人生において、なぜか劇的なことが起きる奴っているじゃないですか。
僕にとって、この親友Mがまさにそんな人物なんですね。
この話を大昔に書いて、何度かリメイクしていることもしかり。
そして先日の一時帰国の時に、久々にこのMと飲みました。
今でも奴の顔を見ると、この時の緊張感が面白くて・・・
まあ、生きててくれて良かったよ。なあ!
古いお気に入りの記事ですが、今回はAIで少しだけ読みやすくして、あらためて載せようかと思いました。
思い出の曲にまつわるお話…
僕には、MとHという、同じ町に住み、同じ高校に通う親友がいた。
今でも親友なんだけどね。
3人とも高校への行きも帰りも同じ。気も合ったし、
何より性格や音楽や服の趣味が似ていて、他では替えのきかない、
自分をとてもよく理解してくれる仲間同士でもあった。
特にMとは深い付き合いだった。
生まれて初めて酒を飲んだのもMと一緒だった。
二人とも洋楽が好きで、ジョン・クーガーやブルース・スプリングスティーンに夢中になり、
まだ見ぬ先の人生の話をした。
田舎に住んでたんで決死の覚悟で、当時流行り始めていたGジャンを一緒に大都会の三宮に買いに行ったりもした。
高校を卒業する頃だ。
勉強なんて意識してしなかったから、3人仲良く揃って大学受験を失敗した。
まあ皆浪人である。
バブル華やかなりし頃に浪人は冴えなくて苦しかったが、何とか1年間耐えて頑張った。
その結果、なんとM以外は受験に合格した。
可哀そうなMは、また浪人生活を送ることとなった。
Mはお調子者で、そのくせ真面目で、傷つきやすいくせに自信家だったりする。
でも、まあいい奴なんだ。
僕とHがギリギリ滑り込みで大学生となり、
自分一人がなれなかったMの落ち込みようはハンパではなかった。
僕とHは、なぜか僕の家で、僕の人生で最初の、そして恐らく最強の、
自棄酒に付き合ったよ。Mのさ。
あの、どうして良いか分からないまま、
Mが思いつめたような顔で酒を飲むのをただ見ている自分を、今でも思い出す。
残酷だけど、僕とHは大学生活が始まり、Mと連絡を取らなくなった。
僕はバイクが欲しいのと、自由なのが嬉しくて、アルバイトに明け暮れていた。
Hも全く同じだった。
連絡が取りにくかったのもある。
どんな言葉をかける? どないしとん? なんて言えるか。
風の噂で、元気を取り戻して、バイトと予備校に再び通いだしたと聞いてホッとしたのもあるけど。
いつだったか、もう夏前になった頃、さすがに悪いと思ってMの家に電話をした。
ところが、なかなか繋がらない。何度か連絡して、やっとMの弟が電話に出た。
Mはいるのん?
そう聞く僕に、弟君は言った。
兄ちゃんは死にかけてて、今、集中治療室におるねん。
我が耳を疑うってよく言うけど、この時ばかりは本当の本当にそう思った。
絶対あり得ないって思った。
えええーーー。
我知らず大声になった。
なぜ。どうして。何があった。と矢継ぎ早に聞いた。
でも、饒舌な兄のMに比べて弟は口下手だった。
要領を得ず、イライラしながらも、ともかく病院は聞き出せた。
友人が死ぬ。
そんな事は絶対にない。断固として。
僕は若くて、そんな事は想像もできなかった。
Hに連絡し、当時のバイト先のスーパーから西瓜をガメて、お見舞いに行く事にした。
なんとか助かった事だけは聞き出せていた。
でも後はよく分からない。どういう状況なんだろうか。
怖いような気がした。
もし半身不随で動けなかったらどうする。手足が無くなってたらどうする。
Hと、何があっても動揺したり、絶対に変な事を言うのはやめとこうな、
そう言い合って病院へ向かった。
緊張の病室への出入りは覚えていない。
しかし、就職の役員面接よりも緊張したのは間違いないと思う。
ところが。
死にかけて半身不随になったはずのMは、楽しそうに雑誌を読んでいた。
あれれれ。なんやお前。
よお!来てくれたん。
と、パッと顔を輝かせてMは嬉しそうに言った。
どうなってるんだ。
お前、死にかけて…
と言いかけて、途中で言葉を飲み込んだ。
Mのお袋さんの厳しい顔を見て、言わない方がいい、そう思った。
実際にあった事は、こういう事だった。
史上最悪の落ち込みから、何事にもめげないMはあっさり立ち直り、
普段通りの活動を再開したそうな。
勉強だけだと息が詰まるとかで、バイトも始めたそうだ。
その日はバイトに行く途中だったらしい。
そそっかしいMは、スクーターで住宅地の角を曲がる時に、
対向車と出会いがしらに正面衝突したそうだ。
ぶつかって吹っ飛ばされたMは、足を複雑骨折した。
ここまではまあ普通だ。問題はこの後だった。
極まれに、折れた骨から脂肪だか何だかが血管を通じて肺に溜まっていく事があるんだそうだ。
何百人に1人くらいの可能性らしいんだけど、Mはそれにひっかかった。
悪くすると死亡する事があるらしい。
治療法は無い。
というか、基本的には複雑骨折だけだ。
医者には3対7くらいで危ないって言われたと聞いた。
これは、お見舞いに行った帰りに送って頂いたご両親から伺った。
普段は寡黙なMの親父さんが訥々と喋り、お袋さんも喋りながら時折涙を見せていた。
僕はなぜか申し訳ない気で一杯になりながら、お二人のお話を伺っていた。
ほったらかしを反省し、その後何度もお見舞いに行った。
危機を脱すると、ただの骨折だそうで、足は固定されていたが、Mは至って元気だった。
ともかく暇で、音楽が聴きたくて仕方がないそうだ。
Mのたっての頼みで、CDを買っていくようになった。
お袋さんでは全く役に立たないらしい。アーティスト名を示しても分からないそうだ。
で、僕の出番だった。
自分の手持ちや、雑誌を見たMに頼まれたりして買ったものを持っていったりした。
まあ、自分の人生であれだけ歓迎される事は、もうないだろうと思うくらいに、
病院に行くと感謝されたよ。
そんなこんなで、このMの入院当時の洋楽シーンには凄く思い入れがある。
当時のガンズ・アンド・ローゼズの
「アペタイト・フォー・ディストラクション」
なんて、Mは今でも聴いているよ。
でも、Mが強く希望したホットハウス・フラワーズが、なんと言っても一番心に残っている。
当時はU2が「ヨシュア・トゥリー」で大ブレークして、そのルーツであるアイリッシュに根差す音楽が注目されていた。
ホットハウス・フラワーズも、そんなブームの中から出て来たバンドの一つなんだ。
Mがラジオか何かでこの
「Don't Go」
を聴き、とても印象に残ったらしい。たっての希望で僕が買いに行った。
とても素敵な曲で、二人とも大いに気に入ったよ。今でもお互いに大好きなはずだ。

今でもMとは親友だ。
そのMも、もう2児の父親でもある。
相変わらず当時の音楽がお互いに好きで、飲むとよくそんな話になる。
まあ、死なずにいてくれてよかったよ。
でもMは知ってるのだろうか?
「Don't Go」って、ボーカルのリアムの親友が死んだときに作った歌なんだ。
だからDon't Go 逝かないでくれよ!
ずっと傍にいてくれよ!って言ってるんだよ…
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