午前中に白山城 、願成寺と武田信義館と回ったオフメン5人は、昼休憩に続いて新府城近くの能見城へと入って行った💨
ココは一つの小さな山が丸ごと城山だが、主郭周りには遺構が全く無く、北の方に土塁と空堀からなる防塁が横たわっているのだという。
新府城防衛のために築かれた延長1.5kmにもなる長大な防塁の一部で、能見城は拠点となる砦の一つだったらしい。
城山の南側にあるスペースに車を停めて歩き始める。
入ってみると、斜度はそれほど急でもなく、道はなくともスタスタ歩いて登って行ける。
しかし、遺構が無いというのは、どうやら本当らしい…
途中で見かけた、なにかの施設の跡らしいやつ
ヤブっぽくて何もない斜面をひたすら登って、主郭に到達した。
その近くで山頂を眺め回したが…
主郭に何もないというのは、どうやらホントらしい。
長篠の合戦に敗れたあとに急ピッチで築城に着手はしたものの、防塁を築いただけで終わってしまったのか…😢
なら、北の方に横たわる防塁を探さねば💨
という事で、わりとなだらかな東側の斜面から降りて北の方に斜面を移動するが、なかなか見えてこない💦
目標の防塁は、思っていたよりかなり先の方だった😮
斜面をトラバースするのは思った以上に長く感じるという事らしい…
まず出てきたのは、防塁の内側に張り付く桝形虎口だった。
これは桝形の土塁を外側から見たところ。
巨大だが薄くなっていて、写真ではよく分からんナ…😟
ヘタクソ❗
桝形内部はササが濃いぃですな💦
そして、外側の防塁…
これは、小田原城の小峯御鐘ノ台大堀切に劣らないだろう😮
こんなのが、人知れず眠ってるなんて〜😭
傍らで見守る石仏と一緒に💕
底に降り立つと
…デカすぎて、空堀なのかどうかも分からんね💦
いやはや巨大だった防塁…
防塁を築いただけで新府城ごと放棄されたとしたら…
ただ、甲斐に進駐した徳川家康が天正壬午の乱にあたって築いたという説もあるらしく、実体はまだ定まっていないというのが本当のところのようだ。
★能見城
山梨県韮崎市
駐車スペースは南東山麓の城源院前
山城
(2021年11月30日 記)