民主主義とは漢意(からごころ)の所産である | 真正保守のための学術的考察

真正保守のための学術的考察

今日にあっては、保守主義という言葉は、古い考え方に惑溺し、それを頑迷に保守する、といった、ブーワード(批難語)的な使われ方をしますが、そうした過てる認識を一掃するため、真の保守思想とは何かについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

民主主義(個の確立といった抽象的な理念が生み出した妄想)というものは、「文化の根源である人間こそがあらゆる法則の原点(origin)である」、という人間中心主義(啓蒙主義といっても理性中心主義といっても同じである)的な思想を出発点として出てくる。

 

徂徠のように「それが可能なのは聖人だけだ」と選民主義的に構えるなら多くの批判にさらされるだろうが、「理性的な人間がつくった」とすれば、それは近代的でありデモクラティックであるから民衆の賛同を得やすく、したがって人口にも膾炙しやすい。

朱子学では人間存在を「正にそうあるべき(当為)」と考え、人間とはおのれがそう在りたいと願う存在に必ず到達できる生き物であり、修行を積めば真理も発見できる、またそうならなければならない、と結果や有効性を重視する。

 

理想は必ず実現すべきものであり、思想は実践に移してこそ役に立つのだと考える「知行合一」というのも朱子学の思想だ。

 

徂徠はこういう物の観方や考え方を徹底的に嫌った。徂徠学を承継した宣長もこれを「漢意(からごころ)」と呼び攻撃する。

 

「民主主義」や「個の確立」などというものはあくまで理念や理想にとどめるべきものなのだが、戦後、アメリカから入ってきたリベラル・デモクラシーの上澄みだけを飲み干した日本人はこれを「まさにそうあるべきもの」とみる。

西洋のロゴス(理性)中心主義と、朱子学の理中心主義(漢意)とはほぼ同義であり、人間には聖人(ニーチェ的にいえば「超人」)としての資質がアプリオリに備わっており、人間理性を高めていけば必ず良き社会を作り出すことができると構える。そこから「民主主義」というものが自動的に出てくる。

 

 

「個人と社会との関係」を考えるときに、判断の基準とすべきことの一つは、歴史的にみて、いずれが、我が国の社会に適したものの見方であるかと考察することは、国の形(国体)を論じるにあたっての有効な議論であろう。

こうした視点から、一つの見方を提示したのが、江戸時代の学者、荻生徂徠である。

 

彼において始めて、それまでの朱子学に代表される儒学が説く「道」の概念が転倒される。

 

徂徠における「道」とは、つねに社会全体の安泰ということが物事を考える基準であり、朱子の説く「道」、つまり、個々人が道徳的修行をつみさえすれば、天下の太平は自ずから実現できるとする個人重視の「道」とは反対のものであった。

朱子学では、社会は個人の集まりであると考えられたのに対し、徂徠は、個人は最初から社会の内部に包摂された存在に過ぎないと考えた。

 

この、個人よりも組織を優先させ、専ら組織の中での役割に即して個人の生き方を考えようとする徂徠の見方は、歴史的にみて、日本人のものの見方に即したものであるといえるだろう。

徂徠思想における個人は、全体としての社会の中で、ある限られた機能を分担する部分としての存在であった。

 

人間は、みながみな、修行によって聖人になれるわけではない。自己の適性、能力に照らして、社会の中での自己の役割を自覚し、社会的な職分を全うできれば、そこに個人の存在の意味が見出されるというのが徂徠の考え方だ。

丸山眞男がいう「個の確立」という言葉は曖昧かつ抽象的であって、朱子学における、人はみな誰もが「道徳的完成」を目指すべきであるとする道徳観は、丸山思想に通じるものを感じる。

徂徠の、個人に道徳的完成を求めず、むしろ個人は、社会的な職分を果たし、公共の安寧を妨げない限り私的な生活を享受できるとした考え方は、徳川時代の人々の生き方を反映したものとも考えられる。

 

個人中心か社会中心か、日本人の歴史に徴して考えたとき、いずれが、現実を洞察した考え方であるかは明らかだろう。