スピルバーグが「シンドラーのリスト」で試みたのは
きっとホロコーストという暴虐を風化させないことだったに違いない。
ユダヤ民族を地上から抹殺する暴虐は決して遠い昔のことではない。
モノクロームのLOOKは、かってみた記録写真を想起する。その延長線上にこの「シンドラー・・・」はイメージングされる。
だから、何も知らないという無知の世代を地上に現出させないためにも、映画にできることがあると思っただろう。彼の映画は世界商品として流通してる。だからその影響力もまた大きいとスピルバーグ自身が認識してるだろう。近作の「ミュンヘン」に通じる歴史の再現がここにはある。
胸が痛むシーンの連続から、ボクはそのようなことを再確認した。
既に古典の域にある短編記録映画がある。
フランスの映画監督アラン・レネが1950年代に造った『夜と霧』。アカデミー短編映画賞を受賞したと記憶する。
この映画は、ナチがユダヤ人を絶滅させるために作ったアウシュビッツ強制収容所の記録である。緑したたる草原をカラーで撮影した現在と記録映像(動画・静止画)とのモンタージュで静かに語られた映画だった。
生涯忘れられない記憶を、この映画から得た。大学生だった頃、何度もこの映画を観た。そこには映画を造る行為が真に知的な営みであることを示すものがあった。ドキュメンタリストの視線が切り開く可能性をそこにみた。そして、死者をして語らしむ・・・という気迫を、今生きる者たちが伝承しようとする試みがあった。
記録ではなく、記憶をボクは映画から得ていたのである。
TSUTAYA DISCAS 「シンドラーのリスト」が届いた
昨日(5日)、佐川急便でDVDが届いた。3日(土)にnetでオーダーし、中一日で到着した。中一日は微妙なタイムラグである。onlineでレンタルする習慣がなかった身にとっては、正直少々時間がかかる気がした。
しかしこれは慣れるだろう。返却期限がないのは、うれしい。返しに行かなくて済むのはもっとうれしい。もう一回利用してみて、本入会するかどうかを決めようと思う。
さて「シンドラーのリスト」である。朝みる映画ではない。気持ちが暗くなる。夜は見るのが怖いから見なかった。ナチスのユダヤ人に対する行為は許しがたい。が、人類はその暴虐を歴史に刻んでしまった。
スピルバーグが上手すぎるのが引っ掛かってる。モノクロームの画面に少女のマントだけが赤く彩色されてみえるシークエンス等がひっかかる。キューブリックがホロコーストの企画を結局断念したという記事をどこかで読んだ。
描くことすらためらわれる悲惨を、エンタテインメントにする行為自体が、まだボクには呑み込めないでいる。
秀でた映画であることは間違いない。
しかし見るに耐えない・・・と思う気持ちは、残酷なシーンがあるからではない。それをみる観客が戸惑いを覚えるくらい、表現が「上手い」という一点をどう理解すれば良いか、判らないからだ。それを何故「戦場のピアニスト」では呑み込めて、「シンドラーのリスト」では呑み込めないか?が判らないでいる。
しかし判らないことがあるということは、いいことである。
●TSUTAYA DISCASの記事 ⇒ ◎
パリ、ジュテーム
120分のパリを舞台としたオムニバス映画を観たいと思ったのは、パリの街角でいかにもフランス映画らしい恋愛模様が繰広げられるのかな?と想像したから。その先入観とは少し違った映画だった。
有名な女優・男優目白押し。パリの街区毎の章立て。パリが主役である。その美しいパリの時の流れ。
何となくフランスの“パリ世界戦略商品”的てんこ盛り映画だった。
フランス映画がその背景としたパリを、結果としてではなく企画段階から売り込もうとするマーケティングが透けてみえる。フランス映画ってこんなものでしょ?とかパリってこんなに夢の街よ?・・・とステロタイプに示した処に商品の匂いがしてしまう。これは批判でも非難でもない。この映画が悪いのではない。そういう意図で造られた映画であるということだ。
フランス料理で、満腹になる。というのは、フランス料理にとって、幸せなことだろうか?
ベルナルド・ベルトルッチの『ラストタンゴ イン パリ』を、ふと思い浮かべる・・・。