成功体質のための対話力向上公式ブログ -2ページ目

気功を教えながらおもうこと

先日、自分と同じ流派で気功を教えている人のブログを拝見した。

自分が受け取ったメッセージとしては「教えることは難しい」ということ。

いろいろ考慮しなくてはいけない。

 

。。。。そういえば、気功教室始めた時そんなこと思ったと思う。

いろいろな条件、状況、状態についての見識(または知識)は必要だとおもう。

相手が身体が硬ければ、柔らかくする工夫が必要。

「どうやったらこの人はもっとよくなるのか?」というような感覚はぜったい必要。

 

ただ、半年やってみておもったのは、その「相手をどうこうしよう」というところから

離れない限り相手は自由にならない、ということもまた真理だと思うのです。

 

準備はする。でも、準備は本番では手放す。準備が無駄になったからといって

それはそれ。自分のやっていることの文脈から完全に逸脱するのは考え物だが

だからといって、不自由さは気功っぽくない。もちろん、いろいろなことで不自由さは

先につながらないこともある。守破離というが、その人の「才能」もあるのだと思う。

 

身体のバランスが悪い人もいる。(なぜか女性に多い気がする)バランスを整えたければ

多分気功をつづければバランス取れてくる。

 

一回とか飛び飛びで教えてもわからないこと。やっているうちにいい方向に動いていく、

ということ。(ケガをしたり、重大な疾患とか抱えていない限り)

そこを「信頼する」ということができてはじめて、相手の変化がみえる。

時間がかかる変化もある。時間がかからない変化もある。この「時間」を味方に

つけられるかどうか、あとは相手次第だと思うのです。

 

気功にかぎりませんが、意志(意図)がない状態ではその先に進めたらただの矯正というか

苦痛でしかないと思うのです。勉強とかでも、楽しいもの。楽しいから続く。もっと努力する。

上手になる過程で練習がきついとかあっても続けるからできるようになる。すぐに成果が

でなくても、ただしい努力だったら次の成果につながる。

でも、こういう話は「目標」とか「意志(意図)」があるかどうかは大事。もちろん、誘うことは

可能だけど、絶対値というものはある。「いやだなー」と思っているところに上達ってあんまり

ないと思う(本当に一流のプロならまた高いレベルがあるので何とも言えないけど)

 

教えることで教えられるというけれど、成果がでてそれは言える事、というレベルのこともあるのだと思う。

 

スターウォーズ見てきました

スターウォーズ新しいやつ見てきました。(ネタバレは極力しませんが、少しはあるかもしれないのでまだ

見てない人は以下は読まない方がいいかも)

 

 

いままで、スターウォーズのシリーズで一番良いと思えたのは、エピソードVの帝国の逆襲でしたが、もしかすると、このエピソード8はストーリー的には最高なのかもしれないと思います。

カイロレンがなんで「強い」のかがいまだによくわかりませんが(そして、相変わらずの中2病的な性質もあり。。。。つまり気に入らないことがあると物に八つ当たりすることですね。今回はエレベーターにのっているときに、マスクを殴って壊してましたw)

なんで「一番よい」といえるかというと、同時並行のストーリーの展開が複雑だからです。

エピソードI(制作順に言うと、4番目)とかもそうですが、基本的にはスターウォーズは場面場面がいくつか断片的にあって、名場面がいっぱいある、みたいな展開ですが、今回はほんとに展開が読めない。それには主人公がレイ、ポー、フィン(&反乱軍)と3人(+一団体)いるので、それをばらばらに展開できるというのもあると思うのですが、そして、場面毎に、「ああ、ここでこうなるんだ」全く予測不可能な展開をしているわけです。

それと、従来のフォースということに対する「絶対視」というか、特別感を再構築しているところがいいですね。

ルークがなぜ隠居していたのかに対する解釈も、ルークが戦いに参加していったときの「あっ」という展開。(ルーク最大のフォースを披露する訳ですが)そもそも、「ダークサイド」対「ジェダイ」という図式も今回崩れます。新しい軸がでてくるとも言えます。

どうでもいいかもしれませんが、エピソード7と気になったカイロレンの中2病的なのがさらに悪化し、大失敗する時も「まじ?」みたいな感じになるのをみるにつけ「なんでこんなやつが強いのか?」が不思議ではあります。

たとえばダースベイダーが暗黒面にはまったのは母への愛情と正義感の強すぎなのがバランスを崩し絶対的なパワー(&死者もよみがえらせられるというシディアスの口車にのって)を求めてしまい暗黒面にはまり、最終的に師匠にめちゃまけて、身体の何分の一かをやられてしまうといううらみとかで暗黒面にはまる、という展開は自然な感じですが、カイロレンは「孤独」な感じなのか、それとも師匠に殺されかけたからなのか、スノークの魔の手にはまったからなのか。。。まあ、でも、なんかエピソード的には弱い気もします。まあ、だから、ためらいとか、父ハンソロを殺したときも、決死の覚悟とかじゃなくて「助けてほしい」ブスっってな感じになったのかな・・・・という葛藤を描いているかもしれないのでよわっちいガキとして描いているのかもしれません。そもそも、はじめてライトサーベルを持つレイにエピソード7では負けてますから。。。。

ところで、スノークも何が暗黒面かがよくわかりません。ちょっとだけ遠隔操作可能な超能力と人と人を「結びつける」力がある程度でしょうか。相当弱いです。こいつは。っていうかそもそも戦闘シーンは見たことないので、ただの、どっかのおじーさんぐらいな感じで、座って手を触れずに人をぶっ飛ばすことはできても、ライトサーベルを使っている人にビーム出したりとかはできないので、「つえーこいつ」って感じがしません。ちょっとテレパシー使えるとか、サイコキネシス使えるとかそういう程度で、ちょう悪い感じもないし、なんかよくわかりません。もしかしたら、エピソード9とかで「こいつはカイロレンにこんなことした」とかいう暴露話がでてくるかもしれません。

それと、今回レイはかなり情熱的に描かれていて、カイロレンと対峙するときも、いままでのスターウォーズ(特にEP6とか)では、とっくに暗黒面に墜ちてもおかしくないのに、まあまあ、普通です。展開的に語られていないことを勝手に想像するに、

EP7で「おうちにかえりたーい」といっていたのが、カイロレンに「どうせおまえは、二束三文で、親に売り飛ばされた」という

台詞から、故郷に執着がなくなって成長したとかの展開なのかもしれません。要素としてはどう考えても、カイロレンよりも

レイの方が暗黒面向きなような気もしますが、もしかしたらダークサイドVSライトサイドという図式そのものを崩していこう

みたいな流れの中で展開されるのかもしれません。

そうそう、レイはルークの娘だと私は思っていたのですが、カイロレンの台詞が正しいのなら(今のところ)レイはルークの娘ではありません。(しかも、ルークと会っても、レイを娘だとは言っていないです)だとすると「フォースは特別なものではなくて誰にでもあるもの」的な感じにこれからなるのかもしれません。(カイロレンは「血筋」で強くなった、のはわかるのですが、レイは血筋は今のところありません)

今回、フォースについての考え方の再構築もなされ(いままでは「善に使えばいい」という考え方だったのが、フォースそのもの

がよくないかも、という観点もでている)、反乱軍(っていうか、なぜか反乱軍の人って上司の命令に反乱しますよねw)の考え方とかも結構美しく描かれていて、ストーリー展開も意外でおもしろいと思います。劇中、Here they comeがでてきた時は条件反射的に反応してしまいますね。オマージュというかちょいちょい前作への言及しているところがおもしろく、なおかつ、時々笑いをいれるところもいいと思います。次回EP9も楽しみですね。

 

 

 

3日電池がもつスマホ。

1日目普通に使う。(数時間仕事中で機内モードにする)

2日目普通に使う。(数時間機内モードにする)

3日目普通に使う。

メールのチェックは気づいた時に随時。時々facebookを見る。電車で切り替えあるはず。

メールは自分からはあまり送らない。LINEで仕事上の連絡がたまにくる。(そんなに頻繁ではない)

2日目の時に、動画を数本みる。(自宅無線経由ではなくて、LTEで)LINE電話をする。

通話を何本かする(ラインとかじゃない普通の電話)。

とりあえずそのままおいておくだけでも3日もつのは珍しいと思うけれども、言われていた以上に電池が

もつとなんか感動すらしてしまう。

PCに来ているメールも普通にとれて、そのまま返せる(ストレスなく入力できる。。ここまで入力しやすいと

PCと比べてどのぐらいのスピードで打てているか気になる)、いままでのスマホはなんだったのかと

機種変してよかったとおもう今日この頃。できれば2年か3年たってまた機種変する時にこれの後継機種が

存在しているのを希望する。

 

話すこと自体に意味がある

話すこと自体に意味があるというとなんか、極端な言い方ですが、最近、難しいというかなかなか解決が見えない些細な

ことでも、共有しているだけで、ポイントが明確になって来ているような気もします。

そういう情報を共有しているときのポイントは同調しないこと(よくカウンセリングなんかで、同感と共感の違いを

やりますが、共感しているという意味合いで)がとても大事だと思うのです。

何かくすぶっている些細な不満は話をすれば方向性が見えてくる。すぐに解決策が見えてなくてもどっちの方向に進みたいかが

明確になる。そこに評価とか価値判断をいれないでいるとやがて出来事がいい方向にすすむようになる・・・ということは

経験的に思います。

ただいい方向に進むには、本当にその起きていることと向き合わないと自然と答えがでてこないということもあるとおもいます。

「自分を誤魔化す」というと大げさな言い方かもしれませんが、その「ごまかし」していることに意識的になれるだけでも、いい方向に

進める気がします。

 

・・・とかなんとかかきながら、自分の中の迷いとしてある問題があり、実用的では不要でも、自分へのご褒美としてやるべきなのかどう

なのかということが一件あり、とりあえず、放置するべきか、がんばるべきか、なかったことにするか・・・ということを迷っていたりするのですが

そういう迷いはそれはそれで自分の中を再構築する機会と捉えるべきなんだろうななどとおもっています。


答えを出すことも大事ですが、答えの背後に隠れている「問題の本質」に目を向けられれば、どうとでもなるとおもいます。
大学の時の哲学詳しい先輩がいっていましたが、プラントが言ったとされる台詞で、正しい問いが立てられればその問題は
90%解決するという話を時々思い出します。正しい答えの前に正しい問いの方が遙かに大事だと思うのです。

コミュニケーションうまい人、そうでもない人。

コミュニケーションというテーマは自分にとっても大事なことではあるのですが、

最近感じるのですが、「コミュニケーション」っていうくくりだとあいまいになるので、

こういうふうに考えてみました。

 

この人ならまた話しかけたいな、と思うかどうか。

ということは大事な要素だとおもうのです。

 

SNSとかが発展すると、直接お会いしなくてもやりとりができる。

しかし、頻繁にやりとりができるので「また、話しかけたい」か

「あんまりどうでもいいや」とおもえるかは、人によって違う。

 

リアルの顔合わせてするのもそうですが、こちらの発言に対して、

スルーされるとかは論外としても、基本的に「そうだね」以外の発言あると

なんか「めんどくさい」とおもいますよね。


たとえば、「○○のライブあたったんだ」に対して、ふつーは「おめでとう」
とか「いっしょにいこう」とかそういうような肯定的な発言を期待していますが、
「よく当たるみたいですよ」とか言われると、なんか、こちらとしては、
「やったー」と思っている気持ちに気をそぐわれる。

ライブみたいなわかりやすいのではなくても、たとえば、全然たいしたことない
ことであっても、(相手にとって興味がないこととか)「うれしい」と言っている
人に対して、「別にたいしたことないよ」って言われたら、あんまりうれしいと
おもわないわけです。いわゆる話の腰を折るってやつですね。
リアルだとさすがにそこまで、だめだめな対応しても流れていくかもしれませんが
LINEのとか、SNSとかだと文字に残るので、なんか変な流れになると目立つなーと
思うのです。

とりあえず喜んでいる相手には「おめでとう」とかの一言言えるかどうか大事だと思うのですよね。
そういう些細なことできない人が相手に共感するとかはないと思いますし(ま、「どうでも
いい人」のリストに心の中でいれるだけですがw)、話し方がうまい下手の前に
相手の意をくめるかどうかって大事な気もします。

スマホ買い換えました。

スマホ買い換えました。正確に言うと、「これがよい」ととある人のすすめで、たまたまヤフオクで安く買えたので

お試しで使ってみたらあまりにも使やすいので、完全に乗り換えた、ということです。

機種は、blackberry keyoneというやつです(シルバーの方)。

これは物理(ハード)キーボードがスマホにくっついているというので、このキーボードを使ったら、

二度とソフトキーボードに戻れません。

 

どれだけ不便なキーボード使ってたんだ!と思います。

 

フリックとか、確かに、ちょっとだけの入力するにはいいかもしれません。

「いま、何してるの?」とか「駅、ついた」とか「5分、遅れる」みたいな、記号に毛の生えた「用件」というか、

「単語」だけなら、ある意味、ソフトキーボードでいいと思うのですが、ある程度文を書くのはソフトキーボードではきびしい。

 

最初、物理キーボードは使えないかもと思ったのですが、これが絶妙な大きさで結構いけます。使えます。

これで、スマホからPCメールに返信するのも、blogで多少の文章を書くのも、予定表にスケジュールをいれるのも

めんどくさくなくてできます。

 

最近10万を超えるスマホとか出てたりしますが、スマホは、電話をはじめとした連絡事項(f/bメッセンジャーや、LINE)や、

スケジュール管理とか、「仕事」で使えるかどうかと私は考えてます。動画がどうとかは、別にPCでいいじゃんって思うのですよね。

せめてiPadで十分じゃんって思います。わざわざ仕事の行き帰りで動画とかみるのもどうかと思います。だいたいそんな使い方

したら、使用料金かかるし、そもそも、電池の持ちも悪くなる。スマホで音楽きくとか最初はやってましたが、電池のもちがわるいので

一切やめました。その代わりwalkman使ったら音がいい。結局スマホで音楽をきくという発想は、ipodを統合しただけだと思うのですよね。

 

物理キーボード使ってみてわかったのは、「売り手」がつくりやすいだけでつくっていただけのものにあんまり影響されてもどうかなーと

おもいました。10万円あったら、blackberryとPC一台かえますよね。うまくすれば、iPadも買えてしまいます。

10万円スマホはよくわかりませんが、i***とかのスマホは、そもそも画面割れてるのをよく見かけます。それってもろいってことですよね?

って思います。しかし、アンドロイド系の携帯で画面割れてるのってあんまり見たことないです。たまたまなのか、それとも、i***の利用者が

多いからなのでしょうか?

あとは、電池の持ちもどうかなーと思います。(ちなみにblackberryは設定作業とかをしてメールをみたりwebをそこそこみても、

2日持ちました。2日たっても35%ぐらい残ってました。旧arrows NXなんちゃらに比べても電池の持ちがいいです。arrowsは一日たつと、

そんなにヘビーに使っていない時でもだいたい30%台になってました。)

 

生産性を考えたら、「仕事」に直結しない機能は極力少なくてもいいと思います。

よく「スマホは電話じゃない」とかいいますが、私は電話機能だけで基本はいいと思います。それに手帳的な機能があれば尚よい。blackberryだと家で受信しているPCメールがそのまま受信できて送信も楽々できるので、それはそれで便利です。たいていの作業はblackberryでこなせます。重要なのは「そんなにストレスがたまらずに」できることです。arrowsでも論理的には出来たもののwordなんか使えませんでした。かなりきつかったです。3行程度の軽い単語の羅列以上のことはめんどくさかったですが、blackberryは入力が楽です。

カメラ機能もいいとかどうだとか書いてますが興味ないのでレビューすることはできません(がよさげです)

 

見た目も大事だけど「何したいか」ってもっと大事ですよね。

 

PCと同等

というと言い過ぎだが、スマホではじめて入力の快適さを味わっている。
やはり設計思想は大事。

結果の出るミーティング

結果の出るミーティングっていうのが理想だと思っています。

 

本来、ミーティングとは、議題があって、意思決定をして・・・・という流れなのだと思うのですが、

業務連絡的なことはついつい、「メールでいいんじゃね?」とか、「skype(LINEとかf/bメッセンジャー)

とかでいいんじゃね?」とか思わなくもないのですが、単なる、確認とか、曖昧なことをなくす場合は

メール(や電話)でいいと思うのですが、「何かをつくる」という段階の時は、直接同じ空間、時間を

一緒にした方がいいなーと思うことがあります。

 

とはいえ、以前知り合いがいた会社でとにかくミーティングだらけで、一日に3つも4つも

ミーティングだらけということをきいたことがあります。それが週の初めとかじゃなくて、

常態化している。毎日に近い頻度でミーティング3回とか4回とかやっている。

・・・・いつ仕事するんじゃ?という事態に陥り、その会社の結果も大変になりました。

とにかく「忙しい」ことが目的になるとおかしなことが起きると思います。効率も大事ですが

「やらない」と決めることも時には大事だと思います。特に創造性を発揮するには「何もしない」

または「答えが降りてくるまで待つ」みたいな時も必要だと思います。(特に本とか執筆している時は

「整理」する段階を終わったあとにある程度、ごちゃごちゃしたあとに、ふっといいアイデアがうかんで

くることがあります。譬えてみると「夢」でいいアイデアがでるようなそういう感じです。

 

先日、ミーティングをしていて、意識的に「無駄」な話をしていました。ちょっと効率的に考えたら

用件だけだったら、5-15分で済むないようかもしれません。しかし、その用件が出てくるまでに

あえていろいろな「最近起きたいろいろ」を話をしていました。

その結果意思決定としてはある程度事前に出来ていたとは思うのですが、ちょっと行動すると結果が

でてくるといういい流れです。行動してもその行動の先が見えてないときは時には自分が「心の底から

それをやりたい」というところからやっているかどうかを考えた方がいいと思うのです。

「それをやりたい」という自覚があるかどうかはともかく、自分の「内」と「外」がつながっている状態

なのでしょう、きっと。

「どのように」と「何を」は、わりと詰めて考えてればわかりやすいのですが、方向性が合っているか?とか、

そもそも前提としてそれをやりたいのか?というのが大事な気がします。そこがぶれると、ただの作業に

なってしまうとおもいます。

ToDoの背後にある「意義」についてもう少し話し合いしてもいいのかもと思います。

 

 

 

 

なぜ「わかりやすい」「簡単にできる」ことが通用しないのか

なぜ「わかりやすい」「簡単にできる」ことが通用しないのか

という問いを立てるのもなんかばかばかしい気もしなくもないですが、

自分がそういう問いを立てているのは、たとえば、有名なコーチとか、有名なカウンセラーとかを

みていて、時にはがっかりした経験があり、世間的にはそういう有名○○は、

「わかりやすい」とか「すぐにできる」を売りにしていたりするのですが、必ずしもその「有名」または

繁盛しているということと、その人の提供する手法が「使えるかどうか」はまた別の話なんだなーと思います。

 

すごくざっくりいうと「有名」「繁盛している」という人は、「売り方」ばかりを考えています。広告が一概に

悪いとはいいませんが、「わかりやすさ」を追求するあまり、営業力だけやたらたかくて、自分の売っている

商品の中身をよくしようとはおもいません。「製造業」だったらある意味、競争力を高めるとかもやるのだと

思いますが、こと、脳力開発とか人材系の話になると、そんなにすぐに「画期的な手法」が生み出されるという

ようなこともないです。

すごい極端なことをいうと「東大に受かる教材」というのが出来たとしても実際にそれを使ったとしても

本当に受かる人は全員ではありません。なぜなら、その人の学力レベルがまちまちで、まだ、三単現のSも

しらない小学生に、仮定法をいくら教えてもかなりきついのと同じです。

その人の段階に応じたスキルレベルはあります。

勉強に限りませんが、「スキル」「手法」そのものに意味があるのではなくて、その手法(スキル)を

使えるようにする過程(プロセス)そのものに意味があるのです。勉強でいえば平たく言えば、宿題

やらない人は伸びないのと同じです。(もちろん例外的に宿題もせずにすごく理解力があって、

とあるラジオ番組を5分間言葉そっくりに繰り返せるサヴァン症候群のような特殊な能力の人はまた

別ですが・・・・・しかし、「知った」つまり情報をinputしてから、それを「問題を解く」つまりoutputするの

にはそれなりに技術のレベルの差があるので、宿題をすることでその差を埋めていくのです)ですんで

宿題も「ただやればいい」のではなくて、「知る」「考える」「深いレベルで理解する」「自然と出来る」という

プロセスを経ていくなかで、自分のモノになるのです。本だけを読んでプロ野球選手になれたり、空手の

有段者と戦って勝てないのは、「自然と出来る」までのプロセスの中で失敗をどう再構築して新しい

出来る自分にするという「できない時間」をマネージするプロセスを文章化することが難しいからです。

(なので、eLearningでは知識は学べるけど、しかし「使える」というような次元のテーマのたとえば「聴き方」

とか「コーチングの仕方」みたいな実戦的なことは使いにくいのは、プロセスは文章にしにくいからです)

勉強でも「誰でも合格する」というのはとてもではないですが、本にできません。

「わかりやすい」とか「簡単にできる」というのはあくまでも「失敗」というプロセスを出来るだけ避けた

効率的なものの見方です。しかし「会得する」つまりそのスキルを深いレベルで使えるという次元になると、

本当は適切な失敗をした方がいいのです。


ですのでわかりやすい講座(ワークショップ)は「わかった」で同じで、もっと知りたいとかできるように
なりたいというプロセスを体感しないで「わかった」「理解できた」から、せいぜい「説明が上手」で
終わりになったりすることが多いのです。
もちろん、「わかりやすく」て、さらに「会得できる」のならそれはそれでいいのですが、私が知る限り
「わかりやすさ」を追求する人は、「売ること」には長けていても、その人が「出来るようになる」というのは
弱い気がします。講座の参加者が多くても、その参加者が「使えるようになった」割合を調べればわかりやすいと
思います。もちろん、10人とかなら講師が目の届く範囲でも、60人とかになると1人1人は見られなくなるので
細かいその人に合わせた調整無しの「一般論」に終わりやすくなるので、結果的に「わかりやすい」とか

「きいてて面白い」というところで終わり、行動に結びつかないことも多いと思います。

ま、「すぐにわかる」ことは、すぐに使えなくなる、という傾向があるのも確かです。「わかった」と思った先に

わかっていないことを見いだすのも技術の取得には必要だと思います。


ですので、何かを学ぼうとする我々としては「それを具体的な自分の状況に適用したらどうなるのか?」ということを
意識するとよろしいのではないかと思いますが、多くの人は「教えて下さい」的なクレクレ君になりがちなのもあると
思います。
 

壁にぶつかると成長する

人によって違うと思うのですが、「できないこと」というかいわゆる壁というのがあるとだいたい、

反応として2つあると思います。

1.壁があると避ける。

2.壁があると乗り越える。

 

もちろんケースバイケースだとは思いますが、自分の場合、少なくともコンピュータ関係に関しては

「壁」があるとそれでじたばたして乗り越えた経験があり、何となく「壁」があるとがんばるんですよね。

実際にそれでスキルが身についたり、飛躍的に、知識が増えたりする。

そんなことがあるので、壁=成長の機会というイメージが出来ています。

 

もちろん、スヌーピーにでてくるライナスじゃないですが、壁は全部逃避対象という人は極端にせよ、

壁=いやなこと、と捉える人も多いでしょうし、また、分野によって、克服の対象なのか、それとも

逃避になるのかってのはありますが、「困難」と感じている自分がいるだけで、実際にその壁らしき

ものが何かをみてみるといい場合があります。

私の場合、何となくコンピュータに関しては、とりあえず、ものすごい難しいことはともかく、まずは

調べて、それで他人にきいたりしてじたばたするれば「解決する」と思っているので、何かしらの

アプローチはします。(とはいえ最近ググってみると、だめだめな「情報提供」型のサイトも多く

調べただけ時間の無駄と感じるサイトも少なくないことは確かです)

しかし、「正解」らしきものが存在しないような人の価値観とか「考え方」的なことは、あまり「正解」を

求めるというよりも、とりあえず「放っておく」ってのもいい対処法の時もあります。ただ、単に放置とか無視

というのではなくて、対処はするけど、あとは経過をみていくと次第によくなっていく、というのも結構ある気がします。

人事を尽くして天命を待つってのはほんとにそうだと思います。自分が変わるのか、相手が変わるのかよくわかり

ませんが(というか、「自分」と「相手」という区分がなくなる状況に到達する)、とにかく自分から見て世界が一瞬

変わるので、そうなると「いままでやっていたこと」が全部通るようなそういう世界になると思います。(イメージとして

つらいときでも、にこにこ怒っている感じですかねw 竹中直人の物まねじゃなくて)

 

しかし、そういう高いレベルでの「経過観察」(ちなみに、医療の世界でこの言葉が使われた場合「診断つきません。

わかりません」の言い換えという説もありますが)ができるのは、それなりに、自分で突っ込んでそれなりにしゃかりきに

ならないと「これぐらいやればいい」という判断がつきにくいです。経過観察は、何もしないでスルーする態度ではなくて

むしろ自分を能動的に何もしないを選択しているに近いのだと思います。

 

しかしそういう経過観察または能動的に何もしない、の状況が訪れる前にだいたいのことは適切な対処をすれば

それなりに解決する場合も多く、大事なのは「できていない」という状況から目を背けるのでも、自分の能力を否定的に

見る乃ではなくて「出来事」としてできていないをみるのが大切だと思います。

 

いつものパターンを崩すのはそれなりに困難な場合も多いですが、自分が困難だと感じるのとは別のところに

ポイントがあるのが普通です。自分の予測に依存しすぎない「じたばたする」態度が時には必要だと思います。