うみへいく -14ページ目
えむちゃんがずっと胃の調子が悪くて心配してたのですが、明日内科へ行ってくれることになったことおねがいラブラブ


毎日いろんな病院にかかるえむちゃんにはしんどいことだと思うので強要は出来ないと思いつつも気になって仕方なかったので、自ら「行くんだ~」と話してくれてとても嬉かったです照れキラキラ



それから。


今日の仕事で、高校生のKくんを支援学校にお迎えに行って、デイサービスへ向かう時に、K君が大好きなGReeeeNが入ってる車ではなかったので、代わりにSMAPの【世界にひとつだけの花】をかけたら、知ってるフレーズだけですが、大きな声で歌ってくれたこと。

K君は歌がとても好きなお兄ちゃんです。


世界に1つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることに
一生懸命になればいい

ナンバーワンになれなくてもいい
もともと特別なオンリーワン


これを大きな声で歌われまして、どういうわけかハンドル握りながら胸が熱くなってホロリと涙が笑い泣き

年ですねぇ。
涙腺緩いです。



でもね、こんな風にハンデをもって生まれてきた子供が高校生になって、下の子達の相手もしてくれて、そんな姿を見ていてですよ?

この歌を屈託なく歌われてみてください(*T^T)。

やばいですって。


純粋で裏表のない彼らだからこそですかね笑い泣き
心に響く優しさがある。


そうだよ、特別なオンリーワンなんだよ!と思いながらうるうるして運転してました。


今日はまぁいい日だったと思います。


すごく癒されましたラブピンクハートハートピンクハート



日々悩むことだらけではありますが、うちのデイサービスに来る障害児さんたちはほんまに可愛くて可愛くてたまりません。

明日も事故のないよう、気を引き閉めて頑張りたいと思いますチューキラキラ


いつのまにか他所の庭先の木蓮が花開く寸前にまで至っていることに、数日前気付きました。


木蓮が花開き、やがて散ると次は桜の開花です。


毎年変わらず繰り返されるこの国の、本州の花咲く順番。
そうして私はそれを見る度に、ひとつずつ年を取っていくのです。



私が中国の西安に居たときは、この木蓮と桜が同時に開花していたので、帰国してから、そのわずかなズレと順番にようやく気付いたのでした。


焦がれに焦がれたシルクロード。


乾いた空気、乾いた砂、風。
西へ行くほどに大地は乾いて砂漠を見たときはそこに地球と言う惑星を感じたものです。


感覚と言うのはひとりひとり異なるものでしょうが照れ


日本に降り立ったときの、あのカビ臭い湿ったまとわりつくような大気の濃さは忘れられません。


日本とはこんな匂いのする国だったんだなぁ、と照れ


そして同じような人間の群れ、店に溢れるカラフルな色彩と物の多さ。


私はなんとも言えない違和感と自分に流れ込む情報量の多さに目眩を覚えました。


私はほんとにここで生活出来ていたのか、と(笑)。



赴いた先がシルクロード入口とその先の辺境ですからね。
当時はものも人も日本ほどなかったのです。

いいえ、人は多かったかもしれませんが、多民族で溢れ返っているし、土地そのものが広大であるため、自分の故郷のような雑踏というイメージはありませんでした。

西の空に戴く天山山脈の白い峰。
南の空にはやはり白く輝く昆崙山脈。

どこまでも続く蜃気楼のゴビ。
敦煌の仏像、砂漠。


そして西遊記の火焔山。
オアシス、トルファン。葡萄棚。

地下を流れる天山からの雪解け水、カレーズ(井戸)。

砂と太陽の街。

カシュガルのグリーンモスクと向日葵。



意識を飛ばせば今でも飛んでいけそうな懐かしい光景です。

カザフ族のゲル(ユルト)に泊まりに行ったときの白い山の峰と針葉樹の森。
そして満天の星空。

そう、プラネタリウムのように、プラネタリウム以上に。

私は馬を駆り、滝を見に行き、山に登りました。

カザフの青年とも親しくなりました。



あの頃はなんでも出来ると思っていました。
独りでもなんでもなかった。むしろ独りのが身軽に動けてどこへでも行けましたし、自分の行きたいところに同伴者を伴って何かあったらどうしようという責任も負わなくてよかったので気楽でした。
その代わり病に倒れても独りですが。

それでも怖くなかったし自分の力を信じていました。
疑うこともなかった。
どんな目に遭っても後悔しないと思い込んでいました。

父親を泣かせ、母親を混乱させた変わり者の娘です。


私は西域の仏教美術と日干し煉瓦の遺跡に魅せられ、乾いた大地に眠るミイラと語るような娘だったのです。




この日記を読む人は、おそらく多くが「変な女だな」と思うことでしょう。


でもその当時の私はそんなこと欠片も思わなかったのです。


例えば砂漠で死ねるなら良かった。


地球に還るのだと思えるから。


モンゴル族の「黄色い斜面」をご存じの方はいらっしゃるでしょうか。


彼らは死ぬとその肉体を一糸纏わぬ姿で大地に還します。

そして葬った場所には二度と誰も行きません。
墓参りという概念がないのです。
何故なら死者は大地へ還るから。


なんて合理的で理想的なのだろうと思っていました。

風葬や鳥葬しかりです。





シルクロードは若かった私が生きた場所でした。
おそらくこの後の人生で、再びあの乾いた砂塵と空の下に広がる白い峰峰を見に行くことは二度とないでしょう。


帰国して、結婚して、出産して、私の世界はまるで変わりました。

その変化は凄まじいもので、本当は私自身にもついていけなかったのかもしれません。

ただ「子供を守る」という本能ひとつで必死に当たり前の日々を深く考えることなく送り続けていました。
私は無理矢理でも変わるしかなかったのです。



夢物語から永遠に決別するしかありませんでした。
宇宙からも、遺跡からも。


そこで私は初めて知るのです。


自分の愚かさ、世間知らずさ、幼さ、傲慢さ、そして何より弱さを。


現実を突きつけられた私の心は恐らく悲鳴をあげていたのに、それすら気づかないほど長男を育てるのは苦労でした。
それが障害だと知るまで。

そして、障害だと知ってから。



そんな私の傍らで夫はなにも変わらなかった。


若いまま、世界を知らないまま。



私にも特異性がありました。

でも私は子供に気付かされた。

そして夫は子供が出来ても気付かなかった。


不思議で皮肉なものですね照れ



私はもう自分の記憶を子供たちに語ることしかしませんし、同じように行って欲しいとも思いません。

いえ、こんな物騒な時代に入ってしまいましたから、とても日本の外へ単独で出すことは許可できません。



懐かしい記憶として残すだけです。


私の未熟な愚かさは今も時々顔を出して親しい友に怒られたりしますが、それでもそうやって生きています。

変わらない毎日を当たり前に過ごせるように。
木蓮が咲き、桜が咲いて春が来る。
その順番を毎年見ては年を取りながら。


そしてその光景もまた美しいと感じながら。



※敦煌、トルファンへ母を連れて行った時のもの。バンダナで口を覆わなければたちまち口の中が砂でジャリジャリになってしまうのです。このときは母がいたのでツアーでした。右の方はそのツアーの参加者さんです。ちなみに中国に居たときも、請われるまま、母と近所のおじさんを連れてウルムチまで行きましたが、なかなか大変でした(笑)。







最近、前髪がずいぶん延びてしまい、癖っ毛で困るのでアイロンだけ当てるようにしてますが、1部短い毛が出てきてます。

アホ毛みたいな感じ(笑)。

これを見つけると、「あぁ、円形脱毛してたのね」とわかるようになりましたチュー


私はストレスでよく円形脱毛を起こすのです。


凄まじいストレスがかかった日、僅か数時間で私の頭髪の1/4が抜けたことがあります。
これは夫絡みではなく別の問題ですが、ひーたんに言わせたら【パー子がパーなゆえに起きたこと。反省せよ】ってことなんですけどね(笑)。

さて、毛の話はどうでもいーのですが、プラネタリウム。

この件を書くのを忘れていました。


鬱のお友だち(お名前をえむちゃんとします)と一緒に【大阪市立科学館】へ行きました。

関西に住んでいながらこんな素晴らしいところがあったとは知らずに居たことが悔しかったくらい素敵な場所でしたラブ

科学、……子供を物理学や宇宙に興味を持たせるにはとっても良いところですニコニコラブラブ

最近JAXAで働きたいと、やたらでかいことを言い出したいとを連れていかねば、と思っています口笛キラキラ



プラネタリウムの技術力は随分あがったものですね。
お試しに30万個の星を映し出してくれた時は思わず歓声を上げてしまいましたチュー星星星

チケットも満席でしたよ。


障害者のえむちゃんの付き添いと言う形で無料で入れていただきました。
とっても感謝です。


久しぶりの星空は嫌なことを吹き飛ばしてくれました。

そしてあまりに心地よいので所々で寝ました( ̄▽ ̄;)(笑)。えむちゃんも寝てましたね。
まぁかなりの癒しスポットです♪
関西の方、おすすめです。


売店で宇宙食を買ったのですが、帰宅して手渡すと一瞬で子供らに食べられてしまいました。高かったのに笑い泣き
なんてやつらだ(笑)。
私は一口も食べてないんですよ。






さて、投影は銀河のことをやっていました。


美しいですね。
こんな銀河が宇宙にどれ程あるか、また我々の天の川銀河だけでもどれ程巨大かを考えると太陽系や、そこの第3惑星、更にはその地上にうごめく生き物の小ささに拍子抜けします。


そんなちっぽけなのに、障害やら、病気やら、差別やら、苛めやらで心を悩ませて止まない人類とは、もちろん自分を含めてなかなかにデリケートな生き物なのだと思います星


えむちゃんの精神体はこの太陽系の果てや時々木星にいます。
えむちゃんには逃避なのではなく、身を置くところなのです。


その脳裏に映るそこからの宇宙の風景を寸分違わず水彩画に落としてゆくえむちゃんの才能に私は憧れます。


その美しく緻密な絵。

えむちゃんが見てるものを私にも具体的映像として見せてくれるのですから本当に素晴らしいですキラキラ


えむちゃんは共感覚も持っており、様々な色で物事を表現できます。


えむちゃんが障害の代わりに与えられたギフト。


そうです、えむちゃんはギフテッドチルドレンだったのだと私は思っています。


けれど時代的にもその特性はご両親含め周囲からまるで理解されず大変な二次障害を引き起こすことになってしまいました。


わがまま、自己中、人の言うことを聞かない等と、罵られ続けて、まわりからお前など死ねと言われてしまったえむちゃんの心の傷は大きすぎます。


わがままなのではなく、自己中なのではなく、ただえむちゃんにはえむちゃんの世界と決めてあるルーティンがあるのです。
えむちゃんはどちらかと言うといつも人の気持ちを考えています。
それゆえ自己犠牲を払い、鬱病を発してしまったのです。

ASDの傾向はかなり見られますが、同時にASDでありながらもこれほど対峙する相手の立場を考えて自分を折る人を私は知りませんぐすんタラー


発達障害というものは、その人が生まれ持ったコアとなる性質を覆うように出てくる障害です。


生まれ持ったコア+障害なので、ひとえに発達障害者とくくっても実は一人一人その性質も症状も異なるのです。



ゆえに私には対応できるタイプの障害者と出来ないタイプの障害者がいらっしゃいます。
えむちゃんはまさに、私には分かりやすい、そしてその優しさに私が癒される、そんな障害者さんなのです。

えむちゃんとはhideちゃんでも繋がっています。
そして宇宙でも。

感性も元々近かったかもしれませんね。


鬱病そのものに対応しているというより、発達障害から生じた優しい鬱に私は心惹かれたのかもしれませんぐすん

また一緒にプラネタリウムに行こうね、と約束しています。



ところで、チケットの写真にある「全天周映像」というのは映画みたいなものをプラネタリウムのドームで放映してくれるものです。

この日は【はやぶさ2】をやっていました。

はやぶさの2号機は先日無事に発射されましたね。
また新たな小惑星を目指して飛んでいます。

1号機の帰還には多くの人が心打たれて涙したのではないでしょうか。

はやぶさの勇気や力がえむちゃんの心にも響いていると私は信じています。



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私は大切な経験をしてもすぐに忘れてしまうところがあります。

ADHDの症状なのか、ただの間抜けなのかはわかりません。

なので思い出したり気付いたことは書き留めておこうと思います。





夕方、一人で犬の散歩をしながら夕焼け空を眺めていたらふいに胸が熱くなって涙がこぼれました。


夕焼け空のオレンジから紺色へと変わるグラデーションを見たときに、「私は何故宇宙が好きだったのだっけ?」と思ったからです。


前にも書きましたが、子供の頃から実家の親とうまくやれなかった私は自分の居場所を常に探していました。


やがて自然と興味を持った科学の世界に埋没することで、そこに居場所を作りました。



その尤も影響力を与えた場所が「宇宙」でした。


私はそこに自分の心を逃がした……と以前書きましたが、最近思うのは逃がしたのではなく、私はそこに心を置いたのではないのか、ということです。


科学的に生命体にとって命に直結する宇宙空間は恐ろしいものであるはずなのに、私には暖かで安らげる場所でした。


私は恐らく想像する宇宙の世界に私の心を置いたのです。




しかし成長し結婚し、子供を産んで、当然ながらいつの間にか私の心は地上の現実社会へと戻らざるを得ませんでした。
そしてそのことを苦痛に感じることもありませんでした。


当たり前のように受け入れていました。




でも本当は心の欠片が、……僅かな欠片が、私の宇宙に置き去りになったままなのです。


その欠片がふとした時に懐かしむのです。


あの暖かで安らかな世界に戻りたいと。



その欠片を取りに戻ることは多分もう出来ないのですが、残されたままの欠片は今もそのまま……。




でも私は、発達障害とそこから二次障害を起こして鬱病と戦う友人のなかに、その欠片がおいてある場所をもう一度見つけたのです。


友人は今も木星やカイパーベルトに心を飛ばしています。
そこが友人にとって何処より安らげる場所だからです。


私たちは生い立ちが似ていました。


友が今も居る場所に私の心の欠片があるのです。

だから私は友を助けたかった。
苦しむ想いに寄り添いたかったのです。
懐かしい匂いのする人で、理解し合えると思ったから。




友はその人生の中で出逢ってきた人が酷い人が多かった。

そして私は、たまたま善い人に多く出逢えた。


もちろん対人関係は色々あり、心を病むこともありました。

それでも結局は私は出逢った人に救われました。



まずは子供たちに。


そしてひーたんに。

てぃーこさんに。


そして、

その鬱病と戦う友に、です。


それから今の障害児デイサービスに来てる子供たちに。


私は確かに救われているのです。





私は人から誉められたり心配されたりすることに馴れていません。


本当は親からそうされて育つものなのでしょうがそれがほとんどなかったのでわからないのです。




私は脳なのか心なのかわかりませんが確かに欠損している部分がありますガーン

すぐに忘れてしまうのも情けないですショボーン


でも忘却の彼方に消えてしまうと言うのではなく、整理できない情報の中に大切な出来事が埋没して見えなくなってしまうのです。



だから書いて残したい。


昨夜ひーたんと話をし、そのあと鬱病の友と話をしました。



私の身に今ある、また私の愚かな性格のせいで起こった悩みを聞いてくれました。


ひーたんは静かな口調で切々と私がとるべき道を示してくれましたが、怒っていることが感じられました。


「あなたはどうしてそうなのか」と、「どうしてまた同じ過ちを繰り返すのか」と、私への苛立ちと怒りを滲ませていました。


「怒っているね」
と訊ねると、


「何故その場の感情ひとつで、我が身で背負いきれもしないものを、自分の身の危険も、家族の危険も考えもせずに突っ走って背負おうとするのか。浅はかにもほどがある」


ひーたんはそうきびきびと答えました。


「心配している、怒ってもいる、そして呆れている」


と。



それからどんなに私を心配しているのかをこんこんと話してくれました。



今にも泣きそうなくらいに。


「頼むから、頼むから、本当に頼むからもうやめておいて」


電話の向こうで懇願するように、うちひしがれてひーたんは言いました。


私はどこかぼんやりそれを聞いていました。

伝わるようで伝わらない感情。


私の感情回路は反応が鈍いのです。
(ひーたんに恐竜並みと言われているところですが)


電話を切ってから胸に込み上げる得体の知れない感情に戸惑いました。


泣きそうになるような、暖かな喜び。


私を心底心配したひーたんの心が見えたからです。


私を心配する他人の心。


私はこれがわからないのです。
親から死ねと言われて育った子供にはきっと形成されない感情です。


ワ タ シ ノ コ ト ヲ

コ コ ロ カ ラ

シ ン パ イ ス ル

ヒ ト ノ キ モ チ



凄く暖かいものでした。


見放されてもよいほど愚かな私を心配する友達の気持ち。


その暖かさと安らぎは、かつて宇宙に心を置いた時のもののようであり、それ以上のもののようでもありました。


心が潤っていくようでした。



だから私はすぐに鬱病の友に電話したのです。

相談もあったけれど、ひーたんや
てぃーこさんが私を心配してくれる気持ちと同じものを、私も、……今度は私が、その友に渡したかったのです。


私と共有する感覚を持つ友に。

私もあなたを心配しているよ、と。


その友が地球もまぁ悪くはないと思ってくれたら、と願ったのです。


いつの日か。
何年かかろうと……。




そうやって人の想いを繋いでいけるなら。



今はそれが私の精一杯です。




友に感謝します。
この気持ちを忘れたくないのでここに記します。


どうもありがとう。