ上へ😵‍💫💨

 

ツバキのヤブを掻き分けながら進むこと10分ぐらいか。

ようやく、正面に土壁が見えてきた。

取り付きからここまで、だいたい50分。

 

左の端に竪堀らしいものが落ちてきているのが見え、よく見ると正面右にも竪堀らしい溝が2本見える。

これが畝状竪堀群らしい。

かなり微妙だが…

 

結局ここが最大の難所で、土壁から続くツバキの激ヤブに覆われた急斜面を突破するのに10分を要した😅

その上の尾根は、地形図では平坦になってるが…

 

バッチリ、ササヤブだった💦

ここは、少し進むと右側に草の少ない平坦地が広がっていて、そちらに逃げられる。

 

そして登りきったところは、何となく曲輪のようにも見える平場だった。

標高690メートルあたり。

 

ここから主郭方向に伸びる尾根と、西側に落ちる斜面が雄大🙌

 

そして、このカーブする尾根を登っていった先、標高でいうと700メートルに届くか届かないか、というところで…

 

堀切あった〜🙌

 

とうとう、城内に到達したぞ😁

(電子国土webの図上に筆者作図。

 経路や遺構の位置等は見た目で描いているので正確でない)

 

この堀切を、中央に見える土橋で渡っている。

この堀切+土橋コンボの大きさは、駿河の瀬戸谷城で見たものと同じぐらいか。

深さはずっと深い。

 

土橋の左側は、しっかり竪堀を落としている。

 

右側は、北西側から続く斜面の南東の端っこで、竪堀状ながら数メートルで終わっている。

ここの斜面も雄大🙌

 

そこから上が広い緩斜面で、曲輪のような削平地になっていないところも、瀬戸谷城に似ているような気がする。

もっとも素人目ではよく分からない…

 

そして、この登りがダラダラと長い😂

南へカーブしながら、少しずつ登ってゆく。

 

そろそろ飽きてきそうな標高730m過ぎに…

 

これは小さそうだけど、ただならぬ溝…

 

間違いなく、城外側が土塁で仕切られた横堀だ🙌

 

幅3メートルほどで、外側を土塁を盛って仕切っているようすは、駿河、野田の城山(島田市)で見たような感じか。

こんなにキレイに残っているのは感動ものだ✨

そして西の方は、S字にカーブしながら落ちているようす。

 

ここからはまだ主郭まわりは見えないが、同じような斜面をなおも登ってゆくと、正面に主郭虎口らしいところが見えてくる。

あれが主郭か…なんて思う間もなく、眼の前にまたまた同じような横堀状が現れる。

 

さっきのをコピペしたような🙄

なんて思ったが…

 

東の方…

 

何じゃこの深い堀はっ🤯

 

さっきのよりもはるかに深く、3メートルぐらいは掘り下げられたであろう空堀が、カーブしながら南へと山裾を抉っている。

残雪もあるな😮

そしてこの堀は、足元で東側に分岐している🤯

 

ここは直線状で、これも見事✨


これは、さっきまでデジャヴを覚えていた駿河の南朝方の城たちとは、土木工事ぐあいがぜんぜん違うゾ💦💦

 

そして、ここから見上げる主郭虎口らしいところが土橋のようになっているのが見える。

 

ってことは…

 

だが、その前にこの横堀状の西のほうが気になったので、入ってみる。

西の方は堀形が次第に浅くなり、竪堀にも見える浅い谷の上端付近から斜面をなぞる道型のようになる。

この道型、先の方にもう一本落ちている谷の上を通ってなおも続いているように見えたが、その先で斜面の中に消えていた。

 

そこまで確かめてから、いよいよ主郭に向かって登る。

 

主郭虎口の、土橋の前へ。

幅2メートルほどある😮

公園城みたく、本来の土橋を埋めて保護した、なんてことがあるワケない。

もともと、この幅だったのだろう。

 

左右に、立派な空堀が見える。

左側のは鋭く、底に残雪があった。

 

右側のは浅いが、これまたキレイな三日月堀✨

 

一段下の横堀が外堀、これらが内堀のようにも見える。

 

さて、虎口からいよいよ主郭へ💨

 

…と思ったら、中は削平されておらず、自然のピークのままような感じだった😮

 

左手、土塁の内側には空堀のようなものも見えている😮

 

いま入ってきた虎口。

 

そしてピークを登ると、てっぺんが六畳一間より少し広いぐらい、削平されていたような感じ😂

 

周りは、同じく周辺に向かってなだらかに低くなっている。

中央部と周辺の区別はきわめてあいまい、区画するような土塁や空堀などはまったく無い。

 

西の方には、内側に空堀、その外に土塁が残っていた。

 

土塁の切れ目から下がどこに続いているか、というところだったが、見たところ濃厚なササヤブ😂

 

同じような土塁の切れ目が、虎口の東と西に合わせて4箇所ほどあった。

もうここまでのヤブコギ登りで疲れたし、主郭周囲の他の部分もヤブの中のような感じだし…

 

もうエエやろ…

退散っ💨

 

主郭虎口のところ、落ち葉の間をよく見ると、国土調査の標柱が埋まっていた。

虎口のド真中に😂

頼むヨッ!しっかり調べてネッ❗

 
主郭がほとんど削平されていないなど、未完成だが空堀だけがガッツリ土木工事されたような城だった。
築城の目的や来歴など確かなことは何も分かっていないらしいが、急造された陣城との見方が多いようで、実物を見てみるとそんな感じがする。

さて、帰りは登ってきた尾根を降りてゆくだけだが、途中に道迷いの危険が潜んでいる。

(電子国土webの図上に筆者作図)

 

こういう山は、登りでは高い方へ進めばだいたい間違えないが、下りは尾根が分岐していてそれに気づかず、予定と違う尾根に入り込んでしまう危険があるので要注意だ。

特に、標高600、560メートルあたりの2箇所は、ヤブの薄い左方面へ漫然と進んでいると左の支尾根に引き込まれてしまう可能性がある。尾根上に目印になるものが乏しいうえにどこの尾根も似たようなヤブに覆われているので、予定のルートを外れたことに気づきにくい。

このような登山道や案内標などのない尾根では迷い道の危険もあちこちに口を開けているので、現在位置の確認を怠らないように注意したい。

 

★雨引城

長野県下水内郡栄村堺

登城ルートになる東南東への尾根周辺に駐車スペースあり。城まで道や案内等は全く無し。

山城

 

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(2024年5月8日 記)