三島事件は漢意(からごころ)か | 真正保守のための学術的考察

真正保守のための学術的考察

今日にあっては、保守主義という言葉は、古い考え方に惑溺し、それを頑迷に保守する、といった、ブーワード(批難語)的な使われ方をしますが、そうした過てる認識を一掃するため、真の保守思想とは何かについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

清水幾太郎は、「憲法(9条)を逆転して利用することは、アメリカへの最大の抵抗力となりえた」と述べましたが、米ソ冷戦下におきましては、9条はアメリカにとってかえって邪魔な存在でした。

自分らが押し付けた手前、9条を盾とし、アメリカとの援助交際を助長するだけの結果となることは目に見えていた再軍備に異を唱える運動に対して、アメリカは強行姿勢に出られなかったという経緯がありましたからね。

 

吉田茂はこの9条を上手く利用したという点では唯一評価できると思います。

三島由紀夫もこの時点(対等でない安保体制)での憲法改正はアメリカへの従属を深めることになるであろうということを鋭く見抜いていましたから、

 

「今のままの状態で憲法改正を推進しても、却ってアメリカの思ふ壷におちいり、韓国その他アジア反共国家と同列に並んだだけの結果になることは明らかである」

 

と、身代わりの早い親米派(という不道徳漢)らの憲法改正論を一蹴しました。

 

安保を現状のままにして置き、アメリカの属国状態のまま、憲法改正やって集団的自衛権やるようなアメリカ信奉者には、他国の内乱にまで駆り出されてであなたそれで自分の血を流せますか?と一度問うてみたいですね。

 

「国軍の本義とはなんだ」と。

 

ところでですが、昭和四十五年のいわゆる三島事件を、当時の知識人は様々な思いでこれを観ていたでしょうね。ある者は「先を越された」と思い、ある者は「嫉妬」し、またある者は「三島には実現しようとした何かがあったのか」と思ったでしょう。

 

また、私が信頼する江藤淳でさえ、小林秀雄との対談で「三島のあれ(市ヶ谷決起)は病気でしょう」と言いましたが、これにつきましては江藤の真意がいまだはかり知れませんので深い言及はやめておきます。

 

小林秀雄さんは「日本の歴史を病気というか」とカンカンでしたが(笑)。

江戸も100年を過ぎますと武士は単なる役人と化していき、存在理由がどんどん薄れてきます。そこから、「武士道といふは死ぬことと見つけたり」・・・死ぬことが重要であって死に理由など要らない、むしろ理由などあってはならない、理由なく死ねるからこそ武士は特権階級なんだ。という思想が出てきます。

 

「葉隠れ」がそれですね。

三島は陽明学に惹かれていたようですが、あの時の行動は「知行合一」でも、また「何かを実現しよう」というものでもなく、自分の死を後世に深く考えさせることで、何かを残そうといったことが三島の目的だったのではないでしょうか(そういう意味では私など三島の術中にまんまと嵌った一人ですが)。

 

ですから、三島のあの行動を「漢意」とみる方も少なくないですが、そうした観方は皮相的と言わざるを得ないでしょう。

 

言葉のニュアンスとしまして「そうあるべき」と、「そうあらねばならない」とは微妙に違いますが、三島の場合、「そうあらねばならない」という、実現不可能な理想を不可能と知りつつも自ら体現したのであり、これは「そうあるべき」、つまり、実現しない思想や言葉など無意味だとする朱子学(の漢心)とは違うような気がします。

 

合理的なものなど何もありませんよ。

 

あそこでああいうことが起こったというだけのことです。