Commentarii de AKB Ameba版 -32ページ目

Commentarii de AKB Ameba版

AKBとかその周辺とか

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Tags:B1、Anthem、Be ambitious

 Tagに迷ってしまった。

 結局、「Anthem」と「Be ambitious」というTagを新設した。
 前者はそんなに多くはないだろうが、やはり特別な曲には特別なTagが必要だろうと思い至った。
 後者について、すでに「Ambition」というTagが存在していたのだが、これは「輝きたい」という願望は表現できても、「輝くべし」という秋元康からの激励・命令・詔勅を言い表すにはちょっと適さないことがわかってきた。
 それにメンバー諸君の可憐な姿を見ていると、Ambition should be made a sterner stuff だよなあ、と思っちゃうわけだ。
 それでクラーク先生風に「(Girls,) Be ambitious!」。
 
 やっぱりTagに迷っていた、「君が星になるまで」もこれでしょ。

 さて、この曲。前回は何でこの曲が必要だったかをちょっと考えた。
 おさらいすると、この曲は「Team KがTeam Kであること」すなわちTeam Kのアイデンティティを高らかに歌ったものだった。
 
 アイデンティティについて語ったり歌ったりするのは、たいていアイデンティティの危機にある人や集団なんだよね。当時のTeam Kもそうであったのだろう。そして今、現Team Aもその心配がある。
 
 ここで話はそれるけど、「シアターの女神」公演ってあるじゃん。あれって本来は現Team Bのセットリストなんだけど、ちょくちょく研究生とかTeam 4のメンバーだけでやってるでしょ。

 全く現Team Bのメンバーがいないにも関わらず、「チームB推し」ってどうなん?

 もちろん「あなたは 今日で…」の続きは、その時ステージにいるメンバーの名前なんだけど、その人たちは「ほらチームB」じゃないじゃん。歌ってて、彼女たちどうなんだろう。

 そもそも「チームB推し」って歌は、シャッフル後に起こった、現Teamのアイデンティティの混乱を収拾させるための曲でしょ。そのためにメンバーの名前をひとつひとつ読み上げ、彼女たちが「チームB」であることを繰り返し強調する。
 つまりお客に「あなたは 今日で」と歌いかけるとともに、自分自身に対しても「あたしは 今日でチームB」って納得させるための歌なのだ。

 それを現Team Bが誰もいないところで研究生に歌わせちゃ可哀相(もっとも「名前が長くてすみません」には笑わせて貰っているのだが)。
 まあ百歩譲って研究生は仕方ないとしても、小なりと言えどもれっきとした(そうなんですよね? 秋元先生)正規のTeamである4のメンバーが、「チームB」と歌わなければならないのでは、何のための昇格なんだったんだかって話ですよね(ですよねー)。

 話を元に戻して、「転がる石」。
 
 アンセムとしての意義は別として。
 ちょっと歳の行った人はこれを思い出すはず。

How does it feel/How does it feel
To be on your own/With no direction home
Like a complete unknown/Like a rolling stone?

 ホントは拓郎が好きなくせに女の子の前でかっこ付けて、ピンクフロイドが好きだって言っちゃったりした秋元少年。
 でもディランを知らなかったワケはない。

太陽に焼かれ/雨に晒された
いつかの夢が風に吹かれている

 風に吹かれたり、転がり続ける石について、もうちょっと言うことがありそう。
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 K2公演も大詰め。アンコール2曲目は、Team Kのアンセムとして今も歌い継がれるこの歌。

 当時のことを肌で知らない僕がこんなことを書くのはなんなんだけどさ、Team Kの船出は、決して全てがハッピーだったわけではなくて、いつも前を行くTeam Aの影と戦ってなきゃならなかったみたい。

 いわく「2軍」。
 いわく「劣化コピー」。

はじめにTeam Aありき。
 Team Aは秋元康と共にありき。
Team Aは秋元であった。

 これらを跳ね返そうと団結し、必死にパフォーマンスを上げていった歴史がTeam Kの「創世記」だったわけだ。

 K1はA1との比較で語られ続けた。この間Team Aは、オリジナルのセットリストA2を舞台にかけた。そしてこの公演中、Team Aのメンバーに故障があると、Kのメンバーが代役に呼ばれた。

 いろんなステージに立つ機会が増えるってことで、考えようによっては、喜ぶべきコトなのだが、これもまた「2軍」っぽさを醸し出す原因だったろう。

 これは憶測なのだが、当時「Kチーム」のファン(「Kリーガー」と呼ばれたらしい)の中で次のような文言が使われたのではないかな。僕がその立場だったら絶対こう言った。

 「KはAの植民地なのか」。

 然り。当時KはAの植民地であった。

 さて、植民地が実力をつけてくれば、当然独立の機運が高まるのは洋の東西を問わない。
 オリジナルのセットリストであるK2はTeam Kによる「独立戦争」であり、その中でも「転がる石になれ」は、「独立宣言」であり、「Star spangled banner」なのである(でさあ、この場合の秋元康はトーマス・ジェファーソンであると同時にジョージ3世なんだよなあ。自分で泣かしといて、「なんて可哀相なんだ」とホンキで自分も泣くんだこの人は)。

 後から来たことによって必然的に負わざるを得ないハンディキャップを跳ね返し、意思を奮い立たせるための民族主義的象徴としてのアンセムが、当時のTeam Kには必要だったわけだ。

 「転がる石になれ」がTeam Kのアンセムになった理由は、というと、煎じ詰めるとこの歌詞に尽きる。すなわち

We're the Team K

 「我らこそが、(定冠詞つきの)Team Kであるぞ」という宣言。それだけである。

 その他の歌詞は、「Team Kかくあるべし」という、まあ秋元先生の説法だよね。いわく「自分のMINDで動け」「丸くなるな」等々。もーうっせーつーの。

 でもそれらは別に、Team Kである必要条件でも十分条件でもなく、むしろAKBという毛色の変わったアイドルグループ全体の努力目標であったりする。
 だからこの歌の魂というか、キモは、やっぱり「自分らはKである」と取り立てて述べること、そのことに尽きるのである。

 「我は我なり」。

 「2軍」でも「劣化コピー」でもなく、自分が自分であること自体がまず価値であるということ。
 Team Aを目標とするのではなく「より優れたTeam K」を目指すこと。それがTeam Kの使命であるということ。
 この歌は、天地創造神兼破壊神アキモトからの宣命であったのだ。

 かくして植民地Team Kには澎湃と自主独立のうねりが生まれたのであったちゃんちゃん。

 だからさあ、他のTeamがこれを歌うのって、Kのメンバー(とKリーガー)にはすっごくヤだろうってすぐわかるじゃん。なのに日本青年館ではTeam Aに歌わせ、あろうことかTeam Bにはセットリスト丸々渡しちゃったりするんだよ。

 わかってて歌わせるのが破壊神が破壊神たるゆえんだよねえ。
 できあがるとすぐに壊すんだよ、この神さまは。

 以下ちょっと余談。

 同様の理由で、ずっと遅れて産声をあげたTeam Bには最初のオリジナルセットリストに「初日」が用意されることになる。
 もっともこの曲は「あたしたちがBだ!」と声高には歌う曲ではなく、せいぜい「(AやKに)負けたくない」と言うことで「あたしたち」を際立たせる程度ではあったが。それが当時のBらしいっちゃらしかったね。

 一方、「常に先を行く者」であったTeam Aには、AがAであることを鼓舞するアンセム、「Team Aであること」を声高に歌う曲は必要なかった。
 何しろ宗主国なのだ。Aであることは、すなわちAKBであることなのだし、その中心には「AKBとは高橋みなみのことである」が鎮座ましましているのだから。

 しかし2010年7月、A6のフィナーレに、その名も「先を行く者」を意味する「Pioneer」という曲が登場する。
 「転がる石になれ」と同様、「我らこそが(定冠詞付きの)Team Aであるぞ」と宣言する曲。

 このブログでこの曲について語る時がいつになるのかわからないので、ここでちょっとだけ言うと、この歌はそのタイトルと裏腹に現Team Aが「先を行く者」ではなくなったことを象徴している。

 古参はとっくの昔に気がついているのだろうが、現Team Aのメンバーはわかっているのかしらん。
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Tags:B1、サヨナラ

 K2アンコール1曲目。
 切ない片思いの歌の次は、お別れの歌。

「サヨナラだけが人生なんだ」って/いつか 誰かが言ってたけど
それだけじゃ/知り合った意味がないね

 誰かっていうのは、井伏鱒二先生ですね。

花ニ嵐ノタトエモアルゾ/「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 ついでに原詩は于武陵の「酒を勧む

勸君金屈巵/滿酌不須辭
花發多風雨/人生足別離

 井伏先生の訳詩は短いので、これだけで50%の引用となってしまいました。
 さすがに于武陵先生の著作権は消滅していると思うのですが、中国の法律には不案内なのでもし著作権者の方がいらっしゃったら御連絡下さい。

 高校の漢文で習った覚えがあるのだが、あの頃は意味もわからずに暗唱するばかりだった。
 そりゃそうだよね、別れより出会いの方が圧倒的に多かった年頃だもの。
 でも今、明らかに人生の後半戦を迎え、「花ひらいて風雨多し 人生別離足る」という詩句の重さが少しづつわかってくるようになった。

 父と死別してもうすぐ10年。
 Fクンの墓参りには、20回以上行った。
 今日別れて、もう二度と会うことのない人がたくさんいる。

 いや、今朝別れた家族と、もう二度と会えない確率だって、少しだけなら見積もることだってできる。まさに「カップと唇の間」にはたくさんのことがあるもんです。

 そういうことが実感できるお年頃。

 でもそりゃ秋元のおっさんだって一緒でしょうよ。言っとくけど僕おっさんよか年下だかんね。それなのに

必ず 君に会えるから/いつの日か どこかで
運命が引き寄せる/力 信じて

 なんてよく約束できるなあおっさん。

 今別れても、もう一度会える。

絶対 君に会いに行く/森の中 私が
探してた夢の道 見つけられたら

 秋元にだってもう二度と会えない人はいるだろうに。それでも彼は言う。
 「絶対会える。それが運命なら。だから運命を信じろ」と。

 「運命を信じる」。
 この先、秋元はこのテーマを繰り返し言及するようになる。

 彼を信じて集まった、夢ばかりが多く力弱い若者たちを鼓舞するように。

 自分自身を励ますように。
 
 ならば僕も、このおっさんの約束をもう少し信じることにしましょう。
 N1「誰かのために」も届いたことだし。
 
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Tags:B1、「僕」の歌、片思い、季(夏)

 前曲が終わってステージではMC、メンバーはその間に浴衣に。
 浴衣で歌う、K2最後の曲。もちろんお約束のアンコールはあるんだけど、正規の曲としてはこれが最後。
 K2がはじまったのが2006年7月で、浴衣姿を披露するにはとてもいい季節だった。浴衣の販売もあったし。当時は浴衣を買うと、メンバーと2ショットでポラ写真がとれたそうな。

 でも浴衣姿で歌ったのはこの曲だけ。アンコールではせっかくの浴衣からTシャツにきがえてしまったのだから、まさにこの曲のためだけの衣装だった。ぜいたくな演出。

 一方B1がはじまったのは2007年4月(8日。48の日、もしくは高橋の誕生日)。浴衣にはちょっぴり早かったのではないかとも思うが、そこはそれ、前例踏襲が厳密なAKB、ちゃんと浴衣で登場。

 でも夏祭りを舞台とした、切ない片思いの「『僕』の歌」を歌い上げるための衣装は、やっぱり浴衣以外にはないよね。

 浴衣姿の少女たち。団扇手にはしゃいだり笑ったり。通常の3倍カワイク見える。デザインは正直アレだけどね…。

なぜだか 僕は 急に/そこにいられなかった
まるで 君に恋をしてたように…

 「まるで」恋なんて気づいてなかったみたいな言い訳Maybeの第1スタンザ。おいおい、俺聞いてないよ。

 ああ、でもとうの昔に恋に落ちていました。気づいていないのはご本人だけ。
 時に恋はこのようにはじまる。
 そういや秋元先生最近も「まるで 愛のように…」ととぼけてみせましたね。それ、愛ですから。

 ちょっと気になってはいたけど、恋だなんて思っていなかった。はじめの頃は天然でホントに気づかない。でもある瞬間から「抑圧」がはじまる。思春期の弱い心を守るために必要な防衛機制。

 こういうのは、やっぱ男の子に多いね。好きなのにいじめちゃうのもその一つかも。その点女の子はむしろ「恋に恋してる」ことがあるよね。理由?… 知ーらない。

 で、夏祭り。
 夜の光の中、君と彼を見かけた瞬間、心の箍がはずれる。洪水のようにあふれだす愛しさ。いや、打ち上げ花火のように、というべきなのかな?

打ち上げ花火は悲しいね/空の彼方
開く花は/静かに消えていく

 始まる前から報われないことが、あらかじめわかっていたかのような片思い。後は静かに消えていくのを待つしかない。

 これが女の子の恋だったら、秋元はむやみやたらと励ますんだけどね。モテない男の子の心情の方がずっとわかってらっしゃる。そう、思春期の男の子の片恋なんて、打ち上げ花火ほどの華やかさも迫力もない。

一人きりで/僕の恋は
まるで 線香花火みたいに

 でもこういう恋はレッスンなんだぞ。
 いかした男になるための大切なレッスン。

夏はいつも 過ぎた後で/大人にしてくれる

 ってね。

 あとこの曲のメロディのこと。
 他の曲とちょっと違う感じがした。イントロから。イントロの三連符四連発三回攻撃でぐっときた。
 サビのあとのCメロ(かな?)もイカす。
 作曲誰? と思って調べたらやっぱり誰? 上杉佳奈さん、全く情報なし。
 誰か知ってます? この人。
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Tags:B1、恋

 「ふしだらな夏」からはじまった怒濤の4連コンボも、この曲で一応のフィナーレ。
 
 日付変更線って言うから、飛行機か船が出てくるのかと思いましたよ。でも違うのね。主人公たちが乗っているのは自動車。ステーションワゴンじゃないってことは、「Don't disturb!」の彼とは違うのね。

夜のfreeway/雨を弾いているワイパーは
ほら プロペラだね/セスナ機みたい
真っ赤なスポーツカーが/走る空

 これはつまり、想像の世界の飛行機。

 助手席の女の子はとても想像力豊か(AKB的に言えば「脳内」「妄想」好き)。
 彼女の中では、この雨のドライブは「飛行機に乗った異国への逃避行」と化しているわけ。
 Freewayを滑走路に見立てるのは、この歌パクリ本歌取り。あと「恋の日付変更線」は、秋元の奥さんのオトモダチの歌。
 
 思春期の女の子はホント想像力が豊か。
実際には赤毛でそばかすだらけでやせっぽちで貧乏な孤児なんだけど、想像の世界では飛びっきりの美人の令嬢であるということにしている、女の子のことを思い出すまでもなく。

 人は誰でも「こうありたい」という理想があるんだけど、リアルワールドは決してその理想と一致することはない。大人になると言うことは、自分を理想に近づける努力の過程であって、たいていの人は成功が数パーセント、圧倒的な残りの部分は挫折というのが普通。
 
 まあたいていの大人は挫折には慣れているからたいして傷がつかないんだけど、その辺が脆弱な思春期の子は、想像の世界に逃げ込んで傷つきやすい自我を防衛するってわけだ。

 で、「日付変更線」。
 本来は「地理上」の仮想的な線なのだが。

愛の日付変更線/この夜を越えたら
きっと何かが変わるわ

 どうも「時刻上」の線のような捉えられ方をされているみたいね。

今日と明日の間で/運命を信じて
2人生まれ変わるよ

 ね。時刻上で日付が変わる「線」、ま、要するに午後11時の終わりと、午前0時の始まりの間に想定される仮想上の線を言ってる。

 まあこれは「愛の日付変更線」という象徴性の高い言葉を使うための方便なんだろう。秋元が日付変更線の本来の意味を知らないわけないし。ただ歌ってたメンバー諸君がわかってたかと言うと…。

日付変更線って何?
何か、それを越したら、日にちが変わっちゃうみたいな。
うんうんそうそう。12時、あー、そう。
12時みたいなこと。

 ねえ、最初はあってたのに途中からごちゃごちゃになってたね、大島(優)。
 せっかく夏先生が、「(日付変更線だけに)太陽を持ち上げるように!」ってフリを教えてくれたのにねえ。

 もっとも歌の心は、二人して日付変更線を意思をもって越えることによって、日付が変わり、さらにそれによって「私たちの関係も変わる」および「私たちと世界との関係も変わる」という女の子の願望(妄想?)なんだから地理上でも時刻上でもどっちでもいいっちゃいいんだけどね。

 大切なのは、二人して新たな日を迎える、という事実。

 でもいくら妄想全開でも、

恋人よ/連れてって
地球の裏側

 は無理だから。自動車だから。ね。
 もうちょっと大人になったら、ジャマイカに連れて行って貰おうね。
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Tags:B1、desire、恋、School days

 前曲、いったんは16人が揃ったあと、終盤になって6人が先にはけて着替えをしてこの曲に備えている。
 最後までステージに残っていたのは、今井、梅田、大島(優)、奥、小林、佐藤(夏)、高田、早野、増田、松原の10名。
 「Virgin love」のイントロが始まるのが37:28。
 
 最初に飛び出してくるのは、秋元、大堀、河西、野呂、宮澤の5名。白いワンピースを着ている。
 あれ? 小野は?

 歌い出しとほぼ同時に、両袖から着替えを終えたメンバーが2人づつ出てくる。
 佐藤(夏)、大島(優)、小野、増田。
 その時間37:44。小野以外の3名は、16秒弱でサマードレスから白のワンピースに早替わり、ってわけだ。
 その後ワンコーラスごとにわらわらわらわらとメンバーが増えていく。

 Bのステージでも同様。前曲終盤まで残っていたのは10人。仲川、平嶋、松岡、CinDy、菊地、片山、多田、野口、仲谷、早乙女。
 「Virgin love」のイントロと同時に飛び出してくるのは田名部、渡邊、柏木、井上、米沢。
 あれ? 渡辺は? こういうとこまでセンパイの公演をコピーしなくてもいいのに。

 次に出てくる4名は、平嶋、多田、渡辺 そしてたぶん片山。着替えの時間はやはり16秒弱。
 お見事な早替わりでした。

 さて、この歌。

あなただから教える/My secret…
友達にも話してないの

 と意味深な歌い出し。友達にも内緒のその「秘密」とはなんぞや?
 というほどのシークレットでもないですね、これ。要は、自分は遊んでいるっぷうに見えるし、そう振る舞ってもいるんだけれど、実はそんなことなくて、カンジンのことはまだ未経験、ということ。
 それがヒミツなんだって。かわいらしいもんである。

 やっと出会えたステキな「あなた」に、「大切なもの」をあげたい、とまあそういうわけだ。
 どうもここで前々曲の「ふしだら」との関連を思い浮かべてしまう。テーマが被ってるよね。前に書いた「公演=連歌」論でいうと、前々曲は連歌で言う「打越」に相当するのだが、打越とテーマが被るのを連歌では「輪廻」とか「観音開き」と言って嫌う。
 前曲で「賢者モード」になったんだから、今さらあせらなくてもいいじゃん彼女って、ことかな。

 ところでこの曲、

残された女の子/旬が終わる
その前に/本気だからいいでしょ?

 なんてのを聞いていると、一定以上の年齢の人はやはりこの歌を思い出す。
 秋元先生29歳の御作。

 若いだけあって、「友達より早く エッチをしたい」とか「デートに誘われて バージンじゃ つまらない」とまあ、あられもない表現乱発でしたね。

 あのころはさあ、アキモっちゃんも、おニャン子のちょっと年上のアニキぐらいの感じでさあ、こういうの歌わせても、なんていうの、共犯関係? 挑発? みたいな感じだったんだよねえ。結局一人喰っちゃうし(←まだ言うか)。
 でも今コレをAKBに歌わせるとあれだね、メンバーに「秋元先生、若い子に何つー曲を歌わせてたんすか!?」って突っ込まれそうだよな。

 それともあれかな。愛する前田が「バージンじゃつまらない」って少し照れながら歌うのを遠くで眺めて、キュンとなってるのかしら。

 まあそれを思うと、タイトルこそ挑発的な「Virgin love」だけど、お上品なものですね。r

 あ、大事なことを書き忘れた。
 この曲は、AKBでいっちゃん最初の、井上ヨシマサtune。
 このブログは基本的に秋元康の言葉にこだわっているつもりで、音楽についてはあまり触れてないのだが、井上ヨシマサについてはこの後何かを語るかも知れない気がする。門外漢なのでちょっと自信はないのだけれど、語りたくなる曲が多いのね。
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 Amazonから大きな箱が届いて、中からCDがこんだ3枚、と思ったら2枚。「波乗りかき氷」が2つ。
 えー俺こんなに(以下略)。

 ま、夏らしい佳作だな、と。

 それよっか気になったのは「フェルメールの手紙」。
 フェルメールをはじめとする17世紀オランダ美術の展覧会のテーマソングだそうな。それも「『コミュニケーション』をテーマに読み解く、17世紀オランダ絵画展」だそうな。
 実にそそるテーマではありませんか。

テーブルの上 無花果の実/知らぬ間に熟れている
甘い香りに誘われても/なぜか手を出せなくて

 おお、何だか思わせぶりな導入。ノイエじゃなければ竹内まりやあたりに歌わせたくなるような、訳ありの恋。 

たった一度の それが過ちとしても/偶然の出会いに後悔はない

 テーマは「手紙」と「無花果」と「訳ありの恋」。それはわかったが、展覧会に出されるフェルメールの絵との関連が今ひとつわからなかった。

 フェルメールの他の絵で、こういうテーマに似つかわしい絵があるのかしら?
 こりゃ画集を調べなきゃならんのか、と思ったところ、世の中には同じことを考える人はいるもので、すでに絵を調べた方がいた。

 「窓辺で手紙を読む女

 ソースがWikipediaなので真偽は詳かにしないが、この絵には「堕罪や許されざる愛を暗示」する果物や、塗りつぶされてしまって今は見えないが「手紙が不倫相手からのものであることをさらに強く暗示」するキューピッドやワイングラスが描かれていたそうな。

 うん、この絵だ。

 調べた「よしお」氏は、Wikipediaの絵の中から「『無花果の実』を見つけられなかった」と言うのだが、修復後の絵(フェルメールの絵は最近修復が進んでいて、鮮やかな色彩が甦っているのが多い)を見るとそれらしきものも見えるようだ。

 もちろん「よしお」氏の言うように、あえて「無花果」を取り上げた秋元康には意図があるのだろう。この恋は許されない恋。たぶん妻のいる人への。

花の咲かない/そんな果実もある
こっそり開いているのに

 その恋を、花の咲かない無花果にたとえたという「よしお」氏の解釈には、僕もすっと納得がいった。

 もう一歩踏み込んで無花果から妊娠を連想したが、それは読み過ぎか。
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Tag:B1、恋

 満月の晩に初めてのデートに誘われた女の子。年上の「彼」が運転するステーションワゴンで、海岸へ。
 とてもステキなシチュエーションなんだけど、どうしてもハッピーな恋の始まりには思えない。

Darlin'/今夜だけ
Darlin'/独り占め

 ね。
 どうやら普段はいろいろと忙しい「彼」みたい。「今夜だけ 独り占め」ってことは、別の夜は別の誰かといるんだろう、きっと。

 それでも彼女はすっかり「彼」の虜。

 ところでこの歌、なぜだか中学英語のセリフが入る。ひょっとして「彼」ってガイジン?

ねえ見て? 満月。きれいね。

うん。すごく嬉しい。だってデートしてくれると思ってなかったもん。
ねえ、お願いしても、いいかな?

それとも私のこと、嫌い?

 試みに訳すと、こんな感じかな。
 あんまし話ははずんでないのかな。ちょっと口ごもっちゃって。
 
 お願いする中身って、やっぱ、ああいうことだよなあ。やっと見つけた「絶妙」な人。
 彼女はキスされて、もうすっかりその気になって、覚悟を決めてしまっている。

朝が来るまで/帰らない

 でも、きっとうまくいかない。

 「ねえねえ、年上のステキな彼に夢中なのはわかるけど、そんなにあせっちゃダメだよ」
 女の子を心配する大人たちは、そう言うに決まっている。
 で、そういう忠告に対する女の子のお返事もまた、はい、決まってますね。

Please don't disturb!

 Pleaseとは言うものの、イクスクラメーションマーク付き。

 つまりは、

 そんなコト、最初っから知ってる。誠実な人だとは思ってません。でもしょうがないじゃない。そういう恋に落ちちゃったんだから。
 明日か明後日になったら、きっと泣くでしょう。それはわかってるけれど、今は幸せなの。
 だからせめて今夜だけは邪魔しないで。お願い。

 投げやりとか刹那的とか、分別のある大人は呼ぶかも知れないけれど、「恋」の本質は、むしろこういう一夜の出会いの中にあるのかもです。

 「みをつくしてや」をちょっと思い出しました。

 ところで disturb ってのはホントは他動詞で、本来なら目的語が必要になる。
 Don't disturb us! とかね。
 でもいっこだけ、この歌のタイトルみたいに目的語なしで自動詞的に用いる用法がある。
 それは「(ホテルなどで)寝かせておいて」。
 
 ねえ、どうせならタイトル通りホテルに行った方がいいよ。ステーションワゴンとは言え、車だと狭くていろいろ困ったことが起こるよ。初心者なんだから。
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Tag:B1、恋、desire

 前曲に引き続いて「南国の曲」。こんどはハワイ風?
 「ふしだら9」が後ろに下がって、さっきまでの激しい踊りと打って変わって穏やかなフラダンス風ダンス(わかんないの。あれがフラダンスなのか。でもそれ風ではあるよね)を踊る。
 青色同柄の4人がゆっくり舞台に現れ、歌い始める。これで13人。

 こういう演出A2でもあったよね。「背中から抱きしめて」から「リオの革命」を経て、「JESUS」「だけど…」に連なるコンボ。曲ごとにだんだん人数が増えてくの。 

 曲間、小野が中学英語風のセリフを唱えながら奥、早野とともに登場。これで16人が揃う。
 ひとしきり全員で歌った後、6人がすっと舞台袖へはけてお着替えタイム。
 間が途切れることなくたたみかけるように次曲につなぐ。お見事。

 さてここから先はちょっと思いつき(まあ何もかも思いつきなんだが)。

 公演の曲は、それぞれが独立して完成したものである。しかし同時に、公演の流れの中で演じられることによってはじめて生まれてくる色彩というのもあるような気がする。ちょうど連歌で、ひとつひとつの句はそれだけで味わいがあるのと同時に、前の句や後の句との関連でそこに新たな景色が生まれてくるように。

 そう言えばこのブログの劈頭「PARTYが始まるよ」を連歌の発句にたとえた。「座のひとびとに挨拶をすると同時に、場の空気を整えるために、とびきりめでたくなくてはいけない」と。連歌でよい「座」をもうける工夫と、すぐれた公演の構成というものの奥にあるものは、一緒なんだろうなあ。というかそれが「ライブ=生もの」の醍醐味なんだろう。
 思いつきの「公演=連歌」論です。すいません。

 前曲は「制御しきれない女の子の好奇心と欲望」をラテンでじりじりと焦るように表現した。
 続くこの曲は前に書いたように、ぐっと落ち着いて穏やかな「恋の始まり」のハワイアン。月の海岸に停めた車の中の秘め事。
 これを続けて聞いて生まれる新たな景色は、ちょっと下品なもの言いをするならば、「あ、しちゃったんだ」。

「してみたい してみたい してみたい」と、「ふしだら」で言葉も露わに前面に出ていた欲望の炎は、「Don't disturb」ではすっかり消えてしまった。そこには満たされた平穏が漂っている。
 
 生殖可能な年齢の男子はみんな知っているのだが、「賢者タイム」というのがある。
 女子に同様のものがあるのかどうか詳かにはしないが、ささやかな自分の体験と、文学的証拠(スカーレット・オハラとレット・バトラーの情熱的な夜の翌朝とかね)に照らし合わすと、女子の場合も似たようなものがあるようだ。
 ただし男子のように人が変わったようになるのではなく、穏やかな幸福感が支配するもののようである。この曲のように。

 すなわち、性的欲望が充足した後に訪れる平和(おいおいそれおっさんの妄想ですから、と上野千鶴子先生あたりに言われたら返す言葉がありませんが)。

 え、だってこの曲って

初めてのキスに照れながら
言い訳みたいに/俯くの

 ってくらいだもの、まだそんな関係になってないんじゃないの? 

 だからさ、それはこの曲単独で聞いたらそうだろうけど、「ふしだら」との繋がりでそんな風に感じちゃうんだってばさ。
 どちらの曲も「女の子の未経験な恋愛」を同じテーマにしておいて、それくらい「ふしだら」とこの曲のコントラストは鮮やかである。
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Tags:B1、恋、desire、季(夏)

 やっぱねえ、やっぱ2来ちゃったねえ。
 だって前回タイトルだけど終わっちゃったもんね。まあそれくらい秀逸なタイトルだというわけでもあるのだが。

 さて、「制御しきれない女の子の好奇心と欲望」+「夏」は、アイドルソングの定番シチュエーションであるのだが、AKBっぽさというか秋元っぽさはどうしても隠せない。
 たとえば

未成年の妄想は/止められないわ
愛の見返り/水着次第と知ってる

 ってとことか。

 経験の浅い女の子の妄想がどんどん膨らんで行っちゃって、「やだ恥ずかしい、見られてる。どうしよう、水着大胆すぎたかしら、でもこうでないと誘ってくれないしドキドキドキ…」って感じ。

 山口百恵が、32年前の秋元康少年に歌いかけた、

誰でも一度だけ経験するのよ
誘惑の甘い罠

 その甘い罠を、すっかりおっさんとなった「永遠の高校生」秋元が全国のヲタ諸君にお裾分け。

天国のドアを開けて/ときめきは 甘美な罠

 百恵ちゃんの時より深刻味は薄れてるけど、少女の好奇心と欲望の強さは30数年前よりずっと強くなっているのかも

してみたい/してみたい
してみたい/ひと夏の経験

 「してみたい」ってのは「したい」よか好奇心のドライブが強い(それがどんなものであるかわからないから体験してみたい)。もうちょっといろんなことを体験して、「それ」をよく知ったお姉さんになったら、たとえば

1秒だけでいいから/失神させてよ

 とか言っちゃうんだよね。

 でも「してみたい」って連発するんじゃないよ、女の子なんだからさ。

 秋元クンは百恵ちゃんから貰った「それ」を後に続く人にナイスパスできたのかしら。

 ステージについて。
 K2の幕開けが2006年の7月8日。小野が「季節が夏ということで南国ムードの・・・」 と前置きして「ふしだらな夏」がはじまる。

 舞台上のメンバーは9名。上手下手に1人ずつ、センターに7人。
 赤いパレオ風のサマードレス。真っ赤な舞台。ラテンのイントロ。
 うん。カッコイイ。

 ラテンだというのはわかるのだが、これがサルサなのかルンバなのかマンボなのか、その辺詳しくないのでよくわからない。たぶんサンバじゃあないんだろう。
 いずれにせよラテンですよラテン。すこし焦れた感じで、(まあぶっちゃけ)性欲に駆られた女の子のじっとしていられない緊迫感も感じられる。

 Team Kは大堀、野呂のビッグ2を筆頭に、お姉さん方中心。と、2011年現在で考えるからアダルトな印象なんだけどさ、開幕当時の年齢、大堀も野呂もまだ22歳。
 秋元大島梅田の昭和トリオだって17歳だったんだ。河西増田にいたっては14歳だもんなあ。平均年齢はやっとこ17歳。

 一方、同じセットリストのTeam Bはさらに若いメンバー。
 B1の開幕が2007年4月だから、アダルトな印象のCinDy、渡邊でもやっと20歳19歳だった。
 菊地渡辺に至っては13歳。平均年齢でも15歳そこそころの「ふしだら」でした。
 そんな子たちに「してみたい」とか「欲しくなる」とか歌わせるなんてアグネス的にどうなのよ。

 でも菊地の「ふしだら」ってなんかいいんだよなあ。センターで歌うところなんか特に。少女じゃなくてカンペキ「おんな」の目をしている。

 この後菊地には過酷な未来が待ちうけている。そんなことを知る由もなく、無心に歌い踊っているから、より彼女の姿に惹かれるのかも知れない。ちょっと嗜虐的だよね、それって。

 その菊地、一昨日18歳になったばかり。何て波瀾万丈な思春期を送っているんだろう。
 頑張ってな、きくぢ。