ロイヤル・リゾート那須高原にあるリトリート・センター☆彡 -78ページ目

ロイヤル・リゾート那須高原にあるリトリート・センター☆彡

ダンマプロジェクト代表 うめ@梅津礼司が発行するブログです。お困りごと、お悩みごとなら、なんでもご相談にお応じます。みなさんのご訪問を心から歓迎いたします。URL dhammpro.com

今回は、「生きる歓び」の秘訣を学びます。

その秘訣とは、「愛」を育てることです。

すべての宗教が等しく伝えようとしていることが、


愛のある人間になることです。


人間らしい人間とは、愛情の深い人間になること。

人生とは、生きる歓びの体験です。

生きる歓びとは、愛される体験、愛する体験の積み重ねです。


ただ「愛」と言っても、たくさんの「愛」の形(があります。

ポジティブな愛の形だけ挙げておきましょう。


愛妻・愛情・恩愛・求愛・敬愛・最愛・自愛・

慈愛・親愛・仁愛・相愛・博愛・愛顧・愛護


などがあります。


私が最も適切だと思う「愛」の形は、慈・悲・喜・捨という四つの愛がバランスよく保たれていることだと考えます。


では、愛(慈悲喜捨)を学びましょう。

「慈悲喜捨」とは、仏教用語です。仏教では、尽きることのない四つ尊い心

という意味で「四無量心」と言います。


家庭・地域などの生活全般、教育やビジネスにおいても、普遍的に通用する心であり、自己成長を成し遂げるための原動力・エネルギー源だと気づきました。

この愛の四つの形を身につけましょう。

慈心とは、人々を慈しみ、仲良くし、共に幸福を願う心。(慈愛)

悲心とは、人々の苦悩・困窮を分かち合い、助けてあげたいと願う心。(抜苦)

喜心とは、人々の喜びや幸福を共に喜ぶ心。(随喜)

捨心とは、人々に冷静かつ平等に接する心。煩悩を克服し、心の清浄を保つこと。(浄捨)


あなたは、この愛の中では、どれが一番得意ですか?

さらに育てましょう!


あなたに、不足している愛は、この中ではどれですか?

では、補いましょう?


「ビジネスは、競争社会なので、こんなこと大事にしたら、負け組になってしまう」

そんな声も聞こえますが、それは本当でしょうか?


私の経験からは、ビジネスでも成功する人は、

この四つの愛の形を明確に実践されている人でした。


「慈悲喜捨(じひきしゃ)」


という大きな愛を育てると、

あなたの人生は、

生きる歓びに包まれます。


それだけではなく、

あなたの周りの人々にも歓びが広がり、

とても幸せになります。


「慈悲喜捨」と覚えましたか?

今日から実践して、生きる歓びを、ご堪能ください!

三毒(貪り・怒り・愚痴)からの解放は、三毒の原因に直面すること。

それは、無知・無明が惹き起こす我執(個我への執着)が毒素の発生源だと知ることでした。


三毒から解放されるには、無知・無明からまず自身を解放すること。

毒を撒き散らさないような自己形成に勤めよう!


という、やや抽象的な自己変革の指標を明確にすることでした。

これは、薬を与えてもらい、薬を信頼して飲み、症状を治癒する段階のことです。


では、次の段階です。

「三毒を克服する」ための学習をいたしましょう。

毒を薬に変える智慧と慈悲を学習・実習することです。


つまり、薬を頂く立場から、薬を与える立場に自己変革する段階です。


例えば、患者の経験を通して、医者に成長するとイメージしましょう。

三毒を克服する段階とは、医師として診療・治療・投薬できる立場になるということです。


「貪り」に対して、医師は、

モノ(体)への欲求(淫欲・食欲・睡眠欲など)を貪っているのか?

ココロ(精神)の欲求(怠惰・邪心・慢心)を貪っているのか?

この両方のどちらに重点の偏り(症状)があるのか、注意深く診ます。


そして医師(比喩的表現)の見立ては、

性欲障害、摂食障害、不眠障害などは、「体の貪り」と判断します。

不安障害、気分障害などは、「心の貪り」と判断します。


どちらもエゴイスト(利己主義)の症状です。

ですから、処方は心身の「利他の奉仕」になります。
利己的欲求を利他的欲求に変えるお薬を与えます。


過剰な「怒り」に対する医師の見立ては、

境界性人格障害でしょうか。表面的には耐性(忍耐力)の欠乏です。

的確な処方は、「無条件の愛と赦し」の体験になります。

人は、「愛される」ことから、「愛する」ことができるようになります。

嫌な出来事への耐性・忍耐力は、愛する能力で増強することができるようになります。

交換条件付の愛ではなく、無条件の愛の体験が、最高の良薬になります。


「愚痴」に対する医師の見立ては、

愚痴が、悪口、嘘、中傷、批難、二枚舌という自他を害するものか?

独り言、心のつぶやきのように、自他に害を及ぼさないものがあります。


前者には治療が必要ですし、後者には予防的な知識・訓練が必要になります。


いずれも不足・不満が愚痴になります。

愚痴は、やがて、怒りや貪りになり、自他の心身に大きなダメージを与え、様々な症状・病態を現します。


貪り・怒り・愚痴という三毒は、前回も述べたように無知無明による「我執」が原因になります。


人間らしさとは、人間とは何か、人が幸福になるとは?など、など

生きる意味の問いかけ(知力・知識)が欠乏すると、

価値の無い「貪り」「怒り」「愚痴」が出てきます。


まず、これは「貪り」「怒り」「愚痴」と、気づき、直視してラベルを張り、自制・自制します。


生きる意味を学習し、知力を高めます。

利己的欲求と利他的欲求に変換します。


すると、例えれば、

  利己的欲求               利他的欲求

もっとお金がほしい        ⇒   お金を分け与える

もっとおいしいものを食べたい ⇒   おいしいものを食べさせてあげる

もっときれいになりたい      ⇒   きれいにしてあげる

もっと愛してほしい         ⇒   愛してあげる

もっと優しくしてほしい      ⇒   優しくしてあげる

もっと幸せになりたい       ⇒   幸せにしてあげる


というように。


でも、医師など士業に就くリーダーもまた「慢心」という病気にかかりやすくなり、

「三毒」を蓄積・拡散するようになることを忘れないようにしましょう。


以上で、毒を薬に変える

「三毒」から解放される、克服するを終わります。


次回は、「生きる歓び」の秘訣「慈悲喜捨」を学びます。







   

いよいよ三つ目の「毒」

「愚痴から解放される」学びをしましょう。


愚痴とは、「愚かな痴話」ですが、仏教では無知・無明という意味で、

無知・無明とは、真理・道理を知らないことから、すべての苦悩が始まると認識します。

一般的に人々が、「愚痴る」要因を、「無知だから愚痴がこぼれる」と認識することは、仏教が日本人の生活倫理や道徳に深く影響していることが解ります。


余談ですが、勉強を進めると、日本人の美徳を学ぶにつれ、仏教・神道・儒教・道教が深く浸透していることが実に多いのです。日本の有形・無形の文化遺産のほとんどは、これらの宗教・哲学・論理的思考の芸術的表現なのです。


カウンセリングも、コーチングも、コンサルティングも、西欧の学問を踏襲するだけではなく、日本の伝統文化を学び、「日本人の美徳」に落とし込んで学び、相互啓発する磁場にすることが、グローバル化に大変役に立ちます。


日本の復興は、あらゆる文明文化を吸収しながら、日本独自のグローバル文化・文明・技術に昇華することがカギになると私は考えています。


本題の「愚痴からの解放」に話を戻します。

すべての苦悩は、無知・無明に起因すると認識する仏教を学ぶと、実は「貪り」「怒り」「愚痴」のすべてが無知・無明に起因すると理解できるようになります。


無知・無明とは、「我」を自己の本質・本性・本体と認識する錯誤のことです。


仏教徒が、「無我」を自己認識の目標に修道するのは、倒錯の主要因である「我」への依存的態度(我見・我執)を解放し、真理・道理(智慧)を悟り、智慧に従い、慈悲(無我)の生涯を実現しようとします。


乏しい私の体験でも、苦悩が我執から始まることがよくわかるようになりました。


フロイトは、

「我々が承認できない感情を抱き、これに正面から立ち向かい得ない時、我々はその感情が存在しないものと思い込もうとする」

と述べています。


フロイトは、これを「抑圧」と呼び、抑圧が精神病を引き起こすと考えました。人々は、抑圧から解放されたいと願い


でも、それは一時的な抑圧からの開放感であって、抑圧の解放・克服に至りません。抑圧の正体は、他者や環境ではなく、過剰な自己中心性(我見・我執」であり、孤立・孤独を増幅させて、精神的・肉体的な病態・症状を惹き起こすと私も考えるようになりました。

「愚痴」も我見・我執の表層的な表現です。

「つまらない」「おもしろくない」「むかつく」「嫌いなんだよね」「嫌になっちゃう」「死にたい」「もうダメ」「何でこんな目に会うんだ」等々。


愚痴の多い方は、多様な見方、考え方、行動のあり方、正しい見方・考え方・行動のがあり方を知らない。知ろうとしない心の傾向の現れだと思います。

ですから、愚痴・抑圧からの解放には、多様な見方、考え方、行動のあり方、正しい見方・考え方・行動という柔な生き方の学習をすればいいのです。



、コントロールするために、趣味、食事、スポーツ、恋愛、娯楽、相談など様々な方法で抑圧から逃れようとします。