メルカバーは人類を処刑する「神の戦車」だが、それはシリウスAに向かう「聖なる神の玉座」でもある。
メルカバー(Merkabah)は「マカバ」だが、Wikipediaでは次のように説明されている。
「カバラ行者などが瞑想状態になり、神の戦車に乗り込み、神と直接接しようとする所謂、秘密修行・神秘修行のようなものとの関連性があるといえばわかりやすいであろう。
護符を用いたり、呪文を唱えたりするなかで、悪魔から魂の辱めなどを受けるのを防ぐ役割を持つ天使と共に、神の玉座を囲むベールを突き抜けて最終目的地に達しよう試みるその行は、霊性や魂の純粋状態を要求され、非常に危険な行ともされる。」
端的に言えば、メルカバーに乗る資格を有するものが「選民」であり、シリウスAが最終目的地ということになる。
本当の最終目的地はオリオン領域だが、それは6500年後のことになる。
瞑想や呪文や修行というと、特別な人間のする事のように思うかもしれないが、決してそうとは限らない。
覚醒期に入った今、特殊な霊的修行を積んだ者しかメルカバーに乗れない時代ではないということを、前回と今回の記事でご理解いただけることと思う。
さて、人類の二極化に関連するワードとして、「救われる」とか「救われない」という表現を嫌う人も少なくないようだが、それは事実なのだから仕方がない。
但し、「天は自ら助くる者を助く」という言葉の通り、自分で自分を救うかどうかの問題である。
「助」という字は「且」と「力」に分解できるが、且には「ある行為や心情が、他の行為や心情と並んで存在する関係にあることを表わす」という意味がある。
つまり、人間と神の意識や意志の波長一致によって発動する力によって、助かることを示しているのである。
重要なことは依存心ではなく自立心であり、結局は「心の持ち方」次第なのだ。
「救われる」という概念は選民思想にも繋がってくるが、たまに「選民思想」について問われることがあるので、私の意見を述べておこう。
まず、「選民」については様々な概念や解釈がある。
選民思想を批判的に言う人は、選民意識を持っている人に対して、「自分は選ばれた特別な人間だと思っている傲慢な人間だ」という観念を持っているからではないだろうか。
そのような人が多いかもしれないことは否定しないが、それも自分自身の投影なのだ。
「自分は選ばれた特別な人間だと思っている傲慢な人間」というレッテルを貼って不愉快に思うこと自体が、他者を裁いて軽蔑する傲慢な想念だからである。
傲慢な選民意識を持つ人を反面教師だと思えば、批判的に捉えて攻撃したり、悪想念を発する必要もないはずである。
私は選民意識を持っているが、『聖書』ではユダヤ人が選民とされ、その血を引いている大和民族も選民なのだ。
『日月神示』やARIONやOCOTなども、日本人が世界を変えていく使命があるということを説いている。
ジーン・ディクソンやジュセリーノなどの数多くの予言者も同様のことを力説している。
そのような知識が頭に詰まっていれば、選民思想が刷り込まれていても仕方がないであろう(苦笑)
ユダヤ人と日本人が選民なのはDNAと言語が関係しているのだが、その他の人種でも選民になることは可能である。
例えば、血統的ユダヤ人ではなくても、ユダヤ教徒であれば「ユダヤ人」と定義され、信仰によって結ばれているのだ。
だからと言って、ユダヤ教徒になれば選民になれるのかというと、実際にはそういう単純な問題ではない。
信仰というと宗教のイメージがつきまとうが、真の信仰は「無宗教」であり、【2020年の黙示録④】で書いた「法華経化」のことである。
もちろん、何らかの神仏を信奉していても構わないが、囚われがない状態で篤い信仰心を持つ必要がある。
また、当然ながら、日本人であれば誰でも選民だというわけではない。
だが、選民の自覚を持つことは、意識進化において重要なことだと思う。
一般通念での選民思想は「自分は選ばれて救われる」という思想だが、どのような視点で捉えるかで意識のレベルは天地の差がある。
広義の意味で言えば、選民とは意識進化の方向性である「シリウスA」に入ることである。
まず、それを自ら「選択」して、自らを「救済」することが、私が言う「選民」の前提条件なのだ。
選民は自らを救済した後は、自己犠牲を厭わずに「他者救済」せざるを得なくなるものである。
他者とは自己であり、他者救済は自己救済でもあり、自他の意識レベルを高めるのが選民の使命なのだ。
そのために選民は、厳しい自己管理で身魂磨きに努め、人間界での自分の幸福よりも菩薩行を優先するものであり、選民というものはなかなか大変な人生なのだ。
自我を捨てて、神の道具となり、天命に従って生きる決意が「選民意識」であり、それをどれだけ実践するかによって、神に選ばれたる「選民」となるのである。
Wikipediaで「選民」を検索すると、次のような説明が載っている。
『キリスト教での定義では「選ばれた」という状態は自らを卑下する思想である。
なぜなら、この考え方は他者よりも多くの責任を負い、自己をより多く犠牲にすると考えることであるからである。』
私が認識する「選民」は、このような意味合いのものである。
極論いえば、人類の罪を背負って十字架に架かる覚悟ができた者が選民であり、1人でも多くの他者を救う使命が与えられた者を「選民」と呼ぶのだ。
それで天変地異や戦争の時に選民は救われるのかというと、残念ながらそうとは限らない。
「そんな選民ならなりたくない」と思う人もいるかもしれない。
自我ではそう思うかもしれなが、確かに犠牲にするものも多く、苦労も多い人生だが、魂が喜ぶ人生なのだ。
また、人生の目的が意識進化なのであれば、人類の意識進化を率先するのが選民の御用である。
選民思想には「特別意識」が付随するが、もちろん私にも特別意識はある。
それは、「私は私の人生における主人公であり特別な存在である」という認識である。
決して、他者と比較して自分が優秀で特別な存在だという傲慢な意識ではない。
もちろん、他者と比較して優秀な面もあるし自覚もしているが、優劣は誰にでもあるものであり、万人に大差はないのである。
そのことを理解していれば、エゴイスティックな歪んだ選民思想や特別意識を持つことは有り得ないことなのだ。
従って、正しい選民意識を持つことは、意識進化において重要な「心の持ち方」だと思うのである。
もちろん、『蜘蛛の糸』のカンダタのような邪な選民意識を持ってしまえば、「シリウスB」に向かうことになる。
【1989年の黙示録】で以下のARIONメッセージを紹介したが、これが「選民意識を持つ」ということである。
ここまでの話では、「自ら選民意識を持つ」ということの大切さについて述べてきたが、神から一方的に選ばれた選民も同じように苦労の多い人生を歩まされるものである。
以下の神示を読んだ者は、「選ばれた選民」だと思ってよいだろう。
狭義の意味での「選民」は、黙示録に示されているように、14万4000人のイスラエル民族の末裔であろう。
それは主に「日本人」で、一部は俗に言う「ユダヤ系」の連中も含まれると思われる。
王仁三郎は次のように語っている。
私の解釈では、選民とは、人類(まずは特に日本人)の意識進化をリードして導く役目があり、「百匹目の猿現象」のように意識進化を爆発的に波及させる起爆剤のような存在である。
ここで興味深いエピソードがある。
王仁三郎は晩年、「カンナガラタマチハエマセ」と唱えながら、3000個もの茶碗を作っている。
14万4000という数字は「3000×48」であり、3000人の選民が48音(ひふみ祝詞)を奏上することで、神の経綸が成就するのかもしれない。
カンナガラタマチハエマセとは、「神様のみ心のままに幸いを賜りませ」という意味である。
すなわち、運命を神に委ねて全託する心の状態を言霊にしたものである。
お分かりだろうか、これが選民の心的態度なのだ。
もちろん、誰だって助かりたいに決まってはいるが、自己犠牲を覚悟の上で救世の使命を自覚し、生も死も神に委ねた状態が「選民意識」なのだ。
惟神(かんながら)とは、神と人が融け合った「神人合一」の状態だが、「人間を救いたい」と思うのが神の願いなら、選民の願いもそれと同じものになるはずである。
だが、当然ながら神自身も助かりたいものだが、人が助かれば神も助かるのである。
この道理とは、どういうことか説明すると、OCOTによると「宇宙の最も根本的な二元性とは神と人間」だという。
ARIONは次のように述べている。
神と人間の関係がイメージできたと思うが、日月の神は更にこう告げている。
つまり、選民は「神を救う使命がある」といえば不遜だが、結果的にはそういうことにもなるのだ。
私が「選民意識」を大切にしている理由をご理解いただけただろうか……。
選民意識と特別意識がなければ、「地球救済プロジェクト」も遂行できないだろう。
地球救済プロジェクト
「もう一度生まれて来て今生人間として地球救済プロジェクトに参加する事を決めたのは、あなたがた自身の内発する衝動からだ。」
(ARION)
生まれてくる前に、このような事を決めて生まれてきたのかどうかは、私は覚えていない。
だが、そのような内発する衝動が起きた人、起きたことがある人は、そういう使命を持っていると言えるだろう。
人間が生きていく上で地球は不可欠な母体であり、必然的に地球環境の保護を無視して生きることはできない。
何か大きな運動を起こすかどうかは別にして、個人にできる事には限りがあり、日常の小さな事かも知れないが、それを実践するかどうかが重要である。
ホワイト・イーグルという高級霊の霊示がある。
輪廻を卒業しているというから、5次元の霊人である。
『光への道』という本の中で、訳者の桑原啓善氏が、ホワイト・イーグルの教えの核心を次のようにまとめている。
初級イニシエーションの「生活の中での一つひとつの気づき」は、内観によってもたらされるものである。
上級イニシエーションの「自分を捨てて地球進化のために全面的に献身する」というのが、地球救済プロジェクトへの参画の決断だ。
この2つは、私が魂の半覚醒に至るまでの軌跡の中でも起きた出来事だった。
もちろん、それは今でも続いているのだが、この2つは非常に重要な事なので、私は度々繰り返し引用している。
ARIONは言う。
それは『聖書』や『日月神示』にも散々書かれている終末予言だが、だからこそ、ARIONは地球と人類の未来を憂い、メッセージを送ってきているのだ。
だが、このようにも指摘している。
それは過去の歴史や現在の状況を見れば分かるとおり、宗教やスピリチュアルには地球や人を救う力はないということだ。
そして、地球と人類を救うもののキーワードは、ノストラダムスが予言した「別のもの」である。
それに関しては改めて述べるが、地球救済プロジェクトは具体的に何をすればいいのか?
それは人それぞれの役割があり、自分が思ったことを行動に移せば良いのである。
ただ、それだけだ。
シンプルに捉えればいい。
頭で優先順位や損得勘定を考えてはいけない。
魂からの衝動とはそういうものである。
自我の夢や希望や理想も否定はしないが、それを優先すると選民とは言えなくなる。
真の私は「公」であり、在りて在るもの、ありとあらゆるものだと知ってもらいたい。
その為には「半覚醒」する必要があるが、その為には魂の声を聴く必要がある。
その為に最低限必要なことが「太陽瞑想」と「内観」であり、冒頭の話とは少し異なるが、多少は霊的な修行も不可欠なのだ。
霊的な特殊な修行というのは現代人の感覚であり、太陽を拝んだり自己の内面を見つめることは、何も特殊な霊的修行ではなく、本来は人間として当たり前の生き方なのである。
いくら覚醒期といえども、何もせずに勝手に半覚醒する人が爆発的に増えることはないだろう。
このブログは、ブログ村の「スピリチュアル」のランキングに登録しているので、多少なりとは私の話を理解して実践してくれる人がいることを信じている。
■ネオデジタル内観
最終的には自分自身を師として、内観を深めていくしかない。
私が薦めているのは「ネオデジタル内観」だが、それを私がバージョンUPして実践してきたのが「ハイパーネオデジタル内観」である。
熾烈な自己観察で「心のハルマゲドン」を通過してこそ、「ミロクの世」が実現するのだ。
その意味においても、来たるべきハルマゲドンは人類の集合的無意識の投影(=自分の投影)であり、内観によって大難は小難となるのだ。
seesaaブログ「神泉組2」にハイパーネオデジタル内観の記事を書いている。
これもリニューアルしてアメブロで新たに開設する予定だが、とりあえず、(改定版)と書いている最初の7つの記事だけ読んでおいていただきたい。
http://world888.seesaa.net/article/144726730.html
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