いよいよ三つ目の「毒」
「愚痴から解放される」学びをしましょう。
愚痴とは、「愚かな痴話」ですが、仏教では無知・無明という意味で、
無知・無明とは、真理・道理を知らないことから、すべての苦悩が始まると認識します。
一般的に人々が、「愚痴る」要因を、「無知だから愚痴がこぼれる」と認識することは、仏教が日本人の生活倫理や道徳に深く影響していることが解ります。
余談ですが、勉強を進めると、日本人の美徳を学ぶにつれ、仏教・神道・儒教・道教が深く浸透していることが実に多いのです。日本の有形・無形の文化遺産のほとんどは、これらの宗教・哲学・論理的思考の芸術的表現なのです。
カウンセリングも、コーチングも、コンサルティングも、西欧の学問を踏襲するだけではなく、日本の伝統文化を学び、「日本人の美徳」に落とし込んで学び、相互啓発する磁場にすることが、グローバル化に大変役に立ちます。
日本の復興は、あらゆる文明文化を吸収しながら、日本独自のグローバル文化・文明・技術に昇華することがカギになると私は考えています。
本題の「愚痴からの解放」に話を戻します。
すべての苦悩は、無知・無明に起因すると認識する仏教を学ぶと、実は「貪り」「怒り」「愚痴」のすべてが無知・無明に起因すると理解できるようになります。
無知・無明とは、「我」を自己の本質・本性・本体と認識する錯誤のことです。
仏教徒が、「無我」を自己認識の目標に修道するのは、倒錯の主要因である「我」への依存的態度(我見・我執)を解放し、真理・道理(智慧)を悟り、智慧に従い、慈悲(無我)の生涯を実現しようとします。
乏しい私の体験でも、苦悩が我執から始まることがよくわかるようになりました。
フロイトは、
「我々が承認できない感情を抱き、これに正面から立ち向かい得ない時、我々はその感情が存在しないものと思い込もうとする」
と述べています。
フロイトは、これを「抑圧」と呼び、抑圧が精神病を引き起こすと考えました。人々は、抑圧から解放されたいと願い
でも、それは一時的な抑圧からの開放感であって、抑圧の解放・克服に至りません。抑圧の正体は、他者や環境ではなく、過剰な自己中心性(我見・我執」であり、孤立・孤独を増幅させて、精神的・肉体的な病態・症状を惹き起こすと私も考えるようになりました。
「愚痴」も我見・我執の表層的な表現です。
「つまらない」「おもしろくない」「むかつく」「嫌いなんだよね」「嫌になっちゃう」「死にたい」「もうダメ」「何でこんな目に会うんだ」等々。
愚痴の多い方は、多様な見方、考え方、行動のあり方、正しい見方・考え方・行動のがあり方を知らない。知ろうとしない心の傾向の現れだと思います。
ですから、愚痴・抑圧からの解放には、多様な見方、考え方、行動のあり方、正しい見方・考え方・行動という柔な生き方の学習をすればいいのです。