THROUGH MY FINDER -2ページ目

ズレてゆく

さてと、僕は仕事に取りかかる。ICレコーダーを再生させて、文字に起こす作業。
一字一句その通りに、会話を文字に起こすのだ。話し相手の様子も、たとえば、
躊躇いであったり、焦りであったり、恥ずかしさなんかも、できる限り文字にする。
僕のその時の心境も、包み隠さず、文字にする。
 文字にし終わったとき、僕と彼女の会話はこの小さく薄っぺらいコンピュータの
中にすっぽりと収まってしまい、僕自身もコンピュータの中に閉じ込められた様な
気分に陥る。セキュリティは万全のこのコンピュータの中で現時点の僕が平たいデ
ィスクの微小な傷として刻まれているのだ。
 人の記憶は確かではない、確かではない為に僕はこうやってデータとして僕の
気持ち、他人の気持ちを書き残している。そしていつでも、パスワードを入力す
ればその気持ちを参照する事ができる。そのデータはオリジナルとして物理的に
存在しうる限る残す。明日になれば、僕はそのデータを参照して、何か新しく
上書きしうるものに気付けばそれを上書きしていく。
 こういった作業を僕は、この半年ばかりずっと続けている。その中には三人の
他人と僕の会話が記されている。一人は中年のサラリーマンであり、一人は僕と
同じくらいの歳の女性、一人は僕よりも十も年下の女性だ。インタビューは週に
一回は行う為に、日々僕の記憶とオリジナルのデータとの差異は増えていく。感
じるものも変わっていく為に、日々の作業は週ごと増える事になる。机に向かう
時間が増していく。この作業の終着点は僕の作業をこなすキャパシティーを越えた
時にしようと思っていて、それまでは根気よくこの作業を続ける。
 この事によって僕が得るものは何か、作業が終わったときに判断する事にしよう。
ただ、僕は直感にのみによって動かされている。苦痛ではない。

白紙という恐怖

 長髪の無骨な男、見たことの無い顔だ。とたん、僕は自分がなにものかもわからぬ恐怖心を抱き震えが止まらなかった。見たことの無い手。見たことの無い顔。自分の顔であるはずがそこには自分の顔と認識できる顔は無かった。かといって、自分がどんな顔であったのか思い出す事もできない。僕は恐ろしくて布団の中に飛び込みうずくまった。僕は自分の体が器だという感覚を覚えた。そしてその器のなかの心臓がばくばくとと鼓動し整わない怯えた呼吸だけがそこにあった。僕は自分が誰だかわからない。この僕という意識だけが誰かもわからない器に突如埋め込まれているのだ。
誰もいないその部屋で、僕は自分が誰なのか思い出そうとした。僕はどこから来たのだ?僕は誰だ?名前は?どこに生まれ、どこで育ったのか?僕の頭の中のどの細胞も僕の過去に関しては口を閉ざしている。あるいは伝えようとしてはいるがどこかでそのパイプがカットされている。

 僕には大雨の中歩いていたこと、一人の女性が土砂ぶりの中、雲のその先を眺めていた記憶しかなかった。記憶がなければ、僕という体はただの器だった。意識と体という器。
僕は布団の中で自分の指を動かしてみる。まず左手の人差し指、曲げようとすれば、ちゃんと曲がってくれる。左手の拳を強く握ってみる。自分の顔をなでる。頬、額、鼻、口、顎と順に触れていく。自分という器が確かにここにあり、僕の意思通り動いてくれる。これが僕という形なのだ。どうにもならないことなのだ。恐れることでもない。そよりも僕は今の現状をもっと知る必要がある。そして布団から顔を出す。僕は仰向けになり天井を眺めてそんなことを冷静になるために考えた。そこは前見た通りの、とある部屋である。見たことのある部屋。僕の記憶は記録し始めた。レコーディングが始まった。知っているということはある種の安堵感を与えてくれる。僕はこの部屋を知っている。布団から出て部屋の中を歩く。自分の足元をのぞいてみる。足も僕の意思通り動いてくれる。その足で窓の前まで進み、レースカーテンをあけてみる。荒れた庭がそこには広がっていた。 僕は部屋から出ようとした、しかし僕の足はドアの前に立てばぴたりとその動きを止めてしまう。僕の意志どおり動いてくれない、まるでドアの前に立った瞬間意思が僕の体らしい器から分離してしまったかのように。ついさっきまでは僕の言うことを訊いた僕の体はゆうことを訊いてくれない。そこには視覚しかなかった。それ以上の感覚はまったく消えうせてしまうのだ。僕は後ずさりしもう一度部屋の窓から外を眺めようと思った。
外はもうすっかり雨があがり明るい日差しが部屋の中に入り込んでいた。部屋から見る庭、庭というより荒地だ。砂利と雑草しかない荒地だった。その奥に一人の女性が立っていた。あの雨の中に雲を眺めていた彼女だ。空をじっと眺め、穏やかな表情を浮かべてコスモスに水をやっている、彼女はとても幸せそうだった。時折彼女は耳に手を押し当て目を瞑った。口元には微笑があった。僕は彼女を知っている、世界の中で唯一僕が知っている人。
もう一度窓から荒地に目を向けたとき彼女の姿はそこにはなかった。はと、思ったとき、ちょうど部屋のドアが開いた。

泥とジーンズ

わたしは自分の髪を編みながら鏡に向かっている。佐竹という男性と午後に合いに行く。名目上はアルバイトだ。何をするかというと簡単なインタビューに答え るのだと彼は言う。わたしは夏の旅行の為にまとまったお金を貯める必要があった。アルバイト情報誌に日給2万という高額のバイトとして募集されていた。わ たしは怪しくも思ったけれど、早急にお金が必要だったし、そのバイトに真っ先に応募した。応募にあたり、「土」について文章を4000字以上で提出する事とあって、わたしは「泥とジーンズ」という題名で簡単なエッセーを書いて提出した。内容は沖縄に行ったときに泥のついたジーンズが物干竿に吊るされていた事に関するわたしの思い出に関する事だった。

危険な目だけに遭わないようにインタビューは公の場所で行うという約束をしてもらった。佐竹という男性はよく日に焼けていて、髪を短く刈り込んでいた。彼の指は皮が分厚くごつごつとしていた。

「こんにちは。どうもありがとう。何でも好きなもの頼んでいいよ。」
わたしは軽く会釈して、じゃぁ、オレンジジュースをと言った。
「パフェとか、でもいいんだよ。」
この人、おっさんかしら、未だに若い女はパフェが好きだという固定観念を持っているのかと思った。
「いえ、いいです。」とわたしは言った。
「今日はさ、初回だから。お互いの自己紹介のような感じになると思うんだけど。宜しくお願いします。」
「はい。宜しくお願いします。」
彼はICレコーダーを茶色い革の鞄から取り出した。果たしてこの人は何をしているひとなのか、それは応募の際も一切わたしには伝えられてはいない。
ウェーターがオレンジジュースとアイスコーヒーを持ってテーブルにやって来た。彼はフレッシュとシロップはいらないと言ってウェーターがテーブルにそれを置こうとするのを断った。ウェーターは形骸化した微笑みと会釈をして奥へ消えた。彼はICレコーダーのスイッチを入れ話しだした。
「僕ね、農業をしてるんですよ。」
「ああぁ、だから土についてなんだ・・・」とわたしはぼそっと言った。
「それで、月刊で農業のwebマガジンを配信しててね、若者の農業に対する意識調査というか、調査というほど大それたものではないんだけど、それを記事として配信する事になったんだ。それで、結構な応募をもらったんだけど、君の「泥とジーンズ」に僕は感銘を受けてね。君を採用する事にしたんだ。」
「そういうことだったんですか。正直高額なバイトだし、あやしいとおもっていたんです。失礼ですけど。」
「だよね、そうだよね。高額なのは人をひきつける為でね。僕もお金に困ってる訳ではないから、それぐらい払ってもいいかなと思ったんだよ。正直、「泥とジーンズ」みたいな感性を持っている君にならそれを払ってもあまりあると思ってるよ。ほんとうに。」
わたしはまだこのバイトについて疑いがはれた訳ではない、わたし自身はとても用心深い人間だから、人の事は容易く信じない。注意が必要だってことはわかっている。
「はぁ、ありがとうございます。」
「なにか農業の体験って言うものはあるの?」
「わたしの実家は田舎でコンビニなんかも無い様なところで、小さい頃はずっと手伝っていました。今は東京で一人で暮らしているのでなかなか土に触れる事もありませんけど。いつかは実家でスイカやトマトを作りたいと思ってるんです。
「なるほどね、経験が無いとあの文章は書けないよね。いい志だね。僕も土に触れていないと、生きている気がしない人間でね。」彼はそういって、日に焼けたかをしわくちゃにして笑った。
「田舎の生活ってどんな感じだった?都会での今の生活に比べて。」
「のんびりしていましたね、こう、ドラム缶に一滴一滴水滴がたまっていくのを眺めている様な時間がありました。」
「嫌な部分とかは無かった?やっぱり女の子だしおしゃれとかそういうのには不都合でしょ。」
「わたしは特に物欲があったり新しいものに興味がある訳でもないのでそこまで強くはなかったですけど、あえて言うのであれば人の目かもしれませんね。」
「人の目?」
「都会じゃ、周りの人間はバックグランドでしかありません、立ち並んだビル街と同じように、それは寂れた背景の一部分でしかないんです。それはそれで寂しい事なんですが。田舎では村のだれもがバックグランドだけでは収まらないんです、底には陰険なものもありますし、何よりも強いのは嫉妬心です。わたしが東京の大学に進学する事も、村の人は口ではすごいとか立派ねとか言っていても。本当は嫉妬している。そして何か悪い事がおこらないかとギラギラと目をひからせているんです。そういうところは田舎の嫌らしい部分です。」
「そうだね。そういう部分はあるよね。僕は、正確に言うと僕たちは今村をあたらしい作ろうとしているんだ。古い慣習と、そういったいやらしさを排斥できるような新しい村を。」
「そうなんですか、うまくイメージできませんし。どうやってそれを作るのか方法もおもいうかばないんですけど。ちょっと宗教的なあやうさを感じちゃいます。」
「そうだよね、たしかにそうなんだ。それで僕たちは日々足掻いて前へ進もうとしてるんだ。」
「大変そうですね。」
そこで彼の携帯電話がなった。彼はちょっとごめんと言って電話に出た。彼は険しい顔つきになった。
何やら問題でも起きたのだろうか。
「ちょっとややこしいことが起こってしまったから今日はこれまでにします。ありがとう。ちょっと早急に帰らなければ行けなくなってしまって。」
彼は拉げていた帽子を深々とかぶって、レシートをレジまで持っていった。
彼はレジに言ったかと思えば、また戻って来た。
「今日のお給料」
といって銀行の封筒をわたしに手渡した。わたしは中身を見る事を躊躇したが、彼が確かめてというので中身を確かめた。中には十万円入っていた。
「ちょちょっと多すぎますよ。」
「前払いだよ。これからもよろしく。」といって慌てて店を出て行った。わたしは置き去りのままで。

彼は目がすっぽり隠れるくらいに深々と帽子をかぶって出て行った。なにかから逃げているのかしら。