私 | うみへいく
いつのまにか他所の庭先の木蓮が花開く寸前にまで至っていることに、数日前気付きました。


木蓮が花開き、やがて散ると次は桜の開花です。


毎年変わらず繰り返されるこの国の、本州の花咲く順番。
そうして私はそれを見る度に、ひとつずつ年を取っていくのです。



私が中国の西安に居たときは、この木蓮と桜が同時に開花していたので、帰国してから、そのわずかなズレと順番にようやく気付いたのでした。


焦がれに焦がれたシルクロード。


乾いた空気、乾いた砂、風。
西へ行くほどに大地は乾いて砂漠を見たときはそこに地球と言う惑星を感じたものです。


感覚と言うのはひとりひとり異なるものでしょうが照れ


日本に降り立ったときの、あのカビ臭い湿ったまとわりつくような大気の濃さは忘れられません。


日本とはこんな匂いのする国だったんだなぁ、と照れ


そして同じような人間の群れ、店に溢れるカラフルな色彩と物の多さ。


私はなんとも言えない違和感と自分に流れ込む情報量の多さに目眩を覚えました。


私はほんとにここで生活出来ていたのか、と(笑)。



赴いた先がシルクロード入口とその先の辺境ですからね。
当時はものも人も日本ほどなかったのです。

いいえ、人は多かったかもしれませんが、多民族で溢れ返っているし、土地そのものが広大であるため、自分の故郷のような雑踏というイメージはありませんでした。

西の空に戴く天山山脈の白い峰。
南の空にはやはり白く輝く昆崙山脈。

どこまでも続く蜃気楼のゴビ。
敦煌の仏像、砂漠。


そして西遊記の火焔山。
オアシス、トルファン。葡萄棚。

地下を流れる天山からの雪解け水、カレーズ(井戸)。

砂と太陽の街。

カシュガルのグリーンモスクと向日葵。



意識を飛ばせば今でも飛んでいけそうな懐かしい光景です。

カザフ族のゲル(ユルト)に泊まりに行ったときの白い山の峰と針葉樹の森。
そして満天の星空。

そう、プラネタリウムのように、プラネタリウム以上に。

私は馬を駆り、滝を見に行き、山に登りました。

カザフの青年とも親しくなりました。



あの頃はなんでも出来ると思っていました。
独りでもなんでもなかった。むしろ独りのが身軽に動けてどこへでも行けましたし、自分の行きたいところに同伴者を伴って何かあったらどうしようという責任も負わなくてよかったので気楽でした。
その代わり病に倒れても独りですが。

それでも怖くなかったし自分の力を信じていました。
疑うこともなかった。
どんな目に遭っても後悔しないと思い込んでいました。

父親を泣かせ、母親を混乱させた変わり者の娘です。


私は西域の仏教美術と日干し煉瓦の遺跡に魅せられ、乾いた大地に眠るミイラと語るような娘だったのです。




この日記を読む人は、おそらく多くが「変な女だな」と思うことでしょう。


でもその当時の私はそんなこと欠片も思わなかったのです。


例えば砂漠で死ねるなら良かった。


地球に還るのだと思えるから。


モンゴル族の「黄色い斜面」をご存じの方はいらっしゃるでしょうか。


彼らは死ぬとその肉体を一糸纏わぬ姿で大地に還します。

そして葬った場所には二度と誰も行きません。
墓参りという概念がないのです。
何故なら死者は大地へ還るから。


なんて合理的で理想的なのだろうと思っていました。

風葬や鳥葬しかりです。





シルクロードは若かった私が生きた場所でした。
おそらくこの後の人生で、再びあの乾いた砂塵と空の下に広がる白い峰峰を見に行くことは二度とないでしょう。


帰国して、結婚して、出産して、私の世界はまるで変わりました。

その変化は凄まじいもので、本当は私自身にもついていけなかったのかもしれません。

ただ「子供を守る」という本能ひとつで必死に当たり前の日々を深く考えることなく送り続けていました。
私は無理矢理でも変わるしかなかったのです。



夢物語から永遠に決別するしかありませんでした。
宇宙からも、遺跡からも。


そこで私は初めて知るのです。


自分の愚かさ、世間知らずさ、幼さ、傲慢さ、そして何より弱さを。


現実を突きつけられた私の心は恐らく悲鳴をあげていたのに、それすら気づかないほど長男を育てるのは苦労でした。
それが障害だと知るまで。

そして、障害だと知ってから。



そんな私の傍らで夫はなにも変わらなかった。


若いまま、世界を知らないまま。



私にも特異性がありました。

でも私は子供に気付かされた。

そして夫は子供が出来ても気付かなかった。


不思議で皮肉なものですね照れ



私はもう自分の記憶を子供たちに語ることしかしませんし、同じように行って欲しいとも思いません。

いえ、こんな物騒な時代に入ってしまいましたから、とても日本の外へ単独で出すことは許可できません。



懐かしい記憶として残すだけです。


私の未熟な愚かさは今も時々顔を出して親しい友に怒られたりしますが、それでもそうやって生きています。

変わらない毎日を当たり前に過ごせるように。
木蓮が咲き、桜が咲いて春が来る。
その順番を毎年見ては年を取りながら。


そしてその光景もまた美しいと感じながら。



※敦煌、トルファンへ母を連れて行った時のもの。バンダナで口を覆わなければたちまち口の中が砂でジャリジャリになってしまうのです。このときは母がいたのでツアーでした。右の方はそのツアーの参加者さんです。ちなみに中国に居たときも、請われるまま、母と近所のおじさんを連れてウルムチまで行きましたが、なかなか大変でした(笑)。