キャリア支援団体を立ち上げました。「自分軸」「対話力(関わり力)」「自己表現力」などの総合力を向上し、小中学生から、退職後の第2の人生を歩んでいる方まで「自己表現としてのキャリア」ということを探究する場をつくっていきたいと思います。
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2017-09-09 00:10:00

人の前進を妨げること(もの)

テーマ:ワークショップ

最近、引きよせとかシンクロみたいな話をしていて、でも、そういう現象に目をむけているとふと感じる事は、そういう「シンクロ」のシェアをするときに、「それってシンクロですよね」とかいっている人の心理には、もしかしたら「それは特別なこと」っていう目線があるのかなと思うこともあるのですが、ざっくりシンクロとか引きよせとかいっても、単純に「行動」の結果として起きる部分がほとんどだというふうに認識していたら「当たり前のこと」だと思えたりもします。

まれに、我々の「思考」が届かないレベルでいろいろな出来事が次の結果を生み、そして別の意思決定が起きてそれで行動を引き起こした結果で、あまりつながりが見えないようなことを「引きよせ」といっているだけで、起きる時は起きるし、想定していないことにつながるときは、起きなくなることもある。

ただ、まあ、「シンクロが起きてラッキー」ぐらいに思っていると楽しかったりするので、とりあえず、底に関わっている人とか出来事に感謝していると起きる確率があがるような気がする。

 

・・・というようなことを考えていると、引きよせを「念じている」系のちょっと信仰はいっているような態度も別にそれはそれで悪くないけど、他力すぎるのもどうかなーと思うのです。本当に「やりきった」人だけが、「あとはもう手放す」と思えばいいのであって、別にいつも最初からたりきってのもどうかと思う。

 

さらに、先日とある人のf/bでの投稿で「非難ごうごう」っていうのを観たことがある。自分はそんなに知らないけど、なんか「私を見て見て」みたいな感じの投稿で最初は「不幸」を慰めたり、「そんなこというんじゃないよ」とか説得する人とか居たりして、友達がきれたり・・・などということが起きていたものの、最終的に、「え?それってないだろ?」っていう投稿があり、結構バッシング的になっていた。それってある意味「引きよせ」といえば引きよせだが、ある意味自業自得ともいえなくもない。

ただ、そういうネガティブな引きよせがおきたり、友達失う系のことがお着る人にはどこかで「自分に言い訳」があることが多いと思うのです。政治家が不祥事で辞めるときも出来事や事実で辞めるのもあるけど、その事実に対して「言い訳」をすることで問題が大きくなる。だから不倫(二股?)をしても、ちゃんと謝罪するとそんなに怒られない人もいる。人は出来事じゃなくて、その後のその人の態度に対し腹を立てたりする。そういうことが巡り巡って「味方をしてくれない」ということがおきる。

 

先日久々(2,3年ぶり?)にとある人から連絡があって、その人のやってきた企画が10年を迎えるに当たって誘ってくれた。素直にうれしいし、「いや絶対行きますよ」って思ったりしたのが、そういう「人を大事にする」というその人の心持ちは人を動かすのかなーと思うのです。そういうのが巡り巡ってシンクロとかを引き起こしたくなるのだとおもう。他力の前に自力でがんばった人は他力を引きよせやすくなるのでは内科と思うのであります。

 

 

 

 

どういうときに起きてどういうときにおきないのか?という

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2017-08-21 11:27:02

「理解」という限界を超えて

テーマ:ワークショップ

自分自身の思考のパターンなのかもしれないが、「ゆれ」としてあることがある。

脳力開発、人材開発に関しては、「努力」が優先なのか、それとも「手法そのものが人を成長させる、という考え方である。

 

努力すれば成長するか?というとそうとは限らない。正しい努力しなければ意味がない。

とはいえ、何が正しいかどうかは、人によって違う気がする。その人の限界を超えるには、その人自身しかわからないぎりぎりを攻めないとわからないことがある。

自分はどちらかというと、とてもまじめに取り組んでいくほうなので、そこそこできるようになる。しかし、ある程度までくると「これ(ここ)は自分の目指すことではない」ということがわかるとそうじゃないことが現れる。

 

手法の中身というよりも、「関わり方」の態度にあるようであります。

 

さて、では「理解」を超えるのがなんでいいのか?というと人は、往々にして知識量があればあるほど「できる」と考えがちではあるが、しかし知識量があってもできないことがある。それこそ「社会」の問題は、知識量があればあるほどできるようになるが、国語に関しては、いくら文学史やら漢字をしっていても、「文章題」ができないのと同じである。

 

多くの脳力開発、人的な手法に関しては、知識はとっかかりにはいいが、知れば知るほど、「頭でっかち」になりがちであり、そのことの本質を見えなくなってしまうことがよくある。

以前某手法を実戦している人が「直感ワーク」というのをやっていた。その直感とは、何かを選択する(たとえば、「犬」と「猫」のうちどちらかを選ぶ)。その後、その選択した語を口に出さずに、他の参加者の人で「自分と同じ選択をした」人とグループをつくる。グループを作るときに会話をしてはいけない。質問も不可。自分の直感を信じ、同じだと思う人と集まる。「同じ」と他人に思われても、その同じと思われた他人が「違う」と判断したら、グループを作らなくてもいい。最終的に、その「同じ」と思われるグループで「犬」とか「猫」などと宣言して「答え合わせ」をする。というものだった。

しかし、「考えない人」はここで終わる。ただ「合ってた、間違っていた」で終わる。しかし、「そもそもこの現象って何だろう?」ということを突き詰めてみると、「同じ」と思った時の「直感」と、その直感に対して「判断」というプロセスがはいる。もっというと、直感と思われたことも実は過去の経験からくる判断であって、なかなか純粋な直感を使っていないことがわかったりするのではあるが、「あってた/間違っていた」というところで止まる人はその先の深い意味を問うたりしない。その手の「あと一歩」のワークを、いろんなところでいろいろ見てきました。

その「あと一歩」のワークの特徴は、だいたいは、探求が足りないからおきるような気もします。平たくいうと、慣れたらその慣れを崩さないといけない。

 

理解はとても大事ですが、理解で終わらせていると、その先にあることはつかめないわけですが、そういう限界を超えた体験がない人は言葉でいってもなかなか伝わらないわけですが、いろいろ試す価値はあると思ってはいます。

 

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2017-08-21 00:00:00

つまらなくなっていること。

テーマ:ワークショップ

ある「発見」をすると楽しいけど、でも、その発見は実際に他人に提供できるレベルではなかったりすることもある。ある意味「飽きてる」ぐらいが他人に役に立つということもあるような気もする。

 

つまらないことにみえることに情熱を傾けて、他人に提供するのも時には必要かなーとおもう。

 

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2017-08-18 12:29:55

「広告とはそもそも洗脳である」ととある広告屋さんが言っていたこと

テーマ:ワークショップ

最近講演(とかワークショップ)についてよくおもうこと。

メルマガとか、facebookで、「○○で有名な」とか、いろんな実績とかをもとに

宣伝するメッセージを見かけるのですが、でも、そういうのに期待してその

講演会に行った場合、結構はずれ、というのが経験上多い気がする。

 

宣伝で売ってるという構造自体なんかどうかなーとおもう。(かといって、口コミがいいのかという議論もあるのですが)

 

誰かが言っていたのかもしれませんが、自分の感覚で言うと、「真理は自己宣伝しない」という想いがある。(別に証明できるとかそういう次元じゃなくて、なんとなく感覚的に思っている)

 

有名人でもだめだめな人はいるし、無名でもいい人はいる。(もちろん有名でよくて、無名でだめな場合もありますが。。。最悪ですなw)

 

そういう「広告」ではすごいこといっているけど、なんか、「提供している内容」がだめだめなのを、水増しして広告で何とかするとかの場合はほんとにだめだめだなーと感じます。

 

自分が「よい」とか「これはだめだ」という基準をもっていないと、売り手の宣伝文をそのまま鵜呑みにしちゃうなーとは思います。

真理じゃないから宣伝するんだろうなーとよく思います。

 

「モノ」に関しては、スペックとか他に同じモノをつくるので、性能とかで比較できるので、「広告」に意味があるとおもうのですが、でも、ことさら、講演とか(ワークショップとか)に関しては、提供している側の「メッセージ」も読み取らないとだめだめになるなーとほんとに思います。


題名の「洗脳」ってのはなんかいいすぎな気もしますが、でも、「広告」系の人って本質をみないなーとよく思います。中身かパッケージか?ということはよくロン損になりますが、少なくとも自分は中身をよくしていくことを目指したいですね。

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2017-08-03 00:00:00

新しいからいいという幻想

テーマ:ワークショップ

先日、とある番組で小説についての解説番組で、そこにいたタレントが最後にいった台詞で「200年前にこんな小説が書かれていたなんて」的な話がありました。

 

200年前は、だめなのだろうか?

これって小説に関しては、新しければいい、なんてことはないのは小説読んでいる人からすれば常識なようなきもするが、20才ぐらいより前だと「新しいことはいいことだ」と思う傾向にあるような気もするのですが(なぜなら経験がない分「自分ができていない」と実感するには、経験が足りなさすぎるから)、でも、まあまあの「知的」なイメージで売っているタレントが、「昔に書かれたのに結構いけてるじゃん」みたいなことをいっているのは、一言にいって、見識がなさ過ぎると思えるのであります。

 

ひねくれた見方ではなくて、夏目漱石以上の作家が2000年代以後にでている、と断言できる人はいるだろうか?芥川龍之介以上の作家がここ最近いるだろうか?

むしろ、昔の方が、情報が少ない分、時間に余裕があり、「小説」を書くのにはいい環境なのではなかっただろうか?とも思えるのです。

もちろん、移動の不便さはあるので、ちょっと新宿いって、横浜いって、品川いってなんていったら、昔なら2,3日かかることも、数時間で出来てしまう。(用事込みで)ただ、その「用事」も、ある意味移動が便利だからこそ「忙しくなる」ので、し筆活動に集中出来ないとかはあったのではないか?ともおもえる。

 

小説に限らず、新しい方がいい、というのは、たとえば、機器というか物欲を満たすものには、確かに新しい方がいいものが多いとは思う。50年前のテレビよりも2010年のテレビの方がいい。20年前のエアコンよりも、現在のエアコンの方が便利だし、消費電力も少なくて済む。値段も安い。そういった機器の類いは新しいものの方がふつーはいい。(オーディオとかだとそうともいえない気もするし、伝統芸能だと「失われた技術」とかあるので、職人芸に依存するような特異な技術は単純にはいえないですが)。

新しくなってよくなったといのは「便利」になったことはあるけど、あるいは情報量が多くなったとは言えるのですが、必ずしも新しいからいいともいえないことはよくあると思う。

 

シェイクスピアを超えた作家はいるのだろうか?源氏物語を「超えた」物語はあるのだろうか?とか考えても(まあ、その時代にはそれしかない的なことは考慮にいれないといけないとも言えるが)古いのになかなかやるじゃん、というのは、なんか、あまりにも稚拙な考えだと私は考えるのであります。

 

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2017-07-30 12:00:00

フィードバックをうける。

テーマ:ワークショップ

成長にはフィードバックが大事。とはおもうものの、とある「いたい」系の人のブログを見ていると「かわらないなー」と思う。

10年?以上かわらない。ある意味人はほっておくとかわらない。それはそれでいいことかもしれないが、しかし「成長」をテーマにかかげている人がかわれないのは、なんかみていていたいたしい。

そういう人の特徴

・私っていけてる って思っている

・言っていることが多少意味不明。(伝えきれてないのではなくて、伝える内容がないのに、むりくりがんばってる)

・他人に何が提供(貢献)できるのか、じゃなくて「他人から何をもらうか」を考えている

 

ようなのがあげられる。

 

かわろうもいつか手放すのだとおもうのですが、変わるためには、やはり、何歳になっても諭してくれるというか自分の「だめなところ」を言ってくれる人が周りにいるかどうかは大きいとおもう。(なかなかそういう存在は難しいが)

 

違和感というか、怒られたりしたら、その瞬間はとてもへこんだりいやな気持ちになるでしょうが、しかし、それはそれで貴重な意見として参考ぐらいにはした方がいいと思う。(別に全部依存する必要はないが)

 

とくに、自信がない人に限って(もっといと「自分で選択していない」人に限ってかな)、言うことなすことが、独善的な気がする。いつまでも「ちやほやされたい」と思っているのだろうか。

 

・・・少し厳しいけど、他人の言動をみて自戒を込めて書いてみました。

 

 

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2017-07-26 10:00:00

嫉妬

テーマ:ワークショップ

自分ができないこと、自分が感じられないこと、そういうのを他人に見ると、自分は嫉妬している。しかし、「同じ」にはなれない以上、まねしてもしょうがないと思う。やっていったプロセスは真似ができるが、所詮真似は真似だ。

 

自分は優れている、と自己主張しなくてはいけない人に巻き込まれるのもなんか違う気がしてきた。笑 

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2017-07-22 14:01:32

依頼を受けると仕事が増えるが・・・・

テーマ:ワークショップ

依頼を受けていると仕事が増える。

通常運転の時はそれでいいとおもう。

しかし、創造するとか、何か方向性をかえるとかの時はむしろ仕事をセーブしたほうがいい気もする。

ひらめくまでまつという姿勢も大事な気もする。インスピレーションとは、in(中に)と、spiritが組み合わさった言葉、霊が降りてくるまでまつ、というのも必要な気がする。

 

 

 

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2017-07-12 00:00:00

出来事に無意味に意味を求めすぎない

テーマ:ワークショップ

最近いろんな人のブログとかf/bのタイムラインをみているときに、気になるのは、マイナスなことが起きると「これはこういう意味だ」という解釈をしている人が多いのが気になる。

 

なんというか、「いやだ」とか「いらっとくる」とかネガティブな感情をきらっているのか?「これは○○という意味がある」と自分を納得させる。

自分もふとしたことでやってしまいがちだが、べつに、意味なんてどうでも

いいやって思う自分もある。

病気になったりとか、コンピュータが故障するという出来事があれば、

出来事的に対処すればいいだけで、別に「仕事しすぎってことか?

休めってことね」っていう解釈はよけーなもののような気もする。

いいじゃん、障害が一つふえただけじゃん、その場で出来る最善のことを

すればいいじゃん?電車乗り間違えたら引き返せばいいじゃん?ってふと思う。

コンピュータがこわれたら治すかバックアップとっているのだったら代替機を

使えばいいじゃんっておもう。

 

・・・といいつつ意味という病に毒されている自分もなかなか治らない訳でありますが。

 

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2017-07-01 00:00:00

スケジュールをコントロールしない人の言い訳。

テーマ:ワークショップ

だいたい、お断りの場合「予定がなくて」とかいう人はいると思うし、角が立たない断りだとは思いますが、しかし、予定を「変更」した場合、相手が困るとかを考えなくて、一方的に「○○があるのでキャンセル」とかいうのってなんか失礼な気もします。それだったら最初から受けないか、明確になるまで、待ってもらうか等してもいい気もします。

また、理由がなんであれドタキャンした人って、たいていの場合、再度スケジューリングするのは難しい人がいます。

「ええ、絶対に○○にいきたいのですが・・・」とかいう言い訳をする人もいるがしかしたいていの場合は自分が悪者にならないだけの形だけの「いい人アピール」なだけで、時間をコントロールできない人と何かをするといっしょにいて不快な思いをする場合が多い気もします。(飲み会ならなぜか100%の明確さと正確さをもって予定をマネージできる)

まあ、あまり「いえ興味ないっす」とかいいにくいのはわかるけど、三回連続でドタキャンする人とかは、自分の中に「いやだ」があってそれを隠している場合が多い・・・と経験的には思う。

もしそうじゃなければ、自分からスケジュールを変更してでも、別の日程を提案しても良さそうなものではあります。

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