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西城はJR穴山駅のすぐ西側、七里岩の断崖の縁に曲輪を並べている城で、能見城の西側にあって織田信長の軍勢に対する備えの一翼を担っていたらしい。

JR穴山駅の西隣には県道17号のバイパスが通っているが、この道が城内を突っ切っている。

遺構は県道から西側に残っているが、車は県道には停められないので、穴山駅チカのさくら公園駐車場に停めるのが良いだろう。

だが、そこから城にどうやって行くかは、なかなかに考えさせられる…😅

 

城は県道の両脇なのだが、穴山駅から県道に歩いて出ようとすると、直接つながる道がえらい遠回りになる💦

仕方がないので、駐車場から南に歩いて、突き当たりにある墓地の中を突っ切って行った😅

城の存在が認知されれば、遊歩道作ってくれるかな…?

 

→現在位置 

城の南の深い谷を渡る夏目橋を渡ると、西側が城域になる。

南から探索するときは、ここから入るか。


今回は、もっと北から入ることにする。

県道17号の東側も曲輪だったということだが、見る影もない…😢


東隣の能見城が、JR穴山駅の向こう側に大きな存在感を放ってるな😮

穴山駅は県道よりもだいぶ低く、能見城との間の谷底のようなところにある。


→現在位置 

城の北端は、県道上ではこのあたりになる。


県道は盛土されていて斜度がなかなかキツイので、入りやすいところから入城する。

城の北端には、能見城から伸びてきていたと思われる防塁らしいものが走っているらしいが…

 

あった🤩


まだ4月、草は芽吹き出したばかりだというのに、すでに緑に覆われている空堀状が…

差し渡し10メートルはある、かなりの大断面😮


防塁の西の末端に違いない✨


東隣の能見城のさらに向こう側、七里岩の反対側の縁から黒駒砦を通って延々1.5kmも続いてきた防塁…

小田原城の総構もそうだが、こういうのを見ていると、自分たちの息の根を止めるような強大な敵が攻め込んでくるけど何としても守り抜かなきゃ、という計り知れないプレッシャーが伝わってくる。

 

防塁の城内側にはヤマツツジが咲いていた✨

もう、そんな季節か…



防塁の内側には土塁が沿っている。


その内側に曲輪が広がっていた。


南隣の曲輪とは土塁で仕切られている。

その南の曲輪が、城の中心のようだ。
広さは、北の曲輪とあまり変わらないようだ。

釜無川のこちら側の岸は七里岩の垂壁になっている。

城の西側は岸からはだいぶ高いところまで登っていて、さすがに垂壁ではないものの、土の急斜面になっている😮


それでも、一部には土塁が設えられていたらしい…🤔

左が城内、右が釜無川への斜面になる。


南に進んでゆくと、また土塁が現れる。

南隣の曲輪との間を仕切っている。

この城は南中北の3つの曲輪から成っているようだ。


南の曲輪は、ちょっとヤブっぽい感じ…
全体が見渡せなくて、広さも掴みづらかった…

曲輪の南端に行くと、ヤブの向こうに土塁らしい段差が見えてきた…😮


登ってみると、意外に幅が広く、土塁というより櫓台のようにも見えた。

そして、ココも🌿🌿…


この幅広の土塁上を東に進めば、県道に戻れる。

南側は深い谷になっている。

 

城は七里岩の縁に曲輪が並び、北端に能見城から続く防塁を置いただけの簡素な縄張りだった。

だが、この城が迫りくる織田信長の軍勢に対する防衛を担っていたこと、そして結局放棄せざるを得なくなった事を思うと、それ自体は豊臣の大軍から小田原を守り抜いた小田原城総構よりもいっそう哀愁が漂っているような気がしてきた…

 

★西城

山梨県韮崎市穴山町

県道沿いに駐車スペース無し。穴山駅隣のさくら公園駐車場利用が無難。

丘城

 

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(2022年5月17日 記)