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Tag:B1、恋、desire
前曲に引き続いて「南国の曲」。こんどはハワイ風?
「ふしだら9」が後ろに下がって、さっきまでの激しい踊りと打って変わって穏やかなフラダンス風ダンス(わかんないの。あれがフラダンスなのか。でもそれ風ではあるよね)を踊る。
青色同柄の4人がゆっくり舞台に現れ、歌い始める。これで13人。
こういう演出A2でもあったよね。「背中から抱きしめて」から「リオの革命」を経て、「JESUS」「だけど…」に連なるコンボ。曲ごとにだんだん人数が増えてくの。
曲間、小野が中学英語風のセリフを唱えながら奥、早野とともに登場。これで16人が揃う。
ひとしきり全員で歌った後、6人がすっと舞台袖へはけてお着替えタイム。
間が途切れることなくたたみかけるように次曲につなぐ。お見事。
さてここから先はちょっと思いつき(まあ何もかも思いつきなんだが)。
公演の曲は、それぞれが独立して完成したものである。しかし同時に、公演の流れの中で演じられることによってはじめて生まれてくる色彩というのもあるような気がする。ちょうど連歌で、ひとつひとつの句はそれだけで味わいがあるのと同時に、前の句や後の句との関連でそこに新たな景色が生まれてくるように。
そう言えばこのブログの劈頭「PARTYが始まるよ」を連歌の発句にたとえた。「座のひとびとに挨拶をすると同時に、場の空気を整えるために、とびきりめでたくなくてはいけない」と。連歌でよい「座」をもうける工夫と、すぐれた公演の構成というものの奥にあるものは、一緒なんだろうなあ。というかそれが「ライブ=生もの」の醍醐味なんだろう。
思いつきの「公演=連歌」論です。すいません。
前曲は「制御しきれない女の子の好奇心と欲望」をラテンでじりじりと焦るように表現した。
続くこの曲は前に書いたように、ぐっと落ち着いて穏やかな「恋の始まり」のハワイアン。月の海岸に停めた車の中の秘め事。
これを続けて聞いて生まれる新たな景色は、ちょっと下品なもの言いをするならば、「あ、しちゃったんだ」。
「してみたい してみたい してみたい」と、「ふしだら」で言葉も露わに前面に出ていた欲望の炎は、「Don't disturb」ではすっかり消えてしまった。そこには満たされた平穏が漂っている。
生殖可能な年齢の男子はみんな知っているのだが、「賢者タイム」というのがある。
女子に同様のものがあるのかどうか詳かにはしないが、ささやかな自分の体験と、文学的証拠(スカーレット・オハラとレット・バトラーの情熱的な夜の翌朝とかね)に照らし合わすと、女子の場合も似たようなものがあるようだ。
ただし男子のように人が変わったようになるのではなく、穏やかな幸福感が支配するもののようである。この曲のように。
すなわち、性的欲望が充足した後に訪れる平和(おいおいそれおっさんの妄想ですから、と上野千鶴子先生あたりに言われたら返す言葉がありませんが)。
え、だってこの曲って
ってくらいだもの、まだそんな関係になってないんじゃないの?初めてのキスに照れながら
言い訳みたいに/俯くの
だからさ、それはこの曲単独で聞いたらそうだろうけど、「ふしだら」との繋がりでそんな風に感じちゃうんだってばさ。
どちらの曲も「女の子の未経験な恋愛」を同じテーマにしておいて、それくらい「ふしだら」とこの曲のコントラストは鮮やかである。