先日、国旗損壊罪をめぐって、ある方と議論になりました。
私が、
「法律は、過去に問題が起きてから対処するためだけにあるのではなく、将来起こり得る問題を予防するために作ることもある」
という趣旨のことを書いたところ、
「立法事実がないものは法律化すべきではない」
という反論をいただきました。
もちろん、法律によって国民の自由や権利を制限する以上、その必要性や合理性を慎重に検討する必要があるという点については、私も異論はありません。
しかし、私がどうしても違和感を持つのは、
「これが正しい立法の考え方なのだから、あなたの考えは間違っている」
というところまで話が進んでしまうことです。
予防のためにルールを作ることはおかしいのか
私は、法律には「問題が起きてから対応する」という役割だけではなく、「問題が起きる前に防ぐ」という役割もあると考えています。
これは法律に限った話ではありません。
例えば、安全管理を考えてみれば分かりやすいでしょう。
危険な場所があったとして、
「まだ事故が起きていないから対策しなくていい」
とは普通は考えません。
事故が起きる可能性がある。
その危険性が予測できる。
だから、事故が起きる前に対策をする。
これが安全管理の基本的な考え方です。
もちろん、実際の事故を教訓として法律や基準が改正されることもあります。
しかし、
「事故が起きてからでなければ規制してはいけない」
ということではありません。
私は、立法についても同じように考えています。
将来の危険性を予測し、それを防ぐために法律を作ること自体は、十分に合理的な考え方です。
ただし、何でもかんでも「危険かもしれない」という理由だけで法律を作っていいという意味ではありません。
必要性があるのか。
どの程度の蓋然性があるのか。
国民の自由を制限するほどの合理性があるのか。
他の手段では対応できないのか。
そうしたことを議論する必要があります。
国旗損壊罪についても、議論すればいい
国旗損壊罪についても、私は「絶対に必要だ」と言っているわけではありません。
必要なのか、必要ではないのか。
どのような行為を対象にするのか。
表現の自由との関係をどう考えるのか。
他の法律で対応できないのか。
さまざまな論点について議論すればいいのです。
私が問題にしているのは、
「過去に十分な被害事例がないのだから、予防的な立法そのものが認められない」
という考え方です。
私は、その考え方には賛成しません。
予防的な立法という考え方も当然あっていい。
そして、その立法が本当に必要なのかどうかを、国会で議論すればいい。
私はそう考えています。
そもそも民主主義とは何なのか
ここで、もう一つ大事なことがあります。
私は、今回のやり取りを通じて、法律論以上に「民主主義とは何なのか」ということを考えました。
例えば、選挙を考えてみてください。
あなたは、あなたが支持する候補者を応援すればいい。
私は、私の考えを支持する候補者を応援します。
そして選挙を行い、それぞれの候補者が当選したり、落選したりする。
その結果として、議会の議席構成が決まります。
そして、その議会でさまざまな議論をして、条例や予算、政策などが決まっていく。
これが民主主義国家です。
もちろん、選挙で自分の支持する候補者が負けることもあります。
自分の望まない政策が決まることもあります。
しかし、それも民主主義です。
自分の意見だけが必ず通る社会ではありません。
「自分が正しい」だけでは民主主義にならない
私は、自分の考えを持つことは非常に大切だと思っています。
政治についても、
「私はこう考える」
「この政策が必要だ」
「この法律には反対だ」
と主張することは当然の権利です。
しかし、
「自分の考えが正しい。だから他の人もその考えに従わなければならない」
となったら、話は変わってきます。
私は、そこに危険性があると思っています。
民主主義というのは、自分の思想を他人に強制することではありません。
自分の考えを主張し、その考えに共鳴してくれる人を増やし、選挙や議会を通じて、その考えを政治に反映させていく。
それが民主主義です。
「正しさ」を競うのではなく、支持を得る
政治家に必要なのは、
「私は正しい。だからあなたも私と同じ考えになりなさい」
と言うことではありません。
そうではなく、
「私はこう考えます。こういう社会を作りたいと思っています。賛成していただける方は支持してください」
と訴えることではないでしょうか。
そして選挙で有権者の判断を受ける。
当選すれば、自分の政策を実現するために議会で活動する。
落選すれば、それは自分の考えが十分な支持を得られなかったということです。
その結果を受け入れる。
それが民主主義だと思います。
異なる意見を持つ人を敵にしない
私は、自分と違う考えを持っている人を否定するつもりはありません。
むしろ、いろいろな考え方があっていいと思っています。
国旗損壊罪に賛成する人もいる。
反対する人もいる。
予防的な立法が必要だと考える人もいる。
立法事実を重視して慎重に考える人もいる。
それでいいのです。
議論すればいい。
選挙で判断すればいい。
議会で多数を形成すればいい。
それが民主主義です。
だから私は、あなたがあなたの支持する考えと共鳴する人を増やすことに力を注げばいいと思います。
私も、自分の考えに共鳴してくれる人を増やす努力をします。
そして最後は、有権者が判断する。
それでいいのではないでしょうか。
私が一番危険だと思うこと
私が一番危険だと思うのは、
「自分の思想だけが唯一正しい。だから社会全体がそれに合わせなければならない」
という考え方です。
これは、政治思想の左右に関係なく危険だと思います。
右だから危険なのでも、左だから危険なのでもありません。
自分の思想を絶対視し、それを他人に強制しようとすること自体が危険なのです。
そのような社会では、異なる意見を持つ人間が排除されていきます。
そして最終的には、国民が自由に物を言えなくなり、自由に政治的な選択をすることもできなくなってしまいます。
そういう国家が、国民を幸福にするとは私は思いません。
私は私の考えを主張する
だから私は、これからも自分の考えを発信します。
国旗損壊罪についても、立法事実についても、予防的な立法についても、自分の考えを述べます。
しかし、あなたにはあなたの考えがあります。
その考えを主張する自由もあります。
私には私の考えを主張する自由があります。
そして、それぞれの考えに共鳴する人を増やしていけばいい。
最後は選挙や議会という民主主義の仕組みの中で、国民・住民が判断する。
私は、それが民主主義だと思っています。
「あなたは間違っている。だから私の考えに合わせなさい」ではなく、「私はこう考える。あなたはどう考えますか」
政治とは、本来そういうものではないでしょうか。







