この日はtwitterで知りあったオフメン5人で、韮崎周辺の城や館跡などを回った。
白山城は、その最初に訪れた城だった。

釜無川右岸の上の方を走る県道12号から、甘利沢川沿いに少し登ってから1本北の沢に沿う細い道を登ってゆくと、クマ避けの柵にぶつかる。
ここには城の説明板があるが、登り口はここではない。
この道を入って行き、柵に沿って北の方に進む。
 
人の家に入ってしまうようにも見えるが、右側に避けられるので進む。
すぐに突き当たるので左に入ると、目の前に熊柵、扉の前に説明板がある。
 
 甲斐武田氏の祖、武田信義が築城したと伝承されており、戦国時代には武田氏の狼煙網さらには新府城防衛の拠点として重要な役割を担っていたとの事。
確かに釜無川右岸では最大の城で、しかも武田氏発祥の地に近く、その重要性は立地から読み取れるだろう。
武田流築城術をナマで観察出来るのを楽しみにしながら、クマ柵の扉を開けて入る。

すぐに白山神社が構えている。

奥の方の雰囲気がイイ✨

ココから石段を登り、その先は斜面に付けられたつづら折れの道を登って主郭を目指す。

数分登ると最初の虎口らしいものが見えてきた。

今日は天気がいいな☀

城の周囲には無数の竪堀が描かれているが、実際に見てみると…
全然見えんわ…😢

さらに登って、今度は坂虎口状を登って郭4に辿り着く。
目の前に長い倒木が横たわっていたので、その上から奥の方を望んでいる。

入ってきた虎口はこんな感じで、かなり狭い😮

曲輪の奥の方に見える空堀か虎口みたいなトコロ…
目の前まで行って覗き込んでみたら、立派な空堀だった😮

奥まで行って、外側の土塁に登り振り返る…

この空堀は、主郭南側の切岸の中に消えてゆく土橋状で終点になっていて、どこにも繋がっていなかった😮

そして土橋状と反対、城外側には…

デカッ😮

ものすごい大きさの堀切が横たわっていた🤩
底に降りてしまうと…
…デカすぎて堀切な事が分からん😅💦

そのすぐ外に、もう1本😮

内側のより小さいとは言え、コイツもシッカリしている✨

堀切の外側はなだらかな尾根で、大軍の侵入経路にうってつけのようだった😮

もともとの尾根がこんなんだから、巨大な二重堀切でガッチリ守らなければならなかったのね😫

城の西側はここまでだったので、戻って北の方を見に行ったんだが、間にある主郭を通った覚えがないのねん😅
さて、どうやって主郭の北の方に出たんだっけか…💦


 
(2021年11月28日 記)