民主主義(個の確立といった抽象的な理念が生み出した妄想)というものは、「文化の根源である人間こそがあらゆる法則の原点(origin)である」、という人間中心主義(啓蒙主義といっても理性中心主義といっても同じである)的な思想を出発点として出てくる。
徂徠のように「それが可能なのは聖人だけだ」と選民主義的に構えるなら多くの批判にさらされるだろうが、「理性的な人間がつくった」とすれば、それは近代的でありデモクラティックであるから民衆の賛同を得やすく、したがって人口にも膾炙しやすい。
理想は必ず実現すべきものであり、思想は実践に移してこそ役に立つのだと考える「知行合一」というのも朱子学の思想だ。
徂徠はこういう物の観方や考え方を徹底的に嫌った。徂徠学を承継した宣長もこれを「漢意(からごころ)」と呼び攻撃する。
「民主主義」や「個の確立」などというものはあくまで理念や理想にとどめるべきものなのだが、戦後、アメリカから入ってきたリベラル・デモクラシーの上澄みだけを飲み干した日本人はこれを「まさにそうあるべきもの」とみる。
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