この前、ピアノ発表会の撮影をした時に、その場にいた「生徒さんのお父さん」(かなり高級なカメラを持っていたので、写真マニアだと思います)から、「プロとアマの撮影方法の違いって、なんですか?」と質問されました。

 

この時、すごく忙しかったので、「ご返事はブログに書きますので、あとで読んで下さい」と答えてしまいました。なので、この場に記載させていただきます。

 

いろいろあるんですが、大きな点をひとつだけ書かせていただきます。

これは、私が若い頃に、「音楽発表会専門の写真事務所」で修行していた頃に、そこの経営者に厳しく言われたことです。

 

この業種のカメラマンって、経験を積むほどに、「この曲を演奏する際は、1分経過した時に、すごくかっこいい指使いになるから、その時にシャッターを押そう」なんてことがわかってきます。だから、「曲の最初は撮影せずに待機している」なんてことがあるんですが、これ、絶対にだめなんです。

 

本当のプロは、演奏者のかっこうが悪くても、顔がこっちを向いてなくても、とにかく、演奏が始まったら、なんでもかんでも撮るんです。

 

これ、どうしてか? というと、素人の発表会の場合、緊張で演奏ができなくなってしまうケースが時々あるからなんです。

 

椅子に座って、鍵盤に手を触れて、音を一個出しただけで、「あ、だめだ、やっぱり、無理だ」とあきらめて、演奏をやめて舞台袖に引き上げてしまう生徒さんがいます。このあと、先生や親御さんが必死に「がんばろうよ!」と説得しても、結局、ピアノに戻らずに、その生徒さんの発表は、「最初の一音だけ」で終わることがあるんです。

 

この時に、「演奏開始後、かっこいい姿勢になるまで、撮影するのは待機する」なんていう撮影方法だったら、「演奏写真は1枚も残っていない」ということになってしまいます。これは悲しいことです。

 

プロの場合、「生徒さん全員をなるべく公平に撮る」という使命がありますから、上記のようなケースでは、「最初のワンタッチだけ」でも、記録に残しておかないといけません。ですから、かっこうなど気にせず、とにかく「演奏が始まったら、パパパと撮る」ようにしています。

 極端な話、その生徒さんが舞台袖でぐずっている様子がわかる場合は、ピアノの前の座る前の、舞台上に姿が現れた時点でバシャバシャ撮り始めて、最悪、「ピアノに一切触れずに戻ってしまった」という場合でも、その生徒さんが「舞台に上った」という証拠写真を残します。

 

このように「子供さんがぐずる」というケースだけでなく、「高齢者の生徒さんが舞台に上がった途端に、緊張感で、心臓に負担がかかり、急性心筋梗塞で救急車」なんて場合もありますから、とにかく、どんな生徒さんの場合でも、「姿が見えたら、すぐに何枚か撮る」というのは、プロ写真屋としては必須なのです。

 

生徒さん側の事情だけでなく、カメラマン側の機材の故障が突然起きて撮影不能になる場合もあります。それも考えて、「考えるな! とにかく撮れ!」ということを肝に銘じています。(「燃えよドラゴン」のブルース・リーみたいなもんです)

 

これは、修行時代にきつく教わったことです。当初、「そんなことないでしょ?」とか思っていたんですが、経験を重ねてくると、実際に、そういうのを何回か経験するわけでして、その時になって、「こういう時のためだったのか~」と感心した次第です。

 

 

こういうことは、場数の少ない、素人さんは考えつかないことだと思います。このように、プロは「一見、無駄に思えるような撮影」も実際にはやっています。

 

ネットの「暮らしのマーケ*ト」とかで、非常に安い撮影料で撮ってくれる、?のつくプロカメラマンは、こういうことは考えていないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 


「学校写真」とか「婚礼写真」が長かったせいか、「集合写真」に関してはけっこう強いこだわりがあり、常に「きちんとした、いいものを撮りたい」と思っています。

 

最低限として、「全員の顔がちゃんと出ているものを撮る」という決まりがあるのですが、時々、これを「お客様側から否定されてしまう」ことがあるのです。

 

「すごい参加人数の集合写真」を、ちゃんとしたひな壇とか階段とかの施設がないところで、短時間で撮ってくれと言われた場合などに、そういうことが起きます。

 

こっちとしては「全員の顔をとにかくちゃんと出るように」と思って、背の低い人を前にしたりして、あれこれ苦労して並べているのに、「そんなの適当でいいんだよ。ちゃちゃっとすぐに撮ってくれ」とか言い出す主催者がいるのです。

 

主催者がそう思っていても、参加者の立場で考えれば、「自分が写っていない集合写真」というのは非常に悲しいものです。

「ちゃんとしたプロカメラマンが来ていた」のに、顔が隠れた写真を撮られたら、その人はがっかりすると思います。

 

なので、「適当でいいんだよ!」と主催者が言っても「そういうわけにはいきません」と、ちゃんとしようと努力します。

でも、それが主催者には気に入らないことになる場合は少なくなく・・・・・・・

 

翌年以降、お声がかからなくなります。

 

こういうのって、商売としてはいけないことかもしれませんが、うちの場合、個人事務所ですから、他の社員に迷惑をかけることもありません。「嫌われたならしょうがない」と諦めます。そういう、わがままを通してもいいんじゃないかと思っております。

 

融通が利かなくてすいませんが、ご了承下さい。

 

 

それから、「プロなんだから、どんなことにも対応してくれるだろ」とか思ってる人がいますが、プロだからこそ、「できないことはできない」とはっきりお答えしてしまいます。

 

なので、「@@ホールで、***のイベントをやって、120人で集合写真を撮って欲しい」なんて依頼があった場合に、そのホールで、過去にそういう写真を撮ろうとして「無理だった」経験がある場合は、申込みの受付時点で「それは無理です」とか回答してしまいます。

 

「プロのくせにひどい」とか思われるかもしれませんが、プロゆえに「無責任になんでもできると答えてしまう」ことはしませんので、ご了解下さい。

 

そういう意味で、カメラマンのほうから決めている「出入り禁止会場」というのは何箇所かあります。

 

 

 

 

写真をやる人なら全員知っていると思いますが、カメラの上部のことを俗語的に「軍艦部」と呼びます。

 

でも、これまでたくさんの一眼レフを使ってきましたが、どうも、「軍艦」という言い方がしっくりこず、「なんで、軍艦部と呼ぶのだろう。そんなに似てないでしょ」と疑問に思っていました。

 

でも、バルナックライカをいじってみて、「あ、これはたしかに軍艦だ」と思いました。

 

 

私の持っているのは、バルナックライカの完全コピー機である、キャノンの「4sb」という機種ですが、これの上部はまさしく「軍艦」に見えます。

 

一眼レフの場合、中央部の「プリズムファインダー」の部分が大きくはみ出しているので、軍艦っぽくなかったのです。

 

おそらく、昔、バルナックライカが出た際に「こういう形のカメラの上部は軍艦部と呼ぶんだ」と、決まりみたいなのができて、その後、ちょっと違うけど、いろいろな一眼レフが出てきた際も、習慣を引きずって軍艦部と呼び続けているんだよ思います。

 

ところで、これ、海外ではなんと呼んでるのかな???

 

ホールの「ステージ」の上って、全域が均等に明るく照らされているイメージがありますが、どこのホールでもほぼ同様に、客席側に近い、舞台の「際」の部分(上記写真の下の部分)は照明が当たっていなくて、かなり暗く、写真に撮ると、肉眼で見える以上に差が大きくなり、真っ黒になります。

 

 

このステージの最前部というのは、時々、このように、花を飾ったりすることも多いのですが、普通、演者の邪魔にならないように、最前部ギリギリの「際」に置きたくなります。

しかし、本番照明がついていない時は気が付かなくて、一番前に置いてしまうものの、本番の舞台照明が点灯すると、せっかくの「きれいなお花」に照明が全然当たっていなくて、ほとんど見えないことが多いです。

そして、会場専属のスタッフさんは、そういうことに口出しをしませんから、我々、プロの写真屋が入っている場合は、アドバイスさせていただいて、上記写真のように、位置をずらして照明が当たる場所にセットさせてもらいますが、そういう人がいない場合、「ずっと暗いままで、観客からはよく見えなかった」で終わってしまう、もったいないこともあります。

 

演奏前後の「お辞儀」をする位置も同様で、ピアノのすぐ前なら明るいですが、舞台際のほうでお辞儀をしようとすると、「顔が真っ暗」になってしまうことがあります。

 

そういうわけで、「お花の位置」とか「お辞儀の位置」を決める時は、ホールのスタッフに頼んで、「本番時の照明」を点灯してもらい、その照明の当たり方を観ながら、位置を調節して決めるといいと思います。

 

時々ある「お辞儀の位置は特に決めていません。”このへんでお辞儀をしなさい”、とだいたいの場所は教えてあります」といった曖昧な指示の場合、演奏者によって、場所が微妙に異なり、「きちんと照明があたっている場所」でお辞儀をする人もいれば、「照明が当たってない場所」でお辞儀をする人もいて、それを臨機応変に撮影するのは非常に難しくて苦労します。

(※明るさを数値化すると、照明の有無というのは、明るさが8分の1~16分の1くらいになってしまうので、すごく大きな差があり、それを瞬時に調節するのは、写真撮影では至難の業になるのです)

 

 

それから、発表会などでは、最初または最後に「主催者からの挨拶」というのがありますが、これの立ち位置も、「まったく照明が当たっていない真っ暗な場所で挨拶していて、客席から表情がよく見えない」なんてこともよくあります。(※お金をかけたイベントでは、こういう時はスポットライトを使用しますが、ピアノ発表会などでは、そういうのはありません)

 

挨拶する位置も、事前によく調べておくほうがいいと思います。

 

以上、ご参考にしていただけるとありがたいです。

 

 

 

 

 

 

私は古くからの映画ファンなので「映画は基本、映画館で見るもの」と思っており、シルバー割引も使えることから、よく映画館に行っております。つまり、「ちゃんとお金を払って映画を見ている」”お客”です。
 
その”お客様”に対して、映画館では毎回毎回、映画本編上映前に必ず、「No More! 映画泥棒」が上映されます。
これって、お客さんに対して失礼じゃないですかね?
ちゃんとお金を払って劇場に来た客全員に対して「お前、泥棒だろ! 逮捕するぞ!」って言ってるようなもんです。
毎回、これを見るたびに頭に来てます。
まして、つまらない広告映像や予告編を延々と15分も見せられた最後に押し付けられる映像なのでますますイライラします。
 
 
また、個人的なことですが、今上映しているもののロケ地が、うちの地元で、しょっちゅう見ている場所でして。
せっかく、映画館という「夢の国」に来て、別世界の感覚を楽しもうとおもっているのに、本編開始直前に、自分の家の周囲の景色を見せられると、いっぺんに興ざめしてしまいます。あれもやめて欲しいなあ。

銭湯によく行きます。

今晩行ったのは地元の老舗「仲乃湯」さん。

仲乃湯さんの詳細はこちらの記事がいいです

1957年築の超古い建物で、古き良き銭湯のたたずまいを残している貴重な銭湯です。

男湯の「絵」は、秋の紅葉の川の風景画で、今の季節にぴったりです。そして、日替わり薬湯は「ボジョレーヌーボーの湯」というもの。これも季節感を感じるもんです。

そうやって、いい気分で湯に浸かってましたが、ここの特徴は、建物も古いんですが、かかっているBGMが古いこと。

 

「喝采」「横浜たそがれ」「アンコ椿は恋の花」「3年目の浮気」・・・・

いつ行っても、1960~70年代の懐かしい演歌や歌謡曲ばっかりなんです。

そういう音楽は嫌いじゃないので、ここに行くと、毎回、懐メロを楽しんでいます。

 

そういえば、このすぐ近くにある「中村浴場」さんという銭湯は、マンション内にある比較的新しい作りの銭湯なんですが、そこのBGMは、70年代~80年代の歌謡曲ばっかりです。

アイドル全盛時の歌や、フォークやニューミュージックが流れています。

これも、懐かしくて、椅子に座ってポカリスエットを飲みながら音楽を楽しみます。

 

 

こういう個性もいいもんですな。

 

 

最近、お陰様で「音楽関係」については撮影の仕事が復活してきて忙しくなっております。ありがたいことです。

忙しくなると、疼き出すのが「鉄道の虫」でして。

今、趣味にしている「鉄道路線 全駅乗降の旅」をやりたくなりました。いわゆる「降り鉄」と呼ばれる分野です。コロナもあって控えていたので、10ケ月ぶりです。

 

前から計画していたのが「久留里線」です。ここは莫大な赤字路線で、近々に「廃線」になることがわかっているため、制覇したいと思っていました。しかし・・・・・・ いかんせん本数が少なく、「久留里~上総亀山」間については、特に少なく、日中は、「5時間以上間隔があく」こともあり、1日では制覇できないのです。(夜間も乗れば制覇できますが、夜は写真が撮れないので、だめです)

でも、「廃線前にもう一回乗りたい」というのと、「相棒で、亀山くんが復活した」というのもあり、「上総亀山」まで行ってきました。

 

全駅乗降はあきらめて、久留里を少し観光してきて、そのあとは一気に、西部へ移動・・・・

 

そう、「五日市線全駅乗降」に挑戦です。

 

①「武蔵五日市駅」

 

 

 

 

自然豊かないいところです。

この駅は、登山で何度か来ていて、よく知っているので、周辺散策はせずに、すぐに駅に戻ります。

(ここからバスで行く、つるつる温泉はいいところです)

 

②「武蔵引田駅」

 

 

駅前はこんな感じ。田舎ですね。東京とは思えません。

 

③「武蔵増子駅」

洒落た駅舎でした。秋川が近いので散歩します。

 

 

森林が多いため、製材所がありました。

懐かしサニートラックを4台並べている中古車屋さんを発見。

 

④「秋川駅」

 

次はこの地域の中心地になる秋川駅。

サマーランド行きのバスも出てます。

駅前も賑やかで、名物のカレーパンで軽い食事を。

 

⑤「東秋留駅」

 

このへんは住宅街という感じ。

駅前に山小屋風の喫茶店があり、入りたかったです。

 

⑥「熊川駅」

 

小さな駅です。ホームもこれしかありません。

駅前に立つ一戸建ての庭で遊ぶ女の子の声が全部はっきり聞こえるような静かなところでした。

 

⑦「拝島駅」 (これで五日市線全駅制覇)

 

 

七駅しかありませんし、20~30分に一本の頻度で走ってますので、全駅乗降はわりと簡単でした。

 

この駅のコンコースから見る、富士山の夕景は素晴らしかったです。

 

拝島で下車して、玉川上水に沿って歩きます。

 

 

西武線と並走です。

 

 

そして、旅の仕上げはやっぱり温泉。徒歩20分のところにスーパー銭湯があり、寄りました。

昭島温泉湯楽の里(ゆらのさと)」 

 

すごく混雑していて、ちょっとコロナ感染が怖かったんで、長居はしませんでした。

 

これにて、今回の旅は終了です。

 

次は青梅線全駅乗降しようと思いますが、これは1日では無理かもしれません。

 

 

ご贔屓の桂枝太郎さんに切符をとっていただき、地元で開催された「はこぶね寄席」という落語会を聞きに行ってきました。

このメンバーで、この料金は安いです。

 

地元の政治家が役員になっている「ボーイスカウト」の団体が主催するイベントで、会場の外でも、隊員の子どもたちが誘導してくれたりして、エレベーターのボタンまで押してくれて、「ありがとう えらいね」って感じでした。

 

さて、その内容はこんな感じ。全体的に、「落語をあまり知らない素人さん向けの入門落語会」みたいな演目でした。

 

 

①前座 れん児 「やかん」

やかんって、前座噺ってことになってますけど、けっこう難しいです。呂律が回らない所がいくつかありました。あと、昔の言葉が今の人には理解しづらいってのもあります。

 

②枝太郎「狐裁き」

こういう会では新作はやらず、動物も出てくる、子供向けの古典ってことになりました。枝さんの声は「小狐」とかに合います。面白かったです。

 

③鯉昇「時そば」

時そばなんだけど、鯉昇さん独自に改作したもので、落語通でも楽しめるようになってて、面白かったなあ。

 

「仲入り」

④トークショー ~歌丸を語る~

枝太郎さんが仕切り役でしたが、「横浜人図鑑」でも、宮内さんに負けて全然しゃべれなかったように、仕切りはうまくないですね。

三平さんはアドリブ下手だし、鯉昇さんもそんなにべらべらしゃべる人じゃないし、花緑さんも、ネタが少なかったし、地元の南区民としては一番期待していたコーナーなのに、そんなに面白い話が出ず、いまいちでした。

 

④三平「ざるや」

前半の漫談部分が非常に長い。それはいいんだけど、なんだろう、「悪口」ばかりで、なんか気分が悪くなりました。落語界の身内の悪口は、この業界の風習として許せるんですが、「浅草演芸ホールの客はひどい」という話はちょっと嫌になりました。自分が「浅草にしょっちゅう通ってた」というのもあるんですが、「いくら浅草でもあそこまでひどい客はいないよ」「今、コロナでどこの寄席も客が減って大変ななか、木戸銭払って見に来ている大事なお客さんに対して、ひどくないか?」と思いました。

また、漫談も、「隣に囲いができたねえ へ~」クラスの、小学生用の小咄とかばっかりで、あまりにも客を馬鹿にしてないか? とも思いました。寄席で見る時はもっと面白い漫談なんだけどなあ。

後半の古典落語は、全然面白くなかったです。落語やらずに漫談だけやればいいのに。

ただ、素人客にとっては「笑点に出ていた有名人を生で見れた」ということで、皆さん、すごく喜んでいました。

 

⑤花緑「芝浜」

10月に芝浜というのも面白いです。初心者向け落語会ということで、「最も有名な人情噺」をかけたと思います。花緑さん、うまくなったなあ。完全に頭の中に入っている話でも、堪能しました。良かった。

 

3時間近い、長時間の落語会でしたが、とても楽しませてもらいました。次回も行きたいです。

 

さて、最後に、「舞台関係の仕事をしている人間」として、気になったこと。

 

今回の落語会、なんか、マイクの調整がよくなかったです。マイクが遠いんです。

 

 

枝太郎さんのちょっとか細い声だと、正直、聞き取りにくいです。枝太郎さん本人も気になっていたようで、「後ろの席の人、聞こえますか?」と何回か聞いてましたが、今回、高齢の客も多く、よく聞こえていないお客さんが大勢いたと思います。

 

鯉昇さんなんか、「ぼそぼそ小声でしゃべる」のが売りの人なので、マイク調整をうまくやらないと、ほとんどの人が「聞こえない」ってなってしまいます。

 

(ドサ回りの演歌歌手の人とか、マイク事情の悪い会場でも歌うので、その場所その場所のマイクの響き方に合わせて歌い方を変えるようなテクニックがありますが、鯉昇さん、そこまでできなかったのかな?)

 

三平さんの「大声で叫ぶだけ」というスタイルは、今回のマイク事情にはちょうど良かったです。

 

最後の花緑さんは、声に芯があって、マイク事情が悪くても、しっかり響かせるような発声をしていたと思います。前の演者の様子を見て「今日のマイクはいまいちだな」と感じて、それに合わせて調整したんでしょう。

 

素人団体の手作りイベントみたいでしたから、こういうこともあるのかもしれません。

逆に言うと、「PAさんがプロの仕事をしているから、他の公演はちゃんと音が聞こえるんだなあ」とわかりました。

 

 

「音楽教室の発表会」というと、ほぼ9割は「ピアノ」なんですが、時々、その他の楽器の発表会も撮影させていただきます。

 

「フルート」「篠笛」「エレクトーン」「ボーカル」「バイオリン」「カホン」・・・・などなど

 

以前「集合写真にピアノをなんとか写し込みたい」という記事を書きました。

 

そう、「集合写真」に、楽器も写し込みたいんです。

 

「カホン」なんかは、最前列の人が座る「椅子」を、「カホン」に変えて、それに座ってもらう、なんてことをやったりします。

「ボーカル」の場合は、最前列の数名にマイクを持ってもらったり。

 

今回は「バイオリン」のお話。

何回か試して、「これがいい感じかも?」というのを見つけました。

(※ただし、あくまでも、教室の先生の意向が最優先で、「楽器は持たなくてもいいです」と言われれば、それに従います)

 

①何も持たない

何の楽器の発表会なのかわからない集合写真になります。

 

②花束を持つ

先生の方から、「生徒さん全員に花束を持ってもらい集合写真を撮る」という方法を希望される場合、花束と楽器の両方を持つのは無理なので、楽器はなしです。

 

③バイオリン本体と弓の両方を持つ

最初に試したのがこれでした。しかし、この方法では両手がふさがってしまうため、撮影直前に「身だしなみを直す」こともやりにくいし、「ピース写真」が撮れないことに気が付きました。

 

④バイオリン本体のみ持つ

最終的に、「これがベストかな」と思ったのがこの方式です。「弓がないと寂しいのでは?」とも思ったのですが、そうでもなかったです。

 

 

これだと、片手があくので、ピースも可能です。

 

こんな感じで、プロの写真屋は「集合写真」に関してもあれこれ改善策を考え試していたりします。

 

 

コロナのために主役の「志村けん」さんが亡くなってしまい、いったん、制作中止に追い込まれてしまった松竹映画「キネマの神様」をブルーレイで鑑賞。

 

正直、名作とは言えず「イマイチ」な感想で、「若い頃が菅田将暉で、年取ってから志村けんは、違いすぎるだろ」とか「自分が大好きだった人に、出会って、履歴書まで見せられて、気がつくまでに時間がかかりすぎるだろう」とか「城戸賞は、未発表の脚本に限るなのに、応募できないだろう」とか、ツッコミどころはいっぱいなんですが、小さな映画館が頑張っている様子とか、映画好きにはうれしい場面もあったので、まあ、よしとしましょう。

 

さて、この映画の中で「印象に残った」のは、映画に出た女優の「北川景子」さんの顔がアップになった際に、「彼女の瞳の中に、その時、撮影現場にいたオレの姿が写ってるんだよ」と沢田研二が言う場面。

 

そう、瞳って、鏡のようにきれいに反射して、魚眼レンズのように広範囲に周囲のものを写り込ませるものなのです。カメラに詳しい人には、これはよく知られていることで、刑事物のドラマの中にも、「瞳の中に犯人の姿が写り込んでいて、それが決め手になって逮捕」なんていうエピソードがあったりします。

 

映画とか写真の撮影の現場でも、実際、周囲の撮影風景が写り込んでしまうわけでして、昔の「化粧品のポスターで、女優さんの顔が大きくアップになったもの」とかを、そのポスターに目一杯近づいて、虫眼鏡で見ると、「レフ板」「照明機材」「現場スタッフ」がしっかりと写ってたりしました。

 

同じような原理で、「料理写真におけるスプーンとか、金属製のお皿」などでも、周囲の状況は全部写り込んでいたしして、その「スプーン」の部分を虫眼鏡で拡大して見ると、「カメラマンと助手と、料理を作ったシェフと・・・ 全部で8人で見ている様子」がわかったりします。

 

昔、カメラの修行をしていた時期は、町中で見つけたポスターを虫メガネで見て、「この写真は、こういう機材で、こういうふうに撮っているのか~」と思いながら観察して勉強したりしたもんです。

 

まあ、昔のカメラは中判とか大判とか、大きなフィルムで撮っていて、解像度がすごく良かったので、こういうことができたわけです。

 

映画を見ながら、そんなことを思い出した次第です。

 

※今は、CG処理で、瞳の中に写り込んだものは消してますから、昔のように見ることはできません。