【2037年の黙示録③】神々の正体と善悪逆転の真理 | 【アテナの錬金術】エメラルド・タブレットのAscension Apocalypse

【アテナの錬金術】エメラルド・タブレットのAscension Apocalypse

アテナとは『ギリシア神話』の最高神ゼウスの額から生まれた知恵と芸術の女神で、
自由気ままだが理性的で慈悲深く気高い戦士として登場し、
錬金術の本質は「人間の魂をGOLDに錬成すること」を目的とする。

 

今回の記事は、「意識進化の原点」とも言えるほど重要な話である。

 

 

 

 

前回の記事で紹介したエフライム工房のサイトには「イエスの再臨」と書かれていたが、正しくは「キリストの再臨」である。

 

キリスト教では、2000年前のイエスが当時の姿で再び降臨すると信じられているが、そうではない。

キリスト教のその信仰の根拠は「イエスの昇天」である。

 

イエスは死後3日目に復活し、40日間、弟子たちに最後の教えを説いた後、肉体のまま昇天した。

厳密にいえば、肉体を残さずに5次元の世界に上昇したということである。

 

アセンション(Ascension)とは「キリストの昇天」という意味で、転じて「次元上昇」を意味する用語となったのだ。

中国の仙人の世界では「白日昇天」と呼ばれ、神仙道では「尸解」と呼ばれている。

 

 

神にまつらふ者には生も死もないのぞ。

死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ。

亡骸は臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ。

それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。

(日月神示)

 

 

私も半覚醒後、実家で瞑想三昧の生活で、5次元世界の探訪に夢中になっていた時期があった。

その頃、母親や弟の証言で、私の姿が消えていたということが幾度となくあったが、そのまま3次元世界に戻らなければ昇天(アセンション)ということになるだろう。

 

今は瞑想をするような時間がなく、睡眠中に度々5次元世界を体験する程度だが、そういう時は肉体が消滅している可能性がある。

それを、「肉体のまま昇天する」と表現するのだ。

 

 

伝説のヒマラヤ聖者の中には、数百歳~数千歳といわれている人たちがいるが、彼らは普段は肉体ではなく霊体として存在し、必要に応じて肉体で現れるという。

 

イエスもインドで仏教を学んだ後、ヒマラヤで修行したという記録があるが、イエスが起こした奇跡や昇天は、まさにヒマラヤ聖者のそれと同じなのだ。

 

従って、イエスが再び肉体で人々の前に出現することは可能だと思うが、あのイエスが再び人間界に現れ、世界の王として統治するということではない。

 

 

キリストは「メシア」を意味する言葉であり、黙示録では「子供」として再臨することが示されているからだ。

 

女は男の子を産んだが、彼は鉄の杖をもってすべての国民を治めるべき者である。

(「ヨハネの黙示録」第12章5節)

 

 

『聖書』で杖といえば、モーセが神から授かったとされる「アロンの杖」がある。

これが日本に伝わって、三種の神器の「草薙の剣」になったといわれている。

 

『日本神話』では、スサノオがヤマタノオロチを退治したときに、その尾から出てきたとされている。

「ヨハネの黙示録」でヤマタノオロチに対応するのは、七頭の竜(ルシファー)である。

 

つまり、再臨のキリストは「スサノオ」との符合を見せるのだ。

結論からいえば、イエスは「スサノオ」だったのが、そのことは後述することにしよう。

 

 

 

 

「再臨のキリスト」の話の戻るが、イエスの霊が人間に生まれ変わってくるというわけでもない。

それはありえないことではないが、少し説明しておこう。

 

5次元世界は、輪廻転生を超えた世界である。

本質論からすると輪廻転生はないのだが、現象として輪廻転生はあるともいえるので、輪廻転生はあるという前提で話を進める。

 

 

まず、イエスは輪廻を解脱して5次元世界に存在するので、再び人間界に生まれることはない。

だが、何らかの使命により、その分霊が生まれ変わってくることはありえる。

 

そもそも2000年前のイエス自身が、絶対神「ヤハウェ」が人間として生まれものだからだ。

その意味では、イエスの霊体の分身が人間界に誕生する可能性はある。

 

 

まず、「ヤハウェ」についての誤解を解いておく必要がある。

ヤハウェを知らない人もいると思うので簡単に説明しておこう。

 

ヤハウェ(YHWH)とは「聖書の神」であり、日本では一般的に「エホバ」の名で知られている。

だが、そこに大きなトリックがあるのである。

 

詳しく説明すれば膨大な文章になるので、要点だけ簡潔に伝えておこう。

 

 

聖書の神は「エロヒム」という名でも知られているが、エロヒムとヤハウェは別物である。

それ故に、聖書では「エロヒム」と「ヤハウェ」を区別して表記されている。

 

『旧約聖書』+『タムルード』を聖典とするのが「ユダヤ教」。

『旧約聖書』+『コーラン』を聖典とするのが「イスラム教」。

『旧約聖書』+『新約聖書』を聖典とするのが「キリスト教」。

 

つまり、『旧約聖書』はユダヤ人によって編纂されたものだが、ユダヤ人とはイスラエル12支族のうちの2支族(ユダ族とベニヤミン族)を指す。

 

 

イスラエル民族(ヘブライ人)はエジプトで奴隷として使われていた時期があり、その頃の宗教改革で「アトン」という太陽神を唯一神とする一神教が誕生した。

 

その後、預言者モーセがイスラエル民族を率いてエジプトを脱出したが、アトン一神教を受け継いだのが2支族のユダヤ人だったのだ。

2支族と10支族は宗教対立などが原因で分裂し、やがて10支族は行方不明になって歴史の表舞台から姿を消した。

 

そしてユダヤ人たちは『聖書』を改竄し、一神教の聖典として塗り替えたのだが、イスラエル民族の祖であるアブラハムは、多神教国家だったシュメール出身の預言者なのだ。

 

 

宗教は神話から生まれたものだが、世界中の神話のルーツは『シュメール神話』にある。

それがオリエント地方一帯に広まり、数々の神話や宗教が生み出されていったのだが、そのストーリーの骨子は同じあり、『旧約聖書』はそれらをまとめて編纂された書物なのだ。

 

神の名は違えど構成は基本的に同じで、内容も大筋ではほぼ同じ事を伝えているのだが、それを突き詰めていけば『旧約聖書』の真実が見えてくるのだ。

 

 

まず、最高神である「エロヒム」だが、これはセム語のEL(エル)の複数形である。

エルは「神」という意味で、エロヒムは「神々」という意味になる。

 

実際に、『旧約聖書』の「創世記」で、神は次のように述べている。

 

われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。

(「創世記」第1章26節)

 

 

ユダヤ教神秘主義のカバラは、3本の柱で形成される「生命の樹」を象徴図形としているが、3本の柱は「三柱の神」を意味する。

その奥義を公開したのがイエス・キリストであり、キリスト教では神を「父と子と聖霊」の三位一体としている。

 

それが「エロヒム」であり、その構造は『古事記』の「造化三神」や、その他、世界中の宗教にも見られる。

 

また、ミカエル、ラファエル、ガブリエル、ウリエルなど、天使には「エル」が付く名前が多いが、エルと天使の総称が「エロヒム」なのだ。

それが日本神道の「八百万の神」なのだが、一神教に塗り替えられた聖書では、エル以外は天使という位置づけにされたのである。

 

 

 

 

 

ここからが重要な話である。

 

エルには「バアル」という息子がいて、世代交代によって、バアルが主神となった。

バアルはセム語で「主」という意味で、それがイスラエル民族の主神とされていた。

 

というよりも、バアルは「嵐の神」だが、シュメールの時代から「マルドゥク」という名前で主神とされ、名前は変われど、それが各地域の神話と宗教に受け継がれてきたという歴史的事実がある。

 

 

『聖書』にも「バアル」の名は登場するが、それは異教の神という意味で「悪魔」として貶められている。

何があったのかは説明するまでもないだろう。

 

本来の主なる神は「バアル」だったが、アトン一神教に改宗したユダヤ人がバアルを悪魔として、『聖書』を改竄したということである。

ユダヤ人はヤハウェのことを「アドナイ」と読んでいるが、それは「アトン」の複数形なのだ。

 

つまり、本来の主であるバアルを悪魔とし、アトンを主とする宗教を作ったのがユダヤ教で、その聖典が『旧約聖書』なのだ。

が、アトンの複数形ということは、本来は一神教ではないことを暗に認めているともいえるだろう。

 

で、経緯は割愛するが、アトン(アドナイ)は「ヤハウェ」と呼ばれるようになった。

だが、本来の主は「バアル」であることは分かっている。

 

 

つまり、こういうことだ。

ヤハウェを直訳すれば英語で「I am.」で、日本語では「私は~である」となり、神の名前が隠されているのだ。

 

それ故に、モーセの「十戒」では「神の名をみだりに唱えてはならない」とされているが、これはおかしな話である。

キリスト教では、神とされる「イエス」の名前を唱えることは信仰とされているからだ。

 

神道やヒンドゥー教や仏教などでも、神仏の御名を唱えることは修行であり、信仰の祈りでもある。

なぜ、バアルやアトンの名前が隠されて「ヤハウェ」と呼ばれているのか。

 

 

本来の主は「バアル」だが、ユダヤ人にとっての主は「アトン」であり、「ヤハウェ」という隠語には「バアル」と「アトン」のどちらでも当てはめられるようになっているのである。

 

ヤハウェは「エホバ」とも呼ばれているが、これは「アドナイ」と読み替えるための母音記号とを組み合わせた「Jehovah」であり、「私はアドナイである」という意味になる。

 

このように、今まで人類はヤハウェを「アトン」として信仰してきたが、それが終末に反転して、「バアル」及び「ルシファー」が真のヤハウェであることを人類が理解する日が来るのだ。

 

 

バアルは牛の角をもつ嵐の神だが、それは暴風雨の神であるスサノオ(牛頭天王)である。

スサノオは高天原から追放された悪神で、『聖書』でいう堕天使ルシファーに対応する。

 

スサノオは「艮の金神」とも呼ばれ、東北に封印された牛の角を持つ「鬼」でもある。

それはまさに、悪魔として貶められた「バアル」や「ルシファー」の姿と一致する。

 

 

説明すれば長くなるので結論から言えば、スサノオ(ルシファー)は人類の罪を背負った贖罪神である。

『聖書』で「明けの明星」「蛇」「光」「雷」はルシファーの象徴だが、イエス・キリストの象徴でもあるのだ。

 

詳細を知りたい方は「善悪逆転論」で検索していただければ、私の過去ログが出てくるので読んで頂きたい。

だが、記事の数がかなり多く、話が深くて、複雑且つ煩雑なので、明確に理解できる人はいないだろう。

 

 

 

 

しかし、この「善悪逆転論」の理解は非常に重要である。

 

私は昔、『日月神示』と『聖書』を比較して「善悪逆転」に気づいた。

それは後に知った「グノーシス主義」と大筋では同様のものであった。

 

国常立尊は龍神の総大将で、悪神として封印されてきた「ルシファー」である。

そして、国常立尊の分神であるスサノオが「バアル」という構図になるのだ。

 

 

『日月神示』を読んでいれば、「善悪逆転論」の理解が意識進化の原点とも言えるほど重要であることが分かる。

 

「まことの善は悪に似ているぞ。まことの悪は善に似ているぞ」

 

「悪神の守護となれば、自分で正しいと思うこと悪となるぞ」

 

「悪と思っていることに善がたくさんあるのざぞ」

 

「この方、この世の悪神としても現れるぞ。悪と申しても臣民の申す悪ではないぞ」

 

「これが善である、まことのやり方ぞと思っていること、九分九厘までは皆悪のやり方ぞ」

 

「悪は善の仮面かぶって心の中に喰い入っているぞ」

 

「素盞鳴(スサノオ)の大神が悪神と映るのは悪がそなたの中にあるからであるぞ」

 

「世に出ている守護神、悪神を天の神と思っているから中々改心難しいぞ」

 

 

私の意識進化の軌跡を振り返ると、「善悪逆転の理解」→「善悪統合の体得」→「善悪概念の消滅」であった。

もちろん、善悪の概念はあることはあるが、概念の無力化というか無効化のような感じである。

 

神示には「悪抱き参らせよ」と示されているが、それが私のいう「善悪統合の体得」である。

だが、その前に「善悪」を知ることが必要で、それが「善悪逆転の理解」なのだ。

 

 

人々は法律や常識に基づく善悪の概念で生きている。

それも人間界で生きていく上では必要なことだが、真理に基づく善悪を知ることが大切なのだ。

 

既成概念や固定観念による自分勝手な善悪に基づく言動や、他者や出来事に対するジャッジもカルマとなる。

誤解のないように述べておくが、真理に基づくジャッジは必要なことである。

 

「善悪はない」と説く人もいるが、それは本質論であって、「善悪統合の体得」の先にあるものである。

 

善悪を知るためには、「善悪を知る知識の木」の実を食べることだ。

アダムとイブはそれを食べてエデンの園を追放され、人類の堕落が始まったとされているが、グノーシス主義ではそう解釈しない。

 

 

その話は今回の記事とテーマが異なるので別の機会に詳述することにするが、1つ言っておくと、イブをそそのかして「知識の木の実」を食べさせたのは「蛇」である。

 

蛇は「知識」の象徴で、ルシファー(イエス・キリスト)の象徴でもあるが、イエスはこう言っている。

 

蛇のように賢く、鳩のように素直であれ。

(「マタイによる福音書」第10章16節)

 

 

蛇は「巳」だが、前回紹介したエフライム工房のサイトには次のように書かれていた。

 

「2037年は、巳年の西暦33年のイエスの磔刑から、2千年後の初めての巳年に当たります。

ノアの洪水やイエスの磔刑など、ヤハウェに関わる重大事件は巳年に起きています。

だから、イエスの磔刑から2千年後の初めての巳年に関心を寄せるべきでしょう。」

 

 

 

 

話を進めるが、贖罪神スサノオは時を変え場所を変え、人間界に現れる。

その中の1人が、人類の罪を背負って磔刑にされた「イエス・キリスト」だったということである。

 

そして、イエスは太陽神の化身ともされ、ミトラ教の主神「ミトラ」と習合している。

ミトラはサンスクリット語で「マイトレーヤ」と呼ばれ、それが日本に伝来して「弥勒菩薩」となった。

 

これが『旧約聖書』に予言される終末に現れる「ユダヤのメシア」であり、キリスト教でいう「再臨のキリスト」なのだ。

すなわち、「再臨のスサノオ=太陽神ミトラ=マイトレーヤ=弥勒菩薩=再臨のキリスト」という図式が成立する。

 

 

その謎を解く鍵が、古代オリエントに共通する神話にある。

 

太古の昔、エルが息子のバアルに主神の座を交代したが、バアルは女神アシュトラとの間に「ミトラ」をもうけた。

つまり、バアルの後継として、終末に救世主として現れるのが、太陽神「ミトラ」なのだ。

 

何度も言うように、バアルは「スサノオ」である。

古代日本では、出雲族のフツシという人物が、現人神として「スサノオ」と呼ばれていた。

彼は日本建国の父とも呼ばれているが、その後継者の「ニギハヤヒ」が真の初代天皇と即位している。

 

 

ニギハヤヒの正式名は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)。

 

つまり、ニギハヤヒは男神としての「天照大神」であり、封印された「真の皇祖神」なのだ。

現在の天皇家は「日向族」であり、その皇祖神である天照大神は「卑弥呼」のことなのである。

 

話を繰り返すが、暴風雨の神「スサノオ」の後継者が、太陽神「ニギハヤヒ」である。

これは、嵐の神「バアル」の後継者が太陽神「ミトラ」という構図と同じである。

 

 

イコールで結びつけるのは語弊があるが、以下の等式が成り立つ。

 

「バアル=スサノオ=イエス・キリスト」

「ミトラ=ニギハヤヒ=再臨のキリスト」

 

 

ここからが本題だが、前置きの説明が長くなったので、続きは次回の記事に譲ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

次回の記事で解説するが、「キリストの再臨」とは「世界天皇の登場」を意味する。

そして、今、歴代の天皇に継承されてきた「言霊の最終奥義」を知ることが出来る。

 

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最終的には自分自身を師として、内観を深めていくしかない。

私が薦めているのは「ネオデジタル内観」だが、それを私がバージョンUPして実践してきたのが「ハイパーネオデジタル内観」である。

 

熾烈な自己観察で「心のハルマゲドン」を通過してこそ、「ミロクの世」が実現するのだ。

その意味においても、来たるべきハルマゲドンは人類の集合的無意識の投影(=自分の投影)であり、内観によって大難は小難となるのだ。

 

seesaaブログ「神泉組2」にハイパーネオデジタル内観の記事を書いている。

これもリニューアルしてアメブロで新たに開設する予定だが、とりあえず、(改定版)と書いている最初の7つの記事だけ読んでおいていただきたい。

 

http://world888.seesaa.net/article/144726730.html

 

 

 

 


 

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