箱の中
七月十三日午後四時二十四分、僕は湯船に浸かっている。
風呂の窓は開きっぱなしで、山の木々が生い茂って風に揺れているのが見える。
外の風は強い、空は青く透き通った空で低い雲が風に運ばれ、窓の枠の中を
すぅっと通り過ぎる。
僕は何を考える訳でもなく、ただ窓枠に囲まれた小さな風景をずっと眺めていた。
枠に囲まれていても、その先は無限に続いている。不思議な感じだ。
そんな僕が眺めている枠の中に、小さなの陰がはいってきた。
とびだった。悠々と枠の中を行き交いする。僕はその陰をじっと眺めた。
僕は口笛を吹いた、するとそれとほぼ同時の事だ。
「ピューピュルルルー」
僕の視点はもう風呂場の中には無い、僕は山を見下ろし、何も遮るものの
ない視点を手に入れた。連なる山々や、小さな箱が連なった軒並み。
風をきる音がする。木々の梢が風になびきこすれ合う音がする。
山の麓の小さな箱、その小さな枠の中に湯船につかる僕を見つけた。
風呂の窓は開きっぱなしで、山の木々が生い茂って風に揺れているのが見える。
外の風は強い、空は青く透き通った空で低い雲が風に運ばれ、窓の枠の中を
すぅっと通り過ぎる。
僕は何を考える訳でもなく、ただ窓枠に囲まれた小さな風景をずっと眺めていた。
枠に囲まれていても、その先は無限に続いている。不思議な感じだ。
そんな僕が眺めている枠の中に、小さなの陰がはいってきた。
とびだった。悠々と枠の中を行き交いする。僕はその陰をじっと眺めた。
僕は口笛を吹いた、するとそれとほぼ同時の事だ。
「ピューピュルルルー」
僕の視点はもう風呂場の中には無い、僕は山を見下ろし、何も遮るものの
ない視点を手に入れた。連なる山々や、小さな箱が連なった軒並み。
風をきる音がする。木々の梢が風になびきこすれ合う音がする。
山の麓の小さな箱、その小さな枠の中に湯船につかる僕を見つけた。
ご機嫌な昼下がり
込み入った住宅街の細い路地を歩いている。自分の喉元くらいまでの
塀に挟まれていて、庭にある柿の木や、山椒の木なんかの枝なんかに
手をのばせば触れる事ができる路地。実際に今木の枝に触れている。
何処からか、お母さん無理しないでよとか、お昼のメロドラマの科白
だったり、いろんな生活音が耳に入ってくる。掃除機の音なんかも。
猫がそそくさと塀の穴から穴へこちらを一瞬警戒しながら横断したり。
首輪はしているから飼い猫だろう。しかし不細工な猫だ。ぷっと吹き出し
そうになるくらい不細工で愛らしい。
そんな路地での些細な出来事は脆弱で信頼性の薄い僕の記憶に入力さ
れるわけだ。正直どうでもいい事だが、頭の中にはいってくる。一
体僕の頭はどれだけの容量があるのか、こんな些細な事を記憶して、
大事な事を消し去っていないかなどと危惧して。大事な事って何だ?
なんて自分に問いかけるのだけど、そうかしこまって聞かれても困る
、という具合に、まず大事な事とは何かという思考からはじめなけれ
場ならないから、すぐに記憶とはリンクしない。
その日は天気もよくて、いらぬ事を考え、五感をちょっと湿らした
海綿のたわしみたいに柔らかく周囲にさらしていた。
前方から歩いてくるはげ頭の青年。第一村人発見!的に今日初の僕と
すれ違うんだけれど。なんせ細い路地だし、他の人なんていない、
あれ困った、こういう時は視線を何処に運ぶかということで困る。
第一村人であるから、僕は彼に興味津々である。興味があるから観察したい、
しかし彼は僕と向き合って歩いてくる訳だから、あまりまじまじ見る訳
にも行かない。塀の中の木々を眺める振りをしてちらちらっと横目に彼を
見たりする。あぁ、その煮え切らなさは僕の中で憤懣にも変わってくる。
見たいんだ見たんだよ。そこで僕は決心をした、どうせ今後彼に会う事も
無いどう思われたっていい。もう彼から目をはなさない。
ふむふむ彼のパンツは。これは普通の職業をしている人ではない、細かに
曲線を描いた草模様がさりげない色使いで、パンツ全体に広がっている。
簡単に言えば、めだたない草模様の生地のパンツをはいている。
上半身は白のぴったりとしたTシャツだ、非常に上品に着こなしているので
嫌らしさは感じない。シルバーのネックレスは表に出さずにTシャツの中に
入れている。ここで前方五メートルくらいに彼がいる。彼の目を見る。彼も
僕の目を見る。
前方三メートル。まだ、お互い見つめ合う。
前夫二メートル。僕は負けない。
「こんにちは」会釈とともに彼が言った。
「ご、ごきげんよう」会釈とともに僕が言った。
なんてすがすがしい昼下がりの午後だろうか。彼はきっといい人だろう。
お、先ほど考えていた大事な記憶ってのが一つ思いついた。ほんの15秒
前の記憶だ。きっと大事だ。
ところで僕は何故、「ごきげんよう」などという言葉が出たのか、不思議で
しょうがない。僕自身ご機嫌だったからかもしれない。
塀に挟まれていて、庭にある柿の木や、山椒の木なんかの枝なんかに
手をのばせば触れる事ができる路地。実際に今木の枝に触れている。
何処からか、お母さん無理しないでよとか、お昼のメロドラマの科白
だったり、いろんな生活音が耳に入ってくる。掃除機の音なんかも。
猫がそそくさと塀の穴から穴へこちらを一瞬警戒しながら横断したり。
首輪はしているから飼い猫だろう。しかし不細工な猫だ。ぷっと吹き出し
そうになるくらい不細工で愛らしい。
そんな路地での些細な出来事は脆弱で信頼性の薄い僕の記憶に入力さ
れるわけだ。正直どうでもいい事だが、頭の中にはいってくる。一
体僕の頭はどれだけの容量があるのか、こんな些細な事を記憶して、
大事な事を消し去っていないかなどと危惧して。大事な事って何だ?
なんて自分に問いかけるのだけど、そうかしこまって聞かれても困る
、という具合に、まず大事な事とは何かという思考からはじめなけれ
場ならないから、すぐに記憶とはリンクしない。
その日は天気もよくて、いらぬ事を考え、五感をちょっと湿らした
海綿のたわしみたいに柔らかく周囲にさらしていた。
前方から歩いてくるはげ頭の青年。第一村人発見!的に今日初の僕と
すれ違うんだけれど。なんせ細い路地だし、他の人なんていない、
あれ困った、こういう時は視線を何処に運ぶかということで困る。
第一村人であるから、僕は彼に興味津々である。興味があるから観察したい、
しかし彼は僕と向き合って歩いてくる訳だから、あまりまじまじ見る訳
にも行かない。塀の中の木々を眺める振りをしてちらちらっと横目に彼を
見たりする。あぁ、その煮え切らなさは僕の中で憤懣にも変わってくる。
見たいんだ見たんだよ。そこで僕は決心をした、どうせ今後彼に会う事も
無いどう思われたっていい。もう彼から目をはなさない。
ふむふむ彼のパンツは。これは普通の職業をしている人ではない、細かに
曲線を描いた草模様がさりげない色使いで、パンツ全体に広がっている。
簡単に言えば、めだたない草模様の生地のパンツをはいている。
上半身は白のぴったりとしたTシャツだ、非常に上品に着こなしているので
嫌らしさは感じない。シルバーのネックレスは表に出さずにTシャツの中に
入れている。ここで前方五メートルくらいに彼がいる。彼の目を見る。彼も
僕の目を見る。
前方三メートル。まだ、お互い見つめ合う。
前夫二メートル。僕は負けない。
「こんにちは」会釈とともに彼が言った。
「ご、ごきげんよう」会釈とともに僕が言った。
なんてすがすがしい昼下がりの午後だろうか。彼はきっといい人だろう。
お、先ほど考えていた大事な記憶ってのが一つ思いついた。ほんの15秒
前の記憶だ。きっと大事だ。
ところで僕は何故、「ごきげんよう」などという言葉が出たのか、不思議で
しょうがない。僕自身ご機嫌だったからかもしれない。
夕立前の空気のにおいを感じ、夕立が過ぎ去った後の夕暮れを眺めていたら
夕立前の空気のにおいを感じ、空を眺めたら、やはりそこには下界を威圧するような
圧倒的な力を有した、コントロールを失い膨張する雲が世界を覆い始めていた。
僕は急いで草履を履き、つまづいてこけそうになるがなんとかバランスを取り直し、
洗濯物を欠けた物干竿まで辿り着く。干したものがずり落ちてしまわぬように、慎重に
物干竿を台から外して、屋根のあるガレージの中に移そうとした時、僕の頬を微小な
雨粒が打った。夕立がやってきたのだ。僕は急いで屋根のあるところに物干竿をうつし
た。ガレージの屋根が激しく雨に打たれ暴走したドラム演奏者のたたく音のように聴こ
える。蝉の鳴く声しか無かった世界は、今は民族音楽さながら打楽器の音にあふれ
別の世界に変化した。その音は時間とともに変容し、乾いた地面を打つ音も、ぬれた地
面を打つ音に移り行く。湿気たぬるい空気と、ひんやりと身体の温もりを奪う空気が
行き交う。すべてに飽きる事が無い。僕は自分の体温を奪おうとするものに抗い、自分
の身体を自分自身によって熱くする。
夕立が過ぎた、今は雨の粒が至る所でしたたって何かを打つ音しかしない。蝉が鳴き始める。
刻一刻と変化は続く。夕立が過ぎると、西の空に鮮やかなオレンジと青のグラデーションを
生む、かすかな雲が二色のマーブル調としてかき混ぜられる。
僕は自分の現状を良いものだとは思っていないが、こういう夕景の変化を目にすると
当分このままでもいいかという甘い考えに陥るのだ。僕は自分の事は考えちゃいない、
自分をたたき台にし、人を考えている。そして足踏みをしている。日々、いらぬものを
鉋でそぎ落とし、しかし、そのいらぬものは知らず知らずのうちにまた魚の目のように
分厚くなるのだが、それをまた削ぎ落とすのである。そんなことをずっとしている。
それはどんなことよりも僕に必要な事だという確信に近いものを感じ取ってはいた。
圧倒的な力を有した、コントロールを失い膨張する雲が世界を覆い始めていた。
僕は急いで草履を履き、つまづいてこけそうになるがなんとかバランスを取り直し、
洗濯物を欠けた物干竿まで辿り着く。干したものがずり落ちてしまわぬように、慎重に
物干竿を台から外して、屋根のあるガレージの中に移そうとした時、僕の頬を微小な
雨粒が打った。夕立がやってきたのだ。僕は急いで屋根のあるところに物干竿をうつし
た。ガレージの屋根が激しく雨に打たれ暴走したドラム演奏者のたたく音のように聴こ
える。蝉の鳴く声しか無かった世界は、今は民族音楽さながら打楽器の音にあふれ
別の世界に変化した。その音は時間とともに変容し、乾いた地面を打つ音も、ぬれた地
面を打つ音に移り行く。湿気たぬるい空気と、ひんやりと身体の温もりを奪う空気が
行き交う。すべてに飽きる事が無い。僕は自分の体温を奪おうとするものに抗い、自分
の身体を自分自身によって熱くする。
夕立が過ぎた、今は雨の粒が至る所でしたたって何かを打つ音しかしない。蝉が鳴き始める。
刻一刻と変化は続く。夕立が過ぎると、西の空に鮮やかなオレンジと青のグラデーションを
生む、かすかな雲が二色のマーブル調としてかき混ぜられる。
僕は自分の現状を良いものだとは思っていないが、こういう夕景の変化を目にすると
当分このままでもいいかという甘い考えに陥るのだ。僕は自分の事は考えちゃいない、
自分をたたき台にし、人を考えている。そして足踏みをしている。日々、いらぬものを
鉋でそぎ落とし、しかし、そのいらぬものは知らず知らずのうちにまた魚の目のように
分厚くなるのだが、それをまた削ぎ落とすのである。そんなことをずっとしている。
それはどんなことよりも僕に必要な事だという確信に近いものを感じ取ってはいた。