【1995年の黙示録】阪神大震災と地下鉄サリン事件の真相 | 【アテナの錬金術】エメラルド・タブレットのAscension Apocalypse

【アテナの錬金術】エメラルド・タブレットのAscension Apocalypse

アテナとは『ギリシア神話』の最高神ゼウスの額から生まれた知恵と芸術の女神で、
自由気ままだが理性的で慈悲深く気高い戦士として登場し、
錬金術の本質は「人間の魂をGOLDに錬成すること」を目的とする。

 

 

 

 

『ガイアの法則』でシュメールの神官は次のように述べている。

 

シュメールの宇宙周期象徴学の上では、 地球という大地の聖なる1/4リズムは、6444年であると伝えられている。 

エリドゥ(シュメールの首都)が人類最初の文明地として産声をあげた年を起点として 1/4リズムに相当する年を計算すると、それは1995年を示すことになる。

空間上でのその位置は、経度の計算に当てはめれば東経135.0度に相当する。

その位置こそがこれから始まるエリドゥなのだ。

 

1995年は、2001年のテロ事件の最初の計画が立てられた年でもある。

2001年9月11日の出来事は、それまでの文明の終わりを象徴的に意味するものであり、偶発的な事件ではない。

1995年に東経135.0度で起きたあの大地の脈動こそが、シュメール以来の新たな命の脈動を示す大地の示しを意味している。

 

1995年の大転換点を受けて、このウェーブは2013年、2031年……と節目を刻んでゆく。

ゆえに2013年前後に、旧文明勢力の変動と新文明の発現の芽を象徴する出来事が社会的に現れる可能性があるが、多くの人々の目には、そうした芽こそが最も大きな意味を持つのである。

この時期の小さな変化は後々に大きな変化へと結びついていくのだ。

 

 

 

 

1989年の次元上昇開始から6年目の1995年は、時代の大きな節目の1つだったということだが、少し解説しておこう。

 

OCOTがいう約6500年の周期は、シュメールの神官によると6444年で、その1/4の1611年の周期で文明の中心点が22.5度ずつ移動している。

それは上図の通り、東から西へ進むスピンと、西から東へ進むスピンがある。

 

6444年前に開花したシュメール文明の中心点から、1611年後に22.5度東にスピンしてインダス文明が開花し、その1611年後に22.5度東にスピンしてガンジス文明が開花し、その1611年後に22.5度東にスピンして中国の唐文明が開化し、その1611年後の1995年に22.5度東にスピンして淡路島に移動し、その合図として阪神大震災が起きたという。

 

 

6444年前に開花したシュメール文明の更に6444年前、日本列島に移住して来たムー大陸の人々は、淡路島を拠点として文明を開花させ、それが『日本神話』のイザナギとイザナミの国生みだというが、1万2888年の周期を終えて、世界の文明の中心点が東経135度の淡路島に戻ってきたという話である。

 

その淡路島から新たにスタートする文明は、1995年から約100年かけて文明の基礎が完成し、ピークを迎えるのは約400年後で、約800年間に渡って繁栄するという。

 

つまり、これから約800年後の西暦2800年頃まで、日本の関西地方が世界の文明の中心点として発展するということだが、「至福千年王国」が終焉を迎える時期と一致している。

 

また、1995年から72年間は大きな節目で、72年遡った1923年には関東大震災があり、さらに72年を3回遡った1707年には富士山の大噴火が記録されている。

 

 

 

 

 

「1995年の大転換点」については、出口王仁三郎の大本教から派生した、世界真光文明教団の開祖・岡田光玉に降りた神示にも示されているが、実際に光玉が立教して35年目に阪神大震災が起きている。

 

 第一段の大揺すぶり期は、お前が立教してから三十五年目にくる。
(世界真光文明教団「御聖言」)

 

 

 

『日月神示』発祥の年である昭和19年、大本裏神業により、辻天水は出口王仁三郎の命令で、淡路島の神代村に井戸を掘った。
掘れども掘れども一滴の水も湧き出して来なかったが、王仁三郎はこう言ったという。
 

よくやった。成功や。後はただ放っておけ。
あれは大国常立大神様が出現される穴やったんや。

(出口王仁三郎)



現在の錦宮は裏神業の役目を終え、『三六九神示』が別の大本一派に降ろされるようになり、裏神業が引き継がれている。
そして、1994年10月17日、次の神示が降ろされて、イザナギとイザナミの国生みで出来た淡路島の自凝島(おのころじま)神社で神業を行なった。

 

日の出大神が鎮座場の淡路島から出現する。
(三六九神示)



翌月の11月30日には以下の神示が降ろされた。

 

さあドンドン、オノコロ、オノコロ、おのころ嶋が動き始めたぞ。
さあ団子をこねるぞ、吉備団子じゃな。
キビダンゴを、オノコロオノコロ、丸めて串を刺すと言う。

(三六九神示)



その翌月の12月3日の神示
 

亥の年は、さあ土と言うな。水火土の神。神世の導きの指図いたすぞよ。
さてさて亥の年は、古い殻の割れる年、土より芽ぶきのある年じゃ。
大地震い、型に見せて通るぞよ。
(三六九神示)



そして、年が明けた1995年1月17日、阪神淡路大震災が起きたのである。
龍であるルシファー(国常立尊)が封印から解かれた歴史的瞬間であった。

数秘術で10は1+0=1で、神業が行われた10月17日と震災が起きた1月17日は同じ数霊的意味を持つ。
1月17日は1+17=18は6+6+6で「ミロク」を示し、一月十七日は数霊学的に「初めに神成る日」である。


神戸は神の戸、阪神大震災は岩戸開きの第1弾で、「霊主体従主義」の建て替えの正神の復活だったのだ。

それ以降、日本列島はマグマの活動期に入った。

 

 

ただ、これには裏の意味もあり、国常立尊の暗黒面であるヤマタノオロチ(魔王ルシファー)退治の型でもあった。

神戸は一宮から八宮まであるが、神戸は頭(こうべ)を意味し、伝説ではヤマタノオロチの首が斬り落とされた地とされている。

 

その2年後の酒鬼薔薇事件では、淳君がヤマタノオロチの型として首を切断され、少年Aが贖罪神スサノオの型として冤罪で逮捕された。

 

阪神大震災は神の経綸だったのだが、それを実現させる為の悪の御用として、闇の権力による人工地震も絡んでいる。

空海や「かごめ歌」も地震の予言をしていたが、興味のある方は私の別ブログ「ナイトルシファー」の記事をお読みいただきたい。

「阪神大震災とかごめ歌」

 

 

 

 

阪神大震災から間もなく、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起きて世界を震撼させた。

 

クリスチャンが口にする「アーメン」はサンスクリット語のAUM(オウム)であり、仏教ではこれを「A・UM(ア・ウン)」に分けた。

仁王像や狛犬で表現されるように、ア・ウンは陰陽を表し、五十音の最初と最後の音であり、ギリシャ語のアルファベットの最初の音α(アルファ)と最後の音ω(オメガ)に対応する。

 

「A」は維持神ヴィシュヌ、「U」は破壊神シヴァ、「M」は創造神ブラフマーを表しているが、オウム真理教はこのAUMの仕組みにより、破壊神シヴァの御役の悪の御用をさせられたといえるだろう。

 

阪神大震災も酒鬼薔薇事件もオウム事件も、黒幕はイルミナティだが、オウム事件については話せば長くなるので別の機会に詳述したい。

 

 

ちなみに、シュメールの神官によれば、1995年は「9・11同時多発テロ」が計画された年だったそうだが、その予告も含めた「イルミナティカード」が発売された年でもあった。

 

 

 

 

 

ただ、オウム事件は、意識進化の道を歩むものにとって大切な教訓を残してくれている。

教祖が「神」や「メシア」を主張する宗教の殆どがカルトだが、何故カルトに走るのかというと、多くの場合、教祖自身が神秘思想の素人だからである。

 

カバラはもちろん、宗教の本質を全く理解していない。

神と悪魔は表裏一体であるが故に、神秘思想を理解すればするほど違いが分からなくなる。

やがて「生命の樹」から「死の樹」に転落し、神と悪魔が正反対に見えてくる。

(私が主張する「善悪逆転論」とは意味合いが異なる。)

 

「生命の樹」の頂点は宇宙の究極真理である。

「生命の樹」を少ししか登っていなければ、足を踏み外して転落しても大怪我はない。

だが、「生命の樹」を上昇すればする程、足を踏み外すと「死の樹」の底まで真っ逆様に転落する。

 

神に最も近い階級の天使長ルシファーが魔王になったのは比喩だが、正にそのことを物語っている。

そして教祖が「死の樹」に堕ちれば、信者もろとも「死の樹」に堕ちる。

 

ルシファーは「自分こそ神に相応しい」という傲慢さ故に、神に戦いを挑んで地獄の底に堕とされた。

今までも、自ら「神」や「メシア」を名乗った新興宗教の教祖の多くが、カルト事件を起こしている。

 

カバラに限らず、知識や財産を多くもつほど、人間は傲慢になっていく。

これが「死の樹」の転落の始まりであり、我々は常に想念の管理を怠ってはならない。

オウム真理教はヨガがベースなので、修行のメインは瞑想である。

瞑想をすると様々な真理に目覚め、不思議な能力が芽生えてくるが、そこで慢心が生まれて悪霊と波長が合いやすくなる。

 

悪霊と接点を持った人間が瞑想でトランス状態になると、精神を明け渡してしまうことになる。

そうなると、自分では気付かずとも、悪霊に心理操作された操り人形となるのだ。

そして「死の樹」の底まで堕ちると、全てが正反対に見え、社会的に善を行おうとすると悪となる。

 

 

 

 

では、オウムも善を行おうとしていたのだろうか。

彼らも最初は健全な求道者の集まりだったのだろうが、途中で足を滑らせて「死の樹」に転落し、大善を行おうとして極悪を犯したのだ。

 

麻原は最後まで「無実」を主張したが、それは全てが逆に見えていたからである。

「死の樹」に転落するのは簡単だが、一旦「死の樹」に堕ちると、再び上昇することは難しい。

死後の世界でも、霊たちは徐々に上界に昇っていくが、幽界霊の多くは何百年、何千年もその世界に留まっているという。

 

オウム真理教は統一教会や北朝鮮との繋がりも指摘されているが、それを追及しても本質は掴めない。

黒幕はイルミナティの手先のCIAであり、麻原自身も洗脳されていたことは確かだが、麻原は「キリストの生まれ変わり」を名乗り、「ハルマゲドン」を盛んに強調していたことから、黙示録の終末思想に取り憑かれていたのは間違いない。

 

そして、「フリーメーソン=ユダヤ人」と勘違いして「フリーメーソン陰謀論」を狂信し、オウムこそが「ヨハネの黙示録」に登場する「キリスト軍」だと錯覚し、反キリスト軍のユダヤ人を滅ぼす為に本気でイスラエルに侵攻する計画を立てていたという。

 

結局、麻原はヒトラーと同じような利用のされ方をしたわけだが、麻原が死刑執行されてもオウム事件は解決しない。

一連のオウム事件はイルミナティの単なる実験であり、近い将来に起こされる計画の雛型に過ぎないのである。

 

 

 

 

 


「1995年」について検索すると、「地震とオウムだけでは語り尽くせない『1995年』」というブログ記事にヒットしたが、興味深い内容だったので一部転載しておきたい。

 

■速水健郎氏の新著『1995年』

 

その『1995年』をタイトルとして真っ正面に据えた本をライターの速水健郎氏が出版したので、すぐに購入してみた。

 

速水氏によれば、『1995年を戦後史の転機となった年という刷り込みからいったん解き放ち、個別具体的に政治、経済、国際情勢、テクノロジー、消費・文化、事件・メディア等といった具合にあらゆる側面から輪切りにして再検討してみるという趣旨』で、歴史を縦でなく、横に読もうと試みたという。

 

『刷り込みからいったん解き放つ』との意図があるせいか、速水氏自身の1995年に対する分析や解説はかなり抑制気味だ。

そのおかげで、読者が自分で1995年を再発見し、その時代を過ごした自分自身を再発見するための程よいテクストになっている。

 

本書を読むと、速水氏が示唆する通り、私にとっての1995年は『地震とオウム』が強烈すぎて、『地震とオウム』と同等かそれ以上に重要な転機の兆しを見逃していたような気がしてくる。

それどころか、今となっては、見逃していたもののほうに、より重要な意味があったのではないかとさえ思える。

 

 

■裏テーマ『自己像の転換の模索』

速水氏の著作を参照しながら思い出してみると、当時、少なからぬ日本人は自己像の転換を模索していた。

一億総中流を実現できたこと(貧富の差がないこと)は確かに誇るべきことと言えるが、世界にも類のない均質社会は、あまりに行き過ぎて悪しき平等主義となり、出る杭は打つことが当たり前となり、個人の突出を許さず非常に窮屈で、制度的にも疲労していた。

会社では、全員が社長になれる可能性があると煽られ、高い目標を追求しないのでは、ビジネスマンとして失格と繰り返し暗示をかけられ、目標を達成できない自分を許せなくなるような人間を大量生産するようになってしまっていた。

それは人間として必ずしも幸福なあり方とは言えないはずだ。

 

金銭的に豊かになってお金はあるが、生活に文化的な豊さはまるで感じられない。

極論すれば、日本の当時のやり方(モーレツサラリーマン:すべてを画一的な型にはめ、私生活さえ仕事に直結させ金銭価値に置き換える)が成功すればするほど、文化は破壊され、衰退してしまう。

それを端的に象徴していたのが、バブル期に企業が大量購入した美術品や文化資産としての不動産だ。

お金ができたから文化をお金で買おうとする。

だが、そもそもそういう姿勢が、お金で何でも買えるという発想自体が、文化の本質とは相容れない。

本当に大事なものからどんどん離れてしまう。

そんな日本と日本人としての自己像に辟易するムードは確かにあった。

このような『自己嫌悪からの脱出』『自己像の転換の模索』こそ、実は当時の日本の重要な裏テーマの一つとなっていて、その転機の兆しが大量に現れていたのが、1995年のもう一つの側面だったのではないか

 

■事例

以下、速水氏の著作からいくつかの事例を取り上げ、簡単な解説をつけてみた。

私がここで語ろうしていることは、案外多くの人と共有されていたのではないかと思えて来る。

 

『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビシリーズの初放映(95年10月)。

→ この作品の世界観は1980年代に流行した、オカルトブーム、神秘主義等に支えられたもの。

オウムに若者が殺到したのも、このようなオカルト的な価値観の流行を軌を一にする。

既存の社会を破壊したい、という破壊願望も多かれ少なかれ共通するマインド。

→ さらには、『エヴァ』の主人公の気分が『頑張れば何とかなる』と強弁する世界観とは正反対で、『がんばっても意味が無い』というシニカルな気分の持ち主で、多くの若者から支持を受けたとされる。

 

詳細はコチラ↓

https://www.huffingtonpost.jp/seaskywind/1995_b_4257701.html

 



 

 

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