福島県に減価する地域通貨を おおさか佳巨の活動報告

福島県に減価する地域通貨を おおさか佳巨の活動報告

日本の経済をもっと元気にするために、「減価する地域通貨」の仕組みを紹介。
難しそう?実はとてもシンプル。お金が地域の中をぐるぐる回ることで、お店も仕事も生活も守られます。
当ブログでは、日常の出来事やイベントを通して、実現までの道のりを記録していきます。

先日、国旗損壊罪をめぐって、ある方と議論になりました。

私が、

「法律は、過去に問題が起きてから対処するためだけにあるのではなく、将来起こり得る問題を予防するために作ることもある」

という趣旨のことを書いたところ、

「立法事実がないものは法律化すべきではない」

という反論をいただきました。

もちろん、法律によって国民の自由や権利を制限する以上、その必要性や合理性を慎重に検討する必要があるという点については、私も異論はありません。

しかし、私がどうしても違和感を持つのは、

「これが正しい立法の考え方なのだから、あなたの考えは間違っている」

というところまで話が進んでしまうことです。

予防のためにルールを作ることはおかしいのか

私は、法律には「問題が起きてから対応する」という役割だけではなく、「問題が起きる前に防ぐ」という役割もあると考えています。

これは法律に限った話ではありません。

例えば、安全管理を考えてみれば分かりやすいでしょう。

危険な場所があったとして、

「まだ事故が起きていないから対策しなくていい」

とは普通は考えません。

事故が起きる可能性がある。

その危険性が予測できる。

だから、事故が起きる前に対策をする。

これが安全管理の基本的な考え方です。

もちろん、実際の事故を教訓として法律や基準が改正されることもあります。

しかし、

「事故が起きてからでなければ規制してはいけない」

ということではありません。

私は、立法についても同じように考えています。

将来の危険性を予測し、それを防ぐために法律を作ること自体は、十分に合理的な考え方です。

ただし、何でもかんでも「危険かもしれない」という理由だけで法律を作っていいという意味ではありません。

必要性があるのか。

どの程度の蓋然性があるのか。

国民の自由を制限するほどの合理性があるのか。

他の手段では対応できないのか。

そうしたことを議論する必要があります。

国旗損壊罪についても、議論すればいい

国旗損壊罪についても、私は「絶対に必要だ」と言っているわけではありません。

必要なのか、必要ではないのか。

どのような行為を対象にするのか。

表現の自由との関係をどう考えるのか。

他の法律で対応できないのか。

さまざまな論点について議論すればいいのです。

私が問題にしているのは、

「過去に十分な被害事例がないのだから、予防的な立法そのものが認められない」

という考え方です。

私は、その考え方には賛成しません。

予防的な立法という考え方も当然あっていい。

そして、その立法が本当に必要なのかどうかを、国会で議論すればいい。

私はそう考えています。

そもそも民主主義とは何なのか

ここで、もう一つ大事なことがあります。

私は、今回のやり取りを通じて、法律論以上に「民主主義とは何なのか」ということを考えました。

例えば、選挙を考えてみてください。

あなたは、あなたが支持する候補者を応援すればいい。

私は、私の考えを支持する候補者を応援します。

そして選挙を行い、それぞれの候補者が当選したり、落選したりする。

その結果として、議会の議席構成が決まります。

そして、その議会でさまざまな議論をして、条例や予算、政策などが決まっていく。

これが民主主義国家です。

もちろん、選挙で自分の支持する候補者が負けることもあります。

自分の望まない政策が決まることもあります。

しかし、それも民主主義です。

自分の意見だけが必ず通る社会ではありません。

「自分が正しい」だけでは民主主義にならない

私は、自分の考えを持つことは非常に大切だと思っています。

政治についても、

「私はこう考える」

「この政策が必要だ」

「この法律には反対だ」

と主張することは当然の権利です。

しかし、

「自分の考えが正しい。だから他の人もその考えに従わなければならない」

となったら、話は変わってきます。

私は、そこに危険性があると思っています。

民主主義というのは、自分の思想を他人に強制することではありません。

自分の考えを主張し、その考えに共鳴してくれる人を増やし、選挙や議会を通じて、その考えを政治に反映させていく。

それが民主主義です。

「正しさ」を競うのではなく、支持を得る

政治家に必要なのは、

「私は正しい。だからあなたも私と同じ考えになりなさい」

と言うことではありません。

そうではなく、

「私はこう考えます。こういう社会を作りたいと思っています。賛成していただける方は支持してください」

と訴えることではないでしょうか。

そして選挙で有権者の判断を受ける。

当選すれば、自分の政策を実現するために議会で活動する。

落選すれば、それは自分の考えが十分な支持を得られなかったということです。

その結果を受け入れる。

それが民主主義だと思います。

異なる意見を持つ人を敵にしない

私は、自分と違う考えを持っている人を否定するつもりはありません。

むしろ、いろいろな考え方があっていいと思っています。

国旗損壊罪に賛成する人もいる。

反対する人もいる。

予防的な立法が必要だと考える人もいる。

立法事実を重視して慎重に考える人もいる。

それでいいのです。

議論すればいい。

選挙で判断すればいい。

議会で多数を形成すればいい。

それが民主主義です。

だから私は、あなたがあなたの支持する考えと共鳴する人を増やすことに力を注げばいいと思います。

私も、自分の考えに共鳴してくれる人を増やす努力をします。

そして最後は、有権者が判断する。

それでいいのではないでしょうか。

私が一番危険だと思うこと

私が一番危険だと思うのは、

「自分の思想だけが唯一正しい。だから社会全体がそれに合わせなければならない」

という考え方です。

これは、政治思想の左右に関係なく危険だと思います。

右だから危険なのでも、左だから危険なのでもありません。

自分の思想を絶対視し、それを他人に強制しようとすること自体が危険なのです。

そのような社会では、異なる意見を持つ人間が排除されていきます。

そして最終的には、国民が自由に物を言えなくなり、自由に政治的な選択をすることもできなくなってしまいます。

そういう国家が、国民を幸福にするとは私は思いません。

私は私の考えを主張する

だから私は、これからも自分の考えを発信します。

国旗損壊罪についても、立法事実についても、予防的な立法についても、自分の考えを述べます。

しかし、あなたにはあなたの考えがあります。

その考えを主張する自由もあります。

私には私の考えを主張する自由があります。

そして、それぞれの考えに共鳴する人を増やしていけばいい。

最後は選挙や議会という民主主義の仕組みの中で、国民・住民が判断する。

私は、それが民主主義だと思っています。

「あなたは間違っている。だから私の考えに合わせなさい」ではなく、「私はこう考える。あなたはどう考えますか」

政治とは、本来そういうものではないでしょうか。

 

令和8年熊本地震では、国土交通省が熊本県内や九州各県のホテル・旅館約2,200人分を確保し、被災者の受け入れを進めることが報じられました。

この対応は、単なる宿泊施設の確保ではありません。

私は、日本の災害対策が大きな転換点を迎えていることを示していると感じています。

「避難所に行けば安心」という時代ではない

これまで日本では、災害が起きると学校の体育館などへ避難することが当たり前でした。

しかし今回は真夏の災害です。

気温が40℃近くまで上がる中、エアコンのない体育館で何日も生活することは、高齢者や子ども、持病のある方にとって命に関わる問題になります。

地震そのものでは助かっても、避難生活で熱中症や体調悪化により命を落としてしまっては本末転倒です。

「避難所へ行けば安全」という考え方は、これからの気候環境では見直さなければならないのではないでしょうか。

 

学校体育館は教育施設であると同時に防災施設

今回、多くの方が「体育館にエアコンを整備すべきだ」と訴えていました。

私も全く同感です。

学校体育館は、平常時には子どもたちが体育や部活動で使う大切な施設です。

しかし災害時には地域住民の避難所になります。

つまり、体育館へのエアコン整備は教育予算ではなく、防災インフラへの投資として考えるべきです。

近年は豪雨、猛暑、大地震など自然災害が頻発しています。

避難所の環境改善は、命を守るための公共投資であり、後回しにしてよい課題ではありません。

ホテル・旅館の活用は被災者にも地域経済にもプラス

ホテルや旅館を借り上げることには、大きなメリットがあります。

被災者は、空調やプライバシーが確保された環境で心身を休めることができます。

一方で、観光客の減少によって厳しい状況となる宿泊事業者にも収入が生まれます。

これは単なる福祉ではなく、地域経済を支える対策にもなります。

災害対応と地域経済対策を両立できる仕組みとして、今後さらに活用されるべきでしょう。

「分散避難」の時代へ

今回の熊本地震では、熊本県内だけでなく九州全域で受け入れを進める動きが見られました。

また、ホテルや旅館だけでなく、高齢者、障がいのある方、乳幼児連れの家族、ペットと一緒に避難したい方など、それぞれの事情に応じた避難環境の必要性も改めて認識されました。

さらに、被災地では空き巣や盗難への不安も指摘されています。

避難所の確保だけでなく、防犯対策や医療支援、交通手段の確保まで含めて考えることが、本当の危機管理です。

災害対策は平時からの準備で決まる

私は以前から、危機管理は「災害が起きてから」ではなく、「災害が起きる前」にどれだけ備えられるかで決まると訴えてきました。

学校体育館へのエアコン整備、非常用電源の確保、ホテル・旅館との災害協定、分散避難の体制づくり、そして警察・消防・自衛隊・自治体・民間事業者が連携できる仕組みを平時から整えておくことが重要です。

災害は必ず起こります。

だからこそ、「想定外だった」で終わらせない政治と行政が求められています。

おわりに

熊本地震は、多くの尊い命と暮らしに大きな影響を与えています。

被災された皆様に心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧・復興を願っています。

そして、この経験を熊本だけの教訓にしてはなりません。

福島県も地震、豪雨、豪雪など多くの自然災害と向き合ってきた地域です。

だからこそ、避難所の環境改善、防災インフラの強化、地域経済を守る仕組みづくりを今から進め、「命を守れる地域」を築いていくことが、私たちに課せられた責任ではないでしょうか。

 

最近、こんなコメント届いていませんか?

最近、私のブログにもこんな感じのコメントが届くようになりました。

「〇〇についての考察、素晴らしいですね✨

歴史や社会の発展にはいろいろな視点や複雑な背景がありますよね。

ちなみに〇〇さんは、現代社会の発展において『結果』と『過程』のどちらが大切だと思いますか?😊」

一見すると、すごく丁寧で、記事をしっかり読んで知的な意見をくれているように見えますよね。

でも、よーく読んでみると……

「あれ? なんか具体性がなくて、どの記事にも使い回せそうな内容だな?」

という違和感があるんですね。

「丁寧な長文コメント」の怪しい共通点

実はこれ、最近SNSやアメブロなどで増えている国際ロマンス詐欺や投資勧誘スパムの典型的な手口です。

彼女らのコメントには、こんな特徴があります。

  • 1. 一見知的だけど、具体性のない「浅い共感」

    「多様な視点」「社会の発展」「深い洞察」など、聞こえの良い言葉を並べていますが、ブログの具体的な内容には触れていません。

  • 2. 返信しやすい「丁寧な質問」で終わる

    「〇〇についてどう思いますか?」と問いかけることで、こちらに返信させようとしてきます。

  • 3. 何度かやり取りした後に「LINE」へ誘ってくる

    ここが一番の目的です!「ブログのコメントだと話しづらいから」「もっと仲良くなりたいから」と言ってLINEなどの外部アプリに誘導しようとします。

LINEに移行してしまうと、最終的に「怪しい投資の話」「暗号資産(仮想通貨)の勧誘」「金銭の要求」などに巻き込まれてしまうリスクが高まります。

怪しいコメントがついたらどうする?

もしみなさんのブログにもこうしたコメントが来たら、「まともに相手をしない」のが一番安全です!

  1. 返信せずに無視(またはコメント削除)

    反応をしてしまうと「このアカウントは返信が来る!」とマークされてしまいます。

  2. LINEなどの連絡先は絶対に教えない

    いくらやり取りが丁寧でも、外部ツールへの誘導には絶対に乗らないでください。

  3. ブロック・通報・承認制の活用

    アメブロの機能を使って、コメントを承認制にしたり、該当アカウントをブロック/通報しましょう。

まとめ

「せっかく丁寧なコメントをもらったから返信しなきゃ…」という優しい気持ちにつけ込むのが彼女らの手口です。

「なんか中身がないな?」「なんで急にこんな質問?」と違和感を覚えたら、自分の直感を信じてスルーするのが一番。

みなさんも怪しいコメントには十分気をつけて、楽しく安全にブログを続けていきましょうね。

👇これは怪しくないんで福島県民の方はよろしく頼みます。

 
いや、俺が一番怪しいだろ。
 

移民政策や多文化共生が語られるとき、しばしば「成功した移民国家」として南北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドが挙げられます。これらの国々は、経済的繁栄や文化的活力を背景に、移民受け入れのモデルとして称賛されることが多い。しかし、その成功の裏側を直視すると、共通する歴史的事実が見えてきます。それは、先住民族を軍事的・人口的に圧倒し、土地と社会構造を奪ったという事実です。

近代の「成功例」:先住民の排除が前提となった国家建設

南北アメリカ大陸では、ヨーロッパからの移民・植民者が先住のアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン、インディオ)を戦争、疫病、強制移住によって大幅に減少させました。北米では「涙の道」に象徴される強制移住、南米では征服と奴隷労働が続き、先住民人口は壊滅的な打撃を受けました。結果として残った広大な土地と資源が、後の移民社会の基盤となったのです。

 

オーストラリアとニュージーランドも同様です。アボリジニやマオリは、イギリス系植民者によって土地を奪われ、人口を激減させられました。公式な「和解」や補償が現代になって進められているのは、過去の排除が国家建設の前提だったことを、後世が認めた結果にほかなりません。

 

これらの国々が「移民に成功した」と言えるのは、先に住んでいた人々を事実上の少数派に押し込め、あるいは物理的に排除した後だったからこそです。先住民族の視点から見れば、それは成功ではなく、不幸の始まりでした。

古代の前例:ゲルマン民族によるローマ世界の再編

この構図は近代に限ったものではありません。古代末期、ゲルマン諸民族が西ローマ帝国の領域に流入・征服し、先住のローマ系住民や属州民を支配下に置きました。政治・軍事の主導権はゲルマン系に移り、ラテン文化は変容を強いられました。新しい王国が生まれ、後のヨーロッパ中世の基礎が築かれた一方で、旧来のローマ的秩序に生きていた人々にとっては、大きな断絶と喪失でした。

 

「移民」や「民族移動」が成功したように見える歴史は、しばしば先行する住民の立場から見れば、制圧と置換の歴史なのです。

7世紀以降のアラブ・ムスリムによる征服

さらに明確な事例が、イスラムの拡大です。7世紀以降、アラブ・ムスリムの軍事征服により、北アフリカのベルベル人(アマジグ人)、エジプトのコプト人、イランのゾロアスター教徒、レバントのキリスト教徒・ユダヤ教徒、インド亜大陸のヒンドゥー・仏教徒など、先住の民族・宗教集団が制圧されました。

 

征服後には、ジズヤ(人頭税)などの負担、社会的圧力による改宗促進、アラブ系の移住と通婚によるアラビア化が進みました。結果として、先住の言語・宗教・文化が大きく変容し、人口構成も変化しました。北アフリカではベルベル語話者が少数派化し、エジプトではコプト語が日常語としてほぼ消滅し、イランではゾロアスター教が衰退して一部がインドへ逃れるなど、不可逆的な変化が起きました。

 

これらもまた、「征服者側の視点では成功した拡大」であり、「先住側から見れば不幸な過程」だったのです。

「移民の成功」は誰の成功か

以上の事例を並べると、一つの傾向が浮かび上がります。歴史上「移民に成功した」と評される社会の多くは、先に住んでいた人々を軍事的に圧倒し、土地・権力・人口構成を塗り替えた結果として成立しています。先住民族の人口減少、移住の強制、文化変容、時には奴隷化や迫害が、後から来た側の「成功」の条件となってきたケースが少なくありません。

 

もちろん、すべての移民が暴力的だったわけではありません。交易や平和的な定住によって文化が豊かになった例もあります。しかし、「成功した移民国家」として特に称賛されるモデルの多くが、先住民族の犠牲の上に成り立っている事実は否定できません。

 

移民を語るとき、「受け入れ側の豊かさ」だけを強調し、先にいた人々の喪失を見落とすのは、歴史を半面だけ見ることです。成功の裏側に何があったのかを直視しなければ、同じ構図が現代でも繰り返される危険を見落とすことになります。

先住民族の不幸を「歴史の必然」と片付けず、誰の成功なのかを問い続けることが、公正な議論の出発点になるはずです。

 

 

 

昨年秋の福島市長選挙の街頭演説で、髙橋翔君の応援演説に立ちました。その中で私が最も強く主張したテーマの一つが「外国人政策」でした。

現在、日本では人口減少や人手不足を理由に、外国人労働者の受け入れ拡大が進められています。しかし、「人手が足りないから受け入れればいい」という単純な問題なのでしょうか。

演説では、この点について一度立ち止まって考える必要があるという問題提起をしました。

 

「今いる外国人」と「今後さらに増やすこと」は別問題

現在日本で働き、地域社会に貢献している外国人を否定しているわけではありません。

一方で、

「今後さらに外国人労働者を増やしていくことについては慎重に考えるべきだ」

と訴えました。

 

人口減少への対応をすべて外国人労働者に頼るのではなく、日本人が安心して働き、子育てできる環境を整えることこそ、本来優先すべき政策ではないでしょうか。

安全保障という視点

演説では、中国との関係についても言及しました。

近年、安全保障は防衛だけではなく、経済、安全保障、エネルギー、サプライチェーンなど幅広い分野で議論されています。

演説では、中国の法制度を例に挙げながら、日本国内の安全保障についてもっと真剣に考える必要があると訴えました。

こうした考えから、外国人労働者の受け入れを拡大する前に、安全保障上の影響も含めて十分な議論が必要ではないかという問題提起をしました。

メガソーラーとエネルギー安全保障

演説では、太陽光発電についても触れました。

問題として挙げられていたのは、再生可能エネルギーそのものではありません。

海外製の設備への依存が高まることで、日本のエネルギー安全保障が弱くなる可能性があるのではないか、という点です。

エネルギーは国民生活や産業を支える基盤です。

だからこそ、価格だけではなく、安全保障という視点も含めて政策を考える必要があるという主張です。

クマ対策と狩猟免許

福島県ではクマの出没が増えています。

演説では、

  • 狩猟者の担い手不足

  • 報酬の低さ

  • 狩猟免許制度

についても言及しました。

人材不足が課題である一方、狩猟免許制度については安全管理や制度運用のあり方についても議論が必要ではないかという考えです。

野生鳥獣対策は地域住民の命を守る重要な政策です。

単に担い手を増やすだけではなく、制度全体を見直す視点も必要かもしれません。

外国と対立するのではなく、対話と交渉を

私の言いたいことは、「外国人反対」という単純な主張ではありません。

外国との交流を否定するのではなく、日本として主体性を持ち、言うべきことは言い、守るべきものは守るという姿勢が必要だという考えです。

私たちに必要なのは冷静な議論

福島県の未来、日本の未来を考えるなら、

  • 人手不足をどう解決するのか

  • 日本人の賃金をどう上げるのか

  • エネルギーをどう確保するのか

  • 地域の安全をどう守るのか

こうした課題を総合的に議論することが重要です。

人口減少時代だからこそ、「目先の対策」で終わらせるのではなく、将来を見据えた政策を考えていきたいものです。

 


抜き出した動画の部分は以下の通りです。

① 外国人政策の導入

18分53秒~19分58秒頃

  • 外国人労働者の問題が全国的なテーマになっていること
  • 公開討論会での各候補の外国人受け入れに対する姿勢
  • 自身だけが慎重な立場だったという説明

② 狩猟免許・中国・メガソーラー

34分24秒~36分39秒頃

ここでは

  • クマ対策
  • 狩猟免許制度
  • 中国人でも狩猟免許を取得できること
  • 中国の国家動員法への言及
  • メガソーラー
  • 中国製設備

などについて話しています。


③ 外国人労働者と賃金

38分46秒~40分52秒頃

ここでは

  • 外国人労働者を増やすことで日本人の賃金が上がりにくくなったという考え
  • 外国資本
  • 中国との関係
  • 外国人受け入れへの慎重論

を話しています。


④ 外国人受け入れへの考え(ブログの中心部分)

41分02秒~42分52秒頃

この部分が、私がブログで一番重視した箇所です。

ここでは

  • 「今いる外国人を否定しているわけではない」
  • 「これ以上増やすのは一度立ち止まって考えるべき」
  • 「外国とは対話し、交渉していくべき」
  • 「日本側が主体性を持つべき」

という考えをまとめて話しています。


⑤ エネルギー安全保障

42分52秒~43分37秒頃

最後に

  • メガソーラー
  • インバーター
  • エネルギー安全保障

について話しています。


#福島県 #福島市 #外国人政策 #人口減少 #地方創生 #安全保障 #エネルギー政策 #メガソーラー #地域経済 #日本の未来

生活保護の相談を、私はよく受けます。  
役所に何度掛け合ってもどうにもならなかった人たちが、「もうダメかもしれない」と追い詰められた顔でやってくるのです。

よくよく事情を聴くと、ほとんどが同じパターンです。

- 「65歳以上でないと生活保護は受けられません」
- 「まずハローワークに行って仕事を探してから来てください」
- 「申請書はすぐには渡せません。職員のアドバイスを受けながらここで書いてもらいます」

そう言われて、申請書すら渡されずに帰されたという人が少なくありません。

ところが、私が直接電話で市の職員に確認すると、返ってくる言葉は決まっています。  
「そんなことは言っていません。何かの誤解です」

申請書をその場で書かせるのも、「職員がアドバイスするため」という建前です。  


しかし実際には、弱っている相談者の気力を削ぎ、あきらめさせるための手法になっているケースが後を絶ちません。  
これが、いわゆる「水際作戦」です。

生活保護は、憲法25条に基づく国民の権利です。  
申請意思を示せば、福祉事務所は原則として申請を受理しなければなりません。口頭での申請も認められています。年齢制限で一律に門前払いしたり、「ハローワークに行け」と先延ばししたりする対応は、制度の趣旨から外れています。

私が介入すると、申請書はちゃんと渡され、手続きが進み、受給に至るケースがほとんどです。  
相談者本人が一人で窓口に立ったときには通用しなかったことが、第三者の存在で変わる。  
これは、相談者が精神的に弱っているところに付け込んだ運用だと、私は考えています。

受付が人目につく場所にあることも、心理的なハードルを高めています。  
「顔を見られたくない」という理由で相談をためらう人も少なくありません。以前、元市議の方が「奥の別室で相談できるように」と提案したそうですが、まだ実現していないのが現状です。

こうした状況を少しでも変えたい。  
だから私は、これからも相談に応じていきます。

「役所に行ったけれど、申請書をもらえなかった」  
「何かおかしいことを言われた気がする」  
「一人では気力が続かない」

そんな方は、遠慮なく私のところに連絡をください。  
事情を丁寧に聴き、必要であれば一緒に対応を考えます。

生活に困っている人が、正当な権利を行使できないまま追い詰められることがないように。  
一人でも多くの方が、安心して申請できる環境に近づけるよう、私は動き続けます。



 

先日、郡山市の市民提案制度「みなさんの声」に投稿した外国人に対する生活保護(行政措置)の廃止提案に対し、市から回答がありました。

 

私が投稿した内容はnoteに記事としてあげております。

 

 

郡山市の回答は極めて不十分で、市民の懸念を真正面から受け止めたものとは到底言えません。以下に市の回答全文を引用し、問題点を指摘します。

 


生活保護は、生活保護法第1条に基づき、日本国民を対象にした制度でありますが、 昭和 29 年に当時の厚生省社会局長から発出された通知「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」により、適法に日本に滞在する永住者や定住者等、在留資格を有する外国人についても、人道上の観点から生活保護に準ずる取扱いをすることとされていることから、本市としましては、今後も法律及び国で定める基準等に従い適正な保護の実施に取り組んでまいります。


この回答のどこが問題か

  1. 核心を完全にスルー 私が提案で最も強調したのは、昭和29年の通知が「当分の間」の暫定措置である点、70年以上経過した今その根拠が失われている点、そして最高裁判例で外国人は生活保護法の対象外とされている点です。 郡山市の回答はこれらに一切触れず、「人道上の観点」「今後も…取り組んでまいります」と機械的に繰り返すだけ。市民の論点を無視した形式的なテンプレート回答です。
  2. 「当分の間」を無視した姿勢 通知が出された当時は戦後特例的な事情がありました。現代の外国人労働者や新在留外国人を対象に「人道上」と言い続け、税金を投入し続けるのは明らかな逸脱です。市は「当分の間」という文言を意図的に避け、恒久化を容認する態度を取っています。
  3. 自治体としての責任放棄 最高裁は外国人を原則対象外としつつ、実施は自治体の裁量に委ねていると判断しています。それにもかかわらず「国で定める基準等に従い」と国に丸投げ。地方自治体として独自判断で支給停止を検討する気は全くないことが露呈しました。
  4. 税金の優先順位を誤ったまま 郡山市のような地方都市では、限られた税収で高齢者福祉、子育て支援、医療・介護などの日本人住民ニーズが山積しています。それなのに「人道上」と称して外国人への保護を継続することは、日本人住民の生活を後回しにする重大な問題です。

福島県民・日本人住民としての怒り

私はこれまで多くの日本人福島県民の生活保護相談に携わってきましたが、運用が日本人には厳しく、外国人には比較的緩いケースを複数耳にしています。「数ヶ月前に来日した外国人が保護を受けている」という話も珍しくありません。

生活保護は「最後のセーフティネット」であるはずです。だからこそ、まずは自国民を守るべきです。真に保護が必要な外国人に対しては、本国送還支援や就労促進、在留資格の見直しなどの代替策を取るべきで、無制限な税金投入は国民感情としても財政的にも持続不可能です。

郡山市に改めて強く求める

  • 市の回答を撤回・再検討し、提案内容に対する真摯な議論を。
  • 外国人生活保護支給の停止に向けた具体的な検討(自治体裁量の行使)。
  • 国への正式な意見提出(通知廃止と法改正の要請)。
  • 郡山市内の外国人生活保護受給世帯数・支出額の公開。

市民提案制度は飾りではありません。郡山市は「安心して暮らせるまち」を目指すのであれば、日本人住民の声にこそ真っ先に耳を傾けるべきです。 このような形式的な回答で済ませる限り、市民の不信感は高まるばかりです。

郡山市の是正を求め続けます。同じ思いを持つ福島県民・郡山市民の皆様、ぜひ声を上げてください。引き続きこの問題を追跡・発信していきます。

 

 

 

行政の追認機関になっている現状と、福島県民が目指すべき「県民中心の県議会」について本音で語りました。

 

 

県民の声が十分に反映されない構造、情報公開の問題、議員に求められる本来の役割など、福島県政の核心に迫ります。

 

 この動画でわかること 

●二大会派による議会運営の課題 

●県民に中身がわからないまま決まる予算・条例の問題 

●「チェックする議員」の重要性 

●外国人共生政策をはじめとする、県民が関心を持つテーマの議論不足 

●福島県民が目指す議会改革の方向性(行政中心 → 県民中心へ)

 

 

 

福島県議会は本当に「全議員の議会」なのか ― 自民党と県民連合だけで決まる議会運営を問う

地方議会は、住民の多様な民意を反映するために存在しています。

しかし、現在の福島県議会の議会運営を見ると、本当にそうなっているのか疑問を抱かざるを得ません。

議会運営を決める「代表者会議」と「各派交渉会」

福島県議会には、議会運営や議会の組織・権能などについて協議するため、

  • 代表者会議

  • 各派交渉会

という二つの重要な会議が設置されています。

ここでは、本会議の日程や議会運営に関する様々な事項について、各会派の意見調整が行われます。

つまり、実質的には「議会のルール」を決める場と言ってもよいでしょう。

ところが、その構成を見ると大きな問題があります。

出席できるのは「5人以上の会派」だけ

福島県議会では、交渉会派として認められるのは議員5人以上の会派です。

現在の勢力は、

  • 自由民主党福島県議会議員会 28名

  • 福島県議会県民連合議員会 17名

  • 日本共産党 4名

  • 公明党 4名

  • 日本維新・無所属の会 2名

となっています。

このため、代表者会議や各派交渉会に参加できるのは、

自民党と県民連合だけ

という状況になっています。

共産党も、公明党も、維新も、その他の少数会派も、この重要な協議の場には参加できません。

二大会派だけで議会運営が決まる構造

県民連合は、立憲民主党、国民民主党、社会民主党など、連合福島を基盤とする会派です。

結果として、

  • 自由民主党

  • 県民連合

この二つの会派だけで、議会運営の方向性が決められていくことになります。

 

 

もちろん、最終的には議会運営委員会や本会議で決定されます。

しかし、重要事項は事前協議で方向性が固められることが少なくありません。

そのため、実際には二大会派の合意が議会全体の意思決定に大きな影響を与える構造になっています。

これは、少数会派や無所属議員の意見が議会運営に反映されにくい仕組みと言えるでしょう。

さらに気になる「議長」の立場

県議会ホームページに掲載されている代表者会議の構成を見ると、

  • 自民党代表 矢吹貢一議員

  • 県民連合代表 宮下雅志議員

となっています。

その一方で、

議長も出席者

となっています。

さらに掲載内容を見る限りでは、議長が自民党側の代表者として位置付けられているようにも読めます。

もちろん、現在は2022年以降更新されていないため、実際の構成は変更されている可能性があります。

しかし、それならなおさら問題です。

県議会ホームページには現在もその情報が掲載され続けています。

議会の公式ホームページは県民が議会の実態を知るための重要な情報源です。

古い情報を長期間掲載したままにしておくことは、県民に誤解を与えるおそれがあります。

議長には中立性が求められる

地方自治法上、議長は議会を代表し、議事を整理し、議会運営を公平・中立に進める役割を担います。

そのため、一般的には議長は会派間の調整役として行動することが期待されています。

もし議長が一方の会派の代表として振る舞うような運営になっているのであれば、「中立な議長」という役割との関係について県民が疑問を持つのは当然でしょう。

少なくとも、議会として現在の運営体制を正確に公表し、その位置付けを明確に説明する責任があります。

少数会派にも発言の機会を

地方議会は、多数決で物事を決める場ではありますが、多数派だけのために存在するものではありません。

少数会派には少数会派の支持者がおり、その一票一票も等しく県民の意思です。

だからこそ、

  • 代表者会議へのオブザーバー参加

  • 各派交渉会への参加基準の見直し

  • 少数会派への説明機会の充実

  • 協議内容のさらなる透明化

などを検討する余地があるのではないでしょうか。

議会改革は「議会運営」から始まる

議会改革というと、議員定数や議員報酬ばかりが話題になります。

しかし、本当に改革すべきなのは、議会の意思決定がどのような仕組みで行われているのかという点です。

県民に開かれた議会を目指すのであれば、議会運営の透明性を高め、多様な会派や議員の意見が議論の場に届く仕組みを整えることが重要です。

福島県議会には、「少数意見も尊重する議会」であることを制度面から示していただきたいと思います。